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太田出版
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議会を国民の手に取り戻せ
重要な審議の最中に、議員たちは何をしているだろう。伸びをする者、居眠りをする者、おしゃべりをする者。ここはいったい動物園か。
彼ら議員たちは、考えなしに自分が所属する党に投票する。「党の理念」なる名ばかりのものに縛られているからだ。自らの意思で異なる票を入れようものなら、その人は反逆者とみなされよう。
このような議会に費やされるお金と時間を、ひと握りの良心的な人々の手に委ねたら、いまごろもっと立派な国になっていただろうに。
議会を国の高価なおもちゃにLではいけない。
わたしたちの手に取り戻すのだ。『ビンドスワラージ』
国民にも政府と同じ責任がある
政府や政治家を批判するだけではなく、考えてみよう。
人は往々にして、マスコミの報道に振り回され、優柔不断に考えを変える。時計の振り子のように、決してとどまることがない。弁のたつ人や、根回し上手な政治家を、つい支持してしまう。
国民にも政府と同様の責任があることを、しっかりと胸に刻もう。『ヒンドスワラージ』
人まかせでは未来は築けない
これまでどおり、自分以外の働きに期待し続け、誰かが動けば問題は解決すると考えている限り、わたしたちは、自分たちの目的を達成して、その成果を手にすることはできない。
第2回グジャラート教育会議でのスピーチ 1917年10月20日
不満からしか改革は起きない
不満は不安の表れである。
不満が国中に広がることは、少しも悪いことではない。
むしろそこには希望の光がある。
現状に甘んじている限り、人はそこから抜け出そうとしないのだから。
あらゆる改革は、不満を抱くことから始まった。
いままで当たり前のように受け入れていたものを、嫌悪するようになったとき、人は初めてそれを捨てることができるのだ。
こうして膨らんだ不満は情勢不安を生み、数々の犠牲をともなうことにもなるだろう。
しかし、「何かを変える」とは、そういうことなのだ。『ビンドスワラージ』
現実から逃げず、前に進もう
理想に近づこうと努力すればするほど、理想は遠ざかっていくものだ。
しかし、理想の実現よりも、はるかに価値あることは、熱い思いをもって前に進み続けることである。
ときにつまずき、ときに倒れることもあるだろう。
それでも打たしたちは再び立ち上がる。
現実から逃げることさえしなければ、それで十分である。
「ナヴァジーヴァン」1919年9月7日
偽善に満ちた議会こそ暴力
議会とは、不毛の大地である。
何ひとつ良いものを生み出したためしがない。外部からよほどの圧力がかからない限り、何もできない。
建前はこうである。国民は、この人ならと思う人を議員に選ぶ。選挙民は教養ある人々なのだから、その選択に誤りがあるはずがない。そして議員はその期待に応え、国民のために働く。だとしたら議会は円滑に行われ、国は日に日に良くなっていくはずである。
けれども、わたしたちは知っている。議員たちは偽善者であり、自分の目先の利益しか考えていないということを。
そして恐ろしいことに、それこそが議会を進める動機なのだ。
今日決まったことが、明日には覆される。議会のおかげで世の中が良くなった例など、ただのひとつも思い浮かばない。『ヒンドスワラージ』
こんな首相はいらない
往々にして首相なる人は、国民に奉仕することよりも、権力にしがみつくことにご執心である。いかに自党を守るか、そればかりに専念し、議会を正常に進めることなど眼中にない。
むしろ自党にとって都合のよいように、議会を利用してさえいる。
歴代の首相たちに個人的な敵意はないが、これまで見てきたところ、真の愛国者とはとうてい思えない。
ワイロさえ受け取らなければ、誠実な首相だといえるだろうか。
彼らにはもっと巧妙なやり口がある。自分の目的を果たすために、人々に名誉というワイロを贈るのだ。
きっぱりと言おう。首相なる人には、誠意もなければ良心もない。『ビンドスワラージ』
便利な文明の利器はいらない
文明の利器は便利な暮らしをもたらしもしたが、わたしたちに及ぼした損害も計り知れない。
しかしどうして文明そのものを非難できるだろう。
わたしたちが欲したから、生み出されたのだ。
もしわたしたちが「いらない」と声をあげていたら、もっと正しい道を歩めただろう。『ビンドスワラージ』
電気の独占は破滅をもたらす
電気はあまねく行き渡り、あちこちの家を照らし、さまざまな工業製品を生み出している。
しかし、電気は、ひとつの特定の電力会社からしかこない。
考えてみよう。ひとつの企業が、電力という巨大な権力を握ることの恐ろしさを。
電気や水や、いずれは空気さえも、利権を得た企業からの供給に頼ることになったとしたら、それは極めて危険なことである。
このような独占という暴力は、結局は破滅をもたらすことになる。
「パリジャン」1934年11月2日
七つの社会的罪
まだ知らない人がいたら、知っておいてほしいことがある。
現代社会に巣食う七つの大罪とは……。
理念なき政治
労働なき富
良識なき快楽
貢献なき知識
道徳なき商業
人間性なき科学
献身なき信仰
読者はこれを頭ではなく、心に刻みこんでほしい。
こうした罪を決して犯さないために──。
「ヤング・インディア」1925年10月22日
武器の代わりに非協力を掲げよ
わたしたちは、この世界にひとつの使命を携えできている。
それは武器の力を借りることなく、非暴力で自らを浄化することによって、この世界をより良いも秒に変えていくことだ。
その手段は、非協力。ただこれしかない。
明らかに不当な政治支配でも、支配される側が、支配する側に協力している限り、成り立ってtまう。
だからこそ、わたしたち全員でその協力をやめてしまうべきなのだ。『バープー物語』
決して負けない、決して逃げない
非暴力とは、わたしたちに対してふるわれる理不尽な暴力に、力なく屈することではない。
非暴力はもっとダイナミックなものなのだ。
それは、政治や社会、そして暮らしの中で、わたしたちに向けられるさまざまな刃に対し、逃げることなく、全身全霊をもって抵抗し続けることである。
「ヤング・インディア」 1920年8月11日
勇者だけが剣を捨てる
非暴力は臆病を隠すベールではない。
それは、勇者の最高の美徳である。
非暴力を行使するには、剣をふるう以上の勇気が必要なのだ。
だから、武術家が非暴力の担い手となるのは、理にかなったこと。
非暴力とは、暴力に対して十分に反撃できる力をもつことでもあるのだから。
「ヤング・インディア」1926年8月12日
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