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細川護煕元首相はいま、野田政権をどう見ているか(田中秀征)
2012/02/16
DIAMOND http://diamond.jp/articles/-/16157
先週細川護煕元首相と2人でじっくりと意見交換をした。そして、1993年の政権交代で細川内閣が“質実国家”を掲げたことがやはり正しかったと確認した。
彼の基本的な考え方は、初めて会談したときと大筋で同じで、それ以後も私が見るところ基本政策でブレたことは一度もなかった。
■20年前、細川政権誕生のきっかけになった対談
最初の会談は、92年の8月。経済雑誌で対談したとき。対談後、彼が用意したホテルの部屋で3時間近く話し込んで、意見の擦り合わせをした。政治状況に対する基本的な認識、そして今後の日本が目指す方向について意見が合致した上で、私は「宮沢内閣が終わる日に自民党を離党してあなたと行動を共にする」ことを約束した。
最初は単独行動のつもりであったが、私は武村正義氏を誘うことを思いつき、細川氏も「そうなればいい」と同調。翌月に武村氏が快諾し、その後1人ずつ参加して、翌年6月18日に、計10人で自民党を離党して新党・さきがけを結成した。
細川氏との最初の会談では、冷戦後の日本の新しい進路をどうするかが最大のテーマ。そして、新しい進路に沿って今までのシステムの改革を進めることで意気投合した。
あれからもう20年になる。今、細川氏は「あの頃と基本的な状況は変わっていない」と総括するが、その中には、細川政権当時の反省も含まれている。とりわけ、94年2月に行政改革を省略して消費税増税に走ろうとしたことを悔やんでいるように思われた。
■“細川チルドレン”野田首相への見方は期待から失望へ
野田佳彦首相は、言うまでもなく細川チルドレンの優等生。彼が民主党代表となり首班指名を受けたとき、細川氏は「自分のことのようにうれしい」と私に電話してきた。
おそらく、志を継いで自分がやり残したことを野田首相にしてほしいと願ったのだろう。93年当時を思わせる熱意に私は驚いたものだ。
だが、細川氏の野田政権に対する熱意は急速に冷めてきた。野田首相が“脱原発”を明言しないこと。そして小手先の行政改革で増税に走っていること。さらには選挙制度の抜本改革に対する理念が見えないなどの理由からだ。
細川氏は、野田首相は「逆を向いている」と厳しい評価をするようになった。当然のことながら、野田政権の支持率は低落の一途を辿っている。
■細川元首相が望みを託す“新土光臨調”が最後の反転攻勢手段
今回、細川氏が唯一期待感を示したのは、一部で政権が「土光臨調」に匹敵する強力な行政機関を設置すると報道されたこと。しかし、世論に促されて、あるいは人に言われてすることは本気ではない。私がそう言っても彼の“新土光臨調”への期待はなくならないようだ。
本欄で何度も指摘しているように、増税と行革の同時進行は、行革を偽装するだけに終わる。“新土光臨調”が信じるに足る段階に至らなければ、消費増税法案の国会提出を見送る。それが野田首相の最小限の責務であろう。
最強の後見人と見られてきた細川元首相から見放されれば、野田首相は立ち往生せざるを得ない。野田首相は、消費税増税を先行させることを中断して、報道されたような民間人による新しい土光臨調を編成し、行政の大改革、ムダ使いの徹底排除の方向に思い切って舵を切るべきだ。恩師の必死の忠告に従えば政権は反転攻勢に出ることができるかもしれない。
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