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2012年2月14日 (火)
巨大な貸し手責任問わない背徳枝野東電処理
東電への資本注入をどうするかなど、混迷が広がっている。
枝野氏が、「十分な議決権が伴わない計画が提出されても認定するつもりは全くない」と発言し、政府による東電の経営権取得の意向を示している。
この場面だけを見ると枝野氏が正論を述べて、国民の利益を代弁しているかのように見えるが、実態はまったく違う。
政府の東電対応は、世界中の資本主義国家があきれる、お笑い草の対応なのだ。
どこがお笑い草なのか。
それは、原子力事故を引き起こした際の損害賠償のあり方について定めた「原子力損害賠償法」という法律がありながら、政府がこの法律を無視した東電救済を進めているからだ。
東電には大きな政治力がある。経産省と東電は癒着している。本来責任を問われる利害関係者は、できることなら責任を負いたくない。
これらのことが存在することが判明した。これらが、とてつもない原子力事故を引き起こす遠因になったとも言える。
人類史上最悪レベルの放射能事故を引き起こした現実を踏まえ、過去の悪い慣習を根元から根絶するというのが、当然の行動ではないのか。
これだけの事故を引きおこしてしまった現実は、もう変えようがない。過去に戻れるタイムマシンがあるなら話は別だが、覆水盆に返らずだ。
この厳しい現実を踏まえ、過去と訣別する覚悟と行動力が求められている。東電の政治力を排除し、経産省と東電の癒着を解消し、責任を問うべき当事者に適正な責任を問う。これが当たり前の対応であろう。
原子力損害賠償法は原子力事故を引き起こしてしまった場合、事業者に損害賠償責任を負わせている。例外があり得るのは、「異常に巨大な天災地変」による場合と「社会的動乱=テロ」による場合だけだ。
この場合ですら、免責になると決まったわけではない。条文には「この限りでない」と記載されているだけで、「責めを負わない」ことが確約される訳ではない。
しかし、今回の原子力事故を発生させる原因になった地震や津波は、完全に事前に想定されていたものであった。専門機関から繰り返し、発電所の備えが不十分であるとの指摘を受けてきたにもかかわらず、費用がかかるからと、対応策を採ることを怠ってきたために事故が発生したのだ。
日本が法治国家である以上、東電に損害賠償責任を負わせるべきことは当然だ。ところが、損害賠償規模が大きく、東電の支払い能力を超える。東電が債務超過に陥るのだ。
この場合、資本主義経済のルールとして、東電は法的整理されることになる。法的整理によって、債権債務を整理するのだ。そのうえで、会社を再スタートさせる。これを会社更生手続きという。
法的整理の過程で、企業の利害関係者は、応分の負担を求められる。責任を問われる利害関係者とは、経営者、株主、社債権者、金融機関などである。この手続きによって、関係者の責任は法の規定に沿って、適正に問われることになる。
これが、資本主義国家、法治国家の当たり前の当然の問題処理である。これを「破たん処理」、あるいは「法的整理」と呼ぶ。
これを実行しない理由は存在しない。
ところが、野田政権は、まったく筋の通らぬ東電救済を実行している。
東電を法的整理しない理由としてあげられているのは次の三つだ。
第一は、電力の安定供給に支障が生じる。
第二は、金融市場が混乱する。
第三は、法的整理を行うと、担保付社債権者の弁済順位が原子力事故被害者への弁済順位よりも上位に位置するため、原子量事故被害者への損害賠償原資が不足する事態が発生する可能性があるというものだ。つまり、損害賠償原資が枯渇して、原子力事故被害者への損害賠償が行えなくなることが懸念されるというものだ。
法的整理で原発事故被害者に対する損害賠償が行えなくなってしまうのは問題だと誰しもが考える。このことから、法的整理を行わないとの選択が大手を振って歩いてきた。
ところが、東電を法的整理できないとする上記の三つの理由は、いずれも正当な理由ではない。
会社更生法を適用すれば、電力事業を継続しながら法的整理することができる。
金融市場が混乱するというが、金融市場参加者はデフォルトなどのリスクを踏まえて投資活動を行っている。東電への投資者だけが例外扱いを受ける正当な根拠がない。
最大の問題は、損害賠償原資が不足する恐れだ。しかし、この懸念も原賠法第16条の規定により払拭される。
(国の措置)
第16条 政府は、原子力損害が生じた場合において、原子力事業者(外国原子力船に係る原子力事業者を除く。)が第3条の規定により損害を賠償する責めに任ずべき額が賠償措置額をこえ、かつ、この法律の目的を達成するため必要があると認めるときは、原子力事業者に対し、原子力事業者が損害を賠償するために必要な援助を行なうものとする。
つまり、不足する損害賠償原資を国が援助すればよいのだ。
結局、枝野氏、野田氏が進めている措置は、本来、責任を負うべき関係者の責任を問わないことを目的に実施されていることが分かる。
本来問われるべきであるのに、問わない責任とは、経営者責任、株主責任、債権者責任である。
枝野氏の発言を見ると、経営者の責任をある程度問おうとしているように見える。しかし、東電会長ポストが空席になる。あるいは、東電役員ポストが空席になるということは、政府が東電の「人事利権」を得ることを意味する。
政権と近しい人物に、東電の主要ポストを配分する。「人事利権」の活用は小泉竹中政権が積極的に進めた利権政策である。
最大のポイントは、金融機関の貸し手責任が免除されることだ。この分は100%、一般国民、または電力利用者に転嫁される。
民間銀行、そして、日本政策投資銀行が負わねばならない損失が免除されるのだ。
このような措置が通用するとすれば、日本はもはや法治国家ではない。枝野氏の不正行為は明白である。
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