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2012-02-08 22:59:23
いやはや。
かって、『末は博士か大臣か』という言葉が有った。
<双葉>より芳しい「栴檀の子供」に、将来に期待を寄せる表現であった。
その頃から変わらず、今なお「博士」になるには、それなりの才能と与えられるべき環境とが必要である。
ところが!
「大臣」はまったくの無能でも務まる事が、立証されてしまった。
民主党による「政権交代」のお陰である。
この事実は、恐らく日本の憲政史上ずっと変わりなく、今日まで続いて来た真理なのであろう。
戦後「民主主義」のまねごとを始めて以来、自民党政権時代から皆が薄々感じてはいたが、「やはりそうだったのだ」と白昼明らかになった。
考えてみれば、直ぐ分る。
政治家と言う職業には、何らの資格も教養の水準の指定も、無い。
ただ、本人が「政治家になりたい」と言う意志が有れば、なれるのだ。
理論的には。
勿論、<看板>も<カバン>も<ジバン>無ければ、現実的にはそう簡単な事では無いだろう。
逆に言えば、先の総理大臣の独りの如く、本人は別になりたかった訳でもなく、ただただ「親の」看板とカバンとジバンとを引き継がされたと言う、不幸な例もある。
なにが不幸かって?
勿論、本人に取って。
しかしお陰で、国民が<大きな>しわ寄せを受ける事となる。
いまや、その<看板>と<カバン>と<ジバン>とが、以外と「手に入りやすく」なって来ているのだ。
『塾』と言う物が作られた。
塾に通えば、「何処の馬の骨」でも<看板>を背負える可能性がでて来た。
<看板>を背負えれば、もれなく<カバン>も<ジバン>もついて来る。
挙げ句の果てには、『青雲の志』等とはほど遠い、「何か別の」志を持った輩が、政治家でござい、と言う事と相成って来た。
その挙げ句に、皆々「ドングリ」しか居ない以上、内部で「多数派工作」に乗っかった奴が、『大臣』の誉れを手にする事が出来る様になった。
要は「口八丁」で総ては事足りる。
大臣なんて、所詮その程度。
そもそも。
政治家に、行政に拘る多岐にわたる分野の、専門の知識や見識が、有る筈が無い事くらい、考えずとも直ぐ分る。
大臣を「拝命」し、或は政務三役を仰せつかり、はたまた院内の各種委員会に夫々の役職を貰って、政治活動にいそしむ。
と言うと聞こえは良いが。
大変ですよ。
一体全体、何処の誰が「防衛問題」の詳細に精通しているというのでしょうか。
技術的には職業軍人。
行政的には軍事官僚。
それらの専門家達に、敵う訳が無いでは有りませんか。
それなのに、軍事や防衛等と言う「極めて特殊な」分野に、もしも精通している「平服」が居るとしたら、それは極めて気味が悪い事である。
財政金融も、福利厚生も、科学技術も、教育文化も、通商も産業も、「完全に精通して」政治家になれる訳では無い。
政治家になって、夫々の「委員会」に振り分けられて、その役目を果さんが為に、一生懸命努力して「蓄積」して行く訳だ。
勿論、政治家になる前から「それなりに」専門領域を持っていた議員諸氏も居る。
官僚上がりの政治家。
財界出身の政治家。
学者上がりの政治家。
組合上がりの政治家。
或は、何かの分野を「素人」以上に、勉強をして来た人達。
それでも、「一国の行政」の支えとなる各種法案に精通し、自ら政策立案を行い、討議進行の指揮を執り、法案成立後にその実施に向けての事務的諸問題を解決して行ける、そんなスーパーマン大臣になれる様な、そんな政治家なんて居る訳が無い。
そもそも「専門家」は、その専門分野に「しか」精通していないものだ。
くわしければ詳しいほど、ほんの少し角度が反れれば、もうついて行けない筈だ。
だから「学者先生」政治家は、使い物にならない。
その代わりに、日本には「世界に誇る」シンクタンクが、バックに控えているのである。
霞ヶ関省庁という官僚組織である。
そして、少なくともその「技能者集団」を、手足の如くに仕えれば、日本の政治と行政とは安泰であろう。
しかして、現実は残念ながらその正反対。
官僚達が、政策を決め、その為の法案の方向性を決め、たたき台を造り上げ、細部を詰めてお膳立てをしてしまう。
衆院各委員会など、官僚の敷いたレールの上での「手続き」に過ぎず、本会議は「祭り」である。
各議員が、各法案の一字一句を読破し、その意味する所を総て理解し、一切の矛盾を取り除き、その後に問題が起こらない様に詰めて、議事に付す訳では無い。
申し訳ないが、議員諸氏は官僚からの「ブリーフィング」を受けた政務官からの伝達レベルで話は終わってしまうのだ。
万一、官僚に取って「好ましく無い」法案が成立してしまう事が避けられない様な事態にでもなれば、必ず如何様にも解釈出来て、したがって本来の趣旨とは逆の解釈が出来る様な付帯事項や、「てにおは」の使い方に依る巧みな反作用の為のカムフラージュが成されていて、実際に法の施行の際には、議員諸氏が考えていた内容とは「似ても似つかぬ」政策根拠に成り果てている事など、ざらに有る筈である。
少なくとも、自民党政権の時代は、それで総てが上手く行っていた。
「上手く」と言うのは、勿論官僚達に取って、の話であるが。
外相や、財務相や、首相が訪米する際も、米側の相手との会談に置いて「話すべき」中身は、総て官僚が作っている。
先に「事務方同士」で、ツメが成されてしまっている。
と言う事は、政治家が何かを図りに行く訳では無くて、政治家が行く時は既に官僚達が「レールを敷いて」しまっている訳だ。
外交だけでは無く、内政に置いても、事態は同じ。
政治家は「数」。
大臣は「飾り」。
「それじゃいかんだろ!」と、小沢一郎は、訴えた。
民主党の同士達の殆どが、それを理解出来なかった。
政治家が「素人集団」に成り果ててしまった以上、単に数やお飾りであった「自民党政権」時代以上に、官虜達が「自由に」「好き勝手に」やりたい放題に出来る様な土俵を、民主党政権自らの手で作ってしまったのである。
▶橋下氏の政治塾、応募殺到1千人…元国会議員も(讀賣/見出し)
>次期衆院選で最大300人の候補者擁立を目指す地域政党・大阪維新の会(代表=橋下徹・大阪市長)が3月に開講する「維新政治塾」(定員約400人)に応募が殺到し、8日時点で1000人を突破した。
>元国会議員や中央省庁キャリア官僚、弁護士らが含まれているという。応募締め切りの10日までにさらに増える見通しで、候補者の大量擁立に向けた塾生確保のハードルは越えられそうだ。
>塾生は25歳以上が対象で、年12万円の受講料がかかる。講座は3月24日から月2回程度、開かれ、選挙公約となる維新版「船中八策」を議論する場ともなる。
【讀賣新聞/2月9日(木)7時33分配信】
野田佳彦を見よ。
前原誠司を見よ。
『松下政経塾』の卒業生達の、国会に於ける「ザマ」を見よ!
それでも、彼等はしかるべき期間の「おべんきょう」と「実習」とを経て来たらしいのだ。
それが『橋下維新塾』は、「今年に予想される」総選挙の候補者をそろえる為だそうだ。
と言う事は、下手すりゃ二〜三ヶ月しか「おべんきょう」する時間がないことになる。
酷い話じゃあ有りませんですかねえ。
促成栽培。
インスタント政治家。
▶日本で政治塾設立がブームに(朝鮮日報/見出し)
>橋下徹・大阪市長が率いる地域政党「大阪維新の会」が設立した「維新政治塾」が今年、初めて塾生を募集したところ、定員300人に対し約700人が応募した。大阪だけでなく全国から、現役の地方議員や官僚はもとより、元国会議員までが入塾を志願した。一方、大村秀章・愛知県知事や河村たかし名古屋市長も、近いうちに政治塾を開設する計画だ。また、自民党の古賀誠・元幹事長と丸山和也・参議院議員も、政治家養成機関の設立に向け準備を進めている。
>朝日新聞は8日、政治家養成機関の元祖とされる「松下政経塾」出身者たちの躍進を背景に、政治塾設立ブームが巻き起こっている、と報じた。松下電器産業(現・パナソニック)の創業者として知られる故・松下幸之助氏が1979年に設立した松下政経塾は、野田佳彦首相をはじめ、これまでに38人の国会議員を輩出した。同塾出身者たちは「カネ」も「コネ」もない中で、選挙で互いに助け合い団結することにより、日本政界の主流派として台頭している。同塾は「少数精鋭」を基本として塾生を選抜、厳格な教育を施し、これまでに248人の卒業生を輩出した。また、同塾をモデルにして設立された「一新塾」もこれまでに7人、「小沢一郎政治塾」は10人の国会議員を輩出するなど、影響力を高めている。
>松下政経塾が長期的に国家の指導者の育成を目標としている一方、最近設立が相次いでいる政治塾は短期間で政治家を養成する「実戦用」の機関と評されている。
>維新政治塾の場合、1年制で月に2回程度の講義を聴く形式だ。4年制の松下政経塾に比べ、教育過程は緩やかなものだ。また、維新政治塾は近いうちに行われる選挙に備えた選挙公約の作成や、選挙運動の方法などを指導する。
>同塾の出身者たちは共通の公約を掲げ、次回の大型選挙に大挙して出馬する見通しだ。
>大村・愛知県知事が設立を目指す「東海大志塾」も、選挙への出馬を前提に塾生を募集する。このような政治塾が人気を集める背景としては、民主党や自民党の支持率が急落している中「第3の勢力」の政界進出の可能性がこれまで以上に高まっていることも挙げられる。
【朝鮮日報日本語版/2月9日(木)8時19分配信】
嗚呼。
「大挙して出馬」だそうだ。。。
これでいよいよ、政治家は「かろうじて残っていた」と思われている<プリヴィレージュ>を失ってしまった。
『猫も杓子も』と言う表現が有る。
しかし、猫は頭がいい。
感も鋭い。
これからの「日本の政治家」は『馬の骨も杓子も』である。
バ◯もア◯ウも、と言ってしまえば、言い過ぎであろうか。
こんな有象無象の中に有っては、一部の「有能な」議員諸氏も、埋没してしまう恐れが有る。
考えても見よう。
『維新』150名。
『大村塾』40名。
『河村減税塾』40名。
『自民』130名。
『民主』60名。
『みん』25名。
『公明』20名。
『その他』若干名。
こんな国会で、一体何が起きる?
政治の大安売り。
政治家のバーゲンセール。
国政のバラエティー化。
きっと、その次に来るのは『吉本党』に違いない。
ただただ、絶句するのみ…。
鳩山<友>紀夫。
菅直人。
野田佳彦。
この面々の成して来た事は、万死以上に値する。
全員揃って、一万一回ずつ死んでしまえ!
日本が壊れて行く。
見放された国民は、一体どうすれば生き延びて行けるのか……。
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