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野田を猛進させる「滅びの美学」
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文藝春秋 2012年3月特別号「赤坂太郎」
「不退転の決意」を見せる野田首相を仕留めるのは、水面下で蠢く“第三極”。
「今求められているのは、僅かな違いを喧伝するのではなく、国民の真の利益と、この国の未来を慮る大きな政治です。重要な課題を先送りしない、決断する政治です」
一月二十四日午後、衆院本会議。野田佳彦が首相になって初の通常国会で、施政方針演説が行われた。所々で声を張り上げる野田。だが野党側からの野次が、それをかき消す。昨年の臨時国会での所信表明演説と比べると、与党・民主党側からの拍手は少なくなっていた。
被災地の方言を使い「がんばっぺ、福島。まげねど、宮城。がんばっぺし、岩手……」と訴える部分は聞かせどころのはずだった。福島県出身の外相・玄葉光一郎、宮城県出身の財務相・安住淳、そして岩手県選出の復興相・平野達男から直々に発音指導を受けた。まさに「内閣一体」で取り組んだ演説だったが、議場内の反応は、芳しくなかった。
首相の国会演説は通常、厳重に管理されるが、今回は内容の一部が数日前から自民党関係者などに漏れていた。最近、自民党幹部のところに財務省などの官僚が非公式に接触する機会が増えている。民主党が政権から転落する可能性が高まっているため、官僚たちが保険をかけているのだ。野田演説の管理が甘かったのも、官僚が「両てんびん」をかけ始めたのと無関係ではないだろう。
■「七月解散」で静から動へ
野田は今年に入ってから、外部の有識者とも積極的に会い、首相就任後は控えめにしていた酒も、「完全解禁」状態だ。公邸三階にある野田の書斎には、熱かんをつくる電気ポットも入った。
一月七日、東京・永田町のキャピトルホテル東急の「水簾」で元東大総長・佐々木毅らと昼食を取った時も「今日はこの後、特に予定もないので飲ませてもらいます」と冷酒を味わった。翌八日から東日本大震災の被災地入りする予定になっていたこともあり、一足先に地元・岩手県にお国入りした元民主党代表・小沢一郎の動静を気にしていたが、概して冗舌で自信に満ちていた。
この前日の六日、野田は公邸に元外相・岡田克也をひそかに招き、副総理としての入閣を要請していた。「一体改革を進めるにはあなたの力が必要だ」。この段階で岡田は即答はしなかったが「必ず受けてくれる」という思いが野田を高ぶらせた。
岡田が正式に副総理就任を受け入れたのは十一日。都内のスポーツ・ジムに官房長官・藤村修が出向き、口説いた。
藤村はその日夜、赤坂の議員宿舎で待ち構える記者団に「今夜は酒を飲んではいません。運動してきました。ほら」と話し、ズボンをまくり上げて運動用の白い靴下を見せた。岡田の趣味はジムでのトレーニングだというのは有名だ。藤村は、岡田説得に成功した達成感から、記者団にヒントを与えたつもりだったのだろう。慎重な藤村にしては珍しいこのサービスは、若い記者には通じなかったようだが……。
年明けに断行した人事のポイントは三つ。岡田の起用。問責決議を受けた防衛相・一川保夫、消費者担当相・山岡賢次の交代。そして党国対の強化だ。
昨年の臨時国会は終始野党ペースだった。法案成立率は過去二十年で最低の三十四%。惨憺たるものだ。当時の民主党は、野党が多数を占める参院で法案が否決されるのを恐れ、与野党で修正協議が整ったものだけ衆院、参院と可決していく手法をとった。だが衆院解散を求め対決色を強める野党に、この手法はなかなか通用しない。法案は衆院の採決にも至らないパターンが続いた。結果として「政府・与党は政策を実行する執念がない」という印象を国民に与え、内閣支持率を下げる遠因にもなった。
野田、藤村らは、野党との協議が整わなければ参院否決を恐れずに衆院で可決する戦術に転ずることにした。野党が妥協に応じて法案が成立すれば理想的だが、参院で否決されるなら、それもよし。世論の批判を受けるのは野党の方だ、という考えだ。二〇〇五年、参院で野党や自民党内「抵抗勢力」の反対で郵政関連法案が否決された後「国民に聞いてみたい」と衆院を解散し歴史的勝利に導いた小泉純一郎の発想に似ている。
野田は国会運営の「戦犯」国対委員長・平野博文の更迭を決めた。だが、この人事は二転三転する。まず更迭説が流れると元首相・鳩山由紀夫が強く難色を示した。このため更迭はするが一川か山岡の後継閣僚として遇する方向となったが、今度はその情報を平野が周囲に漏らしたとして幹事長・輿石東ら執行部が不快感を持ち入閣は暗礁に乗り上げる。一方、鳩山グループの中には、平野が正式な鳩山グループのコアメンバーではないのに厚遇されることを不満に思う者もおり、報道機関に「平野を鳩山グループとは書かないように」という異例の“申し入れ”をした。
続投、更迭、栄転……。目まぐるしく変わる情報に平野は一喜一憂。一月十一日、議員会館を訪ねてきた財務次官・勝栄二郎に「俺が消費税増税反対だから交代させようとしているのか」と皮肉を言ったり、改造前日の十二日昼、政府民主三役会議で出された昼食が、苦手なチキン料理だったのを見て「嫌がらせかな」とぼやいた。平野は結局、文科相で処遇されたが、この過程で、民主党内にはあちこちに亀裂が入っていることを内外に露呈した。
今年の政局は、六月に衆院解散含みで緊迫するという予想が多い。三月、九月も「候補」だが、三月だと選挙制度改革、消費税増税の関連法案がほとんど審議されていない状態で信を問うことになり現実的ではない。九月は民主党も自民党も党首選を控え、与野党の対立よりも党内の闘争に関心が移る。よって消去法で、六月二十一日の会期末をめどにした「六月政局」が本命視されるのだ。この場合、野田が消費税増税や衆院定数削減を争点に解散に打って出ることも考えられるし、内閣不信任案が可決され解散になだれ込むパターンもある。
だが、政治日程を凝視すると六月解散も難しい。六月十八、十九日の両日にメキシコでG20首脳会議が行われ、野田も出席するのだ。帰国は早くても二十日。会期末までわずか一日という日程で政局をコントロールするのは不可能に近い。重要法案が会期末に滞留することも考えると、三十日から五十日程度の会期延長をして七月下旬解散、八月衆院選というシナリオが見えてくる。今年の永田町の夏は、間違いなく暑くなる。
■七十歳、小沢の最後の勝負
一月十六日夕。小沢は衆院議員会館で、自身が会長の「新しい政策研究会」を開いた。百九人が出席。この人数が結束し続ければ、消費税増税法案を否決に追い込めるし、野党提出の内閣不信任案を可決することもできる。同日夜、小沢は「研究会」の幹部約三十人が待つ東京・赤坂のステーキレストラン「ローリーズ」に現れた。小沢は「おれは選挙の時しか肉は食べない」と言いながら、百四十グラムのローストビーフを平らげ喝采を浴びた。野田については「こういう時に、なぜ消費税なんて上げるのかな」と首をかしげてみせた。
小沢は四月二十六日にも政治資金規正法違反事件の判決がある。そして五月二十四日に七十歳の誕生日を迎える。長い政治生活の中でも大きな節目が続く。
小沢は一月二十三日から連日、議員会館の自室に、若手議員を個別に呼んだ。党が行った調査結果をもとにした選挙情勢のカウンセリングだ。
「二対四対四だな。君は、二だ」
ある一回生議員は、小沢からこう伝えられた。四は自民党候補と、まだ出馬表明さえしていない第三極候補だという。「面接時間」は一人あたり十分程度。厳しい調査内容に、若手の大部分は青ざめたが、小沢の表情も険しい。
「知名度を上げろ」「浮動票を意識しろ」「ミニ集会もいいが、ポスターとかチラシとか、目に見えることをやれ」
小沢の指示は従来、地べたをはいつくばるような地道な運動を求めるものが多い。しかし今回は少し違い、小沢があまり認めない浮動票狙いの「空中戦」を促すものもあった。正攻法でひっくり返す見込みが少ないと感じたのだろう。
二十五日夜、若手の面接が一段落したころ、鳩山が小沢の部屋を訪ねた。次の衆院選の見通しが厳しいのは鳩山グループも同じ。会合後、鳩山は記者団に「選挙をやってはイケン(違憲)」と自虐的な駄じゃれを披露した。
小沢が百人を超える手勢を持つとはいえ、大部分は選挙基盤の弱い一、二回生。衆院選の後は、大幅に目減りし小沢の影響力も低下する。だから小沢は、選挙前に勝負するしかない。新党をつくるか。内閣不信任案の可決を主導する形で野田包囲網の主役となるか。いずれにしても、野田との対決色を日々強めていくだろう。
一方、野田も小沢との妥協は全く考えていない。この決意は昨年六月一日夜、菅内閣不信任案が採決される前夜、赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京で行われた秘密会合にさかのぼる。
この時、紀尾井町のホテルニューオータニに陣取る小沢のもとには、七十人が集まり同一行動を確認しあった。マスコミは小沢らが造反して不信任案が可決すると予測していた。
だがANAホテルに集まった野田、岡田、前原誠司、仙谷由人、玄葉、枝野幸男らは「七十人の中でも賛成できない議員も多くいる。このまま突っ込もう。今こそ小沢と決別のチャンスだ」と確認していた。
この時は、採決直前に首相の菅直人が「退陣表明」したため分裂は回避された。が、ANAホテルに集まった顔触れが内閣と党の中枢を占める野田政権が小沢に歩み寄ることは考えられない。
さらに野田は「滅びの美学」とも言える信念を持つ。政治を意識するきっかけとなった出来事として社会党委員長だった浅沼稲次郎刺殺事件と、米大統領だったケネディの暗殺をあげ、元首相・大平正芳に心酔する。三人の共通点は政治家として頂点の時に命を落としたことだ。大平は一般消費税の導入を進めた。自身の在任中には実現せず、命を縮めることになったが、大平がいたからその後消費税が導入されたという評価は残る。大平のように信じた道を突き進み、道半ばで倒れても後世に評価されればいい。そう考える野田は「財務省の傀儡(かいらい)」と揶揄されても、党分裂の危険があっても消費税増税に向かって猛進する。
その野田民主党を仕留めようとする野党。主役は、野党第一党の自民党ではなく、「第三極」だ。
一月二十五日夜、都知事・石原慎太郎は、たちあがれ日本代表の平沼赳夫、国民新党代表の亀井静香と都内のフランス料理屋で会合を持った。かつて自民党三塚派で同じ釜の飯を食った三人は、石原をトップにすえ三月にも七十人規模で新党結成を目指す。現状では、その半分も集まらないという声が多いが、大阪市長・橋下徹との共闘が実現すれば石原新党は大化けする。石原が都知事を辞任し都知事選が衆院選と同時に行われれば石原新党は後継候補を立て、注目度は高まる。民主党からも、くら替え参入者が出るだろう。自民党から石原の息子で党幹事長の伸晃が加わる可能性もある。永田町は激震に見舞われる。
渡辺喜美率いるみんなの党は、別の道から橋下と連携して第三極を作ろうとしている。そこに小沢が割って入ろうとする。今のところ与野党問わず、小沢への拒否反応は強いが、思いもよらない首相候補を担ぎ、いつの間にか政界再編の中心に座るのは小沢の得意技だ。
首相官邸で行われた十二日の政府民主三役会議。幹事長代行で衆院選挙制度改革の各党協議会座長を務める樽床伸二は「何か気になる点はありますか」と野田に水を向けた。
野田はすかさず「定数是正はどうなってる」と低い声で言った。「最初にやるのですか」と聞くと、野田は静かにうなずいた。樽床は、野田が選挙制度で勝負をかけようとしていると確信した。
民主党は十八日の政治改革推進本部で、小選挙区を「〇増五減」、比例代表を八十減らす改革案をまとめた。だが、野田も樽床もこの案で突き進むつもりはない。民主党が秋波を送る公明党に狙いを定め大胆な譲歩をするのはやぶさかではない。できれば与党に巻き込みたいが、少なくとも自民党との関係にくさびを打った状態で衆院選を迎えたい。そのためには、比例定数削減の八十を圧縮したり、中小規模の政党が有利になる連用制の導入などにも柔軟に対応する。さらに隠し球として参院選挙制度もセットで改革する案もある。参院選挙制度の議論は、議長だった西岡武夫が昨年死去して以来ストップしているが、公明党は、もともと参院を重視してきた。衆院から撤退して参院と地方議員の政党に生まれ変わることを検討した時期さえある。
(1)衆院小選挙区は〇増五減(2)比例は五十程度削減(3)次の衆院選後に衆参両院の抜本改革を行う――あたりで、合意を目指す動きは与野党協議のタイムリミットとして定められた二月二十五日に向けて顕在化していくだろう。
十九日、都内で開かれた賀詞交歓会で公明党代表・山口那津男と樽床が顔を合わせた。
「定数削減の民主党案は、いきなり頬を張られたようなもんですよ」
と言う山口に、樽床は「きちんとやりますから。きちんと」と繰り返した。樽床の言うように公明党との合意をきちんとするか。それとも不調に終わり民主党案のまま法案採決に持ち込まれるか。この推移は、今年の「暑い夏」を左右する。
(文中敬称略)
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