http://www.asyura2.com/12/senkyo126/msg/145.html
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●原発マネーに負けなかった男(高知)高知県民は、過去の放射能との困難な戦いで、実に3連勝している。小倉文三 JanJanB
http://www.asyura2.com/12/senkyo125/msg/725.html
同上コメントより
www.asyura2.com/12/senkyo125/msg/725.html#c40
40. 2012年2月10日 13:50:23
高知県以外にも過去に和歌山でも原発誘致問題との戦いがあった。
正しき考えの人達は各地で戦ったのである。
http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=211916
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(転載開始)
http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=211916 1976年2月6日の臨時議会が始まりだった。原発誘致を前提に、町有地を関西電力に売却することを可決した。だが、関電に売却された町有地は自然公園内にあり、多くは、数年前から町土地開発公社が「国定公園にして乱開発から守る」などと言って町民から買い上げ、町に転売したものだった。 同年7月の町長選で「原発反対」を掲げた阪本三郎町長が誕生し、いったんは誘致話は止まった。しかし、阪本町長も次第に「反対」から「慎重」、そして「誘致に前向き」な姿勢に変わっていった。 町の財政問題が背景にある。当時、町は毎年1億円ほど歳入よりも歳出が多い状態が続いていた。 町内の至る所に立て看板が並び、推進派、反対派ともに研修、勉強会、講演活動を繰り返した。ビラ合戦もし、毎日のように新聞の折り込みにビラが入っていた。 次第に町民同士の溝も深まっていった。同じ家の中で兄と弟で推進と反対に分かれるなど、親、兄弟、親戚同士で争いをしている状態。子どもたちまで推進派と反対派の家庭で、バスの座席が右側と左側とに分かれるなどの影響が出た。隣近所でも互いに顔を合わせてもあいさつもしないような、ぎすぎすした関係になってしまった。町内からしこりが消えるまで、長い時間がかかった。 88年7月の町長選で「原発反対」を掲げた三倉重夫町長が当選し、原発関連予算をすべてカットした。行政として明確に「原発反対」を打ち出したことで終息した。 反対派の町長誕生には、86年4月のチェルノブイリ事故の影響が大きかった。また、1958年に日置川沿いの多くの家屋が全半壊する水害があったが、殿山ダム(57年完成)の行き過ぎた放水が原因ではないかと考える町民も多く、関電に対する不信感があったのも影響した。 「原発推進」は国の政策のため、それに反旗を翻すのはよほどのことがなければ難しい。小さな町が国策という大きな波に巻き込まれるのは大変なことだ。推進派も反対派も「町を発展させたい」という目的は同じ。ただ、その手段が違っただけ。皆、つらい判断をした。もう二度と、こんなことに巻き込まれたくない。 当時も関電は「三重、五重の安全装置が付いているから安全。大丈夫」と言っていた。だが、福島第1原発の事故で「絶対安全」はあり得ないことが証明された。原発は一度事故を起こせば、自分たちの町だけの問題ではなくなる。そのことをしっかり胸に刻んでおかなければならない。
原発誘致で揺れた町 当時の様子を反対町議に聞く (AGARA 紀伊民報)
「紀伊民報」より
2011年06月08日更新
【関連資料を並べ、原発で揺れた当時の日置川町について話す西尾智朗さん(和歌山県白浜町日置で)】
東日本大震災による東京電力福島第1原発の事故は、発生から3カ月近くたったいまも収束の見通しが立っていない。近い将来、南海地震の発生が予想される紀伊半島沿岸部でも、これまで幾度となく原発や原発関連施設の立地問題が持ち上がってきた。かつて原発誘致で町全体が揺れた旧日置川町(現和歌山県白浜町)で、反対運動をしてきた白浜町議の西尾智朗さん(59)=白浜町日置=に当時の様子を聞いた。(聞き手・中沢みどり)
●日置川町で原発問題が浮上したのはいつごろか
●なぜ変わったのか
●町を二分するほど原発論争が激しくなったのは、84年に推進派の宮本貞吉町長が当選してからと聞いた。まちはどのような状態だったのか
●原発問題はいつ決着したのか
●当時を振り返ってみて、どう思うか
●福島第1原発の事故を受けて、どう思うか
(転載終了)
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