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「現代ビジネス」に、養老孟司氏の「参勤交代」「勤労奉仕」による地域再生論が掲載されており、都会と地方の再生の一つの解法と思っています。
当方も、現役時代に、限界集落、農村の過疎化、農業従事者の高齢化、里山・国土の荒廃らを問う私的研究会に参加しており、養老孟司氏の「参勤交代」「勤労奉仕」による地域再生論は、共感できますが?。
「現代ビジネス」サイトで、『地域力 渾身ニッポンローカルパワー』(地域振興総合研究所 (編集)、講談社刊)の紹介があり、東京大学名誉教授、解剖学者 養老 孟司氏が2010年の執筆されたものを『巻末言 文明の浮沈をふり返ればわかる 日本を、地域をこれからどうするか』で紹介しています。
養老孟司氏の「参勤交代」「勤労奉仕」による地方再生論は、今まで、色々と紹介されており、世間では好感されていると思いますね。
養老孟司氏の「参勤交代」「勤労奉仕」による地方再生論は、解剖学者として、エネルギーによる文明の盛衰、国土の荒廃の観点から、過疎化した地域の再生には、都会人が定期的に地方にて過ごし、勤労奉仕することによる地方再生です。
一部、転載すると、
”「では、地方の何が問題か。まずは人がいないことです。だから参勤交代を唱えるわけです。地方だけが頑張ってみたところで、人がいなければ何も始まりません。いくら商店を開いても、人が来なければどうにもならない。日本人全体が都市への一極集中をやめないことには、現状は変わらないのです。
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コンスタントに人が出入りするようになれば、あとは自動的に変わっていくはずです。農水省は過疎の起こっている地域を中山間地域と決めていますから、都会の人は皆、強制的に「2ヵ月休暇を取って中山間地域に行け」とすればいい。なんやかんやと政策を練っていますが、求められているのは結局のところ内需拡大でしょう。昔の言葉でいえば「勤労奉仕」。
皆さんに問いたいのは、あなたが生きている本音は何ですかということです。人間が生きている本音なんて、たかが知れています。長くても100年かそこらしか生きない人間にとって、大切なのは、いかに健康に充実した暮らしをするかでしょう。自分で生きるとはどういうことか。それを悟るためにも、参勤交代なのです。
歳をとってわかるのは、結果的にできることは、それをやった人にしかわからないということです。だから何かを変えるには、自分が動いてみればいい。
・・・・・・・・・・」”
と、強制的に、都市の人間を地方に行かせ、地方の生活を体験させることで、人間の健康的な暮らしは何かを悟らせることで、地方再生し、日本の将来は明るくなると語っています。
本ブログ「TV朝日の「スーパーモーニング」が『急増:団塊モンスター!』を取り上げる・・・諸々の雑感」で、
”「当方が「将来不安」を懸念した契機は、農業の将来不安でした。
農業の後継者不足、限界集落、里山の荒廃で、それを再生には、地方だけでは困難で、何らかの安価な労働力が必要で、定年退職者の団塊世代を活用を検討する私的研究会に参画した体験があります。」”
と、地方再生に、都会の定年退職者を労働奉仕させる社会システムの勉強会に参加し、地方再生には、安価な労働力が不可欠という認識を持ちました。
地方再生に、都会の定年退職者を労働奉仕させる社会システムの私的研究会(勉強会)の目的は、その事業性の検討で、ビジネスとして成立の可能性の検討でした。
事業案は、都会の勤労定年退職者を、ある一定期間、地方への労働奉仕させる会員制のスキームで、地方と都会をネットワークで結び、安価な労働力を地方に提供することですが、都会人に第二故郷つくりの副次的効果の狙いもありました。
事業性では、情報のマッチングではなく、受け皿となる側の世話役が重要となりましたね。
また、会員制の緩やかな組織案は、会員には、自分は労働奉仕している大義名分を与え、自由になる時間とカネを「やりたかった」事の受け皿とする「道楽倶楽部」の組織化の狙いがありました。
会員のターゲットに、教職員OB組織、企業のOB組織をターゲットに考えましたね。
この事業化案は、同僚や、一部のOBからは、面白いという感想でしたが、当方がお世話になっていた企業は、全国的な物理的拠点と情報ネットワークを持つ製造業であり、本業とは場違いの社会システムと組織判断されましたので、当方は、手を引きました。
私的研究会(勉強会)は、その後、郊外の幼稚園父母を対象にし、地方と交流会を試行しましたが、推進主体者が一身上の都合で自然解散しました。
ただ、この私的研究会(勉強会)に参加したことで、地方の強さと弱さ、定年退職者の第二の人生の実態などを学習し、養老孟司氏の「参勤交代」「勤労奉仕」による地方再生論は、文化論的には共感できますが、強制的な「参勤交代」「勤労奉仕」のスキームは、大胆な社会構造改革が不可欠でしょうね。
ブログ「晴耕雨読」様のエントリー『小沢一郎VS養老孟司:「ヒトとムシの日本改造計画」「カネ万能の時代」にどう生きるか』で、2004年の小沢一郎氏と養老孟司氏との対談を紹介しており、「参勤交代」も出てきます。その部分を転載すると、
”「(2)「田舎へ参勤交代」の勧め
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――戦争やテロという殺伐とした問題もある。
養老 それはそうじゃない社会ができることを見せるしかない。できるはずなんです。現に日本は戦後、ずっと平和だった。僕の持論なんですが、日本国民は「参勤交代」すべきだと思うんです。
どういうことかというと、現在、過疎地は国土の8割に及んでいます。だから、都会の人が、例えば1年に1か月でもいいから、そこで体を使って働くといい。そうすると、過疎になった地域がまず生き返る。それから、都会の人が、それだけの休みをとるようになる。今、日本の会社でも官庁でも有給休暇を完全に消化している人は、ほとんどいないでしょう。日本人は休むということに罪悪感を持ってますから。
――実践論は?
養老 霞が関からやったらいい。役人が1か月体使って、田んぼの手入れでも杉の間伐でも何でもやれば、そこで考え方が違ってくる。1か月なら1か月、田舎で働いて、また戻ってきて働くということは、再生産に対しても非常にいい。まさに日本全体の国土の再生につながる。
――身心一体で人が交流し合う社会は面白い。
養老 政治は人間集団の利害の調整だと考えられているけど、その手のビジョンが今までなさ過ぎたんじゃないか。利害調整じゃなくて、日本全体を考えたら、過疎地の問題は何とかしなきゃいけない。でも、どうしても人は都会に集まる。極端にいうと、全部都会に集めちゃっていいんですよ。そのかわり、一定期間農家を「兼業」する。
――いかがでしょうか。
小沢 とてもいいことだと思いますよ。かなりの強制力がないと、その政策の実行は難しいかもしれませんね。
養老 まず省庁とか会社単位でやったらどうですか。
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4) 年金は「報酬制」にすべきだ
――参勤交代を実現すれば、社会に対する考え方が変わり、仕組みが変わる。
養老 税金の取り方が難しくなる。例えば国民の二重居住を許すなどということが必要になる。ただ、僕は案外みんな賛成するんじゃないかなと思うんです。
サラリーマンをやってる人たちでも、やめた後どうするんだと聞かれると、「田舎に帰って百姓やりたい」という気持ちは、かなりの人が持ってるでしょう。都会で邪魔者扱いされるよりいいし、田舎で倒れるまで働くことができればそのほうがいいんじゃないですかね。
小沢 特に米作りなんて、お年寄りで十分なんですね。老齢人口を一番吸収するのは今まで、農業と零細小売りだったんですが、店番のじいちゃん、ばあちゃんは少なくなってきているし、農業のほうまでなくなりつつある。若い時はいろんな会社や工場で働いて、老後は農村で働くというのが理想的だと思う。」”
と、小沢一郎氏は自然に順応した人生観・国家像を語っており、当方と近い考えです。
小沢一郎氏の国家像について、本ブログ「TPP開国問題:農業改革は不可避であるが、農業の産業論には違和感」で、
”「植草一秀氏は、小沢一郎民主党元代表が9月14日の民主党代表選最終演説での、
”「私には夢があります。役所が企画した、まるで金太郎あめのような町ではなく、地域の特色にあった町作りの中で、お年寄りも小さな子供たちも近所の人も、お互いがきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人たちが集う都市が調和を保ち、どこでも一家だんらんの姿が見られる日本。その一方で個人個人が自らの意見を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本に作り直したいというのが、私の夢であります。」”
を紹介し、
”「小沢一郎氏が強調した、「お年寄りも小さな子供たちも近所の人も、お互いがきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人たちが集う都市が調和を保ち、どこでも一家だんらんの姿が見られる日本の価値を私達は軽視するべきでない。」”
と、小沢一郎氏が述べる青空や広い海、野山に囲まれた田園は、農業が存在することによって、美しく保たれているのであるの意見に同感しますね。」”
と小沢一郎氏の国家像には共感すると書きました。
また、本ブログ「TPP問題:社会変革の好機であるが、短絡的な農業産業化には違和感」で、
”「日本社会は、大家族から核家族になったのは、諸々の背景があると思うが、大家族では一家を養うこと出来なくなったことと、都会が人手を必要とし都会に自己実現できる世界の現出したことが要因でしょうね。
地域に残った人間で、第一次産業を従事し、地域社会を維持してきたのであり、第一次産業は、助成制度と現金収入の兼業と協同組織で保持されてきたことは事実で、それを優遇として全否定することは違和感をもちますね。
日本社会は、大家族から核家族になり、高齢者の介護が家族から施設介護になり、子供の育児も家族から施設あずかりになり、社会の仕組みが変容してき、地域であろうが都会であろうが現金収入が必要になってき、社会保障に費用がかかる時代になってきたのです。
農家が農業だけでは生活できず、現金収入の兼業農家が大部分なのは、農業だけの問題でなく、日本社会が変容したのです。
専業農業を指向する農家と、兼業農家とを同一とした論調や、農業を産業面だけの考察には疑問ですね。」”
”「極論を言えば、製造業の海外移転ありきとし、兼業農家に地域を守ってもらい、若い人間は海外でも活躍してもらう事です。
それは、日本を守ることであり、自分の国・故郷・田舎を守ることですね。
人間、自分が生まれ育った場所は、生理的に哀愁を感じ、愛着を感じるもので、そこに親兄弟にいれば、より哀愁を感じるもので、東日本大震災で「地域の絆」が脚光を浴びたが、それは人間の土着性の本能と思いますね。
第一次産業は、土着性に強く関わる生業であり、人間生活を軽視した経済性だけで論じることは違和感を感じます。」”
と書きました。
当方は、10年前に、都会の定年退職者を労働奉仕させる社会システムの私的研究会(勉強会)で、安価な労働力として、都会の定年退職者の労働奉仕による事業性を検討したが、養老孟司氏の参勤交代(二地域住居) ・勤労奉仕は強制的で、事業と強制の差はあるが類似性があり、都会の人間を田舎暮らしの体験させる副次的な効果は大きいと思っています。
この私的研究会(勉強会)で参加し、農業の将来不安を痛感し、本ブログで、再三、「国家の計」として、
”「国民が安心・安全で暮らせる社会は、まずは、第一次産業が国の基幹と思っております。
温暖化で環境破壊が進行しても、石油が枯渇するエネルギー問題が深刻化しても、食糧危機が最悪の事態になろうとも、自給自足で最低の生活ができることことが第一で、第二は、社会保障制度の充実での安心さで、その上での自由競争社会”という国造りが必要で、人材育成が肝要と思っております」”
と思うようになった契機で、それから、食料の安全保障を注視するようになり、現在社会の再生には、「破壊と創造」しかないと思うようになり、小沢一郎氏の「自立と共生」に共感するようになりましたね。
http://blog.goo.ne.jp/nonasi8523/e/b38b87df036b6f7730d5bce3ced48820
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