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日本共産党の不破哲三社会科学研究所所長と、志位委員長のネット公開教室は、とてもわかりやすいので科学的社会主義・日本共産党批判をするのにとても役立ちます。今回は不破さんの第11回古典教室について考えてみます。まず是非講義を視聴してください。
→http://www.jcp.or.jp/kk_kyousitu/
今回の内容は、エンゲルス『「フランスにおける階級闘争」への序文』の第2回です。要約にもあるように、エンゲルスの“遺言”となった『序文』(1895)は、マルクス主義政党として出発した「ドイツ社会民主党」(1890ドイツ社会主義労働者党から改名)が、ドイツ革命の見通しを誤らないようにという警告の文書となっています。つまり、普通選挙による多数派の形成は重要であるが、機が熟せば武装蜂起もありうることを述べています。
当時のドイツ党指導部は、皇帝ヴィルヘルム2世の労働者保護政策に懐柔されたこともあり、武装蜂起の可能性を述べた『序文』の一部を削除して公表しました。エンゲルスにすれば、労働者の合法的な多数派獲得が進めば、権力側が追い詰められ合法性を破り、「公然たる攻撃を選ぶだろう」から準備を怠るなということでした。しかし、エンゲルス死後、ベルンシュタインが、マルクス主義の歴史決定論を批判するようになると「社会改良か、革命か」「武装蜂起か、議会主義か」ということが問題になり、ベルンシュタインは敗北します。(コメント欄で引用)
ところで、不破さんが講義で言われるとおり、民主主義は多数を獲得することなので、「多数者革命」というのは正しいのです。しかし、問題はマルクス主義的革命に多数者の資格、つまり人間(労働者)の主体的自己解放、人間に特有の社会組織の主人、自然の主人、自分自身の主人(『空想から科学へ』)となれる可能性(資格)があるかということです。
単に物質的生活向上や基本的人権の実現だけなら、資本主義の枠内での社会民主主義(改良主義)や福祉主義によってある程度可能です。しかし不破さんは、マルクス主義多数者革命(空想的共産主義)の立場から、強力を伴う「生産手段の社会化」を歴史的必然と考える理論を捨てません。 だから、不破さんは、ベルンシュタインを「マルクスは古くなったと言って一番右にひっくり返った」と批判します。マルクス主義者がプチブルと批判するベルンシュタイン主義(修正主義・社会改良主義)の評価については、科学的な検討(生活向上や中産階級の増大等の可否)を十分しないで、ロシア革命とマルクス主義の後継者としてのレーニンへの高い評価につながるのです。
不破さんは、レーニンの『国家と革命(1917.8)』や十月革命後の一時期には、多数者革命不可能論(少数者革命論)というマルクスの読み違えによる理論的に誤った「荒れた時代」があったとしています。また、マルクスも言わなかった市場経済を導入した新経済政策(ネップ)や平和共存路線を評価し、レーニンによって不破理論を補強しています。しかし、レーニンが『国家と革命』で言いたかったのは、それらだけでなく、「国家の揚棄(廃絶)」や「プロレタリアートの独裁(執権)」「暴力革命の不可避性」です(コメント欄に引用)。
これらを棄てると(「綱領」では極力抑制してありますが)、革命の過程で起こる少数者(反革命)の抵抗を抑えられないので、『序文』を継承し『国家と革命』を多少とも容認する不破さんの説明では、民主連合政府の成立はあり得ないでしょう。マルクス主義の創造的理解者であるなら、逸脱したロシア革命とその指導者レーニンへの評価よりも、帝国主義戦争前後に修正されてきた先進資本主義国家の利害調整機能や財政政策、改良主義や福祉国家政策についても触れるべきでしょう。
前回まで述べてきたように、マルクス主義が反人間的・抑圧的理論であるということは、剰余価値説を表面的に理解しただけではわかりません。商品の等価交換法則によって、労働者の低賃金・劣悪な労働条件が、労働者(人間)の「必要労働」「再生産費用」であると歴史的に規定したところに問題があります。マルクスによると、階級的に規定された低賃金(再生産費用)は、等価交換だから「不正ではない」のです。しかし隠された搾取の不正を正すには、階級闘争の歴史的必然(唯物史観)によって、労働者階級が支配階級としての資本家を倒し、生産手段を社会化すれば、その支配組織である国家自体も死滅するというのです。
ところが、現実に労働者の生活向上(人間的生活に必要な再生産費用の増大)に取り組んできた労働者や労働組合の活動家(政治家・革命家)からすれば、マルクス主義的・革命的社会主義の原則であった「生産手段の社会化」が実現しなくても、議会制民主主義を通じて労働者階級の生活向上と諸要求を実現する展望が見えてきました。「革命の時代」といわれる19世紀でしたが、資本主義の発展や普通選挙権も拡大し、労働者の生活や権利が拡大してきました。そのためドイツのベルンシュタインはエンゲルスの死後、マルクス主義を修正し、議会を通じて社会主義を実現するべきであると主張するようになりました。
いったい「国家の揚棄(廃絶)」という想定は正しいのでしょうか、国家の役割が階級支配のためだけでないのは、生産手段の社会化と計画経済だけを考えても国家組織は必要になるので、共産主義で国家が廃絶されるというのは論理矛盾になるでしょう。国家(法)による調整を必要とする経済的政治的「利害」は、階級利害にとどまらず、地域的、集団的、個人的等の利害がありますし、また国家の行う徴税とその再分配が廃絶されることはあり得ないでしょう。さらに思想的には、反マルクス主義などを排除する必要があるでしょう。
今回の講義の終わりには、フランスやイタリアの共産党にも触れられています。フランス共産党は、レジスタンスで活躍し国民の支持もあつかったのですが、ソ連の資金援助によって活動していたということもあり、ソ連崩壊後は実質的にマルクス主義を放棄したとされています。イタリア共産党は、早期にマルクス主義を放棄して「構造改革路線」をとり、右派のキリスト教民主党と「歴史的妥協」をはかって、共産党の名称も棄ててしまいました。
そこで不破さんによれば、日本共産党は、ソ連依存ではなく「自主独立」の党であったからこそ、ソ連崩壊後も正しく「多数者革命」を継承発展させることができると強調します。そして日本に、民主連合政府による多数者革命が行われれば、人民の力・意志で、初めての新しい社会の仕組みをつくる変革が行われ、日本の国民はさらに進んだ変革に自信を持つようになる、と展望を語ります。
さて不破さんの展望は、実現可能性があるのでしょうか。その展望をさらに追加の講義で、次の12回(2/7)に語られます。公開されるのを楽しみに待ちましょう。
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