02. 2012年2月09日 11:02:35
: egdYciNaUQ
国民の生活が第一派が目指す抜本改革: 目的は、誰もが自分自身であることに満足しながら生きることができる“生き心地の良い社会”を創ることです。 一度しかない人生、みんなが優しい気持ちで互いに支え合いながら生きていけたらいいですよね。 ■「日本のセーフティーネットはスカスカ」―『困ってるひと』著者・大野更紗氏が語る社会保障の“現実” わけのわからない日本の社会制度は“モンスター” ―ご著書の中では社会保障の手続きの難解さを「モンスター」と表現されていますが、 健康な状態で日常生活を送っていると、この表現の実態は理解できないと思います。 ですので、具体的に教えていただけますでしょうか?
大野更紗氏(以下、大野氏): 「社会保障」と言っても非常に範囲は広いですし、分野も多岐に渡りますので、なかなか全体がこうとは言いにくいです。 その前提の上でお話しますが、そもそも日本のいわゆる「健常者」として暮らしていたら、 お役所の窓口というのは非常に縁遠い存在だと思います。 わたしは2008年9月に発病したのですが、それまでは大病を患ったことも入院したこともありませんでした。 病気や障害とはまったく無縁の生活を送っていたのです。 ただ、わたしはそれまでミャンマー難民の研究者を目指して、フィールドワークなどをやっていました。 こうした経験から、移民や難民の方に関わる部分ですけど、 ある程度日本社会の矛盾に関して「理解している側」に入っているつもりでした。 ところが、自分が実際に難病という"くじ"をひいて、その当事者になってみたら、 じつは今までは、自分は"逃げられる"ところに居たということがはっきりとわかったんです。 「モンスター」と表現しているのは、「何がどうなっているかわからない」からなんです。 制度の構造や仕組みが理解できれば「モンスターだ」なんて誰も思わない。 「何がどうなっているのか」が、まったくわからない。 だから「モンスター」と表現したのです。 具体例をあげると、原因がわからず治療方法が確立されていない、「難病」と呼ばれる疾患にかかったとします。 「難病」だけでも、複雑ですよ。 病院にかかって、診断をつけてもらうまでが、まず大変です。 なにせ病名だけでも、厚生労働省の見解では、数百〜数千あると言われています。 そのうち、「診断基準が一応確立し、かつ難治度、重症度が高く患者数が比較的少ないため、 公費負担の方法をとらないと原因の究明、治療方法の開発等に困難をきたすおそれのある疾患」 (ちなみにこのあたりはお役所言葉なのでざっくりわかってもらえばいいです)に指定されている56疾患については、 医療費の保険診療ぶんの自己負担額、その一部について助成を受けられる制度があります。 「難病医療費等助成制度」という制度、通称「特定疾患」ですね。 ところが、この制度を利用するためだけでも、毎年更新が必要です。 その度に大量の書類をそろえなければならない。 そうした書類の収集、作成も自分でやらなければならない。 自分の体が動かない状態、役所まで出向けない状態で、延々とお役所の窓口ジプシーみたいなことをしなければならない。 この制度をひとつ利用するだけでも、「困ってるひと」には大変なことです。 そのほかにもさまざまな制度がありますが、一つひとつ自分が何を使える可能性があるのかを調べるだけでも、 書類の山と格闘しなければならない。 自分がそういう状況に陥って、「ここまで大変な状況なのに、どうしてこれまで誰も何も言わなかったのだろう」 と非常に不思議に思いました。 そこで、よくよく考えてみると、「ここまで大変」だからこそ、 実際に当事者になってしまうと「生きているだけで精一杯」で、物事を整理するとか、発信するとか、 助けを求めるといったことができなくなってしまうんです。 それが日本の社会制度の現状がモンスターたる由縁かなと思います。 ―社会制度を利用しようという気持ちが萎えてしまうぐらい「わけのわからない」ものだということでしょうか。 大野氏:日本の既存の障害者制度というのは、世界的に見ても非常に特殊な制度で、 障害の種別を基本的に身体、精神、知的という3つに分けて手帳を発行するものになっています。 人間の状態を制度に当てはめていくシステムだといってよい。 日本にいると、こうした障害者制度が普通だと思ってしまうのですが、 このような手帳制度は先進諸国の中でも非常に稀です。日本だけだと思います。 とにかく枠をつくって、現実をそれに当てはめていこうというイメージです。 難病患者の人たちというのは、わたしを見ていただければわかるとおり、 見た目でその辛さや、障害の度合いを判断することはむずかしいですよね。 こうした「見えにくい障害」は、現行制度の中では、判定の過程で障害を軽く見積もられがちなんです。 そういうシステムになっている。3つの分類にきちんと収まらないために、 いわゆる「制度の谷間」といわれる部分に落ちてしまうのです。 http://blogos.com/article/31387/?axis=g:3 ―しかし、現在の日本においては、「財政的にお金がない」状態で制度の再設計をやらなければならない。 「ゼロサム」的な状況の中でできると思いますか。
大野氏:というかやるしかないでしょう! 可能性は結構感じています。 論壇的な話をすると、いろんな分野、 とくに経済論壇の人たちとコミュニケーションを重ねていくことはとても大事なことだと思います。 これまでの「困ってるひと」たちは、経済成長を主張する経済学者を「ネオリベだ」「効率性の悪魔だ」みたいなイメージで論じがちでした。 わたしはもともと大学でミクロ経済学入門の授業をちょっとだけかじっていたというのもありますが、 いわゆる「経済学的思考」というのが、「ネオリベ」だとか「金の亡者だ」とかいうイメージとはまったく違う思考方法だということはわかる。 飯田先生が以前、言っていたのですが、たとえ低成長だとしても、成長をあきらめてはいけない。 かつてのような特殊な高度経済成長は見込めないとしても、とにかく成長をあきらめることをしない。 成長をあきらめるということは、「困ってるひと」をさらに窮地に立たせる要因にもなります。 再分配の制度設計を考えることと、成長をあきらめない方法を考えることは、矛盾はしない。 むしろ、お金を増やす方法を考えてくれる経済学者とは、協力していかなければならないということを強調しておきたいと思います。 「ゼロサム」的な状況と言われましたが、医療や社会福祉・保険について細かい制度設計の勉強をすればするほど、 やはりパイの切り分けに終始するとお互い苦しくなってしまうとわかります。 それは当たり前で、自分の取り分を増やそうという心理に社会全体がなってしまうからです。 そうなると弱者同士が対立させられる構造にもちこまれやすい。そういう社会は非常に閉塞感に満ちていると思うし、 それこそ心理的にも物理的にも経済的にも選択肢はどんどん狭まってしまう。悪循環ですね。 最近、いわゆる「生きづらさ」ということが叫ばれています。 こうした「生きづらさ」というぼんやりとした"あいまいなポエム"なものを 細かく合理的に解体していくことが現在の自分のミッションだと思っています。 自殺者が3万人を超えるという状況が何年もつづいていますが、 こうした閉塞感を打開するためにも「生きづらさ」の中身を具体的に解体したいという思いがあります。 ―「生きづらさ」を実存の問題ではなく、社会制度の問題として捉えていくべきということですか? 今の日本社会は、セーフティーネットがスカスカなんです。 いわゆる「普通」の状態から一歩踏み外すと、一気にスコーンと貧困に落ちてしまう。 このネットの網の目を細かくより直すためには理屈と理論と細かい分析が必要です。 グルグルポンの一発解決策は、はっきり言ってありません。 ですので、時間もかかるし、地道ですし、大変なことです。 しかし、やらなくてはならない。 経済成長で全体のパイの大きさを何とかして大きくしようと努力する人たちがいて、 かつわたしたち側というか、制度や社会保障とか「困ってるひと」の問題について考える側は緻密なパズルを組み合わせていく。 それぞれ使う知識や"頭の筋肉"は全然違いますが、 最終的にアウトカムとして目指しているのは「より生活しやすい」「より生きやすい」社会だと思います。 方法は違うけど目指しているものは同じなんです。 誰も生きにくい社会なんて望んでいない。 目標を共有することが大事です。 http://blogos.com/article/31387/?axis=&p=2 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(憲法25条)=生存権を具体的な権利として、 国民に実質的に保障すべくベーシックインカムや負の所得税(負の消費税)などといった基本所得保障制度を導入せよ! |