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JanJanBlog
2012年 1月 22日 12:02
小倉文三
高知県民は、過去の放射能との困難な戦いで、実に3連勝している。窪川原発(1988・1・28 窪川町)、高レベル放射性廃棄物(2007・4・22 東洋町)、低レベル放射性廃棄物(2009・2・4 大月町)をその入り口で追い返した。最初の窪川原発については、私は何も知らなかったが、昨年11月30日に高知大学で行われた島岡幹夫さんの講演を聴き、そのあと1時間ほど彼と質疑応答する時間があったので、およその経緯を知ることができた。それは、語るに値する「サクセス・ストーリー」であった。
○ 島岡さんたちの反対運動が、豊かな自然を残した。
1975年、旧窪川町に原子力発電所建設計画が持ち上がった。島岡幹夫さん(当時38歳)は、この時、高知県窪川町自民党支部広報副委員長だった。25歳までは大阪府警の警官だった人である。この種の話は、一般の人が知る前に保守系の有力者の間で根回しされるのが常である。ある会合で計画を打ち明けられた時、町の有力者がだれも反対しない中で、彼だけは、「ちょっと待ってくれ!」と異議をはさんだ。放射能が気がかりだったのである。その時、放射線治療の末に52歳で亡くなったお母さんの死体を思い浮かべたと言う。有機農業をやっていたから生理的に放射能を嫌ったということもあったかもしれない。
「窪川町には、当時、農業と畜産で80億、林業で30億、縫製工場などの加工産業を合わせると、150億近い収入があったのです。四国有数の食糧生産地なのに、たかだか20億や30億の税収に目がくらみ、耐用年数30年程度の原発のために、2000年続いてきた農業を犠牲にするのは、愚の骨頂であります」というのが、島岡さんの主張であった。しかし、窪川町自民党支部の中で、彼のこの正論に同調する人はなく、彼は孤立感を深めていった。
島岡さんは、孤立して思案に暮れる人ではなかった。彼は、共産党の反対集会に乗り込んで行って、こう言った。「この町の有権者は13000人、革新は3000人、保守は10000人、革新が運動を主導したら、原発は建設されてしまいます。この反対運動は、私のような保守系の人間が中心にならなければ、大きな力になりません。私を反対運動の代表にしてください」 そして、彼は、窪川町原発反対町民会議の代表になった。まもなく、彼は、自民党窪川町支部に呼び出され、除名処分を言い渡された。
賛成派と反対派、町を2分しての骨肉相食む長い闘いが始まった。賛成派は、13億の宣伝費、接待費を使ったと言われている。一方、島岡さんは、「郷土懇談会」と名付けた学習会を毎週のように開き、住民といっしょに原発を学習することから始めた。「岩波新書の『原子力発電』(武谷三男)を教科書にして勉強しました。あの本は、私たち反対派のバイブルになりました」と当時を振り返る。
原発は未来に禍根を残す。原発反対町民会議は、任期4年の町長や町議会に建設の議決を委ねず、全町民有権者の投票によって決する住民投票条例の制定を要求した。先駆的な試みであった。「その時の町長は、当選して1年半後、公約に反し、賛成派に回っていたのです。その町長は、私の家内のいとこでしたが、私はリコール運動の先頭に立ちました。1981年3月の解職投票で、賛成6332、反対5844で、私たちが勝ちました。しかし、私たちに油断があったのでしょう。その後の出直し選挙では、私たちの立てた候補者が899票差で解職町長に負けてしまったのです。1票5万円だったと言います。当時の窪川町の民度は高かったですが、浮動票がかなりあり、金をもらったら、そちらに投票する人もいたのです。私たちは再び危機に陥り、町は一層混乱していきました」
住民投票条例は、出直し選挙の年に成立した。町長が出直し選挙の公約にしていたからである。しかし、町長は賛成派である。では、町議会の方がどうなっていたのかと言うと、24議席の内、賛成−20、反対−4という状態であった。そこで、島岡さんは、1983年2月1日、町議会議員になり、「議会改革」に乗り出した。「議員としての収入は、女房には申し訳なかったけれど、すべて原発反対運動に使いました。日本全国の原発を訪ねて、住民の意見を聞き、原発の問題点を調査研究しました。その研究成果を議会での質問に使ったのです。町長も大変だったでしょうね」と当時を振り返る。彼は、原発建設を阻止するために町議会議員になったのだが、7期28年間、町議会議員を務め、終わりのころの2年間は町議会議長を務めた。彼の奮闘があって、22議席のうち、賛成―12、反対10まで追い上げたが、やはり、反対派は議会内では劣勢であった。
私は、東洋町の高レベル放射性廃棄物の時(2007・4・22)も、1票に5万円が動いた、と聞いた。東洋町の町長選挙の出陣式の日、私は、2mほどのブロック塀の上に登って写真を撮っていたが、下を走る車の中がよく見えた。鋭い目つきの男の隣には誰も座っていなかったが、5万円くらいに小分けされた1万円札の束の山が無造作に積まれていた。
選挙では勝てなかったが、島岡さんたちの学習会をベースにした地道な反対運動は、徐々に反対派を増やしていった。県原発反対漁民会議は、「海洋調査が強行されるなら、5000隻の漁船を動員して、海上封鎖する」と宣言していた。そして、島岡さんたちの反対運動に順風が吹いた。1986年4月、レベル7のチェルノブイリ原発事故が起こったのである。・・・。1988年1月、反対の世論に包囲された藤戸進町長は、「窪川原発は今日的課題ではなく、海洋調査を棚上げにする。私は、公約の責任をとって辞任する」と発表した。こうして13年間に及んだ窪川原発建設計画は、原発反対町民会議の地道な活動によって、阻止されたのであった。
○ 焼肉パーティーを兼ねての学習会風景。和子夫人の「ちらし寿司」も活躍した。(以下の写真は島岡さん提供)
島岡さんが原発反対運動に走り回っていたのは、13年間である。急発進した車を道路に転がってかわしたこともあった。その筋の人たちが10人ほど町に入り込んでいたのである。柔道、剣道の有段者である彼は、呼子をいつも首からつるし、暴力にも屈することなく、己の正義を貫いた。彼なくして、窪川原発は阻止できなかったであろう。多くの関係者に聞いたが、異口同音にそう言う。
その間、彼に代わって本業の有機農業をやっていたのは和子夫人で、「働き過ぎて背中が曲がってしまった」と言う。高校時代、彼は、2年間生徒会長を務めていた。その同じ高校の2年先輩だった和子夫人いわく 「父ちゃんはえらい。私は父ちゃんを誇りにしています」
○ 自宅前の島岡幹夫さんと和子夫人
(筆者の感想)
体当たりの人・島岡幹夫さんは、現在73歳だが、まだ現役で、席の温まる暇がない。会えばわかるが、全身からエネルギーをほとばしらせていて、話し出したら止まらない。彼は、現在、日本国内はもちろん、韓国の反原発運動を応援しているが、韓国の空港に降り立つと、両側に公安警察がピタリとついて迎えてくれると言う。また、自宅には、月に1度、黒いスーツを着た2人の高知県警の公安が訪れると言う。日韓両国の公安が彼の動静をマークしているのである。しかし、25歳まで彼自身がその公安警察だったのである。
○ 韓国・光州市で開かれた反原発の集会で講演している島岡さん
また、彼は、「大地を守る会」国際局の要請を受けて、タイ東北地方のタラート村に毎年、有機農業の指導に出かけている。自ら泥にまみれて、「立体農業」を指導している。村人の笑顔が増えることを楽しみに、私費を投じて、タラート村の生活改善に貢献している。今年で14回目だと言う。
○ タイ国の島岡農業塾で幹部のミーチャイ君と打ち合わせ
また、彼の1枚65円の名刺には、「朝霧森林クラブ会長」とも書かれている。仲間を募って、植林の間伐にボランティアの汗を流しているのである。「窪川ジャガイモクラブ会長」でもある彼は言った。「経済を繁栄させるために農業を犠牲にしてエネルギーをつくりだそうとするのは、根本的に間違っています。私は、農業を基礎にした国づくりを考えるべきだと思います。日本の農業を破壊するTPPには、絶対反対です」
徳川封建時代が長かったからだろうか、日本では、「長いものには巻かれろ」という処世術の人が多い。いわゆる「大勢順応型」である。しかし、時々、社会の価値観に自分を合わせるのでなく、自分の価値観に社会を合わせようとする人が出てくる。島岡幹夫さんや澤山保太郎さん(高レベル放射性廃棄物から東洋町を守った)は、そういう日本人離れした怪物である。己の正義を信じて、郷土の敵に立ち向かう「命知らず」が1人いること、それが原発マネーに負けない必要条件であるように思った。
小倉文三記者のプロフィール
2007年5月からJanJanフィールドに参入しています。2011年12月末までに、「ニホンオオカミ『もどり狼』問題の真相」(上)(中)(下)、「南京事件フォト紀行」(1)−(9)、その他合計すると280本の記事を書きました。「自然生態系の保全」にこだわりがありますが、記事のテーマは森羅万象、多岐にわたっています。「徒然なるままに・・・そこはかとなく」南国土佐より情報発信しています。
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