09. 2012年2月05日 02:41:55
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日本では、2009年秋から2010年初夏まで続いた民主党の鳩山政権が、沖縄の米軍普天間基地の移設問題を皮切りとして在日米軍基地の国外移転の問題を盛り上げたり、日中協調を意味する「東アジ共同体」を作ろうとするなど、多極化の準備をしようとした。しかし、戦後の日本の国是である対米従属から離れることを拒否した日本の官僚機構によって、鳩山政権の動きは封じられた。与党の民主党内でも、対米従属からの離脱を目指す小沢一郎の派閥と、対米従属の維持(日米同盟の強化)にこだわる前原誠司やその他の派閥などとの対立が続いている。 官僚機構の一部をなす法務省は、小沢に対し、検察審査会なども巻き込んで、政治献金をめぐって濡れ衣的な捜査や起訴、処分などを執拗に繰り返した。官僚機構が流す情報をそのまま書くことによって官僚組織の一翼を担うプロパガンダ機能と化しているマスコミも、小沢や鳩山を批判・中傷し続け、鳩山政権を辞任に追い込んだ。鳩山辞任後、2010年6月からの菅政権では、小沢の力と官僚機構の力が拮抗して何も決まらない閉塞状態が続き、その状態は2011年9月からの野田政権に引き継がれた。対立の拮抗によって、日本の政治は閉塞した状態になっている。 鳩山政権が打ち出した「東アジ共同体」の構想は、官僚やマスコミの反対にあい、すぐに引込められた。日本の権力構造を地方に分散してしまうことで、官僚機構が権力を握る体制を潰そうとする地方分権の政策も、模索されたものの雲散霧消している。しかし、沖縄の普天間基地を国外(沖縄県外)に移転させようとする動きだけは、沖縄の圧倒的多数の人々によって支持され、日本の官僚機構が米国との政府間合意に基づいて普天間基地を名護市辺野古に移設する計画を事実上頓挫させている。 民主党は、2005年に策定した「沖縄ビジョン」以来、在日米軍基地の負担を本土から押し付けられてきた沖縄県民の感情を扇動し、米軍基地を沖縄から追い出すことを目指す沖縄の政治運動を盛り上げることで、日本の対米従属の国是と日米同盟の基盤となっている在日米軍を日本から出て行かせ、日本を対米自立の方向に持っていこうとしている。沖縄県が米軍基地を受け入れないなら、他の都道府県も米軍基地を受け入れず、県外移転は国外移転とならざるを得ない。 民主党の戦略を描いた小沢一郎が、沖縄の人々を煽って日本から米軍をなくそうとしている理由は、彼が反米・親中国だからではない。沖縄の米軍基地を永続させることで、日本の対米従属の国是を保持する戦略を続けているのが日本の官僚機構であり、米軍基地の存在に支えられた対米従属の国是が続く限り、官僚機構が実質的に政界よりも強い権力を持つ「官僚独裁」の構図が日本で続くからだ。 外務省などの官僚機構は、戦後日本にとっての「お上」だった米国の意志の「解釈権」を握ることを通じて、政界を押しのけて日本の権力を握ってきた。沖縄県民を扇動し、沖縄そして日本から米軍基地を追い出せば、官僚機構は権力基盤を失い、相対的に政治家の力が強くなり、政界が日本の権力を得られる。政治家は民主的に選ばれた人々だが、官僚はそうでない。政治家が官僚から権力を奪うことは、日本の「民主化」である。小沢一郎が率いる民主党(特に鳩山政権)は、日本の戦後史上初めて、官僚の権力を構造的に剥奪して日本を民主化することを狙った勢力だった。 沖縄から米軍基地を追い出すことが、なぜ日本の官僚機構の権力基盤を揺るがすことになるのか。それを説明するためには、まず沖縄の米軍基地が持つ状況の深いところを探る必要がある。 沖縄県宜野湾市にある米海兵隊の普天間基地は、1945年4月に沖縄本島に上陸した米軍が、日本本土決戦に備え、戦火で焼け野原になった宜野湾市中心部の台地に急いで滑走路を作ったのが発祥だ。日本は本土決戦を前に降伏し、普天間飛行場は戦後5年間、使われない米軍基地として放置され、1950年の朝鮮戦争とともに再び米軍が使い始めた。この5年間に、もともと基地内の土地に住んでいた市民が、戦火を逃れた避難先や収容所から戻ってきたが、自宅の土地は米軍に強制的に借り上げられていたので、代わりに基地の周辺に密集して住むようになった。 普天間の北方には、米空軍の嘉手納基地がある。こちらは米軍が沖縄上陸時から、ずっと途切れなく飛行場として使い続けたため、非難していた地元住民が戻ってきた時、飛行場の後背地を弾薬庫用地として広大に強制借り上げしてクリアゾーンを作った。しかも、嘉手納は滑走路の前面が海である。だが普天間は、米軍が基地として使わず放置していた間に地域住民が戻って家を建てたため、クリアゾーンがほとんどないままとなった。嘉手納と異なり、普天間は海と平行している。米軍も、普天間は非常に危険な飛行場だと認めている。 日米両政府は、1971年の沖縄返還直前、日本本土の1971年の沖縄返還直前、日本全土の米軍海兵隊のほとんどを沖縄に移動させ、普天間飛行場は本格的に海兵隊の基地になった。日本本土から沖縄に結集した海兵隊が普天間を拠点とした理由は、海兵隊がヘリコプターを多用するので、クリアゾーンが欠如した普天間飛行場の使い道として、飛行機ばかりの空軍より海兵隊の方が良いという考えだったのだろう。しかし海兵隊も飛行機(固定翼機)は使う上、普天間は嘉手納を補助する役割も担ったため、飛行機の発着が多く、危険が残った。海兵隊を他の基地に移設し、普天間閉鎖して土地を住民側に返還した方が良いという認識は、1970年代から日米両政府にあった。 米軍は1985年に普天間基地を閉鎖返還する計画を持っていたが、1991年の計画では再び恒久駐留の方針に戻ってしまった。この背景に、日本側が「思いやり予算」を出し始めたことがあった。日米地位協定を根拠に、日本政府が米軍駐留費の一部を負担する「思いやり予算」は、1970年代に基地で働く日本人の福利厚生や給料の一部を日本政府が出すことから始まり、1990年代には米軍施設の光熱費や、施設の移転にかかる費用まで日本が負担した。米軍は、1980年代に冷戦終結を見越して日本から撤退していく方向を模索し、それを見た日本政府が「駐留費の大半を負担するので日本にいてください」と頼んだ疑いが濃い。日本は、米軍を「買収」して駐留を続けてもらっている。 日本政府は、米軍基地用の地代(賃料)や基地周辺住民への対策費も出しており、思いやり予算と合わせた総額は、1985年に年間約3000億円だったのが1995年には6000億円強へと倍増し、その後横ばい状態が続いている。全部で4万人強の在日米軍は、1人当たり毎年1000万円以上を日本政府からもらっている。こんなに金をくれるのだから、当然、米軍は喜んで日本に駐留し続ける。 2005年の米国防総省の発表によると、日本政府は、在日米軍の駐留経費の75%(44億ドル)を負担している。世界規模で見ると、米軍が米国外での駐留で必要とする総額は年に160億ドルと言われるが、そのうち米国自身が出すのは半分以下で、駐留先の地元国が85億ドルを負担している。44億ドル出している日本は、全世界の地元国の負担の半分を一国だけで出している。日本は、米軍の米国外での駐留費総額の4分の1を出している。日本だけが突出して米軍に金を出しているのだから、日本政府がその気になれば激減できるはずだ。日本政府が米軍を買収している構図は、ここからもうかがえる。 普天間基地を拠点とする米軍の海兵隊は「第3海兵遠征軍」である。米軍海兵隊は3つの遠征軍で構成され、第1と第2は米本土に本拠地がある。第3遠征軍は米国外に本拠地を持つ唯一の遠征軍であり、1988年に正式に沖縄(うるま市のキャンプ・コートニー)に司令部が置かれた。海兵隊は沖縄返還直前(1971年)から沖縄にいたが、正式に沖縄駐留となったのは1988年だ。この1988年の正式化も、日本政府から駐留費負担を急増してもらうことになったため、米側が形式を整えたのだろう。海兵隊は戦争が起こりそうな地域での恒久駐留が必要な軍隊ではない。軍人の生活上の利便性を考えれば、米本土に置くのが最良である。 米国の同盟国が侵略された場合、まず同盟国の軍隊が応戦し、米軍は空軍戦闘機で援護し、その間に海兵隊を前線に空輸し、反攻的な急襲をかける。日本が他国から地上軍で進行された場合、まず自衛隊が応戦する。そのために、北海道や九州に陸上自衛隊が常駐している。米国は世界中に諜報網を張り巡らせているので、遅くとも同盟国が攻撃される数週間前には予兆を察知できる。米国は、ある日突然侵攻される状況になり得ない(わざと気づかないふりをして敵方の侵攻を誘発することは度々あるが)。 米軍は、海兵隊を米本土以外の場所に常駐する必要がない。日本に常駐する必要はない。世界的に大きな敵対構造が緩和された冷戦後、その傾向がいっそう強まった。だから、沖縄の海兵隊は1980年代に米本土に撤退を開始し、普天間基地を日本側に返還するつもりだった。それを日本が引き留め、駐留費を出して買収し、沖縄に駐留し続けてもらっている。海兵隊は、日本に金を出してもらえて、米国にいるよりも安上がりなので沖縄にいるだけだ。 日本政府が米軍を買収してまで駐留し続けてほしいと思ったのは、日本の防衛という戦略的な理由からではない。急襲部隊である海兵隊は、日本の防衛に役立っていない。日本政府が米軍を買収していた理由は、実は、日米関係に関わる話ですらなくて、日本国内の政治関係に基づく話である。日本の官僚機構が、日本を支配するための戦略として「日本は対米従属を続けねばならない」と人々に思わせ、そのための象徴として、日本国内(沖縄)に米軍基地が必要だった。 対米従属による日本の国家戦略が形成されたのは、朝鮮戦争後である。1953年の朝鮮戦争後、1955年に保守合同で、米国の冷戦体制への協力を党是とした自民党が結成された。経済的には、日本企業が米国から技術を供与されて工業製品を製造し、その輸出先として米国市場が用意されるという経済的な対米従属構造が作られた。財界も対米従属を歓迎した。日本の官僚機構は、これらの日本の対米従属戦略を運営する事務方として機能した。 この政財官の対米従属構造が壊れかけたのが1970年代で、多極主義のニクソン政権が中国との関係改善を模索し、日本では自民党の田中角栄首相がニクソンの意を受けて日中友好に乗り出した。その後の米政界は、多極派と冷戦派(米英中心主義)との暗闘となり、外務省など日本の官僚機構は、日本の対米従属戦略を維持するため冷戦派の片棒を担ぎ、米国の冷戦派が用意したロッキード事件を拡大し、田中角栄を政治的に殺した。 田中角栄の追放後、自民党は対米従属の冷戦党に戻ったが、外務省など官僚機構は「対米従属を止めようと思うと、角さんみたいに米国に潰されますよ」と言って自民党の政治家を恫喝できるようになった。官僚機構は、日本に対米従属の形を取らせている限り、自民党を恫喝して日本を支配し続けられるようになり、外務省などは対米従属を続けることが最重要課題(省益)となった。 日本において「米国をどう見るか」という分析権限は外務省が握っている。日本の国際政治の学者には、外務省の息がかかった人物が配置される傾向だ。外務省の解説通りに記事を書かない記者は外されていく。外務省傘下の人々は「米国は怖い。米国に逆らったら日本はまた破滅だ」「対米従属を続ける限り、日本は安泰だ」「日本独力では、中国や北朝鮮の脅威に対応できない」などという歪曲分析を日本人に信じさせた。米国が日本に何を望んでいるかは、すべて外務省通じて日本側に伝えられ「通訳」をつとめる外務省は、自分たちに都合のいい米国像を日本人に見せることで、日本の国家戦略を操作した。「虎の威を借る狐」の戦略である。 官僚機構は、ブリーフィングや情報リークによってマスコミ報道を動かし、国民の善悪観を操作するプロパガンダ機能を持っている。冷戦が終わり、米国のテロ戦争も破綻して、明らかに日本の対米従属が日本の国益に合っていない状態になっているにもかかわらず、日本のマスコミは対米従属を止めたら日本が破滅するかのような価値観で貫かれ、日本人の多くがその非現実的な価値観に染まっている。 日本の官僚機構が米国を買収して在日米軍に駐留し続けてもらっているという話は、多くの日本人にとって意外だろう。この件について、もっと説明が必要だと思うので、さらに続ける。 日本政府の「思いやり予算」の額は1995年頃から横ばいとなったが、代わって日本から米軍への出費として増加したのが、1995年に日米両政府で作ったSACO(沖縄に関する特別行動委員会)の関係予算である。これも日本政府が米軍を引き留めておくための「買収工作」の一環だろう。SACOの一環として、日本政府は、名護市の辺野古沿岸(海兵隊の訓練施設があるキャンプ・シュワブの周辺海岸ないし沖合)を埋め立て、離着陸に制限のない新たな海上飛行場を建設し、海兵隊を普天間から辺野古に移す計画だった。日本政府は、辺野古移設の建設に関わる工事を沖縄の建設業界に発注し、土建行政によって沖縄県民の不満を解消するつもりだったのだろう。しかし、この事業は県民の強い反対を受け、辺野古の埋め立てはできなくなっている。 日本政府による「米軍買収工作」のもう一つは「グアム移転」である。米政府は「米軍再編」の一環として、沖縄に約2万人いる海兵隊のうち8000人を米国領のグアム島に移転する計画を進めている。米軍再編とは、技術革新によって米軍の飛行機の航続距離や積載量が伸びた結果、海兵隊や空軍が、前線に近い沖縄ではなく米本土に近いグアム島やハワイにいても十分に力を発揮できるようになったことに象徴される。技術革新に伴う米軍の合理化、効率化、省力化の推進策で、2000年頃から実施している。 対米従属(日米同盟)の国是を永続したい日本政府の本音は、米国に米軍再編を進めてほしくない。しかし、米政界で強い影響力を持つ防衛産業(軍産複合体)は、巨額の発注が継続的に得られる技術革新を進めたい。米国の従者であり立場が弱い日本政府は、軍産複合体の意向に従うしかない。代わりに日本政府は、米軍のグアム移転費の約半分にあたる約7000億円を出し、グアム移転の「解釈権」を米国から買収した。 実際には沖縄に駐留する米海兵隊のほとんどがグアムに転出する計画なのだが、それを「グアム転出は海兵隊の一部であり、今後も海兵隊の主要部分は沖縄に残る」という話にすり替え、グアム移転計画の完了後も海兵隊が沖縄に残るイメージを作り、日本人の頭に刷り込んでいる。海兵隊が沖縄に残っていることにする限り、日米同盟の大黒柱である在日米軍の駐留が継続していることになり、日本の対米従属は維持され、官僚機構の権力が守られる。 米国側で発表される資料の中には、こうした日本側の事情を踏まえず、沖縄からグアムへの海兵隊の移転の内実を赤裸々に書いたものが時々発表される。例えば米当局が2009年11月20日に発表した、沖縄海兵隊グアム移転に関する環境影響評価の報告書草案の中に、沖縄海兵隊のほとんどの部門がグアムに移転すると書いていある。環境影響評価は、軍のどの部門が移転するかを踏まえないと、移転が環境にどんな影響を与えるか評価できないので、米軍が出したがらない移転の詳細を報告書に載せている。 そこには、海兵隊のヘリ部隊だけでなく、地上戦闘部隊や迫撃砲部隊、補給部隊までグアムに行くことが書いてある。第3海兵遠征軍(MEF)の司令部要素(3046人)だけでなく、第3海兵師団部隊の地上戦闘要素(GCE、1100人)、第1海兵航空団と付随部隊の航空戦闘要素(ACE、1856人)、第3海兵兵站グループ(MLG)の兵站戦闘要素(LCE、2550人、兵站(へいたん 英語: Military Logistics)とは一般に戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、また実施する活動を指す用語であり、例えば兵站には物資の配給や整備、兵員の展開や衛生、施設の構築や維持などが含まれる。)が、沖縄からグアムに移転する。4組織合計の移転人数は8552人であり「沖縄からグアムに8000人が移転する」という公式発表と大体同じである。「グアムに移転する8000人は司令部中心」という日本政府の説明は間違いで、司令部は3046人で、残りは実戦部隊と兵站部隊である。 2006年9月に米軍が発表した「グアム統合軍事開発計画」にも、海兵隊航空部隊とともにグアムに移転してくる最大67機の回転翼機(ヘリコプター)などのための格納庫、駐機場、離着陸地(ヘリパッド)を建設すると書いてある。普天間に駐留する海兵隊の回転翼機は56機だから、それを超える数がグアムに移転する。普天間の分は全部含まれている可能性が高い(残りは米本土からの前方展開かもしれない)。この「グアム統合軍事開発計画」は、国防総省のウェイブサイトで公開された1週間後、サイトから削除されてしまった。具体的に書きすぎて、沖縄海兵隊が全部グアムに移ることがバレてしまう心配が出てきたので、日本側からの要請で、1週間後に削除したのだろう。 2008年9月には、米国防総省の海軍長官から米議会下院軍事委員会に、グアム軍事計画の報告書「グアムにおける米軍計画の現状」が提出された。その中に、沖縄からグアムに移転する海兵隊の部隊名が示されており、沖縄のほとんどの実戦部隊と、ヘリ部隊など普天間基地の大多数の部隊がグアムに行くことが明らかになった。 日本の外務省の発表によると、沖縄には1万8000人の海兵隊員がおり、グアムに移るのはそのうち8000人だけで、グアム移転後も沖縄に1万人残る話になっている。しかし、在日米軍の司令部によると、1万8000人というのは「定数」であり、実際にいる数(実数)は1万2500人である。しかも、沖縄タイムスの2006年5月17日の記事「グアム移転 人数の『怪』」によると、沖縄にいる海兵隊の家族の人数は8000人で、発表通り9000人の家族がグアムに移るとなると、残る人数が「マイナス」になってしまう。この件について調査した沖縄県宜野湾市の資料は「沖縄に残るとされる海兵隊員定数は、今のところ空定数であり、実働部隊ではない」と書いている。空定数とは、実際はいないのに、いることになっている人数(幽霊隊員)のことだ。 外務省などは、1万の幽霊兵士を捏造し、1万人の海兵隊員がずっと沖縄に駐留し続けるのだと、日本の国民や政治家に信じ込ませてきた。沖縄の海兵隊駐留は、日本が対米従属している象徴であり、外務省は「米国に逆らうと大変なことになりますよ」と政治家や産業界を脅し、その一方で、この「1万人継続駐留」を活用して思いやり予算などを政府に継続支出させて米軍を買収し「米国」が何を考えているかという「解釈権」を持ち続けることで、日本の権力構造を掌握してきた。 すでに述べたように、軍のハイテク化をともなう米軍再編は、米国の防衛産業にとって利益になる。防衛産業の代理人だったラムズフェルド前国防長官は、米軍再編の推進に熱心だった。彼は普天間基地も、代わりの辺野古基地も要らず、全部をさっさと沖縄からグアムに移転したいと思っていたようで、2003年の沖縄訪問時に「辺野古の海は美しい」とも言い、反対派の理論に依拠して辺野古移設案を潰し、引き留める日本政府を振り切ろうとした。しかしその後、日本政府による買収作戦の成果なのか、ラムズフェルドは黙り、辺野古移設案は維持された。 2009年にできた鳩山政権は「官僚支配を終わらせる」「対等な日米関係を目指す」と言いつつ、在日米軍について「普天間基地問題は沖縄県民の意志を尊重して決める(すでに県民の総意は県外国外移転で固まっている)」「日米地位協定も見直す」「日本への米軍の核兵器持ち込みについて調査して発表する」といった方針を掲げた。 その結果、沖縄の世論は「基地は要らない」という方向に見事に集約された。だが、東京での暗闘がもつれ、小沢・鳩山は、官僚機構や自民党、マスコミ、学会などで構成される対米従属派の阻止を乗り越えることができなかった。民主党内でも前原誠司らが反小沢的な動きを起こした。2010年6月に就任した菅政権では、小沢の戦略と官僚機構の反撃との間で勝負がつかず、その状態は2011年8月に就任した野田政権でも続いている。 日本は閉塞状態にあるが、その一方で、2011年春以降、米国の方から沖縄米軍基地の問題を解決していこうとする動きが始まっている。2011年5月、3人の米上院議員が、普天間基地の辺野古への移転計画について、財政的・時間的に不可能なのでやめるべきだとする提案書を、米政府に提出した。 提案したのは、上院軍事委員会のレビン委員長(民主党)と、同委員会の共和党の筆頭委員であるマケイン上院議員、上院東アジア太平洋小委員会のウェッブ委員長(民主党)の3人だった。米政府が防衛費を含む財政緊縮に力を入れ、日本政府は大震災と原発事故で巨額の財政負担を強いられる中、米議会から発せられた、金のかかる辺野古移転計画の中止提案は、かなり現実的なものだった。 日本側では、外務省などと連携して対米従属強化を目論んできた前原前外相が、この提案の直後に訪米し、米側に、辺野古移転計画をやめないでほしいと頼んだ。米軍駐留費の肩代わりという「贈賄」を続けている日本からの頼みを受け、米オバマ大統領は、今後も従前どおり辺野古移転計画を続けることを表明した。日米両政府は、辺野古移転計画を中止すべきだという3議員の提案を正式に拒否する趣旨の談話を発表した。 しかし、辺野古移転を中止すべきだと提案した3議員はしぶとかった。2011年6月、米議会上院で軍事委員会傘下の即応・管理小委員会が開かれ、国防総省が海兵隊のグアム移転計画などアジアの軍事戦略について、議会に対して十分な説明をしない限り、辺野古移転やグアムでの基地増設、在韓米軍の基地移設などにかかる防衛費を議会で可決しないことを決定した。条項は上院軍事委員会での検討を経て、上院の防衛予算(国防権限法案。NDAA)に盛り込まれた。 その後2011年8月に、米議会とオバマ大統領との間で、米政府の財政支出を削減していく方針が決定された。軍事費の削減には共和党が猛反対しているが、軍産複合体の利権との関係が比較的薄い日本や韓国への米軍駐留にかかる費用は、削減を余儀なくされていく方向にある。野田首相の就任直後の2011年9月1日に行われた野田とオバマの電話会談で、オバマは、普天間基地の辺野古への移転問題を早くやれと野田に圧力をかけてきた。野田政権は慌てて、辺野古移転を認めろと沖縄県の仲井眞弘多知事に圧力をかけた。しかし、沖縄県民の大半が反対している辺野古移転が無理であるこてゃ、政府が一番よく知っている。仲井眞に対する圧力は茶番劇だった。 FT紙は野田政権について就任直後に、「民主党政権の目標の一つは、日本の真の権力者である官僚から権力を奪うことだった。だが、この目標は達成されていない。野田はこの目標を諦めた感じであり、菅に比べ、官僚とより密接に関係しそうだ」と書いた。確かにそうなのだろうが、対米従属に固執する日本の官僚機構が、政治の脱官僚化(民主化)と対米従属からの離脱を試みる小沢一郎らとの戦いを続けている間に、官僚機構の後ろ盾だったはずの米国(軍産英複合体)が、かなりぐらついてきている。鳩山政権から2年経ち、日本人が、自分たちの力で対米自立を実現するのは、ほとんど不可能になってしまっている。だが今後、米国の覇権が壊れていくことで、日本の自立が他力本願的に成し遂げられることになるかもしれない。
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