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2012.02.01
大阪都構想を実現するために“道州制”を掲げて国政進出する大阪維新の会の自己撞着(ハシズムの分析、その7)
関西から(50〜)〜
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
巷間伝えられる大阪維新の会の国政進出については、私などはハシズム一流の誇大宣伝(デマゴギー)と脅かし(ブラウ)の一種かと思っていた。ところが最近になって、維新の会が次期衆院選に進出するとかの観測記事が一斉に流れ始めたのには驚いた。1月21日の朝日新聞(1面)に続いて、23日には毎日新聞が1面トップで扱うなど、日増しにそのボルテージが上がってきているからだ。
維新の会が掲げる政策の空虚さからして、これまで「国政進出などあり得ない」、「できっこない」と考えてきたが、中身はなくても勢いがあるハシズムの姿を見るにつれ、最近ではあながちそうとも言い切れないと思うようになってきた。「まさか?」が「ほんと?」に転化する日がひょっとすると来るかもしれないと感じるからだ。
各紙の報道によると、維新の会は次期衆院選で200以上の議席確保を目指して250〜300人規模の候補者を擁立する準備を進めているのだという。そのため3月に立ちあげる「維新政治塾」の塾生数をこれまでの100人程度から一挙に400人規模に増やして、候補者選考を兼ねて塾生の養成に当たるのだそうだ。「道州制に向けて同志を糾合したい」というのである。
それにしても、当初は大阪の一地域政党としてスタートしたはずの維新の会が、なぜかくもやみくもに国政進出しようとするのか。ひとつには時々刻々と変化(豹変)する橋下氏の「気まぐれ体質」の影響もあるだろうが、より本質的な原因は、大阪ダブル選挙の公約である大阪都構想が「イレモノを変えればナカミも変わる」といった中身のない話だっただけに、もし「イレモノ」である大阪都構想が実現しないときは、地域政党としての維新の会は瓦解する以外に道がないという危機に常時直面しているからだ。
そこで、橋下氏が考え出した次なる作戦は「売れている間に行ける所まで行く」ということ、すなわち一方では大阪府・大阪市の一体的リストラを強行してマスメディアの注目を集めながら、他方ではその余勢をかって「改革政党」の看板で国政に進出するとの「二正面作戦」に切り換えることだったのだろう。つまり、地域政党としての実を上げるためには国政上の課題を解決しなければならず、そのために国政に進出するという口実をつくりあげるためだ。
国政進出に当たっての維新の会の公約は、大阪都構想を下敷きにした道州制の導入だという。だが財界や既成政党などが掲げる従来の道州制とは違って、橋下氏は「日本の国を一からリセットするために、国と地方の関係を作り直そうというのが維新の会の道州制だ」と主張しているらしい。関西財界が古くから掲げてきた道州制は「大阪州」ではなくて、近畿各府県を統合する超広域的な「関西州」のことだ。維新の会が大阪都構想を実現するために道州制を主張するのであれば、「大阪都=大阪州」でなければ辻褄が合わない。
しかし、政策上の最重要ポイントであるこの点について各紙は全く触れていないし、維新の会も完全にダンマリを決め込んでいる。大阪ダブル選挙で公約したばかりの「大阪都構想」をキャンセルして国政に進出するのか、それとも「大阪都=大阪州」のことを道州制と言っているのか、このことを維新の会がはっきりさせなければ大義名分が立たない。大阪都構想を実現するために“道州制”を掲げるなど、自己撞着そのものではないか。
おそらく維新の会は「大阪都=大阪州」という形で「ミニ道州制」を打ち上げて公約を適当にごまかし、「中京都=中京洲」を掲げる「減税日本」などと連携して国政選挙に臨むのではないか。そしてそれがもし成功すれば、今度は手のひらを返したように本格的な道州制の導入を目指して軌道修正を図り、大阪都構想のことなどはゴミ箱に捨ててしまうに違いない。ハシズムの本質は、「つくるように見せかけて壊し続ける」ことにあるからだ。
したがって当面は「改革政党」としてのイメージアップを図るため、大阪市労連を主敵に祭り上げて「公務員バッシング」を繰り返すだろう。そして市職員の削減や賃下げによって市役所をスリム化し、世論の支持と点数を稼ぐ戦法に出るだろう。また区長の公募選考や市役所の機構改革を通して市政に「新風」を吹き込み、「刷新」の空気を盛り上げてマスメディアを惹きつける戦術も欠かさないだろう。
他方、強権的手法として悪評高い教育基本条例案や職員基本条例案に関しては、都教委の「君が代処分」に対する最高裁判決などの影響により原案をそのまま府議会・市議会で可決することはかなりハードルが高くなった。このまま強行突破すれば、国政に進出するうえで“ファッショ政党”の批判を浴びないとも限らないので、この点に関しては「爪を隠して」かなり譲歩をするにちがいない。
こうして「日本の国を一からリセットする」、「国と地方の関係を作り直す」、 「国の姿を地方から変える」などのスローガンを前面に出して、あたかも「改革政党」であるかのような装いを凝らしながら維新の会は国政進出を図るだろうが、そのときに直面する壁は予想以上に厚いものになることは間違いない。なぜならここに来て、地域政党としての政策と国政政党としての政策が真っ向からぶつかり合うからだ。
第1に、「道州制導入」をそのまま維新の会の公約に掲げれば「大阪都構想」を否定することになり、これまでの主張との矛盾を避けることができない。ダブル選挙で掲げたばかりの公約をキャンセルすれば、維新の会は大阪府民から手酷いしっぺ返しを食らうこと間違いなしだからだ。その一方「ミニ道州制」程度の公約ならば、全国の選挙区で戦うには余りにも政策の中身が貧弱で有権者に広くアピールすることなど思いもよらない。国政政党の資格なしとして惨敗すること請け合いだろう。
第2は、候補者の資質(選挙の玉)の問題だ。維新政治塾には多くの希望者が押し掛けているというが、その実態は「選挙に出たいだけ」の人物が多いと聞く。無理もない。松下政経塾の卒業生が立候補できないで浪人をしている時代だ。ただ単に「選挙に出たい」程度の人物は掃いて捨てるほどいる。まして、次期衆院選までの「即席塾」で要請できる人材など多寡が知れている。
名古屋の地域政党「減税日本」のときもそうだった。河村市長が即席で集めた候補者の多くは、当選後の議会活動で「幻滅日本」といわれるほどの“粗悪品”であることが判明した。橋下氏が塾長を務める維新政治塾は、果たして“粗悪品”が交じっていないと言い切れるのか。また「道州制に向けての同志」といえるほど思想的に統一された集団になり得るのか。
維新の会はいま「飛ぶ鳥を落とす勢い」のごとく見える。その勢いが国政進出という無謀な冒険に駆りたてているのであろうが、その背後にハシズムの“激しい焦り”を感じるのは私一人だけではあるまい。常に危ない橋を渡らざるを得ない橋下氏は、自分の人気が単なる一過性のものにすぎないことをよく知っている。「多くの人を一時期騙すことは出来るが、長く騙し続けることは出来ない」という鉄則を否定できないからだ。
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