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次の選挙の焦点が見えてきた。
民主党も自民党もダメだろう。
その両方に失望した国民はそのいずれでもない第3極を望むだろう。
注目されるのは小沢一郎と橋下徹の動きだ。
橋下徹は大阪市長選に勝った後、小沢一郎と会談した。
小沢と橋下が手を組むか、その時私は『小沢の眼力にかかっている』とこのブログで書いた。
小沢にとって橋下と手を組むことは目の前の利益を考えれば是非ともそうしたいところだろうが、それを躊躇させるものが橋下の行動にはある。
その後の小沢の動きを見ていると、橋下に近づくことを抑制しているところがある。
どうも小沢の目には叶わなかったようだ。
橋下の極端さは一流の政治家の目にはいかにも短絡的に見えたのだろう。
橋下の政治家としての特徴は彼の教育に対する姿勢に一番よく現れている。
首長に教育目標を設定させる権限を与える……このことが意味するのは教育が教育の原理ではなく、大人社会の原理で動かされるということだ。
子どもが大人のルールで動くということが当たり前の如く前提とされているが、子どもは大人のルールでは動かない。
大人のルールを理解させるのが教育であって、それをせずに子どもに大人のルールを当てはめれば教育は崩壊する。
ハシズムはファシズムに似ている。
戦前の日本が、政党政治に敗れ、軍部の台頭を招いたことと同じことがまた繰り返されようとしている。
小沢が恐れているのはそのことであろう。
日本の政治的風土に常にその傾向があることを小沢は知っている。
ハシズムの行き着く先を小沢は見たのだ。
今ここで橋下と手を組めば、自分はそれに荷担したことになる。
日本の政治的風土からして、ハシズムに火がつけば、誰もそれを押しとどめることはできない。
小沢が求めているのはそんなことではない。
小沢は地位に恋々としない政治家である。
ハシズムと手を組んで地位を手に入れたとしてもそんなものに意味はない。
厳しく自分を抑制している。
手を組むどころか、小沢と橋下は本来対極にある政治家である。
同じ第3極を目指す政治家だとはいっても、その目指すところはまったく異なっている。
橋下は、国民が自民党に失望し、民主党に失望するという政治的空白のなかでその間隙を縫うようにして出てきた政治家だが、
小沢は、自民党が国民から失望されることを見越し、民主党によって新しい政治を築こうとする途中でアメリカに与した反対グループによって政治の中心から外されようとしている政治家だ。
小沢の目指す民主党には田中角栄以来の流れがある。
このような二つの流れこそが政治の焦点なのであって、橋下はそれとはまったく違った場所に立っている。
そのことがファシズムを生み出す温床になっている。
橋下には小泉某と同じ狂気がある。
その狂気が何なのかはまだ暗闇のなかである。
その暗闇に惹かれるのもファシズムの特徴である。
同じ第3極とはいっても、小沢と橋下はまったく違うのである。
http://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/6abdb3b668cc802340d30eaa11e8a14c
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