60. 2012年2月03日 23:47:42
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日本では、2009年秋から2010年初夏まで続いた民主党の鳩山政権が、沖縄の米軍普天間基地の移設問題を皮切りとして在日米軍基地の国外移転の問題を盛り上げたり、日中協調を意味する「東アジ共同体」を作ろうとするなど、多極化の準備をしようとした。しかし、戦後の日本の国是である対米従属から離れることを拒否した日本の官僚機構によって、鳩山政権の動きは封じられた。与党の民主党内でも、対米従属からの離脱を目指す小沢一郎の派閥と、対米従属の維持(日米同盟の強化)にこだわる前原誠司やその他の派閥などとの対立が続いている。 官僚機構の一部をなす法務省は、小沢に対し、検察審査会なども巻き込んで、政治献金をめぐって濡れ衣的な捜査や起訴、処分などを執拗に繰り返した。官僚機構が流す情報をそのまま書くことによって官僚組織の一翼を担うプロパガンダ機能と化しているマスコミも、小沢や鳩山を批判・中傷し続け、鳩山政権を辞任に追い込んだ。鳩山辞任後、2010年6月からの菅政権では、小沢の力と官僚機構の力が拮抗して何も決まらない閉塞状態が続き、その状態は2011年9月からの野田政権に引き継がれた。対立の拮抗によって、日本の政治は閉塞した状態になっている。 鳩山政権が打ち出した「東アジ共同体」の構想は、官僚やマスコミの反対にあい、すぐに引込められた。日本の権力構造を地方に分散してしまうことで、官僚機構が権力を握る体制を潰そうとする地方分権の政策も、模索されたものの雲散霧消している。しかし、沖縄の普天間基地を国外(沖縄県外)に移転させようとする動きだけは、沖縄の圧倒的多数の人々によって支持され、日本の官僚機構が米国との政府間合意に基づいて普天間基地を名護市辺野古に移設する計画を事実上頓挫させている。 民主党は、2005年に策定した「沖縄ビジョン」以来、在日米軍基地の負担を本土から押し付けられてきた沖縄県民の感情を扇動し、米軍基地を沖縄から追い出すことを目指す沖縄の政治運動を盛り上げることで、日本の対米従属の国是と日米同盟の基盤となっている在日米軍を日本から出て行かせ、日本を対米自立の方向に持っていこうとしている。沖縄県が米軍基地を受け入れないなら、他の都道府県も米軍基地を受け入れず、県外移転は国外移転とならざるを得ない。 民主党の戦略を描いた小沢一郎が、沖縄の人々を煽って日本から米軍をなくそうとしている理由は、彼が反米・親中国だからではない。沖縄の米軍基地を永続させることで、日本の対米従属の国是を保持する戦略を続けているのが日本の官僚機構であり、米軍基地の存在に支えられた対米従属の国是が続く限り、官僚機構が実質的に政界よりも強い権力を持つ「官僚独裁」の構図が日本で続くからだ。 外務省などの官僚機構は、戦後日本にとっての「お上」だった米国の意志の「解釈権」を握ることを通じて、政界を押しのけて日本の権力を握ってきた。沖縄県民を扇動し、沖縄そして日本から米軍基地を追い出せば、官僚機構は権力基盤を失い、相対的に政治家の力が強くなり、政界が日本の権力を得られる。政治家は民主的に選ばれた人々だが、官僚はそうでない。政治家が官僚から権力を奪うことは、日本の「民主化」である。小沢一郎が率いる民主党(特に鳩山政権)は、日本の戦後史上初めて、官僚の権力を構造的に剥奪して日本を民主化することを狙った勢力だった。 沖縄から米軍基地を追い出すことが、なぜ日本の官僚機構の権力基盤を揺るがすことになるのか。それを説明するためには、まず沖縄の米軍基地が持つ状況の深いところを探る必要がある。 沖縄県宜野湾市にある米海兵隊の普天間基地は、1945年4月に沖縄本島に上陸した米軍が、日本本土決戦に備え、戦火で焼け野原になった宜野湾市中心部の台地に急いで滑走路を作ったのが発祥だ。日本は本土決戦を前に降伏し、普天間飛行場は戦後5年間、使われない米軍基地として放置され、1950年の朝鮮戦争とともに再び米軍が使い始めた。この5年間に、もともと基地内の土地に住んでいた市民が、戦火を逃れた避難先や収容所から戻ってきたが、自宅の土地は米軍に強制的に借り上げられていたので、代わりに基地の周辺に密集して住むようになった。 普天間の北方には、米空軍の嘉手納基地がある。こちらは米軍が沖縄上陸時から、ずっと途切れなく飛行場として使い続けたため、非難していた地元住民が戻ってきた時、飛行場の後背地を弾薬庫用地として広大に強制借り上げしてクリアゾーンを作った。しかも、嘉手納は滑走路の前面が海である。だが普天間は、米軍が基地として使わず放置していた間に地域住民が戻って家を建てたため、クリアゾーンがほとんどないままとなった。嘉手納と異なり、普天間は海と平行している。米軍も、普天間は非常に危険な飛行場だと認めている。 日米両政府は、1971年の沖縄返還直前、日本本土の1971年の沖縄返還直前、日本全土の米軍海兵隊のほとんどを沖縄に移動させ、普天間飛行場は本格的に海兵隊の基地になった。日本本土から沖縄に結集した海兵隊が普天間を拠点とした理由は、海兵隊がヘリコプターを多用するので、クリアゾーンが欠如した普天間飛行場の使い道として、飛行機ばかりの空軍より海兵隊の方が良いという考えだったのだろう。しかし海兵隊も飛行機(固定翼機)は使う上、普天間は嘉手納を補助する役割も担ったため、飛行機の発着が多く、危険が残った。海兵隊を他の基地に移設し、普天間閉鎖して土地を住民側に返還した方が良いという認識は、1970年代から日米両政府にあった。 米軍は1985年に普天間基地を閉鎖返還する計画を持っていたが、1991年の計画では再び恒久駐留の方針に戻ってしまった。この背景に、日本側が「思いやり予算」を出し始めたことがあった。日米地位協定を根拠に、日本政府が米軍駐留費の一部を負担する「思いやり予算」は、1970年代に基地で働く日本人の福利厚生や給料の一部を日本政府が出すことから始まり、1990年代には米軍施設の光熱費や、施設の移転にかかる費用まで日本が負担した。米軍は、1980年代に冷戦終結を見越して日本から撤退していく方向を模索し、それを見た日本政府が「駐留費の大半を負担するので日本にいてください」と頼んだ疑いが濃い。日本は、米軍を「買収」して駐留を続けてもらっている。 日本政府は、米軍基地用の地代(賃料)や基地周辺住民への対策費も出しており、思いやり予算と合わせた総額は、1985年に年間約3000億円だったのが1995年には6000億円強へと倍増し、その後横ばい状態が続いている。全部で4万人強の在日米軍は、1人当たり毎年1000万円以上を日本政府からもらっている。こんなに金をくれるのだから、当然、米軍は喜んで日本に駐留し続ける。 2005年の米国防総省の発表によると、日本政府は、在日米軍の駐留経費の75%(44億ドル)を負担している。世界規模で見ると、米軍が米国外での駐留で必要とする総額は年に160億ドルと言われるが、そのうち米国自身が出すのは半分以下で、駐留先の地元国が85億ドルを負担している。44億ドル出している日本は、全世界の地元国の負担の半分を一国だけで出している。日本は、米軍の米国外での駐留費総額の4分の1を出している。日本だけが突出して米軍に金を出しているのだから、日本政府がその気になれば激減できるはずだ。日本政府が米軍を買収している構図は、ここからもうかがえる。 普天間基地を拠点とする米軍の海兵隊は「第3海兵遠征軍」である。米軍海兵隊は3つの遠征軍で構成され、第1と第2は米本土に本拠地がある。第3遠征軍は米国外に本拠地を持つ唯一の遠征軍であり、1988年に正式に沖縄(うるま市のキャンプ・コートニー)に司令部が置かれた。海兵隊は沖縄返還直前(1971年)から沖縄にいたが、正式に沖縄駐留となったのは1988年だ。この1988年の正式化も、日本政府から駐留費負担を急増してもらうことになったため、米側が形式を整えたのだろう。海兵隊は戦争が起こりそうな地域での恒久駐留が必要な軍隊ではない。軍人の生活上の利便性を考えれば、米本土に置くのが最良である。 米国の同盟国が侵略された場合、まず同盟国の軍隊が応戦し、米軍は空軍戦闘機で援護し、その間に海兵隊を前線に空輸し、反攻的な急襲をかける。日本が他国から地上軍で進行された場合、まず自衛隊が応戦する。そのために、北海道や九州に陸上自衛隊が常駐している。米国は世界中に諜報網を張り巡らせているので、遅くとも同盟国が攻撃される数週間前には予兆を察知できる。米国は、ある日突然侵攻される状況になり得ない(わざと気づかないふりをして敵方の侵攻を誘発することは度々あるが)。 米軍は、海兵隊を米本土以外の場所に常駐する必要がない。日本に常駐する必要はない。世界的に大きな敵対構造が緩和された冷戦後、その傾向がいっそう強まった。だから、沖縄の海兵隊1980年代に米本土に撤退を開始し、普天間基地を日本側に返還するつもりだった。それを日本が引き留め、駐留費を出して買収し、沖縄に駐留し続けてもらっている。海兵隊は、日本に金を出してもらえて、米国にいるよりも安上がりなので沖縄にいるだけだ。 日本政府が米軍を買収してまで駐留し続けてほしいと思ったのは、日本の防衛という戦略的な理由からではない。急襲部隊である海兵隊、日本の防衛に役立っていない。日本政府が米軍を買収していた理由は、実は、日米関係に関わる話ですらなくて、日本国内の政治関係に基づく話である。日本の官僚機構が、日本を支配するための戦略として「日本は対米従属を続けねばならない」と人々に思わせ、そのための象徴として、日本国内(沖縄)に米軍基地が必要だった。 対米従属による日本の国家戦略が形成されたのは、朝鮮戦争後である。1953年の朝鮮戦争後、1955年に保守合同で、米国の冷戦体制への協力を党是とした自民党が結成された。経済的には、日本企業が米国から技術を供与されて工業製品を製造し、その輸出先として米国市場が用意されるという経済的な対米従属構造が作られた。財界も対米従属を歓迎した。日本の官僚機構は、これらの日本の対米従属戦略を運営する事務方として機能した。 この政財官の対米従属構造が壊れかけたのが1970年代で、多極主義のニクソン政権が中国との関係改善を模索し、日本では自民党の田中角栄首相がニクソンの意を受けて日中友好に乗り出した。その後の米政界は、多極派と冷戦派(米英中心主義)との暗闘となり、外務省など日本の官僚機構は、日本の対米従属戦略を維持するため冷戦派の片棒を担ぎ、米国の冷戦派が用意したロッキード事件を拡大し、田中角栄を政治的に殺した。 田中角栄の追放後、自民党は対米従属の冷戦党に戻ったが、外務省など官僚機構は「対米従属を止めようと思うと、角さんみたいに米国に潰されますよ」と言って自民党の政治家を恫喝できるようになった。官僚機構は、日本に対米従属の形を取らせている限り、自民党を恫喝して日本を支配し続けられるようになり、外務省などは対米従属を続けることが最重要課題(省益)となった。 日本において「米国をどう見るか」という分析権限は外務省が握っている。日本の国際政治の学者には、外務省の息がかかった人物が配置される傾向だ。外務省の解説通りに記事を書かない記者は外されていく。外務省傘下の人々は「米国は怖い。米国に逆らったら日本はまた破滅だ」「対米従属を続ける限り、日本は安泰だ」「日本独力では、中国や北朝鮮の脅威に対応できない」などという歪曲分析を日本人に信じさせた。米国が日本に何を望んでいるかは、すべて外務省通じて日本側に伝えられ「通訳」をつとめる外務省は、自分たちに都合のいい米国像を日本人に見せることで、日本の国家戦略を操作した。「虎の威を借る狐」の戦略である。 官僚機構は、ブリーフィングや情報リークによってマスコミ報道を動かし、国民の善悪観を操作するプロパガンダ機能を持っている。冷戦が終わり、米国のテロ戦争も破綻して、明らかに日本の対米従属が日本の国益に合っていない状態になっているにもかかわらず、日本のマスコミは対米従属を止めたら日本が破滅するかのような価値観で貫かれ、日本人の多くがその非現実的な価値観に染まっている。
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