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改めて言うまでもなく、日本は今まさに危機的状況にある。政治のみならず、
行政、経済、教育など、あらゆる面で制度的な問題が噴出し、日本の社会そのものがメルトダウン寸前になっていると言っていい。
小沢主義 小沢一郎 著 講談社文庫
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小沢一郎氏は1993年5月、<日本改造計画>を発表した。ベストセラーとなった。
小沢一郎氏は1993年6月、自民党を離党し、政権交代を可能にする健全な議会制民主主義の確立をめざした。
小沢一郎氏は1993年8月、細川連立政権を樹立する。
小沢一郎氏による<日本改造計画>の発表と細川連立政権誕生に、心底恐怖したのが、国家官僚と野党に追い込まれた自民党であった。
自民党の領主<竹下登>は「小沢一郎を必ず叩き潰す」と決意し、戦国時代を反復させる憎悪の情念を密かに燃やし、撃破戦略を思案していた。
不気味な竹下登将軍の戦略と戦術によって、1994年4月、細川連立政権は頓挫した。
竹下登将軍の尖兵として動いていたのが<悪魔>と呼ばれた野中公務だった。
野中公務のど根性とは「小沢一郎を殺してやる」という、乱世の激烈な胆力だった。
細川連立政権の後を継いだ羽田政権は1994年6月25日総辞職。
社会党は自民党にまきこまれ<自民党・社会党・さきがけ>の村山政権が誕生。
自民党は1年未満で、再び政権与党に復帰した。
不気味な竹下登将軍の戦略と戦術の勝利であり、<悪魔>と呼ばれた野中公務による切り崩し工作の成果だった。
1994年6月30日に発足した<自民党・社会党・さきがけ>による政権とは、理念の喪失であり瓦解であった。時代は閉塞していった。
竹下登将軍はさらに小沢一郎排撃戦略をグレードアップする。
それが1996年に秘密結社として設立された<三宝会>だった。
マスゴミを中心軸とした<小沢一郎は最大の悪人>という電通広告<物語戦略>が開始された。
国民を洗脳するためには理念よりも<長期的な物語のフレーズ>が最大の効果を生む。
これが国民を洗脳するための<小沢一郎は最大の悪人>長期物語宣伝情報戦略であった。
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参考文献 泣かない小沢一郎が憎らしい 世川行介 著 同時代社
日本語が亡びるとき 水村美苗 著 筑摩書房
物語消滅論 大塚英志 著 角川書店
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