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特捜検事の「虚偽記載」犯罪を徹底批判しない記事
http://60643220.at.webry.info/201201/article_7.html
2012/01/28 15:32 朝日新聞 読後雑記帳
きょう(28日)の朝刊オピニオン面のコラム「記者有論」に、小沢一郎氏の強制起訴裁判で明らかになった検察の「うそ」報告書を批判する記事(村山治編集委員)がある。見出しには「うそ報告書、徹底解明を」とあって勇ましいが、中身は経緯をなぞっただけの薄っぺらな記事である。検察のうそ報告書は、検察審査会が小沢氏を強制起訴するさいに重要な材料となったもので、ことは起訴の根幹と当否にかかわる重要な問題である。しかし、村山編集委員は、「もし、小沢氏の弁護団や市民団体が指摘するような『証拠の過度な強調』や『恣意的な捜査情報隠し』があれば、制度の根幹を揺るがしかねない」と仮定法で書く。なぜ「もし」と書かなければならないのだろうか。検察の「うそ」は取り調べ検事本人が公判で認めた事実なのである。また、揺るがされるのは制度ではなく小沢氏の起訴そのものである。村山編集委員は表向きは批判のポーズをとりながら、じつは検察を追い込みたくないという気持ちを「もし」という枕詞にこめた、と私は思う。そのような深層心理は「もっとも、石川氏は自らの公判で、逮捕・勾留中に検事から同趣旨の質問をされたこと自体は認めていた」という記述にも表れている。うそ報告書に書かれた発言は、ほかで述べられていることだから、うそではない、と言いたいのだろう。しかしそれは、検察側が開き直るときに使う台詞であって、新聞記者が先回りして言うことではなかろう。村山編集委員はさらに「検察が捜査しても、審査員らに議決過程の守秘義務があるため、捜査報告書の『うそ』部分が議決にどんな影響を与えたかの解明は難しいとみられる」とも書いている。都合が悪くなれば守秘義務で逃げるのが司法官僚どもの常套手段だが、これまた、新聞記者が先回りして避難通路の扉を開けているようで、腹立たしく、後味が悪い。
(以下、全文引用開始)
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記者有論:小沢公判--「うその報告書」徹底解明を 2012年1月28日付朝刊
■村山治(編集委員)
検察でまた、「不都合な真実」が発覚した。民主党元代表・小沢一郎被告の元秘書を取り調べた東京地検特捜部検事が、うその捜査報告書を作成した疑惑のことだ。
小沢氏は、検察審査会の2回の「起訴すべきだ」とする議決を経て強制起訴され、公判が続いている。問題の報告書は2010年5月に、1回目の議決を受けて小沢氏の秘書だった石川知裕衆院議員を改めて取り調べ、特捜部長宛てに提出された。
石川氏はその4カ月前に逮捕され、勾留中に「政治資金収支報告書にうそを書くと小沢氏に報告した」と認める供述調書に署名していた。その理由として、問題の報告書では「検事に『ウソをつけば選挙民を裏切ることになる』と言われたのが効いた」などの生々しい石川氏の言葉を記していた。だが、石川氏が取り調べを「隠し録音」した記録には、この発言はなかった。
この検事は小沢氏の公判で「逮捕・勾留中のやりとりと記憶が混同した」と弁明した。一方、小沢氏の弁護団は、検察審査会の2回目の議決書に、報告書のうそ部分と同じ趣旨の表現があるとして「小沢氏の起訴議決は無効」と公訴棄却を求めた。
強制起訴に至る過程で検察は2度、小沢氏を不起訴にした経緯がある。にもかかわらず、審査会にはうその報告書を出したうえ、不起訴の根拠とした証拠の一部を提出せずに、市民の議決を恣意的(しいてき)にコントロールした疑いがあるとして、市民団体がこの検事らを偽計業務妨害などの容疑で刑事告発し東京地検が受理した。
容疑者を不起訴とした場合、検察は容疑者にとってプラス・マイナスすべての情報を検察審査会に開示し、判断を仰ぐのが制度の趣旨だ。
もし、小沢氏の弁護団や市民団体が指摘するような「証拠の過度な強調」や「恣意的な捜査情報隠し」があれば、制度の根幹を揺るがしかねない。検察は事実解明を行い、国民に説明する義務がある。
もっとも、石川氏は自らの公判で、逮捕・勾留中に検事から同趣旨の質問をされたこと自体は認めていた。検察が捜査しても、審査員らに議決過程の守秘義務があるため、捜査報告書の「うそ」部分が議決にどんな影響を与えたかの解明は難しいとみられる。
仮に、検察がこの検事を不起訴にすれば、告発した市民団体は検察審査会に審査を申し立てるだろう。小沢氏を刑事被告人にした審査会が、今度は検事を被告人にするかもしれない。
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(引用おわり)
被告の「虚偽記載」ではなく、検察の「虚偽記載」が明らかになった昨年暮れの公判(第9回、12月15日)からひと月がたっている。この間、社説は一度もこの問題を取り上げていない。真正面から批判した解説記事もない。やっと出た、と思わせてくれたのがこのコラム記事だった。しかし、批判はポーズだけ。遅出しのアリバイ記事というやつである。したがって、結論もおかしい。意味がよくわからない。「小沢氏を刑事被告人にした審査会が、今度は検事を被告人にするかもしれない」とある。「仮に」とか、「すれば」「だろう」「かもしれない」と逃げは打っているが、苦し紛れに書いた下手なジョークだろう。本気でそう考えているとしたら、この編集委員は腰ぬけどころか底抜けに能天気な新聞記者である。
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