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小沢事務所の筆頭秘書だった高橋嘉信さんには落胆しています [これまでとこれからの「小沢一郎」の話をしよう・衆議院議員 石川知裕]
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2012/1/27 日刊ゲンダイ
番頭は思い上がっちゃいけない
陸山会事件が起きてから、たびたびマスコミに登場して、小沢事務所の“内幕”を暴露する元筆頭秘書の高橋嘉信さんという人がいます。
高橋さんの暴露話は私が秘書になる前のことに関してはわかりませんが針小棒大に感じます。こんなふうに小沢氏を陥れるようなことをして何になるのか。本当にガッカリしてしまいます。
秘書時代の高橋さんは、「小沢命」と公言してはばからない腹心の部下でした。「票田のトラクター」という漫画の主人公のモデルにもなった“選挙の鬼”で、常に小沢氏に寄り添い、「小沢の陰に高橋あり」と言われたものです。昔を知っている人にすれば、「どうしちゃったの?」という気持ちでしょう。
私が小沢事務所に入った頃は、地元の岩手から出てきた高橋さんが事務所を取り仕切るようになっていた。「マスコミと付き合うのはオレひとりでいい」と言って情報を独占し、秘書団にとって小沢氏以上に怖い存在でした。「オレと小沢、どっちが大事なんだ」とスゴまれたこともあります。私は小沢氏の秘書なのだから、小沢氏に決まってます。でも現実には、高橋さんに睨まれたら事務所にいられなくなる。議員会館の小沢事務所は、いつしか「高橋事務所」のようになっていました。
そんな高橋さんは00年の総選挙で、小沢氏が率いる自由党の比例東北ブロックから立候補し、当選を果たします。当初は、名刺に「衆議院議員」と「小沢一郎秘書」という2つの肩書を刷っていました。自由党みたいな小さな政党では、党首の秘書で、なおかつ議員となれば、強大な権力を握ることになってしまう。それで、小沢氏が「どちらかにしろ」と迫り、高橋さんは「秘書」の肩書を外すことになった。決裂したのは、その頃からです。
2人を見ていると、企業の創業者と番頭の関係に似ていると思います。
創業者が大きくした会社を任せられた番頭は、つい「この会社はオレで持ってる」と勘違いしてしまう。自分も創業者と同じか、それ以上のことができるという思い上がりで、独立して事業を始めたりする。しかし、概してうまくいかない。
高橋さんも、同じだったと思います。「小沢一郎秘書」だったからできること、つまり会社の肩書があってできることを自分の力と過信してしまうことは、よくある。実際、次の総選挙には出馬しませんでした。
でも、高橋さんが小沢事務所で一生懸命に仕事をしていたのは事実です。「小沢氏のために働くことが、国民生活をよくすることにつながる」と信じていた。それが、どうしてこんなことになってしまったのか。今はただ悲しい気持ちでいっぱいです。
◇いしかわ・ともひろ 1973年生まれ。早稲田大学卒業後、小沢一郎氏の秘書を経て、2007年から衆議院議員。陸山会事件で起訴され、民主党を離党。昨年7月に出版した「悪党 小沢一郎に仕えて」(朝日新聞出版)は5万部のベストセラーになっている。メルマガも好評配信中。
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