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米国の軍事戦略と結びつき独自の資源獲得競争も想定
恒常的派兵国家化する日本
野田内閣は昨年一二月二〇日の閣議で南スーダンPKOに陸上自衛隊を派遣することを決定した。現在自衛隊がPKO部隊を送り込んでいるのはゴラン高原、東ティモール、ハイチである。それ以外に海賊対策を名目にソマリア沖に海自を派遣しており、ソマリアの隣国ジブチには「海賊作戦」のための恒久的基地も作られている。新年をこれらの海外派遣地で迎えた隊員の数は六〇〇人を上回る(ソマリア沖三七〇人、ジブチ一七〇人、ゴラン高原四六人、ハイチ七人、東ティモール三人のほかに二〇一二年にジブチに派遣される部隊の先遣隊など数十人)。
その上に新たに南スーダンが加わることになった。海外での活動を自衛隊の「本務」として以来、日本は「恒常的派兵国家」としての色彩をますます強めている。
米オバマ政権は、イラクやアフガニスタンなど大失敗に終わった「対テロ」戦争の主戦場から引き上げ、軍事戦略の重心を中国の「海洋戦略」に対抗するアジア・太平洋地域に設定した。自衛隊もまた「動的防衛力」構想の名の下にアジア太平洋における米国との「共同作戦」体制にシフトする一方で、米国はアジア・太平洋以外の地域のグローバルな「治安維持」を同盟国に肩代わりさせる方向をますます強めることになっている。「災害復興」、「新しい国づくりの支援」がその名目として掲げられている。東ティモール、ハイチがそうであったし、今回の南スーダンもそうだ。しかしそれは米国が主導する帝国主義の全体としての戦略に裏打ちされたものであることは言うまでもない。
スーダン内戦と植民地主義
南スーダンPKO(UNMISS)は、南スーダンがスーダンから分離独立した前日の昨年七月八日の国連安保理決議によって結成されたものである。長年にわたるスーダンの内戦(南部には属さない西部地域のダルフール紛争を含めて)は北の「アラブ・イスラム」と南の「アフリカ・キリスト教」という民族的・宗教的対立に還元されることが多いが、決してそれだけではない。この対立はイギリスの植民地時代から続く極端なまでの南北の経済的格差と、経済的に支配的な北部を基盤とする支配構造の軍事的・強権的性格に由来するものである。
一九五六年のスーダン独立以後も、この植民地的支配構造は変わらなかった。一九八九年の軍事クーデターで成立したスーダンのバシール政権を米国は「イスラム主義のテロ支援国家」として敵視したが、その強権的支配体制は必ずしも現軍事政権に固有なものではなく植民地時代から持ち越された南北間の対立に起因している。
一九八〇年代以来、南部スーダン地域の闘いを主導したスーダン人民解放運動・スーダン解放軍(SPLM/SPLA)は、決して分離独立を掲げていたわけではない。SPLMは問題の本質を南北間の格差・不均等発展、富と権力との不公正な分配にあると捉え、「南部問題」ではなく「スーダン全体」の改革と「新しいスーダンの建設」を志向していた。一九八九年の軍事クーデター直後に結成された反体制組織の国民民主同盟(NDA)には北部の野党勢力、共産党、労組などとともに南部のSPLMも参加し、現政権打倒のための共同戦線を構築してきた。
問題を「アラブ対アフリカ」「イスラム対キリスト教」にすり替えたのは、外国の介入によるものであり、スーダンのバシール軍事政権もむしろそうした図式を利用して、自らの支配体制の延命と正当化を図ろうとしてきた。とりわけスーダンにおける石油資源の開発により国際的な注目が深まる中で、二〇〇二年以来米国主導で進められた南北「和平プロセス」は「国家全体の民主的改革」というNDA内の議論の方向をなおざりにして「現政権(バシール政権)とSPLMを石油収入やポストの分け前をめぐって和解させることで問題の解決をはかろうとするもの」として批判されてきた(栗田禎子「ダールフール危機をどう見るか 問題の構造と打開の方策」、アフリカ日本協議会発行『アフリカNOW』68号 二〇〇四年一二月一五日)。
もちろん昨年の南スーダンの住民投票で圧倒的多数によって独立が選択されたことは住民の民主主義的意思の表明であるが、同時に米国の主導による南の分離独立プロセスには北の軍事政権と結びついた中国、そしてそれに対抗した米国の資源戦略をめぐる角逐があったことを忘れてはならない。
インフラ整備という名目で
こうした中で野田政権は一月一一日に先遣隊を南スーダンの首都ジュバに派遣したのを皮切りに、三月までに中央即応連隊(宇都宮市)と第12施設群(岩見沢市)から一次隊二一〇人が派遣され、さらに五月には二次隊三三〇人が送られて本格的活動に入る。派遣される自衛隊の任務は首都ジュバからナイル川までの道路を舗装し、日本のODA(政府開発援助)でJICA(国際協力機構)が行う港湾工事と結びつけるインフラ整備だとされる。
野田政権は今年四月をめどに、「資源安定確保」に向けた官民一体の国家戦略を策定しようとしており、「産業ごとに必要な資源の種類や量を精査した上で、集中的に働きかける国を特定」することを目指している(一月五日、毎日新聞夕刊)。その重要なターゲットの一つが南スーダンを含む東アフリカの石油資源なのである(同記事)。つまり南スーダンへのPKO派兵が、こうした日本独自の資源獲得戦略の一環であることは容易に見てとれるだろう。それはまさに資本のための資源強奪戦略なのだ。
朝日新聞や毎日新聞などの大メディアはこの南スーダン派兵にもろ手を上げて支持している。しかしわれわれは南スーダンPKOをめぐる背景を考えるとき、大国の資源戦略をからめたこうした軍事的介入にはっきりと反対する。それは南北スーダンの民主化勢力が積み上げてきた改革の努力を破壊するものでしかないからだ。
新たな紛争への介入も
野田政権は、自公政権を引き継いでPKOの武器使用原則の「緩和」、すなわちいわゆる「かけつけ警護」を含めた自衛隊の戦闘行為への参加に積極的な姿勢を示している(九月七日のワシントンでの前原民主党政調会長講演)。確かに今回の南スーダン派兵に関しては「緩和」の措置はとられていない。しかし国連本部事務局の川端清隆政務官は南スーダンPKOについて旧来の「伝統的PKO」ではなく「積極的PKO」であると語る(朝日新聞 二〇一一年一一月二六日)。「積極的PKO」ではすべての当事者の合意は不必要であり、「中立」ではなく「公正」が原則なので国連に従わない当事者には「懲罰的措置」も許される、という。
東京新聞の半田滋論説委員・編集委員も自衛隊南スーダン派遣の五年間のうちに「海外における『初めての一発』は、意外に早く発射されるかもしれない」と述べている(「週刊金曜日」二〇一一年一二月一六日号)。半田氏は、現在の国連PKOのほとんどが国連憲章第六章の「紛争の平和的解決手段」に基づくものではなく、第七章の「集団的安全保障」に根拠づけられたものであることを指摘し、武力行使を容認していることに注意を喚起した。
実際、南スーダン独立後も南北間の戦闘は継続している。それだけではない。南スーダン内部でも東部のジョングレイ州ビボルで昨年末から激化した民族間の衝突により三一四一人もの遺体が確認された、と報じられている(朝日新聞、一月七日)。それはたんに自衛隊が「戦闘に巻き込まれる危険」という問題ではなく、首都を中心とする自衛隊の「インフラ整備」「経済開発」のための展開そのものが、住民間の対立を促進し、紛争の火種となる可能性を意味している。それに応じて自衛隊が「懲罰」的武力行使に踏み切り、住民を殺戮することもありうるのだ。そのような事態そのものが、野田政権の下で進行する「改憲論議」に拍車をかけることになるだろう。
反安保実行委員会は一月二九日(日)に自衛隊の南スーダン派兵を許すな! 1・29防衛省行動(午後二時集合、二時半デモ出発 市ヶ谷外濠公園[JR市ヶ谷駅そば])を呼びかけている。ともに南スーダン派兵に反対しよう。(純)
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