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私と 同じ思いで いらっしゃる 皆さま、
是非、
■『正論』 1月号 P130 ライター 谷田川 惣 氏記
所功氏の 「WiLL」 論文に 異議あり
「女系天皇容認の前に 臣として 踏まえるべきこと」
■『週刊新潮』 12月8日特大号 P170 櫻井 よしこ女史 記
「日本ルネッサンス 皇室典範改正でも 伝統を厳守せよ」
■『AERA』 12月12日号 P20 編集部 三橋麻子女史 記
秋篠宮さま 「定年制」 発言の真意
「雅子さまへの 「包囲網」」
■『THEMIS(テーミス)』 2011年12月号 P48
「天皇陛下のご病状は深刻だ
皇室の迷走 − 宮内庁の放置は 無責任だ」
を お読みください。
皇位継承第三位の 悠仁親王殿下 が いらっしゃる以上
あと 数十年、 継承問題は 心配ないようですが、
悠仁様が ご即位される頃、 お側で 悠仁様を
サポートする 宮家が なくなることは 大変な問題です。
故に 現 女性宮さま方の 存続を 守るためにも
戦後の アメリカ支配から 独立し、
旧宮家の男子の方々を 一刻も早く
皇族復帰 していただくことが 最も 重要だと思います。
そして、 願わくは 眞子内親王、 佳子内親王さま方が
旧皇族 ないしは 旧華族の 男子の方と
ご結婚されて 下さったら、 理想的なのですが。
「女性宮家創設案」、 「長子皇位継承案」 が
愛子さまを 想定しての案件ではないか と
疑ってしまう方も 多いのではないでしょうか。
悠仁親王殿下の 『着袴の儀』 より
愛子さまの 10歳のお誕生日の お写真や記事を
大きく取り上げる 日本のマスコミ。
お一人で 登校できない 愛子さま。
10歳に なられたというのに 積み木で遊ばれる 愛子さま。
60人の職員に かしずかれながら、
又、 ”すごい” ご養育係がいるのに よく お風邪をひかれる 愛子さま。
学校も よく休まれ、 学校行事も よく欠席される 愛子さま。
スケート場を 貸し切って、
小和田家の従姉妹達と スケートをなさる 愛子さま。
大名行列、 ものものしい警護で お付き添い登校される 愛子さま。
こういう お育ちをなさって 大人になる 愛子さまに
女性宮家の創設は いかがなものでしょう。
ましてや、 女性の皇位継承 視野 など。。。 とんでもない。
私の 12月1日のブログを 再び 掲載させていただきます。
11月25日(金)の 読売新聞の朝刊 第一面に 衝撃的な タイトルが。
「女性宮家」の創設検討
宮内庁が首相に要請
女性の皇位継承 視野
この日の前日に、 私は 自分のブログに
産経新聞が、 たびたび 『皇室典範』のことに触れ、
皇統の継承 を 男系(男子)ではなく、 長子とする
つまり、 女系天皇 を 推進する 記事や
女性皇族方が 降嫁され 一般人となられるところを
女性宮家を樹立させる という記事を 掲載している と
指摘したばかりでした。
『女性宮家』の創設は 今のままでは 皇族方が減少していくため
安定的な 皇統存続を図るため とありますが、
これは、 愛子様を守ろうとする 小和田家の伏線ではないか
と 思う 国民も 少なくない筈です。
急に 羽毛田長官が 野田総理に このような案件を提出したのは
先頃 あまりにも 常軌を逸した 雅子妃のおふるまい と
高まる 皇太子に対する 失望、 そして
ブータン国王ご夫妻の 理想的な お姿を拝見したことで
日本中の人たちが 皇太子ご夫妻に対して 厳しい批判の目を
向けているため、 これらを そらそうとしているのではないか
と 思えてなりません。
これまで 女性の皇族方は 降嫁されると 皇籍を失ってきましたが
女性宮家が創設されるということは、 皇籍が維持される
ということになります。
これは、 男女同権・平等 という点では とても 理解できます。
しかし、 これまで 125代続いた 男系天皇が
女系天皇に変わる という 懸念が 「大」 になる ということです。
しかも、 秋篠宮眞子さま、 佳子さまが
どなたと ご結婚 されるかは まだ わからない状態。
そして、 愛子さまも どういう一般の方と ご結婚されるのか、
その場合、 お相手の一般の方も 宮様となられるのか 甚だ 疑問。
皇位継承第三位の 悠仁親王殿下を お守りする意味も含めて
私は この問題の 解決方法の 一つであり 最善の方法は、
旧皇族方が 皇籍復帰をされること ではないか と思います。
明治時代には、
伏見宮、 桂宮、 久邇宮、 山階宮、 梨本宮、 聖護院宮、
北白川宮、 華頂宮、 小松宮、 賀陽宮、 竹田宮、
朝香宮、 東久邇宮、 東伏見宮
と、 14の宮家が 存在されていました。
しかし、 第二次世界大戦後、 日本を占領していた
GHQの マッカーサー司令官によって
「財閥解体」 と 「華族制度の廃止」 が 行われ、
これまで 「皇族」 であられた方々は 一般人になることを
余儀なくさせられてしまったのです。
「財閥解体」の 財閥 には、
三井、 岩崎(三菱)、住友、 安田 の4家に加え、
大倉、 浅野、 古河、 渋沢、 野村 等が ありました。
『マッカーサーが仕掛けた時限爆弾と皇統の危機』 笠原英彦著
(筑摩書房) には、
「そもそもの原因は、マッカーサー率いる GHQの占領改革にある。
マッカーサーは華族制度の廃止、14宮家のうち
直宮(昭和天皇の兄弟) を除く 11宮家 51方の皇籍離脱を命じた
のである。 (中略) 男系の男子のみに皇位継承資格を限定する
旧皇室典範以来の原則はそのまま維持されたのである。
(中略) 米国政府や GHQの意向を踏まえて マッカーサーにより
周到に仕掛けられた 皇統断絶 という時限爆弾の存在を
見逃したのである。」 と 書かれてあります。
つまり、 皇籍離脱 は、 アメリカに敗戦した日本に対する
冷酷な政策であり、 財閥解体と共に、
日本を弱体化させる目的 を 持ったもの です。
現実に マッカーサー司令官は 何をしたのか。
それは無情にも 宮様方に 到底 支払うことが出来ない
莫大な 財産税を 課したのです。
皇族の方々は 屋敷を手放し、 美術品をあきらめ、
貴重な宝石や 装飾品を 売られました。 それは、
路頭に迷わんばかりの状態で あったかもしれません。
竹田宮家 一つを 挙げても、
現在の 品川駅前の 品川プリンスホテル、 高輪プリンスホテル、
新高輪プリンスホテル、 さくらタワー などがある
広大な土地 全てが 竹田宮家のもの でした。
赤坂プリンスホテルには 皇族方と同じ待遇にあった 朝鮮の李王朝の
皇太子 李 垠 (皇太子妃は 梨本宮家の 方子様)の
お屋敷が ありました。
東京都内にある ”プリンス” ホテルは ほとんど全て
旧宮様方が所有されていた土地の上に 立っているものです。
どのような経緯で、 「西武」の 堤康次郎氏の手に落ちたのか
は、 わかりませんが。
皇族方だけでは ありません。 華族の方たちも 同じでした。
持っている財産を 全て 手放さなければ なりませんでした。
目白にある 『椿山荘』は 山県有朋公の お屋敷であり
白金にある 『八方園』は 大久保彦左衛門の お屋敷でした。
私が住んでいる 松涛・神山は 鍋島家のお屋敷があったところです。
新宿御苑は 信濃高遠藩 内藤家の 下屋敷があったところです。
広尾の 有栖川公園は 言うまでもなく、 有栖川宮様のものでした。
皇居の外堀は、 今の ホテルニューオータニ (紀尾井町) の
ところまで ありました。
私が オーストラリアに 初めて行った 1970年代半ばのこと。
オーストラリアの上流階級の お家に
どれくらいの 菊の御紋や 葵の御紋の入った 漆、 金箔、
蒔絵、象嵌の 素晴らしい家具・調度品が あったことでしょうか。
若き 私の心は とても 傷つきました。
こんなに 貴重で 大切な 美術品が
何故 日本ではなく、 遠く離れた オーストラリアに 在るのか。
これらは 連合軍のオーストラリア兵が、 戦後のドサクサに紛れて
略奪したか、 安く 手に入れ、 日本から 本国へと 持ち帰ったものでした。
「戦争には 負けたくない」
私は 悲しみを 新たにしたものです。 そして、
私は 旧皇族の方々、 華族の方々に 思いを走らせていました。
お気の毒に。。。
平民の 私が 小学校に入るか 入らないかの頃から
リュックサックを背負って、 港区霞町(今の西麻布) から
闇屋のおばさんに 連れられて、 家族のための食料を
千葉県へ 買い出しに行っていた頃、
旧皇族・華族のみなさまは どんなお気持ちで お過しになっていたのか。
と 胸が痛む思いに 駆られました。
広大な庭園と 屋敷を失い、 貴重な美術品を手放し、
何十人という召使い達に かしずかれていた方たちが。。。
今まで、 何度も 書いてまいりましたが
小さな日本が 世界で輝きを見せていられる のは、
皇紀2671年という 長い年月を継いできた 皇室があるから です。
皇室なき 日本は ありません。
皇室に男子がいない ということですが、 旧皇族方の中には
この上ない お血筋の方が 何名か いらっしゃいます。
こういう方たちが いらっしゃいます。
三笠宮 ィ子(やすこ)内親王のご子息である 近衛忠大さま。
ィ子様は 今上天皇陛下の従姉妹に あたられます。
つまり、 御父君の三笠宮は 昭和天皇の弟君です。
旧華族 近衛文麿公爵 (旧貴族院議長、第34・38・39代 内閣総理大臣)
の孫にあたられる 近衛忠輝様 と ご結婚され
現 近衛ィ子様に なられています。
近衛忠輝様は、現 近衛家当主で 日本赤十字社社長。
ご令息の 近衛忠大氏は、41歳で 旧皇族の 久邇宮家の桂子様と
ご結婚されています。
伯父様は 細川護熙氏 (熊本藩藩主) であり、 元総理大臣です。
清宮 貴子内親王様 (現 島津貴子様)の ご子息、 島津禎久さま 。
私たちが 若い頃、 「おスタちゃん」という愛称で
親しんできた 貴子様は 現 平成天皇陛下の 妹君。
島津藩 後継者の 島津久永氏 (ソニー勤務) と ご結婚なされ、
ご令息の 島津禎久氏は 現在49歳です。
今、 思い出すだけで、 お二人いらっしゃいますが、
きっと 旧皇族方の中で まだ お若い男子の方々が いらっしる筈です。
宮内庁は 女性宮家創設を あげる前に
旧皇族の男子を探し、 皇族復帰を 考えるべきではないのでしょうか。
これこそ、 日本の 真の独立の 一歩です!
敗戦後、 すでに 66年も経っており、
”アメリカの支配” より、 解放されるべきでは ないのでしょうか。
それが 本当の意味での 「独立国家」 です。
皇統を 自然消滅させないために、
この アメリカの 日本撲滅運動とも 思われる政策を 排除し、
旧皇族方を 再興させるべきでは ないのでしょうか。
そして、 皇女の方々が 旧皇族 ないしは 旧華族の男子方と
ご結婚なされ、 皇女として ふさわしく 残られたら
望ましい ことですね。
皇室の方々が 国費 (税金)で 保持されている とか
新しく 宮家が創設されると 年間5,000万円 (エっ、たったの!) とか
書いている 週刊誌がありますが
これは 間違っています。
敗戦後、 皇族方・華族方の財産を 理不尽に
取り上げてしまったから そうなっているのです。
この際、 ご返済したら どうでしょうか。
ヨーロッパの王族方は 皆 大変 RICH です。
王族方の財産を 管理する 特別な会社さえ あります。
日本の皇族方から 取り上げてしまった財産を
今のお金に換算したら
国家予算の どれ位になると 思いますか!?
http://ameblo.jp/sancarlos/entry-11141679280.html
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