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「日教組を擁護する」という題にしようかとも思ったが、不起立の教師の中には日教組でない人もいるだろうし、日教組であっても起立する人もいるだろうから、この題になったことを最初に断っておく。
結論から先に言うと、この問題に関して、石原都知事や大阪維新の会は、日教組への嫌悪や憎しみの感情に目を曇らされて、全く頓珍漢な行為に至ってしまい、尚且つ自分たちは絶対的に正しいと確信している、ということ。
そんなことはとっくに分かっている、誰が見てもそうじゃないか、と思う人は読んでいただかなくても結構。そうでない人に向けて、なぜ私がそう思うのかということについて書きたい。
一、公務員は原則的に首長の命令に従わねばならないが、限度がある。例えば、何らかの不正な行為をやれ、と言われた場合、従わない方が正しい。だから、公務員が職務を果たしているかどうかという問題よりも、その命令の内容が正しいかどうかという問題の方がはるかに重大。
二、国歌斉唱不起立が政治的行為だという批判がある。国歌は他の歌とは違い、政治的目的のために国家権力が制定したもの。それを教育の場で強いられるのはおかしいと訴えることは確かに政治的な行為だが、黙って従うことも同様に政治的な行為だ。こうした政治的な判断、行為をせざるをえない地点にまで追い込んだのは、命令する側だ。よって、従わない教師たちを「教育の場に政治を持ち込む」といって批判するのは自己欺瞞。もし国歌に政治的な要素が何もないのであれば、斉唱するかどうかは各学校が自由に決めていいことだし、歌うかどうか、起立するかどうかも各自が自由に決めていい。無数の歌の中で、国歌だけが強制されるということそれ自体が、それが極めて政治的なものであり、それを歌う行為そのものも政治的な行為にならざるを得ない、ということを示している。
三、国歌斉唱不起立によって学校行事を「妨害」することが正しいかどうかという問題は、それを引き起こした側が、他の行事では普通にしているのに、その国歌斉唱という特定の場合にのみ「妨害」と受け取られる行為をする、ということだから、何らかの処分を下す以上、国歌斉唱というものが子供の教育にとって途轍もなく重要で絶対不可欠なものだという根拠を、命令する側は示す義務がある。
四、子供の教育は教師だけの責任ではなく、両親、近所の大人、いや日本の大人すべての責任なのだから、もし国歌斉唱不起立が子供に悪影響を与えるのなら、学校行事で不起立の保護者全員、また自治会主催の運動会などの地域の行事で国歌斉唱(私の地元ではやっている)不起立の大人も全員処罰されないとおかしいのに、そういう条例は誰も作ろうともしない。
以上の考察を考慮に入れると、国歌斉唱起立を教師だけに強制する条例を作る正当な根拠があるとは思えず、従って、日教組憎し、の感情が先走った愚行と推認せざるをえない。よって、私はこの問題に関しては、国歌斉唱不起立の教師たちを支持し、今後も擁護していきたいと思っている。
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