02. チベットよわー 2012年9月25日 20:47:57
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https://encrypted-tbn3.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSZvMPn1lSPd9T69RwsS3KolmZThga-mWjGnWRMOLkCHBbufx21vQビートルズの歴史はドラッグの歴史ですね。LSD無しに彼らとオウム真理教を語るのは無理。 よく誤解されるのだが、LSDというのは1920年代以前のコカインのように、 60年代までは解禁だったのです。(西部邁も反体制ヒッピー発祥の地、カリフォルニア州の バークレーで赴任中にはやりまくったと言っていた。) 10代から死ぬまでずっとクスリ漬けだったジョン・レノン。一般的な説では、EMIからデビュー したときはマジメにしていたが、売れてアメリカ進出したころ(1964年)から密売人がガードを 超えて交わってきて中毒までいってしまった、と。1965年にはもはや一服しないと公に出れなく なっていたのだから、確かに中毒である。 こないだEnoさんがあげていたHelpのライブ(1965年)など、もう舌はもつれるは、 腹式呼吸ができない、視点は定まらない(アル中との違い)、歌詞は抜ける、とまあ荒れ放題だった。 まさにHelp!で、この65年の終盤に発表した「Day Tripper」がビートルズ初のドラッグ・ソング である。65年にジョンはすでに「もうアイデアがなく、作曲を続けることができない」と告白しており、 Day Tripper 録音時にはタオル投入といった時期に迫っていたのではないだろうか。 66年、常軌を逸する発言をくりかえし、騒動を起こすジョン・レノン。『リボルバー』はもう Day Tripperの導火線からくる閃光にあふれかえっていた。ドラッグ・ソングなのだ、どれもが。 She said ”I know what it's like to be dead"....... Turn off your mind, relax and float down stream It is not dying It is not dying........ もう一度いうが当時LSDは取り締まりの対象ではなく、これだけ顕著なトランス状態をあらわす 詞をサイケデリック音楽にのせて歌っても、かまわなかったのだ。 ここからは、もうジョンは立ち直れないままベトナム戦争の時代の混沌(ケアス)に 流されドラッグ中毒者としての人生を送る。 1967年「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」。 このアルバムでバンド内の力関係が完全にポール中心に移行したわけだが、それも 無理のないこと。ジョンはLSDのやりすぎでとうとうGetting Betterの録音中に自己喪失 してしまい、自宅まで運ばれる。もう誰の言うこともきかず乱心放題、横山やすし状態である。 Lucy in the Sky with Diamondsは、マラルメの詩にある卑猥な隠喩のごとく、 もう言わなくては気がすまないくらい当時のジョンの世界(LSD漬け)そのものであった。 ポールはコカイン派だったが、あまりにLSDでグループが騒がれるため自分の体験をカミングアウト。 http://www.youtube.com/watch?v=DVmXoTa20dY (この「フォー・タイムス」というのが笑える。つまり・・・・魔がさしたわけでもなし・・・・・ 常習といえるほどでなし・・・・・・・・ポールが再婚することがあったら又「フォー・タイムス」といわせてやろう) ジョン・レノンはそれからもマジカル・ミステリー・ツアー、ホワイト・アルバムとドラッグ・ソングを連発 しつづける。 Everybody's got something to hide Happiness is a warm gun Glass Onion にはモロにドラッグ使用の専門用語が登場。もうやめる気がないのである。 オノ・ヨーコとの共同生活に入ってからはもっぱら合法のLSDではなく、ヘロインに はまることになり、その中毒を赤裸々に歌った「Cold Turkey」にはさすがの ポールも「ビートルズとしてはリリースしない」と三行半をつきつけた。 私は基本的に65年後半以降のジョンの曲は、ドラッグの影響下にあるのが明白だと思う。 問題発言も、離婚やヨーコに接近することも、神経衰弱も、ドラッグの生み出した副産物であり、 正気の沙汰ではない・・・・・・・それを芸術家ゆえの行動だとか博愛主義者だとかいって誤解するのは 非常に愚かだといわざるえない。 ポールはドラッグについて実にシビアな意見をもっている。「一度はまってしまえば逃げ出す方法はない。 開頭手術をするか、一生の間ヨギのもとで瞑想をするか、その他の選択肢はないのだ」 さすがは・・・・・フォー・タイムス・・・・自制のできる男は違うな。 安部譲二には「ヤクから立ち直るには女への執着心しかない」との持論があり、 キース・リチャーズは「娘がいなければ、カムバックすることができなかった」と自白する。 私は田村潔というプロレスラーのビデオをみながら毎日筋トレをして死ぬほどつらい禁断症状から 半年かかって脱っしました。でも副作用は一生続くので平穏の王国に住むことはあきらめました。 |