02. BRIAN ENO 2012年9月21日 09:28:47
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山本潤子 - 竹田の子守歌 1997 TV LIVE 鈴木康博 山本潤子 伊勢正三 http://www.youtube.com/watch?v=KFJA-Jg9e2UGraciela Susana_ グラシェラ・スサーナさん _ 竹田の子守唄 http://www.youtube.com/watch?v=aL-KHPKsTL8 Graciela Susana 物語 Graciela Susana の出身はアルゼンチンの チャカリタ Chacarit、ブエノスアイレスから1000Km離れた田舎町、もうボリビアに近いところである。 1953年1月22日生まれ、今は53歳。 父親は Ricardo Ernesto Ambrosio、 Tito cosentinoというバンドにいて、タンゴに影響を与えたミロンガを演奏するバンド・ピアニスト兼歌手である。 Graciela はお姉さんの Cristina とともに音楽環境の良い家庭で育ち、 彼女が8歳、姉が10歳のころフォークローレ・ペア(フォークソング・デュオ)を組み、 "the hermanitas Ambrosio" というペア名でTV出演やツアーをし始めた。 無論母 Angelica と祖母 Felisa がいつも同行した。 青年期になり姉と別行動となり、 Gracielaはいつもギターを持ち、 Buenos Aires などで歌を続けた。 1960年後半タンゴを始めた。1970年、Pipo Mancera の有名なプログラム "Circular Saturdays" に招かれた次の日電話が来た; " Graciela Susanaさんですか? 私は Edmundo Riveroです。 Carlos Garci'a のオルケスタと一緒に "the Old Warehouse" にでるテストを受けませんか"。 今でもこの時の興奮を彼女は覚えているそうです。これがきっかけで和声学と歌の勉強を始めた。 同じくその年、菅原洋一が "the old warehouse"を訪問、 Gracielaに感銘を受け、その3ヵ月後(1970年)日本へ招き菅原のリサイタルへの招待出演となった。日本の聴衆はタンゴの母国から来た Gracielaを絶賛した。 1971年には日本語でレコーディングしている。 Graciela Susana はアルゼンチンへ帰国、その後 Buenos Aires でTVやラジオに出演、 Uruguay 、 Brazil にもツアーした。 しかしこの間、日本では彼女の日本語のバラードを入れたアルバム「愛の音」は天使の歌声と賞賛され、「アドロ」、「サバの女王」などの情熱的で包容力を感じさせる歌声が日本人の共感を呼び、レコード売り上げは100万枚を超えた。 東芝EMIはゴールデン・レコードを彼女に授与する為、急遽彼女を日本へ呼んだ。 その後日本で長期のツアーを行った。アルゼンティン帰国後、タンゴやフォルクローレのレコーディングをDomingo Cures, Hugo Diaz, Chochó Ruiz, Enrique M. Francini らと行っている。 1996年には彼女の活動25周年を記念して、アルゼンチン大使 Sanchís Muñoz が「 アルゼンチン音楽を日本へ広めた功績表彰」を与えている。 2000年にピアニスト・作曲者 Oscar Alem とCDを出している。タイトルは "El viento viene del sur(the wind comes from the south)" 「風は南から」。また最近はアルベルト城間らと共演するなどして、南米音楽の素晴らしさを伝えている。 代表歌: アドロ、時計、サバの女王、別れの手紙、サン・トワ・マミー、カミニート、粋な別れ、白い想い出、少しは私に愛を下さい、街燈 http://www5.kcn.ne.jp/~ishino/gracielasusana/gracielasusana.html mail:gracielasusanaambrosio@hotmail.com
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