11. チベットよわー 2012年9月14日 16:08:04
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その違いは大きい・・・・実は僕は視覚では興奮しない人なのです。言葉や音声が中心。なのでAVなんか腐るほど見たが(北朝鮮製以外は全部といっていいほど・・・・イスラム圏は例外だったが、近年バルカン半島製に出会ったので呪縛から解かれた)音声をミュートすると、もうNHKの将棋番組みてんのとあまりかわらない。将棋のアシスタントのお姉さんのほうが萌えるわ。無論、中には例外がいて仕草や動作でエロチシズムの「文脈」を表現できる天才肌のオネイさんもいらっしゃるわけですが(以下、硬派シールドによって透明化)どうせ人がみてないだろうから、「俺達に明日はない」のネタを書いて与太ってやろう。 子供の頃、多人種国家の大都市を旅した。2泊3日のバックパッカーである。朝5時について、そこの都市の名前がついた大学の学生の運転するタクシーで「時間内どこでもツアー」のディールを受けてもらい観光スポットに降ろしてもらった。ジョギングをする人やホームレスにまぎれながらうろついてチャイナタウンで朝飯。さらに気まぐれに地下鉄に乗り、降り、歩き、バスにのり、また歩き、と彷徨うことを最終目的にしたように彷徨い、昼前に商業中心地の近くでまた乗り物を降りると、向こうから20台前半っぽい感じのオネイさんが声をかけてきた。 現地で、とはいっても少し離れた街のTV局にお勤めであったオネイさんは、まるで御登りさんの観光コースにあるような周遊フェリーの乗り口を探していた。とりあえずそこまで同行して、私ははじめに計画していたように郊外の地区を徘徊するため失敬したのだが・・・・オネイさんは少し風変わりな人でついてきたのだ。千葉県出身・・・・・それをきいて評価があがった。(荻野目)慶子と同じじゃん!結局名前もどこのTV局かも聞かなかったが千葉出身だけで十分なのだった。実は当の荻野目慶子もその時期、丁度、その街にお忍びで在住していたのだが・・・そんなことは知る由もなく、慶子の影武者である房総半島っ娘とスラム街をただテクテクと歩く遠足にでたのだった。 ずっと話していたのは、ロックのこと。映画のこと。オネイさんは見た目は6.5/10くらいだったが、とにかく本物の慶子(10/10)のように前向きで女らしくて意志が強そうでそれでいて夢見がちで、メディア業界に希望や迷いをすべて託して全力投球しているような覇気が感じられ、一緒にいてそれは楽しくあると同時に、陰鬱で自暴自棄で抗鬱剤がないと一時間と外に出れない悲惨なティーンである自分にとっては残酷な現実からの使者のようにうつっていたのだった。オネイさんは活き活きとした調子でこういった「ワタシは、俺達に明日はない、とかそこらへんに憧れてたかなあ」と。アメリカン・ニュー・シネマなのだった。 それから、別の場所で深夜に待ち合わせする約束をしてから(〇〇〇のTV局は暇なのか・・・・)地下鉄の駅のそばで別れた。「よかったら、泊まっているところに合流してもいいよ」と言われたが(〇〇〇のTV局は孤独者の味方か・・・・・)断った。その後の話は・・・・・得に自分としてはなんてことはなかったのだが、どんどん現実に閉じていく自分、同情的に振舞う千葉女・・・・・偽善の旋律に首をしめられているような記憶が何度か後で蘇った。青春の影かw! 30歳ちかくなってから、偶然視聴していたTBSの週ドラをみて笑った。その時のエピソードがそのままドラマになっていたからだ。無論、偶然の一致とか、関連妄想とか、そういう類ではなく、明らかにそのプライベートなシチュエーションが脚本過程で導入されていたのである。私はその某大都市に転勤のきまった東大卒の商社マンだった。こらこら嫌味か、と突っ込みをいれたが、それだけではない、その男は主人公の彼氏で隠れゲイだったのだ!こらこら、それは違うだろ!と突っ込みをいれたが、主人公(某アイドル)が別れ際に語った長い台詞をきかされて、なんとなくどうして自分がネタにされたのかが分かった気がした。プロデューサーは現在のTBS取締役である。 俺達に明日はあったのか・・・・・たはは・・・・俺にわかっていることは俺は千葉より神奈川派だということだ。
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