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BBCドラマ『ケンブリッジ・スパイズ』について
英国史上最悪にして、スパイ史上最も成功した男達。
『Cambridge Spies』はキム・フィルビー、アントニー・ブラント、ガイ・バージェス、ドナルド・マクリーンの英国史上最も悪名高い二重スパイ達の物語。
ドラマは1930年代のケンブリッジ大学から始まり、ナチス・ドイツの台頭から1940年代の第二次世界大戦を経て、1951年にマクリーンとバージェスがソビエト連邦に亡命するまでを史実を踏まえながら描いたもの。
ケンブリッジ・トリニティ・カレッジ(写真:左)卒の上流階級出身の四人の青年等がいかにしてスパイ活動に加わり、ファシズム打倒を目指して戦い、大義のために人生と家族を犠牲にし、絶えまない精神的苦痛や不安に苛まれつつ、時代に翻弄され、結果として母国・英国を去らねばならなくなったか、を当時の歴史的事実を再現しつつドラマ化。四人の堅い友情と信念、そして結束を描いた、全4話からなるドラマであ〜る。
どんな内容なんでせうか?
『ケンブリッジ・スパイの輪』と呼ばれた悪名高い四人組はいずれも名家の出身であり、その卓越した頭脳から将来を約束された超高級エリート達だった。
彼等は外務省、国家情報局、国営放送、王室の美術アドバイザーなど、国家の重要機密をあつかう各部署の中枢部に勤務しつつ、実に20年もの期間に渡って極秘の内に機密情報を『モスクワ(写真:KGB本部)』へ流し続けていたのである。
旧態然とした英国国家に見切りをつけ、ファシズム政権打倒のために共産主義国家と手を組み、二つの国家に貢献していた二重スパイ達。やがて時代や政治情勢の波に翻弄され、次第に主義実現のための『行動』の目的が狂いはじめる。
1920年代初期、ソビエト情報機関は、英国情報を収集するための基礎となる機関を英国内に設立する計画をたてた。計画実践のためには、政府やメディアの中心部で影響力のある地位につける様な人物が必要だ。かくして1934年、『国家エリート』を数多く輩出しているケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジから共産主義に賛同する(そしてヒトラーのファシズム政権に反対する)聡明な四人の学生達が選ばれ、ソ連エージェントによって二重スパイとして教育されたのである。
彼等は『モスクワ』の期待以上に目覚ましい昇進をとげ、国家の主要な重要部署で最高の地位を得るようになった。その結果、ソビエト情報機関はその歴史において、かってなかった程の重要情報を手に入れる事に成功したのである。
しかし、多くの英国民(と米国民)の死に結びつくような数々の情報をも国外に流したことによって、彼等は『英国を売った男達』として後世に名を残すことになったのである。
■ 観光名所盛り沢山!撮影場所の数々。
ケンブリッジ大学のシーンはKings CollegeとSt John's Collegeで撮影されました。3人が裸で飛び込むのはもちろん、学内を流れるケム川です。
ロンドン・シーンでは市内の各所が使われています。
スパイ達の住居はモンタギュー・ストリート(Montagu Street)にあるフラット、ドナルド・マクリーンのロンドンの家はサウス・パレード(South Parade)で、カール・マルクスの墓はハイゲート墓地(Highgate Cemetery=実際にここにあります)で、撮影されました。
また、Regents Park、St James Park、Hyde Park(Serpentine Bridge、the Italian Fountainなど)など、ロンドンにある数々の公園も舞台として使用されています。
オフィスの場面はBethnal Green Town Hall、ウィンザー城はWrotham Park、ケンジントン・パレスはHam Housなどが使用されました。また、ベネチアのシーンはバルセロナで、ゲルニカのシーンはマドリッドで撮影されました。
噂の四人を演じる四人
Samuel West (Anthony Frederick Blunt)
アントニー・ブラントを演じるサミュエル・ウエストは両親も俳優という芸能一家の出身(母:Prunella Scales、父:Timothy West)。彼自身も青年時代、社会主義労働者党のメンバーだった時に共産主義思想に共鳴した経験を持っている。
「僕の家には毎日『デーリーメール』(家政婦さん用)と『ニュースライン』(バネッサとコリン・レッドグレーブが発行していた労働者革命党の日刊誌・家族用)の二種類の新聞が配達されていたんだ。別にその思想に共鳴しろと強制されていた訳じゃないけど、そのエトス(注釈:道徳的基本理念とでも申しませうか)で成長したもので、自然にそういう考え方になったんだ。」
ウエストはブラントがマルクス主義の理想に興奮したのだと信じている。「彼の尊大さは彼にとって致命的なものだったと思う。でも、僕も国への忠誠心は人間の尊厳への忠誠心より上であるべきではないと考えている。現在では『主義・理想』より『個人そのもの』を大切にすることにより焦点が当てられている。それがブラントや彼の同士達と、今日の学生達との違いだね。」
サミュエル・ウエストは1966年6月19日生まれ。
オクスフォードで英文学を学んだ『シェーキー*命!』なお方。2002年のプロムス・ラストナイトにもウォルトン作曲『ヘンリー5世組曲』の語りとして出演しました。映画出演作は『ハワーズエンド』、『キャリントン』、『ジェイン・エア(ゼフィレッリ監督の)』、『アイリス』など。次回作は超期待作の『Van Helsing』でVictor Frankenstein博士!
アントニー・フレデリック・ブラント(1907-1983):
フランス語教授、美術史家、エリザベス女王の芸術アドバイザー。第二次世界大戦中はMI5に所属し、ダブル・エージェントとしてKGBのために活動した。『第4の男』として知られる
アントニー・ブラントは多少冷酷な感じがする男ではあったが、背が高く、魅力的で、威厳がある根っからの共産主義者だった。祖父は英国国教会監督であり、父は英国国教会教区牧師であった(母は女王の従姉妹)。同性愛者であり、短い間ではあったがブラントとバージェスは恋人同士だった。情熱的関係が終わった後も、二人は堅い友情(愛情?)関係で結ばれ続けた。戦時中ブラントはMI5に所属し、英国同様、米国FBI(Federal Bureau of Investigation=米国連邦捜査局:司法省捜査部局)にも貢献した。
戦後、美術史の専門家であったことからロンドン大学の美術史教授など、数多くの芸術関連の仕事に携わった。また、The Courtauld Institute of Artの所長を勤め、王室付芸術アドバイザーでもあり、1956年にはナイト爵に叙された。女王とブラントとの関係はアラン・ベネットの舞台劇『A Question of Attribution』で再現されている。
ブラントがロシアのスパイだったと自ら公表した直後、当時の英国首相・マーガレット・サッチャーは彼からナイト爵位を剥奪した(1979年)。
*William Shakespeareのことです。
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Toby Stephens (Harold Adrian Russell "Kim" Philby)
スティーヴンズにとって、フィルビーを演じることは特異な経験だった。フィルビーは最も成功した二重スパイであり、最も長い期間活動していた人物であるが、スティーヴンズは彼の事をまるで知らなかったのだ。しかも他のスパイ達と同様、フィルビーのソビエト・エージェントとしての活動の正確な内容は容易に知る事はできなかった。
「彼に関する覆い隠された真実を知ることは仲間の生命に関係することでもあるんだ。だから事実を突き止めることがとても困難だと分かった。第一に、MI6はフィルビーがスパイであったという事実に非常に困惑して、彼に関するどんな情報も公表したくはなかったんだ。第二に、彼がモスクワで書いた自伝は国家保安委員会(KGB)によって綿密に調べられたものだし、(事実を知るための)資料としては役に立たないと分かったんだ。」
「何が真実で何が間違いかを知ることは不可能だった。その結果、フィルビーについての実際の話を知っている人物がそれほど多くいる訳では無い、という結論に至った。それで、『悪漢』としてではなく、(脚本家の)ピーター・モファットが創造した『人間』としてのフィルビーを演じる事にしたんだ。」
トビー・スティーヴンズは1969年4月21日、ロンドンのMiddlesex Hospitalで生まれる。
父はサー・ロバート・スティーヴンズ、母はデーム・マギー・スミス。両親とも名優!おまけに二つ違いの兄クリス・ラーキンも俳優という芝居好き一家。主な映画出演作は『オルランド』、『12夜』、『オネーギン』など。TVドラマで『華麗なるギャツビー』もやってます。最新作はボンド映画『ダイ・アナザーデイ』。
ハロルド・エイドリアン・ラッセル・フィルビー(1912-1988):
記者、MI6エージェント。『第三の男』として知られる
キムは高名なアラビア語学者セントジョン・フィルビーの息子としてインドに生まれた。
父はインドのサウド王のアドバイザーであり、外交官であり、ある意味では英国スパイとも言えた。彼は常に英国政府に批判的であり変人としても知られていた。キムは父を尊敬し、畏怖の念を抱いていたようだ。
『キム』という愛称は『ジャングル・ブック』で有名なラジャード・キップリングの小説の主人公・キムからつけられた。ハロルドとキムは生い立ちや性格が良く似ていたからである。
キム・フィルビーはスパイ史上、最も成功した者の一人だ。10年間もの間、英国秘密情報局(SIS)の幹部職員として国家に貢献した彼は、実はソ連の国家保安委員会(KGB)のためにも貢献していた二重スパイだったのである。キムはケンブリッジ在学中にKGBに興味を持ち、その活動に参加しはじめる。そして次第にブラント、バージェス、マクリーンと共に不名誉な『ケンブリッジ・スパイの輪』を形作るのであった。
彼はどんな状況にも応じてカメレオンのように自在に対処できる才能を持っていた。しかも彼の卓越した知性はKGBを欺くための囮情報を見抜くほどであり、ずば抜けた感覚と堂々とした態度も身に付けていた。彼は英国の共産党員イーディス・チューダー=ハートにスパイとして募集され、1934年アーノルド・ドイチェによってNKVD(後のKGB)から指示を受けていたと語っている。
彼の自伝『My Silent War』によれば彼がバージェスとマクリーンをスパイ仲間に引き込んだことになっている。キムの証言には常にこの類いの、事実と異なる『疑惑』部分があり、必ずしも真実が述べられているという確証はない。歴史家によれば彼の証言は事実と異なるが、いずれにせよ彼等四人がケンブリッジで大変仲が良かったことは周知の事実である。
ブラントやバージェスと異なり、キムは『活動的』な異性愛者だった。生涯に四人の妻を娶り、さらに『独身中』には数多くの愛人がいた。最初の妻は共産党員、最後の妻はロシア人で知人に紹介されて結婚したが、二人めと三人目の妻はキムの実際の仕事の内容は知らなかった。また二人とも人妻だったが、キムと恋に落ちて夫を捨てて彼の元に走ったのである。
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Tom Hollander (Guy Francis De Moncy Burgess)
ホーランダーが演じるのはガイ・バージェスだ。派手好きで破廉恥な同性愛者=アントニー・ブラントの友人で恋人=ドナルド・マクリーンとキム・フィルビーを『リクルート』し、共産主義運動を支援させた男。しかし、バージェスの新人募集技術は多少、一般的な基準からはずれていた。彼は学内で最もルックスの良い若者を選び、彼等を『政治的』と『性的』の両方で魅了することを試みたのである。
ホーランダーは、バージェスとマクリーンが非常に感情が豊かな人物だったと確信している。彼自身、二重スパイであることで最も困難な事は「正直さと信頼に基づいた関係」を他の誰とも持つことができないという事であると思うからだ。
「四人の強い結束は彼等以外の他者からの孤立でもある。四人は互いに本当に分かり合える唯一無二の仲間だった。しかし結局、彼等二人は精神的にまいってしまい、仲間はバラバラになってしまうんだ。」
トム・ホーランダーは1969年、オクスフォード生まれ。
サム・メンデス(『アメリカン・ビューティ』の監督ね)といっしょにケンブリッジ大学に通っていたそうです(仲良し?)。主な出演作は『ゴスフォード・パーク』、『エニグマ』、『Some Mother's Son』など。お歌も得意らしく、彼がMacHeathを演じた『三文オペラ』のCDも出ているそうな。
ガイ・フランシス・デ・モンシー・バージェス(1910-1963):
BBCキャスター、MI6エージェント。英国外務省ヘクター・マクニール副外務大臣秘書としてロンドン、ワシントンで勤務
ガイ・バージェスは非常にハンサムで魅惑的な男で、極度のアル中患者だった。その行動は常に予測不能で自暴自棄気味でもあった。乱雑で攻撃的な性格でもあり、情緒的な繋がりより性的な征服の方を好むようにも見えた。バージェスの父は海軍将校だが、彼は将校に『なりそこなった』息子であった。おまけに秘密諜報部員として備えているべき特性は何一つ持ってはいなかった。おおよそ『スパイ向き』では無い人物だったのである。
ケンブリッジのトリニティカレッジで最も聡明な学生であったにもかかわらず、大学卒業後の彼は主だった仕事はしていなかった。ただ飲んだくれてあちこちで同性愛問題でスキャンダルを起こしていただけである。しかし、BBCのプロデューサー職を得て、政治番組『The Week in Westminster』を担当するようになってからは、英国首相ウィンストン・チャーチルを含む国家の重要人物達とことごとく知り合いになり、政治の世界の『裏の事情通』へと変貌をとげたのである。そして、彼の各方面の『友人』や『賛美者』達がもたらす数多くの情報が、ソビエトにとっては非常に有意義なモノばかりだったのである。
外交官であり作家でもあるハロルド・ニコルソンは1950年1月25日、彼と会食した時の印象を妻(ヴィタ・サックヴィル=ウエスト)に書き送っている。
『夕食はガイ・バージェスといっしょだった。ああ、ヴィタ、彼はどうなってしまったんだろう。同席して酒を飲んでいるのが苦痛だった。ガイは僕の知り合いの中でも最も鋭い感性と知性を持ち合わせている男の一人だったのに。とてもとても哀しいことだ。目の前にいる彼は、まるで昔の彼の抜け殻のようだったんだ。いいや、実際には彼は酔いつぶれていた訳じゃないんだよ。でもまるでよれよれだし、無気力なんだ。僕はそんな彼に腹が立ってしまったよ。』
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Rupert Penry-Jones (Donald Duart Maclean)
ペンリージョーンズは、マクリーンの父親への忠誠心と共産主義への傾倒こそが、彼の心を二つに引き裂いた要因だと考えた。
「マクリーンは四人のケンブリッジ・スパイの中で最も繊細な男だったと思う」と彼は説明する。「二重生活を送る事で最も困難な事は、彼の父親が非常に厳格な政治家であったという事実だろう。もし父親が彼が選択した行動を知ったとしたら、草葉の陰で嘆くだろうからね。彼は一生涯、『自分は父親を裏切った』という罪の意識に苛まれていたと思う。父親の生死に関係なく、一生続く精神の葛藤がね。」
「誰であれ、彼等が信念のために立ち上がったこと自体を否定できるとは思わない。それが共産党かナチかの選択だったとしても。特にあの時代は、オクスフォードやケンブリッジに通うような上流階級の人々にとって会員制クラブに属することが人生の一大目的の様な時代だし。自分達だけの秘密クラブを持ちたいという様な考え方も大いに彼等に影響を与えたと思うね。」
ルパート・ペンリージョーンズは1970年9月22日、ロンドン生まれ。
主な出演作は『シャーロット・グレイ』、『ヴァーチャル・セクシュアリティ』、『ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ/Hilary and Jackie』などに出ています。
(上記お三方のファンの皆さん、ごめん。ルパちゃんだけ前に作った別ページがあるの。)
ドナルド・ドュアート・マクリーン(1915-1983):
パリ、ワシントン、カイロおよびロンドンで外務省秘書を勤める
美貌の男ドナルド。しかし彼はブラントの様な冷徹な態度も、頑強な神経も持ち合わせてはいなかった。父はスタンリー・ボールドウィン首相時の国会議員であり教育長官であった。バージェスはケンブリッジで彼を誘惑したと主張していたが、実際にはマクリーンには同性愛嗜好はなく、まったくの異性愛者であったらしい。
勤勉実直な男であったが、アルコール中毒症状の傾向がかなり強かったようで、カイロ赴任中に起こした泥酔事件の後『神経衰弱状態』からの『回復目的』を理由にロンドンに戻された。しかし、医師の退院許可が出た数カ月後には英国外務省のアメリカ支部のチーフ・デスクの地位を与えられ、渡米した。
英国外務省内部にコードネーム『ホーマー』という二重スパイがいるらしいという疑惑が発覚した1951年当時、彼等にとって不利な証拠はほとんど無かった。しかし、当時ワシントンに駐在していたフィルビーとバージェスは審問会が開かれれば(その精神的もろさから)マクリーンは自らのスパイ事実を認めるだろうと考えたのである。かくして極秘の内にマクリーンはバージェスに伴われてソビエトへと亡命したのである。実に審問の二日前のことであった。
彼の妻子も後にソビエトで合流したが二人の結婚生活は続かず、妻メリンダは離婚後米国へ戻った。しかしマクリーンは共産主義への貢献を信じ、ソ連社会へ統合するために精力的な努力を続けた。ロシア語を学習し、英国外交問題の主要エキスパートとしての地位を確立したのである。彼は生涯、初心を完全に貫き通し、共産主義の理想を保持してあらゆる特権を避けた生活を送った。また、ソ連のリーダーに反対意見を唱えることを躊躇せず、収入の一部を反体制派として拘束された者の家族のための資金にし、彼等と党との仲裁を勢力的に行った。
マクリーンは1983年に心臓発作で死亡したが、彼の意志により、遺灰の一部は英国に『帰国』した。
Part 1
1934年:ケンブリッジ
ケンブリッジ大学・トリニティ・カレッジの学生、アントニー・ブラントとガイ・バージェスは彼等と共にあらゆる困難に立ち向かえる知性と行動力を兼ね備えた人物を探していた。共通の友人ジュリアン・ベルも有能な人物ではあるが、彼はあまりに『優し過ぎる』。目的達成のためには、強靭な精神と同時にある種の抜け目なさも必要なのだ。
二人はキム・フィルビーとドナルド・マクリーンに目をつけ、それとなく誘いをかける。日頃から英国の階級意識からくる貧富の差や不平等に憤りを感じていたキムとドナルドは、学内で最も優秀な先輩達に誘われてがぜんハッスルする。
ある日、学食のウェイター達が労働環境改善を求めてストを決行する。
料理はあるのに(コックはストをしなかったんですね)サーブするものが誰もいない。キムは一人席を立ち、テーブルから自分で料理を取り、席にもどった。あぜんとする教授連を尻目に、堂々と食事を始めるキム。ドナルドとガイをはじめ、賛同の拍手喝采をする学生達。怒って食堂から出て行く学生達。
キムはストを起こしたウエイターの一人、マイケルが封筒を受け取っている所を目にする。直後、彼はガイといっしょに建物の中へ入っていく。ところが突然、学長と教授がガイの部屋を訪れ、ガイはマイケルとの『違法行為』を目撃されてしまう。しかもマイケルはガイにそそのかされてスト行為に及んだと証言したのだ。
キムはマイケルが金を貰ってガイをはめたことを問いつめるが「貴方の様な金持ちのお坊ちゃんには何もわからない」と逆になじられ、憤慨する。事実を伝えにアントニーに会いに行くと「本当にこの世界を変えたいとおもっているなら」と「君の部屋にある『白鯨』に挟んである封筒を読んでくれ」と言われる。封筒の中身は『手順書』だった。諜報部員としての素質を確かめるためのテストだったのだ。とうとう『仲間』になれるのだ、と興奮するキムとドナルド。
キムは最初の仕事としてウィーンに封筒を届けに行くことになる。
宿の主はリッツィー・フリードマンという共産党員の女性。彼女は秘密裏にユダヤ人をドイツ軍の手から逃す活動を手助けしていた。キムの『配達』仕事が無事に終わり帰国しようとした時、彼女が逃がそうとしたユダヤ人教授と仲介者が彼等の目の前で撃ち殺されるという事件が起きる。彼女の身の上を案じたキムは、彼女を安全な場所=英国へ連れて行こうと考える。ためらう彼女にプロポーズするキム。
フィルビー夫妻として帰国したものの、アントニーの表情は暗かった。
彼女はオーストリアでは有名な共産党員だ。しかし、これから彼等が『情報を集めに行く場所』は共産思想とは正反対の人々しか居ない場所、『国家の中枢部』なのだ。
彼等の人生に疑惑の元となるような『反体制的』な痕跡があってはならない。彼女は『フィルビー夫人』ではいられないのだ。
キムは「貴方は私に人生の喜びを再び与えてくれた」と感謝するリッツィーに「恋愛感情からではなく、人道的立場からしたことだ」と冷たく別れを告げるのだった。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Stage/1269/cambridge/index.html
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