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(レビュー)ロシア・ピアニズム名盤選25 ヴェデルニコフ/ブラームス&ウェーバー
ベデルニコフ(アナトリー) | 形式: CD
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5つ星のうち 5.0
満州が生んだ偉大なピアニスト、ヴェデルニコフの遺産 2006/8/9
By 西岡昌紀
アナトリー・ヴェデルニコフ(1920−1993)は、1920年5月5日、満州のハルビンで生まれた。1933年までハルビンでピアノを学び、上海などでピアニストとして活躍し、1935年には、初めて日本を訪れて居る。しかし、その翌年(1936年)、16歳の時に、家族と共にソ連に「帰国」してから、彼と彼の家族の悲劇は始まる。ロシア人として、ソ連に帰国したヴェデルニコフは、モスクワ音楽院でネイガウスに師事し、ピアノを学び続けるが、帰国した翌年の1937年、両親は逮捕され、父親は、スパイ容疑で、リヒテルの父と同様、処刑されてしまふ。又、母も収容所に送られ、若いヴェデルニコフは、「帰国」したソ連で、ピアニストとして精進しながら、悲惨な青春を送る事と成る。ヴェデルニコフは、同じネイガウス門下のリヒテルと親交を結ぶが、こうした経緯から、永く、外国公演を許されなかった。1980年代、60台に成り、やっと、国外への旅行が可能と成ったが、58年ぶりに日本を訪れる直前の1993年7月29日、日本を見ずに急死する。
この様な悲劇的な一生を生きたヴェデルニコフであったが、生前の彼の演奏が、このCDを含めて多数残され、私達日本人に、彼との「再会」を果たさせてくれた事は、私達にとって、せめてもの慰めである。
このCDでは、躍動感に溢れたウェーバーのピアノ・ソナタが素晴らしい。ブラームスは、私個人は満足出来無いが、緊張感に溢れた演奏である。−−ヴェデルニコフ氏の冥福をお祈りする。
(西岡昌紀・内科医/ソ連軍が満州に侵攻して61年目の日に/ショスタコーヴィチの命日に)
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