http://www.asyura2.com/12/music8/msg/334.html
Tweet |
(回答先: 愛の新世界 投稿者 チベットよわー 日時 2012 年 7 月 08 日 15:49:09)
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=200601/09/63/d0063263_2071254.jpg
「コンヴィチュニー」が「新世界」の録音を残していることなど恐らくほとんどの皆さんは、ご存じないと思う。「ドイツ音楽」の伝道師的なレッテルをずいぶん貼られていたのであるが、漸く最近になり、未発掘の録音が世に出るにつれ、それだけでは語れない「コンヴィチュニー」の側面が見えてきたような気がしている。
「ショスタコーヴィッチ」の10・11番は初演直後に、素晴らしい演奏をしているし、「チャイコフスキー」も4・5・交響曲の録音を、「ブルックナー」においても、4・5・7・8・9番の優れた演奏の成果を残しているし、「R・シュトラウス」はもちろん、「マーラー」をも録音したと言われる。ブラームスも1番以外に4番があるし来日時には2番も演奏した。
60歳という短命では余りにももったいない。もう少し命を永らえることが出来たなら、「指輪」全曲をステレオで残しているだろうとことを思うと、非常に残念だ。
そして「ドヴォルザーク」であるが・・・「コンヴィチュニー」は「モラヴィア」出身であるから、チェコ・スラブ系の人間であるし、晩年にはモッパラ、「チェコフィル」と演奏会や録音活動をした。「コンヴィチュニー」が客死したのも、「チェコフィル」との演奏のスケジュール期間であったという。生粋の「ドイツ音楽」の名手といわれた「コンヴィチュニー」は元来ボヘミア地方の出であったわけだから、「ドヴォルザーク」を演奏することには「ベーム」のような躊躇などは皆無であったといえよう。
もう少し長生きをしていたら、かなり高い確率で「チェコフィル」とのドヴォルザークなど聞かせてくれたと想像する。
しかし残されたのは「バンベルク交響楽団」との演奏である。「エテルナ」レーベルのステレオ録音だから恐らく1960年から1962年の間の録音である。「コンヴィチュニー」と「バンベルク響」との録音は多分唯一この「新世界」しか残されていないし、この頃の録音データには誤謬が大変多いから、ひょっとしたら、「バンベルク響」でなく「チェコフィル」との演奏であるということも考えられるが、聴いてオケの特色が分かろうはずも無いので、一応表記どおり、「バンベルク響」であると信じることにする。
しかし・・・こんなことを言っては失礼なのだが、小生の知る「バンベルク響」にしては大変上手すぎるることを、あえて付け加えておく。しかし全体に漂う「乾いた、渋め」の音色はやはり「バンベルク響」なのだろう。
イングリッシュホルンの音色は「痺れる」ほどの哀愁を漂わせる。これはとても「うまい」。
ここでも「コンヴィチュニー」は、かたくなに自分のテンポを守り通して・・「いい塩梅」・・で音楽を進めてゆく。
この「新世界」を「ドイツ的」演奏、とする諸氏が居るのを承知しているが、一体そういう人は本当にこの演奏を聴いたのか・・と小生などは不思議に思ってしまう。
最も・・・「ドイツ的」という言葉で何を表現したいのか良く分からないので無視しても良いのだが・・・
ドヴォルザークの有名な弦楽四重奏に「アメリカ」があり、数々の演奏があるが、その中でも最も高名なのが「スメタナ・カルテット」の新旧の両演奏で、いずれも小生が好きな演奏ではあるのだが、さらに好きな演奏に、「ヤナーチェク・カルテット」の演奏(旧盤)がある。
この「ヤナーチェク」の演奏する「アメリカ弦楽四重奏」(1960年代旧録音)一楽章の第2主題の表現の仕方、アーティキュレーションを聞いたことがおありだろうか。
「シンコペーション」気味に音を刻んで、わざと速めに弾きくことで後のほうで時間が余ってしまうのを「微妙なパウゼ」を入れ調整するやり方は、「ウインナーワルツ」の「拍」にも似て、小生には「プリミティヴ」であり「土俗的」「民族固有の伝統」であるように感じられる。
その部分を含めてなのかは分からないのだが、当時から「ヤナーチェク四重奏団」の「アメリカ」は、「スメタナ四重奏団」と比較すると、より「民族的」「土俗的」と、その評価は高いものがあった。
「コンヴィチュニー」は「新世界」で他の誰もいままでやったことの無い前人未到のことをやってのけているのである。
(ロジェストヴィンスキーとソヴィエト国立放送交響楽団1973年がそれに近いものがある)
一楽章の第2主題・・・フルートが旋律を奏でで、その後に弦楽器がほぼ同じ旋律を、追想するように奏でるのであるが、そのフルートと後の弦楽器が同じ旋律を奏でる「つなぎ」の弦楽器の装飾的に音が上昇していくとこオところで、なんと・なんと「ヤナーチェク四重奏団がいみじくも「アメリカの一楽章第2主題で行ったのと同様の「シンコペーション的アーティキュレーション」をやっているのである。
この部分を最初に聞いたときに小生はものすごく驚き、そして其れがこの「新世界」に「特別な思い入れ」を持つ大きなポイントとなったのであった。この部分だけを取り上げても、「コンヴィチュニー」の「新世界」が「ドイツ的」などという形式的見解は崩れ去ると思うのだ。
いつ何時聴いても「スラブ」あるいは「ボヘミア」の「血」のような表現のように聞こえてしょうがない。
この曲が「擬似循環形式」といってもいいように、前の楽章の主題が登場し印象付けるし、最終楽章にはほとんど全ての楽章の主要メロディが登場するから、「くどさ」が残ることを百も承知で、「コンヴィチュニー」は丁寧に「繰り返し」を行っているのだが、細かいところで繰り返しのニュアンスをいつも変化させるし、クレッシェンド、デクレシェンドを柔軟に駆使して音楽的躍動を与えるから、「繰り返し」をやっても・・・繰り返し部が決して邪魔にならないどころか、やってくれてよかったと思える演奏をする、数少ない指揮者の一人なのである。
並み居る「巨匠」と呼ばれる指揮者たちが、何を思ってのことなのか、「繰り返し」を避ける傾向に有るにも拘らず、立派にやって音楽が生きている・・・こういう点が「ベートーヴェン」の交響曲においても然りだが、「コンヴィチュニー」の実力である。「コンヴィチュニー」の「繰り返し」は積極的に聞きたいといつも思うのである。
残念なことにこの演奏は昔CD復刻されたが、すぐに廃盤となりいまだに日の目を見ない。2002年相次いで発売された「コンヴィチュニーの芸術」BOXにも入っていなかったし、中古ショップでもお目にかかることが無い。全く売れなかったのか、手放さないのかは分からないが、復刻再発が待ち遠しい録音である。
このように素晴らしい「新世界」を聴くことのチャンスさえない状態にしておくことは、大いに問題がある。少しでも速く発売されるのを期待する。
--------------------------------------------------
Commented by 北極 at 2006-11-08 21:05 x
聴いてみたいのですが廃盤だそうです。
この指揮者は間の取り方が実にいいと思います。
オイストラフとのチャイコフスキーヴァイオリン協奏曲、息が合っていて
オーケストラは楽器それぞれの持ち味が引き出されていて
譲り合い競い合いテンポも絶妙です。
「新世界」はカレル・アンチェルとチェコフィル、ノイマンとチェコ・フィルのを時折聴きます。私はアンチェルの陶々とした演奏の方がしっくり来るので、これをコンヴィチュニーが演奏したらばと想像を巡らすのです。
復刻盤の出来を切に望む一人としてコメントさせていただきました。
Commented by 通りすがり at 2008-07-26 02:01 x
はじめまして。
コンヴィチュニーでサーフしていたらここを見付けました。
このレコード、LPですが私も愛聴しています。
戦前のベルリンに住んでいたドイツ人のおばあさんに聞いたのですが、戦後当時のバンベルク響の団員は殆どがチェコから移って来た人だと言う事です。
ですから、ご指摘のようなこうした演奏が可能だったのでしょうね。
興味深い解説、ありがとうございました。
Commented by noanoa1970 at 2008-07-26 09:37
>戦前のベルリンに住んでいたドイツ人のおばあさんに聞いたのですが、戦後当時のバンベルク響の団員は殆どがチェコから移って来た人だと言う事です
地図を見ると、意外と近いところにあることがわかりますから、その頃のチェコと旧東ドイツの人の行き来も当然考えられますでしょうね。楽団の交流なども、もしかしてあったかもしれません。
http://sawyer.exblog.jp/2502295/
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。