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フィリップ・K・ディック「くずれてしまえ」(ハヤカワ文庫 SF1805 アジャストメント 収録、原題"Pay for the printer" 浅倉久志訳)
2月にUSに出張した際、向こうで封切りになった映画The Adjustment Bureau(アジャストメント )のCMをしきりにやっていて、原作を読みたくなったが、収録されている短編集「悪夢機械」はすでに廃刊となっていた。4月に早川書房から「アジャストメント」という新しい短編集となって再録された。「くずれてしまえ」はその中の一短編で、同様に「悪夢機械」から再録されたもの。
あらすじの舞台は、核戦争後の文明が崩壊した地球。人々は戦火を免れたモノのコピーによるわずかな文明の残滓に頼って生活している。無機物だけでなく、食糧などもコピー品だ。戦争で灰になったモノを材料に、ビルトングという異星生物がコピーを作り出している。
コピー品は時間が経つとやがて灰に戻ってしまう。人々はオリジナル品やコピー品をビルトングの元に持ち寄り、再びコピーを作ってもらうことで物質文明を細々と継続していた。
ビルトングも生物であるから、やがて死を迎える。人類より長生きのビルトングではあるが、地球上での生殖活動はうまくいかず、地球上では絶滅の危機が迫っていた。
老衰するビルトングに群がり、コピーを強要する人々。瀕死のビルトングが作り出すコピーはもはやコピーとは言えないほど劣化した「プディング化」した役に立たないものになっていく。崩壊していく物質文明の中で、それでもなお、人々はビルトングに頼りきり、コピーによって文明を保とうと必死になる様子が描かれていく。
そんな中、物語の終盤で主人公の仲間が取り出したのは、自らが削り出した木のコップ。不恰好なそれは高級なグラスとは比べ物にならないほど原始的であるが、コピーではなく「創り出されたもの」。主人公達は、コピーに依存するのではなく、一から創り出すという手段があることに気付き、長い道のりになるだろうが文明を再構築する希望を見出すのだった。
これが最初に書かれた当時、1956年の社会情勢がどうだったか想像するしかないが、おそらく、アメリカの「ものづくり」もアジアの(日本の)安価な模倣品の前に、危機感を募らせていたのではないだろうか。2011年の今日、この物語を読むと、中国製の安価で粗悪なコピー品にあふれた身の回りと、その圧倒的な物量の前に瀕死の日本のものづくりの現状を想起せざるを得ない。
オリジナルを作ってきた国が、コピー品に対抗してコピー品を作るようになったら、ものづくりはもはや消耗戦でしかない。長年、アジアの国々の安価な労働力に支えられた経済に苦しんできたアメリカが、いまなお多くの成功した会社やブランドを保ち続けているのは、ものづくりの根幹にある「創り出すこと」を放棄しなかったからにほかならないのではないか。
物語の中で主人公の仲間は言う。
「コピーというのは、たんなる模写だ。創作というのがどんなことか、それは口では説明できない。あんたが自分でやって、さとるしかない。創作とコピーとは、まったくべつべつのものなんだよ」
(昔の優れた品物を見ながら)「いつかは、またそんな品物ができるようになる……だが、われわれはそこへたどりつくのに、正しい道を―困難な道を―一歩一歩上がっていくんだ」
(粗末な木のコップを見ながら)「いまのわれわれは、まだこの段階だ。しかし、これを笑っちゃいけない。こんなものは文明じゃない、といっちゃいけない。これだって文明さ―単純で粗末であっても、とにかく本物だ。
われわれはここから出発するんだよ
http://arap.way-nifty.com/siblog/2011/08/post-159e.html
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