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BBC制作 天才SF作家 フィリップ・K・ディック ドキュメンタリー
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投稿者 BRIAN ENO 日時 2012 年 5 月 31 日 07:56:55: tZW9Ar4r/Y2EU
 


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01. BRIAN ENO 2012年5月31日 08:00:21 : tZW9Ar4r/Y2EU : Mo3K8VpHSE
フィリップ・キンドレド・ディック(Philip Kindred Dick, 1928年12月16日 - 1982年3月2日)はアメリカのSF作家。

概要 [編集]

ディックの小説は社会学的・政治的・形而上学的テーマを探究し、独占企業や独裁的政府や変性意識状態がよく登場する。後期の作品では、形而上学と神学への個人的興味を反映したテーマに集中している。しばしば個人的体験を作品に取り入れ、薬物乱用や偏執病・統合失調症や神秘体験が『暗闇のスキャナー』や『ヴァリス』といった作品に反映されている[4]。

1963年、歴史改変SF『高い城の男』でヒューゴー賞 長編小説部門を受賞[5]。1975年、未知のパラレルワールドで目覚めた有名人を描いた『流れよ我が涙、と警官は言った』でジョン・W・キャンベル記念賞を受賞[6]。「私は私が愛する人々を、現実の世界ではなく私の心が紡いだ虚構の世界に置いて描きたい。なぜなら現実世界は私の基準を満たしていないから」とディックはそれらの作品について述べている。「作品の中で私は宇宙を疑いさえする。私はそれが本物かどうかを強く疑い、我々全てが本物かどうかを強く疑う」[7] ディックは自らを "fictionalizing philosopher"(小説化する哲学者)と称していた。

44編の長編に加え(2010年1月現在)[8]、ディックは約121編の短編小説を書き、そのほとんどがSF雑誌に掲載された[9]。ディックは作家になってからはほぼ常に貧乏だったが[10]、死後になって作品が『ブレードランナー』、『トータル・リコール』、『スキャナー・ダークリー』、『マイノリティ・リポート』といった映画になってヒットしている。『バルジョーでいこう!』(Confessions d'un Barjo )のような一般映画も、ディック作品を原作として生まれている。2005年、タイム誌が1923年以降の英米の小説ベスト100を掲載したが、そこに『ユービック』も含まれていた[11]。2007年、ディックはSF作家として初めて The Library of America series に収録されることになった[12][13][14][15]。

アメリカSFを全面批判した、ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムは、唯一ディックを称賛し、「ペテン師に囲まれた幻視者」と彼を評している。[16]

前半生 [編集]

父はアメリカ合衆国農務省の役人だった[17]。

1928年、イリノイ州シカゴにて二卵性双生児の一子として生まれる[18]。双子の妹ジェイン・シャーロット(Jane Charlotte)は40日後に死去。その死は彼の作品、人間関係、人生にまで影響を与え、多くの作品に「幻影の双子」のモチーフが登場する原因となった[17]。

その後一家はサンフランシスコ・ベイエリアに引っ越した。ディックが5歳のとき父はネバダ州リノに転勤になったが、母はついて行くのをいやがり、結果として両親が離婚することになった。親権は母親が得た。母はワシントンD.C.に職を得て、そこにディックと共に引っ越した。ワシントンD.C.では小学4年生まで過ごした。作文の成績は "C" だったが、教師は「物語を作ることへの興味と才能がある」と意見を記している。1938年7月、母と共にカリフォルニアに戻り、このころからSFに興味を持ち始めた[19]。ディックは後に1940年に初めてSF雑誌というもの("Stirring Science Stories"という誌名だったという)を読んだと述べている[19]。

バークレーの高校に入学。アーシュラ・K・ル=グウィンとは同じ高校の同学年(1947年卒)だったが、当時は互いを知らなかった[要出典]。高校卒業後にカリフォルニア大学バークレー校に進学してドイツ語を専攻したが、ROTCに参加するのがいやで中退した。バークレーでは詩人のロバート・ダンカンや詩人で言語学者のジャック・スパイサーと親交を結び、スパイサーはディックに火星人語のアイデアを与えている。ディック本人の言によれば、彼は1947年に KSMO というラジオ局でクラシック音楽番組の司会を務めていたという[20]。1948年から1952年まで、レコード店の店員として働いた。1955年、ディックとその2番目の妻であるクレオ・アポストロリデエスの前にFBIの捜査員が現れた。彼らはクレオが社会主義者で左翼活動をしていたせいだと思い込んだ。2人はそのFBIエージェントに一時的に力を貸した[21]。

経歴 [編集]

最初の小説「ルーグ」が売れたのは1951年のことである(何度も修正を指示され、雑誌に掲載されたのは1953年)。それ以降専業作家となり、商業誌に最初に作品が掲載されたのは1952年の「ウーブ身重く横たわる」である。1955年には長編『太陽クイズ(偶然世界)』が初めて売れた。1950年代はディックにとって最も貧しく苦しい時期で「図書館の本の延滞料すら払えなかった」という。SF小説を書いて糊口を凌いでいたが純文学を書くことを夢見ていた。この時期にジャンルに捕らわれないSF以外の長編をいくつか書いている。1960年、彼は「純文学の作家として成功するには20年から30年かかる」と書いている。しかし1963年1月、エージェントから売れなかった純文学作品を全て送り返され、純文学作家の夢が絶たれた。唯一生前に出版された純文学作品が『戦争が終り、世界の終りが始まった』である[22]。

1963年、『高い城の男』でヒューゴー賞を受賞[5]。SF界では天才として迎えられたが、エース・ブックスなどの原稿料の安いSF出版会社にしか相手にされなかったという面もある。その後も経済状態は好転しなかった。1980年に出版された短編集『ゴールデン・マン』でディックは「数年前病気になったとき、会ったこともなかったハインラインが何か出来ることはないかと助力を申し出てくれた。彼は電話で元気付けてくれ、どうしているかと気遣ってくれた。ありがたいことに電動タイプライターを買ってやろうと申し出てくれた。彼こそこの世界の数少ない真の紳士だ。彼が作品に書いていることには全く同意できないが、そんなことは問題ではない。あるときIRSに多額の課税をされてそれを払えずにいると、ハインラインがお金を貸してくれた。彼とその奥さんは私の恩人だ。彼らに感謝の印に本を捧げたこともある。ロバート・ハインラインは素晴らしい外見の男で、非常に印象的で軍人のような姿勢である。髪型に至るまで軍人としての背景が見て取れる。彼は私が頭のおかしいフリークだと知っていて、それでも私が困っていたときに助けてくれた。これこそが人間性というものだ。そういう人やものを私は愛している」と書いている。

1972年、ディックは原稿や資料をカリフォルニア州立大学フラトン校の Special Collections Library に寄贈し、それが Philip K. Dick Science Fiction Collection として Pollak Library に収蔵されている。フラトン校でディックはSF作家の卵だったK・W・ジーター、ジェイムズ・P・ブレイロック、ティム・パワーズと親交している。ディック最後の長編は『ティモシー・アーチャーの転生』で、1982年、彼の死後に出版された。

神秘体験 [編集]

1974年2月20日、ディックは親知らずを抜き、その際のチオペンタールの効果から回復しつつあった。追加の鎮痛剤の配達を受け取るためドアに応対に出ると、女性配達員が彼が "vesicle pisces" と呼ぶシンボルのペンダントを身につけていることに気づいた。この名称は彼が2つの関連するシンボルを混同していることに起因すると見られる。1つは2つの弧を描く線が交差して魚の形になっているイクトゥスで、初期キリスト教徒が秘密のシンボルとして用いたものである。もう1つは2つの円が交差した形の vesica piscis である。女性配達員が立ち去ると、ディックは奇妙な幻覚を体験し始めた。当初は鎮痛剤に起因するものと思われたが、何週間も幻覚が続いたためディックは鎮痛剤のせいだけではないと考えた。「私の心に超越的で理性的な精神が侵入するのを体験し、これまで正気でなかったのが突然正気になったかのように感じた」とディック自身がチャールズ・プラットに語っている[23]。

1974年の2月から3月まで彼は一連の幻覚を体験し、これを "2-3-74"(1974年2月-3月の意)と名付けた。ディックによれば、最初はレーザービームと幾何学模様の幻覚が見え、時折イエス・キリストや古代ローマの幻影が見えたという。幻覚は長さと頻度が増していき、ディックは自分が「フィリップ・K・ディック」であると同時にローマ人に迫害された紀元1世紀のキリスト教徒「トーマス」でもあり、二重の人生を生きていると主張し始めた。ディックは自らの体験を宗教的に解釈しようとし始めた。彼はその「超越的な理性的精神」を "Zebra"、"God"、"VALIS" などと呼ぶようになる。彼はその体験をまず半自伝的小説『アルベマス』に書き、さらに『ヴァリス』、『聖なる侵入』、『ティモシー・アーチャーの転生』というヴァリス三部作を書いた。

あるときディックは預言者エリヤが乗り移ったと感じた。彼は『流れよ我が涙、と警官は言った』が自身が読んだことのない聖書の使徒行伝の物語を詳細化した改作だったと信じた[24]。

結婚と子供 [編集]

ディックは5回結婚し、2人の娘と1人の息子をもうけた。すべて離婚して解消されている。
1回目: 1948年5月、ジャネット・マーリンと結婚。6カ月後(1948年)に離婚
2回目: 1950年6月、クレオ・アポストロリデエスと結婚。1959年に離婚
3回目: 1959年4月、アン・ウィリアムズ・ルビンシュタインと結婚。1965年10月に離婚 娘: ローラ・アーチャー(1960年2月生)

4回目: 1966年6月、ナンシー・ハケットと結婚。1972年に離婚 娘: イゾルデ・フレイア・ディック(1967年3月生)

5回目: 1973年4月、レスリー・バスビーと結婚。1977年に離婚 息子: クリストファー・ケネス(1973年7月生)

死 [編集]

ディックは1982年3月2日、カリフォルニア州サンタアナで亡くなった。その5日前に脳梗塞で倒れ、脳死と判定されてから生命維持装置を外され亡くなった。死後、父親が遺灰をコロラド州フォート・モーガンに持ち帰った。双子の妹が死んだ際、その墓にはディックの名も刻まれ、命日だけが空欄になっていた。ディックはその墓に妹と一緒に埋葬された。

後にディックのファンにより姿を似せた遠隔制御式アンドロイドが製作された[25]。このアンドロイドはサンディエゴ・コミコンでの『暗闇のスキャナー』映画化発表で壇上で披露された。2006年2月、アメリカウエスト航空の従業員がこのアンドロイドの頭部を紛失し、未だに見つかっていない[26]。

伝記 [編集]

ローレンス・スーチンの1989年の伝記『フィリップ・K・ディック 我が生涯の弁明』(Divine Invasions: A Life of Philip K. Dick) がディックの伝記の決定版とされている[27]。

1993年にはフランス人作家エマニュエル・カレールが Je suis vivant et vous êtes morts を出版。これが2004年 I Am Alive and You Are Dead: A Journey Into the Mind of Philip K. Dick として英語に翻訳され出版された。ディックの内面を描いた伝記的小説である[28]。そのため、普通の伝記に見られる出典・脚注・索引などがない点が批判された[29][30][31]。

脚本家で映画監督のジョン・アラン・サイモンはディックの小説『アルベマス』をベースとした伝記映画 Radio Free Albemuth を製作した[32]。

BBC Two は1994年にディックを扱ったドキュメンタリー Arena - Philip K Dick: A day in the afterlife を放送した[33]。

他にも The Gospel According to Philip K. Dick(2001)[34] や The Penultimate Truth About Philip K. Dick(2007)[35] といったドキュメンタリー映画が製作されている。

作風と作品 [編集]

ペンネーム [編集]

ディックはリチャード・フィリップス (Richard Phillips) とジャック・ダウランド (Jack Dowland) というペンネームを使って作品を発表したことがある。Fantastic Universe 誌1953年10月号に掲載された「生活必需品」はリチャード・フィリップス名義で掲載された。これは、「訪問者」という短編も同号に掲載されたためである[36]。

「ぶざまなオルフェウス」という短編はジャック・ダウランド名義で発表された。これは、主人公が偉大なSF作家ジャック・ダウランドのミューズとして霊感を授けようとする話で、作中でジャック・ダウランドはフィリップ・K・ディックというペンネームで「ぶざまなオルフェウス」という短編を書いたことになっている。

"Dowland" という姓はルネサンス期の作曲家ジョン・ダウランドにちなんだもので、ジョン・ダウランドはディック作品で何度か言及されている。例えば『流れよ我が涙、と警官は言った』の題名はダウランドの曲『流れよ我が涙』を引用したものである。『聖なる侵入』に登場する有名歌手リンダ・フォックスはリンダ・ロンシュタットがモデルだが、彼女の歌う曲は全てジョン・ダウランド作曲とされている。

テーマ [編集]

ディック作品は、「現実」というものの脆さと個人のアイデンティティの構築をテーマとすることが多い。何らかの強力な外部の存在によって(例えば『ユービック』[37])、あるいは巨大な政治的陰謀によって、あるいは単に信頼できない語り手の変化によって、日常の世界が実際には構築された幻影だということに主人公らが徐々に気づき、超現実的なファンタジーへと変貌していくことが多い。こうした「現実が崩壊していく強烈な感覚」は「ディック感覚」と呼ばれている[38]。「彼の作品は全て、単一の客観的現実は存在しないという基本的前提から出発している」とSF作家チャールズ・プラットは書いている。「全ては知覚の問題である。地面はあなたの足元から変化していく傾向がある。主人公は別人の夢の中で生きていることに気づいたり、薬物に影響されて現実世界をよりよく理解できる状態になったり、完全に違う宇宙に足を踏み入れたりする」[23]

パラレルワールドと「シミュラクラ」がプロットの道具としてよく使われ、その世界には普通の労働者が住んでいる。アーシュラ・K・ル=グウィンは「ディック作品にはヒーローがいないが、英雄的行為は存在する。ディケンズを思い起こさせるところもあり、普通の人々の正直さ、貞節、親切、忍耐を大切にしている」と書いている[37]。ディックがカール・グスタフ・ユングに大きく影響されていることは明らかである[39][40]。特に、集合無意識の元型、集団投影/幻覚、シンクロニシティ、個性化論などの影響が強い[40]。『テレポートされざる者』などではユング心理学の用語が実際に使われている。

ディックのもう1つのテーマとして「戦争」があり、特に戦争への恐怖と憎悪がある。Steven Owen Godersky は「酸素が水に溶けるように彼の作品全体にそれが染み付いている」としている[41]。

また、精神疾患もよく扱われるテーマである。『火星のタイムスリップ』(1964) に登場するジャック・ボーレンは精神分裂病の前歴がある設定である。『アルファ系衛星の氏族たち』は、精神病院の患者たちの子孫が形成した社会を描いている。1965年には「分裂症と『変化の書』」というエッセイを書いている[27]。

薬物使用(薬物乱用)もよく見られるテーマで、『暗闇のスキャナー』や『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』に顕著である。ディックは生涯のかなりの期間で薬物を使用していた。1975年のローリング・ストーン誌のインタビューで[42]、ディックは1970年より以前の作品は全てアンフェタミンを服用した状態で書いたと述べている。インタビューでディックは「『暗闇のスキャナー』がスピードを全く飲まずに書いた最初の長編だ」と語っている。短期間だけサイケデリックを試したこともある。しかしローリング・ストーン誌が「LSD小説の古典でありオールタイムベスト」だとした『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』を書いたのは幻覚剤を試す前のことだった。アンフェタミンを多用したディックだが、後に医師から彼はアンフェタミンの影響を受けない体質で、それが脳に達する前に肝臓が処理していると言われたという[42]。

受賞歴 [編集]
1963年 ヒューゴー賞 - 『高い城の男』[5]
1975年 ジョン・W・キャンベル記念賞 - 『流れよ我が涙、と警官は言った』[6]
1978年 英国SF協会賞 - 『暗闇のスキャナー』[43]

フィリップ・K・ディック記念賞はフィラデルフィアSFソサエティが主催するNorwesconで毎年授与されている。

影響 [編集]

ディックは多くの作家に影響を与えている。ディックの影響を受けたとされる作家としては、ウィリアム・ギブスン[44]、ジョナサン・レセム[45]、アーシュラ・K・ル=グウィン[46]がいる。ディックは映画製作者にも影響を与えており、ウォシャウスキー兄弟の『マトリックス』[47]、デヴィッド・クローネンバーグの『ヴィデオドローム』[48]や『イグジステンズ』[47]や『スパイダー』[48]、スパイク・ジョーンズの『マルコヴィッチの穴』[48]や『アダプテーション』[48]、ミシェル・ゴンドリーの『エターナル・サンシャイン』[49][50]、アレックス・プロヤスの『ダークシティ』[47]、ピーター・ウィアーの『トゥルーマン・ショー』[47]、アンドリュー・ニコルの『ガタカ』[48]、テリー・ギリアムの『12モンキーズ』[48]、ウェス・クレイヴンの『エルム街の悪夢』[51]、デヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』[51]、デヴィッド・フィンチャーの『ファイト・クラブ』[48]、キャメロン・クロウの『バニラ・スカイ』[47]、ダーレン・アロノフスキーの『Π』[52]、リチャード・ケリーの『ドニー・ダーコ』[53]や Southland Tales[54]、クリストファー・ノーランの『メメント』[55]といった作品がディック作品とよく比較される。

ソニック・ユースのアルバム『シスター』(1987)の一部はディック作品に着想を得ており、アルバムタイトルの「シスター」はディックの死んだ双子の妹を意味している。

Philip K. Dick Society はディックの作品を管理する団体で、友人だった音楽評論家ポール・ウィリアムズが設立した。ウィリアムズはディックの遺産管理人も務め、ディックの伝記 Only Apparently Real: The World of Philip K. Dick も書いている。

2010年のSF映画 "15 Till Midnight" はディック作品の影響を認めている[56]。

ポップカルチャー [編集]

ディックの死後、ディックを登場人物とした作品がいくつか書かれている。マイクル・ビショップのThe Secret Ascension(1987年、後に Philip K. Dick Is Dead, Alas に改題)は、ディックが純文学作家となっており、リチャード・ニクソンが支配する全体主義のアメリカでSFが禁止されている世界を描いている。

他にも次のような小説でディックが登場している。
マイクル・スワンウィックの短編 "The Transmigration of Philip K" (1984)
ブライアン・オールディスの Kindred Blood in Kensington Gore (1992)
Philip Purser-Hallard の Of the City of the Saved... (2004)
Victoria Stewart の戯曲 800 Words: the Transmigration of Philip K. Dick(2005) はディックの最後の日々を描いている[57]。

現代哲学 [編集]

ディックほど現代哲学に影響を与えたSF作家はいない。そのポストモダン性の予示は、ジャン・ボードリヤール[58]、フレドリック・ジェイムソン、スラヴォイ・ジジェクといった多くの哲学者に注目されている[59]。ジジェクはジャック・ラカンの考え方を明確化するのにディックの短編小説をよく利用する[60]。

翻案 [編集]

点字訳 [編集]

1975年、National Library for the Blind がディックに対して『高い城の男』を点字本にする許可を求めたところ、ディックは今後出版されるものも含めて全作品を点字にしてかまわないと返事をした[61]。そのため複数の作品が点字本になっている[62]。

電子書籍 [編集]

2010年7月17日現在、初期の11作品がアメリカ合衆国内でパブリックドメインとなっており、プロジェクト・グーテンベルクによって電子書籍化されている。詳しくは Dick, Philip K., 1928-1982 at Project Gutenberg を参照。

映画化作品 [編集]

多数のディック作品が映画化されてきた。ディック本人が1974年にジャン=ピエール・ゴランによって映画化されるはずだった『ユービック』の映画用脚本を書いたことがあるが、このときの企画は頓挫した。その後、ディック自らが書いたシナリオが出版された(『ユービック:スクリーンプレイ』)。また、ブライアン・オールディスが『火星のタイムスリップ』の映画化をスタンリー・キューブリックに薦めていた時期があったという[63]。映画の多くはディックの原題をそのまま題名にしていない。これについてかつての妻Tessa(レスリー・バズビー)は「実際、ディック本人がつけた題名が本の題になったことはほとんどない。いつも、編集者が原稿を読んだ上で題名を決めていた。フィルはよい題名が思い浮かばないとよく言っていた。それができるようだったら作家じゃなくてコピーライターになっていたでしょう」と語っている[64]。映画化作品の売り上げの累計は2009年現在で10億ドルに達している[65]。
ブレードランナー (1982) 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968) の映画化。監督リドリー・スコット、主演ハリソン・フォード。リドリー・スコットが監督に決まる以前から脚本が練られていたが、生前のディックはどの版の脚本も気に入らなかった。映画が最終的に撮影に入ってからも、ディックはどういう映画になるのかを気にしていた。彼は映画のノヴェライズの執筆を断っている。しかし2019年のロサンゼルスを描いた特殊撮影のシーケンスを見たディックは、「私が想像していた通りだ!」と驚いたという。ところがリドリー・スコットは原作を全く読んでいなかった[66]。その後ディックはスコットと映画のテーマについて話し合った。彼らの視点は全く異なっていたが、ディックはこの映画を完全に支持するようになった。ディックはこの映画が公開される4カ月ほど前に亡くなった。 トータル・リコール (1990) 短編「追憶売ります」の映画化。監督ポール・バーホーベン、主演アーノルド・シュワルツェネッガー。現実と虚構の混乱、人間に口答えする機械、自身のアイデンティティに疑いを持つ主人公といったディック的要素がある。 バルジョーでいこう! (1992) 普通小説『戦争が終わり、世界の終わりが始まった』の映画化。フランスでのディック人気を反映し、フランスで製作された。原作に最も忠実である。作中のテレビ番組にディックのSF短編がオマージュとして使われている。 スクリーマーズ (1995) 短編「変種第二号」の映画化。監督クリスチャン・デュゲイ、主演ピーター・ウェラー。原作は戦争で荒廃した地球が舞台だったが、異星に変更されている。主演を変えた続編 Screamers: The Hunting がオリジナルビデオ (DVD) として2009年に発売されている。 クローン (2001) 短編「にせもの」の映画化。なお、この短編小説は1962年にイギリスでテレビドラマ化されたことがある。 マイノリティ・リポート (2002) 短編「少数報告」[67]の映画化。監督スティーヴン・スピルバーグ、主演トム・クルーズ。原作とはプロットがかなり異なり、アクションシーンが追加されている。 ペイチェック 消された記憶 (2003) 短編「報酬」の映画化。監督ジョン・ウー、主演ベン・アフレック。 スキャナー・ダークリー (2006) 長編『暗闇のスキャナー』の映画化。監督リチャード・リンクレイター、主演キアヌ・リーブス、ウィノナ・ライダー。ロトスコープを使っている。 NEXT -ネクスト- (2007) 短編「ゴールデンマン」の映画化。監督リー・タマホリ、主演ニコラス・ケイジ。映画の舞台は未来から現在に変更されている。 アジャストメント (2011) 短編「調整班」(1954年) の映画化。主演マット・デイモン[68]。
映画化予定の作品 [編集]
King of the Elves - 短編「妖精の王」をディズニーでアニメ映画化(2012年公開予定)
Radio Free Albemuth - 『アルベマス』の映画化。既に完成し配給待ち状態にある。
2009年5月、『ターミネーター4』を製作した The Halcyon Company が『流れよ我が涙、と警官は言った』の映画化を発表した[69]。

舞台とラジオ [編集]

少なくとも3作品が舞台で上演されている。1つはオペラ『ヴァリス』で、1987年12月パリのポンピドゥー・センターで初演された。作詞作曲は Tod Machover。その後、英訳され若干の改変後イギリスでも上演され、1988年にCDも発売された。Linda Hartinian が脚本を書いた『流れよ我が涙、と警官は言った』が1985年6月にボストンで上演され、その後ニューヨークとシカゴでも上演されている。『アルベマス』を原作とする舞台も1980年代に上演された。

ラジオドラマ化作品としては、フィンランドで1996年に放送された Menolippu Paratiisiin(原作は短編 "Mr. Spaceship")がある。1956年にはNBCが X Minus One という番組で短編「植民地」と「地球防衛軍」[70]をラジオドラマとして放送している。

作品一覧 [編集]

日本語訳された作品のみ記す。末尾の年は原書の出版年。また1982年以降の作品は、死後に出版された作品であることを示す。(タイトルが複数あるものは括弧内に示した)

なお、ディックのSF長編については、早川書房がまず、小説としての出来のいい作品を翻訳。その後、小説としての完成度は低いが、ディック的な魅力がある作品を、ディック死後に訪れた再評価の波にも乗り、サンリオSF文庫が大量に翻訳刊行した。サンリオSF文庫の廃刊後は、半数以上の作品がそのまま創元SF文庫に収録、もしくは新訳刊行がされた。短編集ほか一部がハヤカワ文庫で改訂刊行。創元SF文庫はその後もディックの未訳の長編の翻訳を継続し、「全長編の刊行を目指す」と称していたが、現在一部品切れが出ている。2002年までの書誌はハヤカワ文庫「フィリップ・K・ディック・リポート」を参照。

創元SF文庫で出ていた「暗闇のスキャナー」がハヤカワ文庫で「スキャナー・ダークリー」として新訳再刊されるなどの動きもある。

SF小説(長編) [編集]
偶然世界(太陽クイズ) Solar Lottery (Quizmaster Take All) (1955年)
ジョーンズの世界 The World Jones Made (Womb for Another) (1956年)
いたずらの問題 The Man who Japed (1956年)
虚空の眼(宇宙の眼) Eye in the Sky (1957年)
宇宙の操り人形 The Cosmic Puppets (1957年)
時は乱れて Time out of Joint (Biography in Time) (1959年)
未来医師 Dr. Futurity (1960年)
高い城の男 The Man in the High Castle (1962年)
タイタンのゲーム・プレーヤー The Game-Players of Titan (1963年)
アルファ系衛星の氏族たち Clans of the Alphane Moon (1964年)
火星のタイム・スリップ Martian Time-Slip (1964年)
最後から二番目の真実 The Penultimate Truth (1964年)
シミュラクラ The Simulacra (1964年)
ドクター・ブラッドマネー(ブラッドマネー博士) Dr. Bloodmoney (1965年)
パーマー・エルドリッチの三つの聖痕 The Three Stigmata of Palmer Eldritch (1965年)
去年を待ちながら Now Wait for Last Year (1966年)
ライズ民間警察機構(テレポートされざる者) Lies,INC. (The Unteleported Man) (1966年)
逆まわりの世界 Counter-Clock World (1967年)
ザップ・ガン The Zap Gun (1967年)
アンドロイドは電気羊の夢を見るか? Do Androids Dream of Electric Sheep? (1968年)
銀河の壺直し Galactic Pot-Healer (1969年)
ユービック Ubik (1969年)
死の迷路(死の迷宮) A Maze of Death (1970年)
フロリクス8から来た友人 Our Friend from Frolix 8 (1970年)
あなたをつくります(あなたを合成します) We Can Build You (1972年)
流れよ我が涙、と警官は言った Flow my Tears, the Policeman Said (1974年)
怒りの神 Deus Irae (1976年)(ロジャー・ゼラズニイとの共作)
スキャナー・ダークリー (暗闇のスキャナー) A Scanner Darkly (1977年)
ヴァリス VALIS (1981年)
聖なる侵入 The Devine Invasion (1981年)
ユービック:スクリーンプレイ Ubik:The Screenplay(1985年)
アルベマス Radio Free Albemuth (1985年)
ニックとグリマング Nick and the Glimmung (1988年)※児童向け

SF小説(短編集) [編集]

原題 のないものは日本で編纂されたもの。
地図にない町(1976年)
人間狩り(1982年・1991年・2006年)[71]
パーキーパットの日々(ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック I)The Best of Phillip K. Dick 二分冊の一巻(1977年) 報酬(ハヤカワ文庫、1991年)

時間飛行士へのささやかな贈り物(サ・ベスト・オブ・P・K・ディック II)The Best of Phillip K. Dick 二分冊の二巻(1977年)
顔のない博物館(1983年)
宇宙の操り人形(1984年・1992年)[72]
ウォー・ゲーム(1985年・1992年)[72]
ゴールデン・マン(ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック III)The Golden Man 二分冊の一巻(1980年)
まだ人間じゃない(ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック IV)The Golden Man 二分冊の二巻(1980年)
悪夢機械(1987年)
模造記憶(1989年)
ウォー・ベテラン(1992年)
永久戦争(1993年)
マイノリティ・リポート(1999年)
シビュラの目(2000年)

一般小説 [編集]
戦争が終わり、世界の終わりが始まった Confessions of a Crap Artist (1975年)
ティモシー・アーチャーの転生 The Transmigration of Timothy Archer (1982年)
小さな場所で大騒ぎ Puttering about in a Small Land (1985年)
メアリと巨人 Mary and the Giant (1987年)

ノンフィクション [編集]
ラスト・テスタメント P・K・ディックの最後の聖訓(グレッグ・リックマン編) Philip K. Dick the Last Testament Philip K. Dick (1985年) -インタビュー
フィリップ・K・ディック 我が生涯の弁明(ロランス・スーティン編)Divine Invasions: The Life of Philip K. Dick (1990年)
フィリップ・K・ディックのすべて -ノンフィクション集成(ローレンス・スーチン編) The Shifting Realities of Philip K. Dick (1995年)

関連書籍 [編集]
『「SFの本」第1号 特集=P・K・ディックにくびったけ!』(新時代社、1982年)
『悪夢としてのP・K・ディック―人間、アンドロイド、機械』(サンリオ、1986年)
『あぶくの城 -フィリップ・K・ディックの研究読本』(北宋社、1983年)
『「銀星倶楽部」(12号〉 特集:フィリップ・K・ディック』(ペヨトル工房、1989年)
『ユリイカ 特集:「P・K・ディックの世界」』(青土社、1991年1月号)
ポール・ウィリアムズ 『フィリップ・K・ディックの世界』(ペヨトル工房、1991年)
『トーキングヘッズ叢書 10PKD博覧会―われわれは、ディックの宇宙に生きている!』(アトリエサード、1996年)
『フィリップ・K・ディック・リポート』(ハヤカワ文庫、2002年)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BBK%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF


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