http://www.asyura2.com/12/music10/msg/706.html
Tweet |
この映画をたぶん、2年位前に
DVDを借りてきて観た・・・。
これも、人類史に残る
ジェノサイドである・・
ワイダ監督の父親がカティンの犠牲者だという・・
50年の構想を経て、彼が80歳の時に創った映画だという・・
映画の中で、以下のようなセリフが出てくる・・
「こんなこと、イギリスやフランスが黙っていないだろう!」
しかし、むなしく響くだけであった・・
イギリスもフランスもアメリカもソ連のお仲間であったので、
彼らの願いは幻想だったのである・・
真相を突き止めた、
アメリカの使者が存在したが、
悪漢ルーズベルトに潰される・・
ルーズベルトの背後には
バーナード・バルーク(アメリカ、フランクフルト町内会)
ハリマン(アメリカ)
ヴィクター(イギリス、フランクフルト町内会)
そしてギイー(フランス、フランクフルト町内会)ら
がにらみをきかせていたのである・・
以下は、ウィキより引用
大戦中の西側連合軍の対応 [編集]
死体遺棄現場でソビエトによる虐殺が行われたことをドイツ人から説明を受けるアメリカ・イギリス・カナダ軍の捕虜となった将校達
イギリスは暗号解読の拠点であったブレッチェリー・パークでドイツ軍の無線通信を傍受し解読していたため、ナチスが大きな墓の穴とそこで発見したものについて気づいていた。
失地回復したソ連は1944年にカティンの森を再調査し、死体を再び掘り起こした。同年、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトはカティンの森事件の情報を収集するために、ジョージ・ハワード・アール(英語版)海軍少佐を密使としてバルカン半島に送り出した。アールは枢軸国側のブルガリアとルーマニアに接触してソビエト連邦の仕業であると考えるようになったがルーズベルトにこの結論を拒絶され、アールの報告は彼の命令によって隠された。アールは自分の調査を公表する許可を公式に求めたが、ルーズベルトはそれを禁止する文書を彼に送りつけた。アールは任務からはずされ、戦争の残りの期間をサモアで過ごすこととなった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6
(引用ここまで)
この映画のクライマックスは、
将校たちを大量に処刑するシーンである・・
人間の心を超えた殺戮のシーンである・・
CGでもなく、SFXでもなく、アクションでもない、
リアリズムを極限までに追求する
ワイダの執念を感じるが・・
私がいつも言う、
我々が想像できない・・
悪しき精神がそこに確かに
存在するのである・・
私も、様々な映画を観たが、
この映画ほど、ショッキングな
映画はない・・
楽園だけを夢見る人は観ない方がいい・・
この、殺戮に関わったロシア兵の
その後の精神状態はどうだったんだろう・・
一生、この強烈なトラウマにより、
罪悪感にさいなまれ、狂人になったのか?
何事もなかったように、
この惨劇にふたをし、
妻を愛し、
子どもを育てたのか?
この凄惨なシーンが終わると
エンドロールであるが・・
音楽が流れない・・
沈黙のエンドロールである・・
エンドロールに音楽が流れない映画は、
私は、この映画しか知らない・・
あれだけの惨劇の後に、
この世には、流すことのできる
音楽はないのである・・
そこにワイダの執念を私は感じた。
1939年 一ヶ月でソ連・ドイツによって消え去ったポーランド国家の悲劇 大国に翻弄された小国の70年後にようやく描かれたノンフィクション作品
映画での台詞「教えて 私はどこの国にいるの?」 イギリス・フランスも相互条約を結びながら結果的にポーランドを見捨てた。改めて地続きのヨーロッパの内情を感じ取れる作品でもある。
ポーランドの扱い、カチンの森事件、ソビエト・フィンランド戦争と大苦戦(1939-1940)、ドイツへの石油・原料供給、ドイツ快進撃と大粛清のツケに焦るスターリン¬、モロトフ訪独と英空軍のベルリン爆撃(1940)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。