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「牛乳が河に捨てられている傍らで、子供たちが飢えていた。大変愚かな事態が
進行していた」
ジョン・ケネス・ガルブレイスは大恐慌を見てこう嘆いた。
そしてまた愚かな事態がやってきた。
興味深い記事が有ったので転載
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〈最後の帝国〉追い詰められた資本主義の警告
[レビュー]すでに過ぎ去ってしまった、あるいはまだ来ない未来
http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/column/2012/1354571440545Staff
ソン・ジフン記者 2012.12.03 06:31
#1
大韓民国の18代大統領選挙まであと16日になった。今回の選挙の最大 の話題は、やはり『経済民主化』だ。セヌリ党の朴槿恵(パク・クネ)候補さえ 非正規職問題を解決して福祉を強化すると約束する。民主統合党は自分たちを 『庶民』政党だと言う。文在寅(ムン・ジェイン)候補は「経済力集中の弊害を 是正し、憲法精神と共同体の価値を具現」すると公約した。しかし双竜自動車 と現代自動車、ユソン企業に続き、全北のバス労働者が高空座り込みに入った。 電気が切れた家庭の祖孫はろうそくをつけたまま眠り、火事で命を失った。
#2
先日再選に成功した米国のオバマ大統領と民主党は、『医療改革』を 核心政策として打ち出した。オバマを一躍スターダムに上げた2004年の民主党 全党大会の基調演説で、オバマは「息子の薬代4500万ウォンを作れず、涙を流 す失職した父」を慰めた。彼は「すべての子供たちが人間らしく暮らせるよう に助ける」と約束した。しかし現在、米国は相変らず上位1%が全体富の43%を占 め、子供の5人に1人が飢え、45人に1人はモーテルや自動車、あるいは下水道で 生活しながら、家なしで暮らしている。
#3
中国の市場経済は搶ャ平の有名な『黒猫白猫論』で本格的に始まった。 「猫は黒くても白くてもネズミを捉えれば良い」というこの言葉は「社会主義 の雑草が生えても資本主義の芽を伸ばすな」という毛沢東の『雑草論』を押し のけて中国に市場経済を導入させた。黒猫白猫論の登場から30年、中国は世界 で二番目に大きな経済規模を誇る社会になった。しかし同時に上位1%が全体の 富の41%を占有し、母乳を売っても生活を続けていかなければならない都市貧民 と毎晩スーパーカーを走らせて高級クラブに行く『小皇帝』が同じ都市に共存 する矛盾も共に訪れた。
[出処:SBS 〈最後の帝国〉画面キャプチャー]
日曜日、週末ドラマとギャグコンサートのただ夢に陥っていった。床に転がっ て通りで「500ウォン!」と叫ぶコメディアンを見てくすくす笑いながら、月曜 まで何時間残っているかと考えている時、「あなたが貧しいのはあなたの責任」 と一喝する米国の政治家を見た。
SBSの特集ドキュメンタリー〈最後の帝国〉だ。華麗な照明とあかりが消えない 建物。光る広告看板とその広告が売っる商品たち、人々。それこそ『不夜城』 を照らす画面が見せるのは『資本主義』だ。
ブレーキが故障した資本主義
2001年のノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ(Joseph Stiglitz)は「見えない手が見えない理由は、初めからそれがないから」と話し た。アダム・スミスが『見えない手』を主張してから、『資本主義』は人間の 社会に最適化されたシステムであるかのように君臨した。『社会主義』を代表 したソ連が崩れてからは、その独走を牽制できるようなものは出てきそうもな いように見えた。しかし今、資本主義は没落の道を歩んでいる。
2008年、世界資本主義の総本山といえる米国で、サブプライム・ローン事態が 発生し、資本主義の病症がはっきり見え始める。スティグリッツは、「米国の 社会的不平等はこの100年で最高潮に達した」と話した。
〈最後の帝国〉に登場した米国フロリダのオーランド129番道沿いモーテル村で 暮らす人々は、家がなく、モーテルで暮らし続ける。彼らは保証金がなくて、 家を失ったりサブプライム事態で銀行に家を奪われた人々だ。彼らは食べ物が なく、教会の炊き出しで延命する。それも何のソースもないパスタだ。一日中 働き、稼いだ金はほとんどがモーテルの宿泊費になる。しかしそんな仕事場を 見つけるのも容易ではない。工場と企業はさらに安い人件費を求め、国の外に 出ていく。一日で出ていった企業が残したのは失職と貧困、そして絶望だ。
[出処:SBS 〈最後の帝国〉画面キャプチャー]
彼らが食べる救護食品は、ほとんど流通期限を一日前の廃棄処分直前の食べ物 だ。流通期限が切れるまで売れない程に食べ物は作られているのに、食べられ ない人々もいる。食べ物を食べる人もいて、食べる物もあるのに、その食べ物 を食べる人がいない矛盾。
だが保険会社CEOのスティーブン・マリアーノは1千万ドルの家で暮らし、21万 ドルの乗用車で出勤する。12万ドルの野球場専用権で余暇を楽しみ、1回の診療 で900ドルを取る主治医をおいている。資産規模6千5百億ウォンの彼の保険会社 は、金融危機の不安感を餌に常勝疾走する。彼は「金は人を堂々とさせ、独立 させる」と話す。その言葉はつまり「金がなければ人は堂々とすることも独立 もできない」という話だ。
誰の経済民主化
CNNのある討論番組で、進行者はロン・ポール下院議員に尋ねる。「医療保険が ない人は、高額な治療費をどうすればいいでしょう」。ロン・ポール議員は答 えた。「それが自由です、自ら責任を負わなければなりません」。進行者がま た尋ねた。「お金なくて医療保険ない人々は死ぬまで放っておくのでしょう か」。今回はロン・ポールの代わりにロン・ポールの支持者と見られる傍聴者 が答えた。「そうだ」
この前再選に成功したオバマは『経済民主化』を主張していた。彼は「子供を 腹いっぱい食わせ、暖かくさせて夜は子供たちをベッドで眠らせ、安全に彼ら を守ってやらなければならない」と話した。彼を支持した多くの人々は『医療 改革』で代弁される彼の経済民主化に大きな期待をかけた。しかしオーランド のモーテル村で暮らす8歳のセーラは、病気になっても病院に行けず、腹が減っ ても腹いっぱい食べることもできない。彼の父母が貧しいからだ。
[出処:SBS 〈最後の帝国〉画面キャプチャー]
オーランドのモーテル村で暮らす彼らは「誰が次の大統領になろうが、彼が私 たちから何を奪っていくかと思うと恐ろしい」と話した。彼らとしては共和党 のジョージ・ブッシュでも、民主党のバラク・オバマでも結局何も違わない。
2012年の大韓民国大統領選挙も『経済民主化』が話題だ。与野党を問わず経済 民主化を打ち出す。互いに自分の経済民主化が『本物』だと言い張る。どちら か一方の経済民主化が『本物』なら、他方も『本物』でしかない。彼らの経済 民主化は根本的に違わないからだ。
セヌリ党の朴槿恵候補は「未来成長動力に投資して雇用を作る仕事は積極的に 支援するが、市場の支配力を乱用する行為は容認しない」という言葉で自分の 経済民主化を規定する。「韓国憲法の規範内で国民に実質的な支援をしつつ、 国民経済に不必要な負担をかけてはいけない」という朴候補の経済民主化は、 とにかく『市場経済体制』の中で動く。
民主統合党の文在寅候補も同じだ。彼は「二極化の深化と、それによる対立と 分裂が、新しい成長と変化を妨げ、経済・地域・産業・企業など、社会全般で 格差が拡大している」と現象を分析し、この結果、「市場経済秩序の根幹が壊 されている」と言う。彼の経済民主化も、市場経済体制を復元することだ。
今は辞任した安哲秀(アン・チョルス)候補も『正しい資本家』を標榜して人気 を得た。韓国社会がこれまで一度も持たなかった『優しい資本家』。彼が1500 億ウォンもの財産を社会に寄付すると言った時、人々は彼を『経済民主化の 適任者』と感じ始めた。
しかし流行のように広がる『経済民主化』が、この不安な世の中を救えるかど うかは未知数だ。財閥を改革し、複雑な金融工学を使い、負債を帳消しにする という『法』と『制度』が、工場から追い出され、鉄塔に上がり、食べること ができずに病院に行けない人々を慰労できるだろうか。1500億ウォンの『ノブ レス・オブリージュ』は貧困を救済できるだろうか。マルクスは「社会は法に 基盤をおくのではなく、法が社会に基盤をおいている」と話した。
経済民主化政策で一番よく登場する単語は『保護』、『禁止』、『制限』、 『強化』、『義務化』といった言葉だ。今日、経済民主化の主体は『飢える 人々』ではなく『食べ残す人々』である。あるいは保護と禁止、強化、制限 といった言葉が守ろうとするのは『食べ残す権利』かも。
[出処:SBS 〈最後の帝国〉画面キャプチャー]
懐かしい未来
「ある農夫は豊かな収穫をおさめるのが、他の農夫に不作を招かない。競争で はなく相互扶助がこの経済を成し遂げている。言い換えれば、こちらは共生の 社会である」 -懐かしい未来、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ
〈最後の帝国〉に登場するブロクパの村は、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ (Helena Norberg-Hodge)の『懐かしい未来』に登場する『ラダック』の村だ。
ブロクパの村では畑で働く間、隣人が子供たちを見る。特に誰が頼むことなく、 互いの事情と必要な助けを知っている。彼らは「村の子供は私たち皆の子供」 と話す。
[出処:SBS 〈最後の帝国〉画面キャプチャー]
特別な制度があるのではない。隣の子供を助けなければ一定の規制が加えられ るわけでもない。政府が共同育児を推奨するのでもない。彼らはこれを通じて、 厳しい環境でも共に『共生』している。『無償保育』や『共同育児』といった 言葉が理念論争の素材になり、無償給食をめぐる論争が首都の市長まで置き換 えてしまう社会では珍しい風景だ。
山間の村、痩せた土地のブロクパには豊かな食べ物がない。しかし飢える子供 もいない。彼らは祭りになると各々麦モチを作って分け合って食べる。一切れ の肉を得るために一匹の牛を殺す人々と、一日に一食の貧しく寒々しい食卓を 得るのも難しい人々が顔を突き合わせて暮らすようなことはない。
ソロモン諸島のアヌタ島は人口300人の小さな島だ。ここの子供たちは、学校に 行くと清掃をする。授業時間には居眠りをしたり、ある子供は黒板を、どんな 子供は隣の席の子供を見る風景は、どこの国の学校とも違わないけれど、ここ の子供たちは金を払わなくても学校に行ける。
大人たちは海で命を失った人の子供を養子にして育てる。一戸に一人は入養さ れた子供だ。しかしアヌタ島の住民は入養された子供を『特別に』扱わない。 共に食料を得て共に家を作るアヌタ島の住民にとって、子供は『誰の子供』 というより『私たちの、共同体の、子供』だ。
[出処:SBS 〈最後の帝国〉画面キャプチャー]
ブロクパもアヌタ島も厳しいところだ。農作業をするにも険しい土地であり、 海は荒い。食べ物は豊かではない。スマートフォンはもちろん、TVもない。ア ヌタ島に入るために〈最後の帝国〉の製作スタッフは二日間、エンジンもない 帆船に乗らなければならなかった。厳しい環境が多分粘り強い共同体を作った のだろう。生き残るためには、互いに守りあわなわけばならないのだ。しかし 今日私たちが暮らすこの資本主義の世の中が、痩せた土地と高い波より厳しく ないと言えるかどうかはわからない。
過ぎ去った、しかしまだ来ない
1960年代のヒッピーイズムと反戦運動の旗手だったジョーン・バエズは昨年の ウォール街占拠に参加して歌った。「Where's my apple pie?(私のアップルパイは どこにあるの?)」。
ウォール街占拠の流れは、やや弱まっているようだが、1930年代の米国共産党 に続いて初めて米国人は『アップルパイ』を要求し始めた。『経済民主化』と いう若干あやしい言葉は、政治家の闘いに専有されているが、韓国でも『もう がまんできない、変えてみよう』という動きが現れている。人々は分けあって、 一緒に暮らしていくことだけが、長く生き残る方法だという認識を持ち始めた。
原始共同体社会ではそうだった。大きな体も、鋭い爪もない人間は、お互いの 体温とお互いの肩を借りなければ生き残れなかった。全てが不足していたので 全てを分けあわなければならなかった。しかしその時は、どこかで食べ物が腐っ ていき、どこかでは食事ができない人が発生する矛盾などはなかった。
資本主義は人類を充足させた。しかし人生を豊かにすることはできなかった。 金を受け取るために学校に行く米国の子供たちと、コメ袋で作ったカバンを担 いで学校を清掃するアヌタ島の子供のどちらが幸せな学校生活をしているかは あえて聞かなくてもわかる。法と制度が共同育児を指示して、これに反発する 政治家が理念攻勢を浴びせなくても、ブロクパの子供たちは共同体と共に育つ。 隣のお母さんが分けてくれるご飯を食べて眠る子供は、多分大きくなれば隣の 子供にご飯を分けるだろう。無料の飯は与えたくないと言って涙を流し、自分 の地位までかける大人を見て育った子供たちは、後で何を分けあうのだろうか。
緑色評論発行人のキム・ジョンチョル氏は「今必要なことは、すでに手遅れか もしれないが、今からでも『経済』を定義しなおし、それが社会全体の新しい 常識になるようにする努力」と強調した。彼は「300年間化石燃料・核エネルギー に基盤する無限の欲望追求を制度的に裏付けてきた概念体系のこれまでの経済 概念を清算すべきだ」と主張する。「人類の長い間の生活方式だった循環経済 システムの復旧・再生が必要だ」という指摘だ。
世界で最も『豊かに暮らす(wealth)』国の米国と中国が、ブロクパとアヌタ島 の住民より『よく暮らす(Wellbeing)』のかはわからない。
ブロクパとアヌタ島の生活は、あるいは人類がすでに通ってきた道だ。それは 神秘的にもまだ残っている化石のような暮らし。しかし同時にブロクパとアヌ タは、相変らずまだこない人類が、切に望む未来でもある。そして多分最後の 帝国、資本主義の警告を無視して今の生き方をそのまま続ければ、永遠にこな い未来でもある。
[出処:SBS 〈最後の帝国〉画面キャプチャー]
ヘレナ・ノーバーグ=ホッジは『懐かしい未来』で警告した。
「われわれ自身の本性、われわれ自身の欲求が今、声をあげているというのは 明らかだ。大衆媒体を通じた宣伝がいくら広範囲で、しつこく絶え間ない経済 成長をさせても、それは私たちや子供たちが完全な精神で健康な生活を送るた めに本当に必要なものは何かについてのわれわれ自身の本能的な理解を変える ことはできない」
原文(チャムセサン)
翻訳/文責:安田(ゆ)
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