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1965年。米軍がベトナム戦争に本格介入し、キューバ危機後のつかの間の平和が途切れた。ロックは英米中心のジャンルなので、当然、大きな影響を受ける。もうそろそろ、いい年をした男が集団でミスターポストマンを合唱している場合ではないのだ・・・
そして翌1966年には、マザーズがFreak Outでデビューし、4月にはビーチボーイズがロックの歴史を変えるPet Soundsを発表する。今までのロックが、ポップソング(流行歌)で出来ていたのに対し、これらは少年少女向けの商業電子音楽を脱皮しつつある、新たな価値観を抱いた音楽の新境地であった。
そして1967年には決定打となったビートルズのSgt. Pepper'sがリリースされる。明らかに今までとは違う、複雑にオーケストレイトされた楽曲がロックのアルバムを構成し、それまでのポップソングがB面に追いやられる・・・・そんな時代が到来したのだ。
その頃、南半球にあるブラジルでは、それから半世紀に渡る名声と人気を獲得したシンガーソングライターが生まれていた。ジルベルト・ジル(読み方はジウベウト・ジウだがそこを争うと先に進まないので仮名については論じない)だ。ジルベルト達も時代の洗礼(サージェント・ペッパーの啓示)を受けて実験サウンドに取り組み、アレンジメントを多様化したハイブリッド・ロックへの道をすすむわけだが、67年のファースト・アルバムに限っていえばまだ従来のサンバ・ボサノバの色濃いポップソングである。
この曲は、Agua de meninos 彼らトロピカリア運動をブラジルで起こした新興ボサノバ集団の故郷であるバイア州の地区について唄った素朴な民謡である。ギターで弾きがたっただけの本当に簡易な曲だ。
私もはじめ聞いたときは、バースの部分で「ああ、だいたいどういう曲かわかった。フォークだね」とわかったつもりになったのだが、最後まできいてみてドン返しのあまりのダイナミズムに鳥肌をたてたものだ。ジルベルトという前代未聞の鬼才が持つ可能性に改めて舌を巻いた。Grrrrrrrrと。
私は先進国ばかりに目をやらないで、もっと恵まれないワールドミュージックにも光をあててやろう!などと偽善ぶるつもりは毛頭ない。メディアのいうことを無視して、ホンモノだけを探していたらブラジルにいた!ただそれだけのことである。
vestida de rendas o
abre a roda pra sambar
(レースを身にまとい サンバに輪を開け)
ジルベルトは何事もなかったように庶民的な唱歌を奏でる。神ならもっと神らしくしてくれたほうがわかりやすくていいのだが、なにせ彼はちょっと天然だから。
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