http://www.asyura2.com/12/music10/msg/284.html
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ラ・カンパネラ
リストの「ラ・カンパネラ(鐘)」は、
本来パガニー二のバイオリン協奏曲の主題だった。
http://www.youtube.com/watch?v=dr2E-5ACa-Q&feature=fvwrel
AlbertVik さんが 2010/07/07 にアップロード
Victor Sologub (violin)
Nadezhda Vasilenko (piano)
1821年、エラール社がダブル・エスケートメントシステム
(鍵盤を完全に上げなくても次の音が打鍵できる)
という画期的なピアノを開発する。
これを受けてリストは、
“最大で15度の跳躍があり、この跳躍を16分音符で演奏した後に、
演奏者に手を移動する時間を与える休止がないまま、
2オクターブ上で同じ音符が演奏され、
ほかにも薬指と小指のトリルなどの難しい技巧を含む”
超絶技巧のピアノ曲へと、何回かの変遷を経て書き換えて行った。
(青柳いづみこ&ウイキより)
だから弾けるだけで凄いんです。
あの鐘を鳴らすのはあなた
http://www.youtube.com/watch?v=6q5Mij2Ugns&feature=related
yutaka abe さんが 2011/12/09 にアップロード
ピアニストが鳴らす鐘の音色は驚くほど異なります。
辻井伸行
彼は全身でピアノに共振していますね。
みんなの熱狂が凄い。
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=v9fo3FoHDBc&feature=endscreen
Balloon0429 さんが 2009/06/13 にアップロード
ランラン
そうかランランってロックスターだったんだ・・・
http://www.youtube.com/watch?v=_6NEmyjLqA4&feature=related
PhilipCaruso01 さんが 2011/11/12 にアップロード
エフゲニー・キーシン
ほっぺた膨らませて没頭してますネ(=^・^=)
http://www.youtube.com/watch?v=0FbQZCsYXVg&feature=related
GerHub さんが 2008/07/16 にアップロード
ヴァレンテイーナ・リシッツア
知らないうちに涙が出ていた唯一のラ・カンパネラ。
繊細かつ怒涛のスケール。
http://www.youtube.com/watch?v=MD6xMyuZls0
別格フジコ・ヘミング
「意地の悪い友だちが私の演奏を“お涙頂戴”と言ったけれども、
なるべくそうならないようにセンチメンタルにならないように乾いた弾き方をしても、あんななんですよね。
ラ・カンパネラは私の性質そのものが出ているので、作っている暇なんてないですよ。気取って弾く暇なんてないの。壊れそうなカンパネラがあったっていいじゃない。
機械じゃあるまいし。まちがったっていいのよ。」
http://www.youtube.com/watch?v=OrXqAGnSKRU&feature=fvwrel
Kaneda Takuya さんが 2011/05/20 にアップロード
「クラッシックの世界はつまらないことが多すぎる。
ちっとも楽しくない音楽になるのは当たり前。
クラッシックのCDが売れないのは、
そういうところにも原因があるんじゃないかしら。
よく弾けば客の歓喜に通じるし、客の様子が演奏者にも伝わるのよ。
音楽は批評家のためにあるものではないのだから。
リストやブラームスの『ハンガリー狂詩曲』は、
家のないような貧しい人たちの音楽を書いた曲。
ドイツにいるときから私はよく弾いていた。
そしたらある教授が怒った。『そんな曲を弾くな!』と。
私は怒った。『じゃ、なんでそんな変な曲を、リストは作曲したのか』って。
リストは、貧しい人たちに心があったから、そこに耳を傾けて作ったのだ。」
「今まで誰にも言えなかったことだけど、
お金がなくて病院の掃除婦をしていたことがあった。
何棟もあるとても大きな病院で、そこで忙しく立ち働いた。
寝たきりのおばあさんの汚物を拭いたこともある。
私がピアノを弾くっていうことは誰にも言わなかった。
病院にピアノがあって、ある時こっそりと弾いてみた。
そのピアノの音色に看護婦がびっくりしていた。
精神異常だっていわれていた人が私のピアノを聴いて、
ボロボロと大粒の涙をながしてくれた。
ピアニストは綺麗な手をしている人が多い。
手をとても大事にしているから。
私の手はゴツゴツとして綺麗じゃない。
生きるために労働した手だから。綺麗じゃない。
いろんなことをやった。
猫のオムツまで洗濯をしたし。」
「ある冬の震えるほど寒い日に、大阪の梅田駅の地下道で、
40歳くらいの、でもずいぶん老けて見えるホームレスの男性が、
恐ろしく冷たい地べたにペタンンと座っていました。
ひざには猫を抱いていて、
猫は幸せそうな目でじっと私を見ていたわ。
私はいつも猫の餌を持って歩いているから、
その人に猫缶と1000円をあげたのです。
でも、その夜は、とても心配でまったく眠れませんでした。
次の日またそこに行ってみると、
男はまた同じところでたばこを吸っていて、
猫はきのうより幸せそうに男のひざで眠っていました。
そしてまた私は1万円をあげたのです。
好んでホームレスをやっている人にお金をあげる必要はない、
と助言する人もいますが、
くるしいひとが幸せになってくれれば、
私の胸が軽くなるのです。
それに、人からおかねをもらうというのは
人間の最後の手段だということが
私にはよく分かっています。
私はスエーデンにいたころ、とても貧乏で、
1週間くらい何も食べられなかったことがありました
(今の状態で考えると、1週間くらい水だけ飲んで過ごすというのは
健康にいいかもしれないと思うけれど)。
不安に押しつぶされそうになりながら血の涙を流しました。
区役所へ行けばお金がもらえると聞いて電話もしたけれど、
窓口の女性に用件を尋ねられると、
そのあと声が出なくなって受話器をそっと置いたものです。
とても恥ずかしくて・・・
どんなに苦しくても私は人にお金をくれとは言えなかったもの。
今でも、私は相変わらず、古着屋で安い洋服を探すのが好きだし、
それに手を加えて自分なりのおしゃれを楽しむのも好きです。
それに八百屋の店先で大安売りのニンジンを見つけるとつい喜んでしまいます。
『もう私は通帳の残高なんて気にしなくていいのに、
なぜこんなケチ臭いのかしら・・・』なんて、
ウンザリもするけれど、
私はやっぱりいくらおいしいものを食べて、
いい音楽を聴いていても、
今、この瞬間に弱い動物や子供が、
どこかで飢え死にしそうになって泣き叫んでいるかもしれないと思うとゾッとする、
目を覆いたくなるの。
貧しかったころは、
目の前に野良猫がいようがホームレスがいようが、
それどころではありませんでした。
でも、そういう時期が過ぎてしまった今、
そのころのことを思い出しても、
少し微笑ましい気持ちになるぐらいで、
そんなに大変じゃないものです。
つくづく、自分の苦しみよりは、
むしろ人の苦しみを見る方が地獄だと思います。
私が、贅沢するより困っている多くの人や動物にお金を寄付するのは、
誰のためでもなく、自分の心の幸福のためなのです。
(フジコ・ヘミング『運命の力』『耳の中の記憶』『エスプリ・ド・パリ』より)
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