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先日、尾崎豊という歌手の番組をNHKBSでやっていたので観た。
私は、あの手の音楽は苦手で、
一般の人より、彼のことは知らないと思う。
家内が、観てみようというので、一緒に観たが、
想像以上に興味深い番組であった。
あの番組で私が理解した事を、
いくつか書いてみようと思う。
そのネタになるのは、
彼のプロデューサーと称する男と、
生前、彼の周囲にいた人間の証言と、
いくつかの音源や資料である。
まず、彼は、十代特有の大人への反発や社会への反発。
既成の社会秩序等への反発を歌詞にし、
それを歌にし、
それに共感する若者たちの心をとらえていき、
カリスマ的な人気があったということである。
そこで重要なのは、
彼は、A4の大学ノート3枚に歌詞というか詩というか、
散文調のものを、怒涛のように書きあげる。
当然これでは、一曲の曲の歌詞としては、字数が多いし、
字余りだらけである・・
この文字だらけの文章のぜい肉を少しずつ、
落とし、一曲に仕上げるという。
尾崎のこのころの特徴は言葉というか、文章というか、
歌詞が湯水のごとく湧きでてくるということである。
しかし、反対に、
音楽そのものに関する、洞察や語りは殆どない。
番組のハイライトは、
彼が二十歳(大人ということか?)を前にして、
1枚のアルバムを創る時の混乱についてだと思う。
あれだけ、文章が、言葉が、溢れんばかり
湯水の如く湧き出た、
尾崎から、突如、言葉が出なくなる・・
仕方なく、歌詞なしの「ラララ・・・」
のメロディだけの曲ができたということで、
プロデューサーそのテープが届く・・
このテープは番組内で放送される。
なぜか、私には、良質な曲に聞こえた・・
たぶん、尾崎は、まず、歌詞(心の叫び)を怒涛のように書きあげ、
それに、強引にメロディーをつけてきたということなので、
歌詞>メロディ(楽曲)
という、エネルギーの関係だったが、
歌詞が書けなくなったこの時点で
一瞬ではあるが
歌詞<メロディ
の力関係になった瞬間がこの時だったのだろう・・
なぜなら、尾崎の楽曲を聞いて、
これはいいメロディだな・・なんて
思ったことが、なかったが、
その歌詞なしのラララは、初めて、良い曲だな・・と、
思ったからなのであるが・・
スタジオに入っても、この曲の歌詞はできてなかったという・・
締切ギリギリで、尾崎は、徹夜してやっとこさ、
歌詞を書きあげたという・・
で、番組でもこの曲の完成形を流したが・・
皮肉なことに、ラララの自宅で弾き語りの
デモテープバージョンの素晴らしさは消え、
曲のクオリティは消し去られていた・・
(理由はわからんが・・)
A4ノート、三枚に溢れんばかりの、言葉を叩きつけてきた、
言葉の人「尾崎」が、
言葉を発することに苦労し、
疲れ果てたという・・
才能の枯渇か?何か?
彼は、その後、逃げるように、
ニューヨークへ旅立ったという・・
番組を観たくらいの情報しかないが、
10代中頃から、後半にかけて、
社会に対する反発、大人に対する反発を、
作品の創造のエネルギーにしてきた彼が、
二十歳(大人?)を目の前にして、
自分が反発、反抗してきた対象のその「大人」とやらにになってしまう・・
大人になったら、じゃあ、
今度は、攻撃の対象を何にすればいいのか?
社会人(アーティストとして給料をもらってる)になったら、
今度は、何に対して反発すればいいのか?
それとも、二十歳を前にして、
意気盛んな反発反骨精神が、なえてきたのか?
その謎は、不明だが・・
尾崎が、袋小路に入ったのは事実であった。
10代の若者の社会に対する反発、
大人に対する反発の代弁をしてきたであろう
「尾崎」の重大な「ターニング・ポイント」だったのでは?
と思う。
普通の商売人なら、そのまま、
30歳になっても、50歳になっても、
同じ自分のスタイルで作品を創り、
レコードも創り、ツアーもやったんであろうが・・
彼は、それをやれるような器用な男ではなかったのかもしれない・・
番組中、に、尾崎が、ステージ場から、
観客の若者に対し、彼の独特の口調で、
語るというか?煽る場面があったが・・
その臨界点に達する所で、
醒めたファンより
「ばーーか!」とやじられる・・
それに、十数人が、漫才のギャクを聞いた時のような反応で笑う・・
これには、尾崎も、かなり傷ついたようである。
このエピソードをその後、彼は自分の歌の歌詞にまでしている。
二十歳直前に苦労に苦労を重ねて創ったアルバム製作後に、
尾崎はプロデューサーに、
「今までお世話になりました」なんて挨拶をしていたという・・
その後、アルバムを出したのか否かは、私は知らないが、
これで、俺の、大人への反発、社会への反発を題材にした、
アルバム製作は終わりにしたい・・ということなのかな?と思った。
彼のファンが社会への反発や大人への反発を唄のテーマにしなくなった尾崎を許すわけがない・・とも思ったのかもしれない・・
とにかく、10代中頃の反骨心に満ちた尾崎は、
反骨心に満ちた歌詞を書ける尾崎は、
その時点で、存在しなくなったのであろう・・
真面目に、観客に語りかけても、
必ず、それを冷ややかな目で見る観客が存在し、
チケットを購入してまで、
わざわざ「バーカ!」と言いにくる・・ばかがいるが、
そんなバカの前で、語ったり、唄ったり、
社会への大人への反発の歌を歌う・・
そんな、俺も、充分にバカである・・
やっぱり、俺は、バカなのか?
こんなこと、いつまでも続けてられない・・
かなりの葛藤があったようである・・
私のように、
洋楽から入った音楽バカは死ぬまで音楽バカでいられる・・
英語がわからないから、歌詞やメッセージなんか、わからないから、
音楽そのものに没頭、注力できる・・
尾崎のような悩みがない・・
下手とか言われても、
「下手で結構・・これがロックさ!」
と開き直り・・
リフが多いと言われても
「リフがロックさ!」
と開き直れる・・
尾崎には、「バーカ!」と言われても、
「バカで結構!」という開き直りができなかったのかもしれない・・
反骨のカリスマが「バカで結構」言えないのである・・
尾崎の死因は謎で、他殺説もあるようだが、
メッセージや大人への反発や社会への反発や、
10代の若者の代弁者になるのもいいが、
尾崎にメッセージや自分の置かれた立場(若者の代弁者とか)よりも、
もっと音楽そのものに関心をもてたら、
もう少し、違った道もあったんだろうな・・とも思うが・・
バック・バンドのメンバーの話を聞くと、
ステージが始まる前くらいから、
尾崎はトランス状態になり
アドレナリンが出まくって
尋常では、なかったという・・
楽屋の鏡を拳でガシャーンと割ったり、
血だらけで、ギターをひいたり・・
PAの上から飛び降りて、
足を骨折しても、
坊やに肩車してもらい歌い続けたとか・・
武勇伝が語られていた・・
尾崎・・やはり燃え尽きたのか?
蛇足だが、
これだけ「音楽」そのものについて、
語られない音楽家も珍しいのではないだろうか?
たとえば、吉田拓郎が好きだとか、
ポール・マッカトニーが好きだとか・・
歌手になるきっかけは、北島三郎だったとか・・
よく、聴く音楽家はモンキーズだとか・・
何も情報がない・・
ほとんどが、歌詞だとか、こんなこと言ってたとか、
そんな、感じで、音楽についての情報がほとんど
でてこなかった・・
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