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ロスチャイルド家の代理人、チャーチルの反撃・client(チャーチルとヒトラーがグルだったと考えると全て辻褄が合います)
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/885.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2013 年 8 月 11 日 14:18:05: 4sIKljvd9SgGs
 

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc622.html
No.a6fhc622

作成 1998.1

 

ロスチャイルド家の代理人
チャーチルの反撃

 

 

ヒトラーが1936年に立てた計画では、1938年にオーストリア、チェコスロバキア、ポーランドを併合、そして後にソ連を占領し、作戦は1943年に終了する予定になっていたという。しかもその間、イギリス、フランスは無干渉でいるだろうと計算していたらしい。そして、ヒトラーが計画していた「ユダヤ人問題の最終的解決」とは、「ユダヤ人の絶滅」ではなく、ユダヤ人たちを東方地域へ移住させることだったという。

しかし、計算が狂ってしまった。特に1940年5月11日にイギリスの宥和派であるチェンバレン首相が解任され、チャーチル首相が登場すると、大きく計算が狂ってしまったという。

イギリスの対ヒトラー政策を、「宥和」から「全面対決」へ突然変えた男、チャーチル。彼はナチスの脅威からヨーロッパを救った平和の使者だったのか? それとも……

 


ベルヒテスガーデンにイギリスの
チェンバレン首相(中央)を迎えたヒトラー

 


ヒトラー(枢軸側)の最大支配・占領地

 


イギリスのロスチャイルド家の代理人
ウィンストン・チャーチル首相。彼の
登場とともに、ドイツの一般市民に
 対する大量爆撃が始まった。


廃墟になったドイツのドレスデン(1945年2月13日)

米英空軍の4日間にわたる徹底した無差別爆撃で、
宮殿や教会など18世紀バロック建築の建ち並ぶ
文化の街は一変、瓦礫と化した。これは
チャーチルが犯した戦争犯罪である。

 

第二次世界大戦でのヒトラーとロスチャイルド家の関係については、広瀬隆著『赤い楯』(集英社)が詳しい。(以下に、該当する部分を載せておきます。参考までに)。

 


ロスチャイルド家の紋章

────────────────────────

 

── ロスチャイルド家の代理人、チャーチルの反撃 ──

 

ウィーン・ロスチャイルド家の当主ルイスが逮捕された1938年には、ドイツを離れてアメリカを訪れていたマックス・ワーバーグがとうとう帰国不能となって、さしものワーバーグ銀行が閉鎖された。次いで1939年には、大作曲家を誕生させたメンデルスゾーン商会が8月に消滅した。こうして見えないロスチャイルドの最後の牙城も、ドイツではハーケンクロイツ(カギ十字)の影に消され、一切が見えなくなった。その8月が過ぎ去ると、9月1日であった。ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦がはじまった。



実際には、ドイツ、イタリア、日本は、これよりはるかに前から戦争に踏み切っていた。「1939年9月1日」が世界大戦開始の日付けとされるのは、ドイツのポーランド侵攻によって、イギリスとフランスが初めてナチスに対して宣戦を布告したことを意味していた。言い換えれば、「ロスチャイルド本家がただ2ヶ所だけ残っているイギリスとフランス」が反撃の行動に移った、それが世界大戦であった。

ドイツとソ連によるポーランドの分割占領が行なわれ、さらにソ連はフィンランドへ侵攻し、翌年にはやはりドイツが北欧に攻撃を開始、デンマークとノルウェーを占領してしまった。ところがこの戦争の経過は、どうもおかしい。変なのである。開戦したはずのドイツとイギリス・フランスが、ほとんど戦争らしい戦争をしないまま8ヶ月もの歳月が過ぎ去っていたのである。

後年われわれが強い印象を受けてきた、“悪魔ナチスに対する正義の連合軍”の激戦どころか、ドイツとフランスの国境付近では、両軍の兵士がなごやかに語り合う風景まで報告され、「開戦の初期の段階では、予期されたものとまったく異なる様相を呈した」と、多くの書物に書かれている。

では、どこから両軍が激戦に転じたかと言えば、イギリスの首相がチェンバレンからチャーチルに交代したようやく1940年5月のことであった。ここからが真の世界大戦になる。ナチスに追い詰められたユダヤ人の立場で考えれば、そこまでの“奇妙な疑似戦争”とも言うべき優柔不断な状態を演出したチェンバレン首相は、宣戦布告しながら戦わない意気地なしであったという。

これが今日まで歴史書に記されている内容で、ほとんどの資料が一致して指摘していることだ。一般にはあまり認識されていないが、これは新たな光を当てるべき重大な事実である。つまりヒトラーの手助けをしたのが、イギリスとフランスの首脳だったかも知れないからだ。チェンバレンの行動は、危地に追い詰められたユダヤ人の目から見なくとも、純粋な軍事的立場から分析して矛盾に満ちていた。逆に戦争を望まなかった多くの民衆の目から見ても、宣戦布告と休戦状態が両立してよいはずはなかった。この奇々怪々なチェンバレンの言動が、今日まで「ドイツとの融和政策」として記録されているのだ。


〈中略〉

 

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