http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/760.html
Tweet |
○福の科学草創期の幹部が後に続々と還俗させられ破門されているが、その人たちは、『当初は△川氏も正しかったがその後だんだんおかしくなったのだ』という考えを披露する。最初からマチガイだったと認めると、当初信じた自分の自我まで崩壊してしまうからだろう。しかし、『虚業教団−「幸福の科学」で学んだものは何だったのか』(関谷晧元著、現代書林1993年12月出版)に書かれた、○福の科学関谷氏とGLA高橋興和氏の交渉の様子を見ると、「高橋信次の霊言」は最初から「虚言」だったらしい。関谷氏はこの本のために○福の科学から名誉棄損で大々的に訴えられて迫害された。しかし最終的に最高裁でも主張が認められ勝訴したのは関谷氏のほうであった。
『虚業教団』(第4章より抜粋する)
1988年の春、はじめてGLAから正式な抗議文が送られてきた。内容は、 「繰り返しニセ信次先生の本を出されては困るから止めてほしい」というものだった。 それを読んだ私たちは、「なにがニセ信次だ!」「信次先生の霊が語っておられるのだぞ」と大いに憤慨した。
しかし、GLAが抗議するのもあたりまえだろう。
86年12月に『高橋信次霊言集』を出して以来、………………宗教学者の島田裕巳の調べによれば、その霊言集は16冊になり、大川に降りた回数も70回になるという。この数は、ほかの霊とくらべて群を抜いて多い。 〈幸福の科学〉を特徴づける最も重要な高級霊なのである。
GLAとしては、当然心中おだやかではない。亡くなった自分たちの教祖、 神とも崇める教団創設者が、こともあろうに何の関係もない他教団に出現し、 生前には聞いたこともないような話をしだしたのだから。
……………………………………
その後もGLAからは何度も抗議文が送られてきた。内容証明も2度ほど来ている。しかし、このときの大川はフライデー事件のときと違い悠然としていた。 「放っておけ。返答する義務はないのだから」と取り合おうとしなかった。
……………………………………
はじめて見る信次先生の弟さんは、予想していた通り温厚な紳士だった。 「私は実の弟です。兄の性格は百も承知しています」と彼は念を押した。 「ほんとうに兄の霊がでてきたなら、すぐにでも飛んでいって話をしたいと思いま す。でもねェ、関谷さん。違うんですよ。巧妙に似せてはありますが、兄じゃないんです。私も残念なのですが」
とても真摯な話し方をされた。肉親だからこそ言える実感がともなっていた。私としては、抽象的な反論をするしかなかった。
「それは、あなたの主観ではありませんか。ホンモノかどうかは、読者が決める ものだと思います。イエス様の本だって、いっぱい出ている。信次先生の本がたくさん世に出て教えが広まることは、喜ばしいことじゃありませんか」
「ほんとうの神理を樹立してくれるなら、ありがたいと思います。でも、大川さんが書く本の内容は、絶対に兄のものではありません。あのようなレベルで次々に本を出されては困るんです」
言うまでもなく私は、大川の霊言を信じていた。かすかな疑いを抱きながら、それだけ余計必死になって信じようとしていた。
……………………………………
「内容に関して、違いを証明できるんですか」
「二つはハッキリしています。関谷さんも気づきませんか。一つは、“愛の波動 が伝わってこない”ということ。愛を説く言葉は上手に並んでいるけれど、暖かみが伝わってきません。ハートではなく頭で理解させ、うなずかせる感じです。二つ 目は、“冗談の言い方の違い”です。大川さんの冗談には品性がありません。兄はあんな下品な言い方のできない人でした」
こう言われてしまうと、なお反論することができなかった。感じや、身近な人しかわからない品性の問題を持ち出されては、マトモな議論にはならない。それだけに、弟さんの言葉にはウムを言わせぬ説得力があった。
こちらとしては、こんなふうに逃げるしかないだろう。
「大川先生にも深遠な意図があると思います」
疑いが起こるたびに自分に言い聞かせていたのと、同じ言葉が思わず出てきた。
「少し長い目で見守ってください。きっと信次先生のみこころが形となって表現されていくと私は信じています」 これはもう、霊言はホンモノじゃありませんと言っているに等しい。しかし追い詰められていた私は、そんなことさえ気づかなかった。これでは、弟さんを説得できるはずもないのである。
「このままでは兄の悟りは、この程度の浅いものとして広まってしまうんです。 『新幸福論』や『愛の讃歌』はひどいものです。あれでは猥褻書以下です。何が 神理ですか。一人ひとりに対して、兄はもっと真剣な愛を持っていました。そこのところを正しく伝えなくてはならないんです」
……………………………………
話し合いは2時間ほどつづいたと思う。
私の勉強不足に、弟さんは物足りなさを感じているようだった。勉強不足とは、 宗教界全般についての知識のなさである。
そうなのだ。〈幸福の科学〉の多くの会員と同じように、私も宗教に対しては ほとんど何も知らず大川の本と出会った。そして、入会後に読むものといえば、 ほとんどが大川の著作である。 それもそのはずで、「おれの本以外に本が読めるなら読んでみろ」とでも 言わんばかりに、立て続けに本が出るのである。
会に帰って会談の報告をしたが、ありのままを言うことはできなかった。 大川のためにも自分のためにも、適当にお茶を濁すしかない。あらましを聞いた大川は、「もうしばらくは言ってこないだろう」と安心した様子だった。
……………………………………
高橋興和との話し合いの後、会へ戻ると、大川は真顔でこんなことを言った。
「GLAは今や悪霊の集団と化している。そこの大幹部と会ってきたのだ。 当然、関谷さんも悪霊の影響を受けている」
「ほんとですか」私は思わず聞き返した。
「ほんとだとも。もう、帰ってきたのを見て、すぐわかった」
私には、その言葉が不思議でならなかった。弟さんとの会談では、私の旗色は悪 かったが、落ちついた礼節ある紳士との話し合いは、私の気持ちを充実させていた。
“あの話し合いは、両者が力を合わせて神理を中心に団結していくための努力だったのではないか。私の気持ちはこんなに満たされているのに、悪霊に憑かれるなんていうことがあるのだろうか”もちろん、そんな思いは口にしなかった。
12月7日になって弟さんから電話があり、「もう一度ぜひ会いたい。今日しか 時間がないが会えないだろうか」ということだった。たまたま大川が留守にしていたので、職員に断って会いに出かけた。
交渉は、前回の域を一歩も出るものではなかった。会話は静かだったが、どちら も主張を譲らず、最後には苛立ちさえ感じてきた。弟さんのほうが、おそらく数段冷静だったろう。もしほんとうの神理に立っていたら、少しも苛立つことなどなかったのである。神理ではなく、大川に対して忠実であろうとしていたから私はイ ライラしていた。
事務所に帰ってくると、ちょうど大川も戻ってきたところだった。
「関谷さん、今日は何かいいことでもあったんですか。なんだか、とてもスッキリした感じですね」
返事のしようがなかった。高橋興和に会ったとも言い出せず、笑ってごまかした。
それ以降、私の在籍中はGLAから何の音沙汰もなかった。私のような大川信奉者が窓口ではケンカにもならない、と思ったのだろうか。あるいは、私を通して 〈幸福の科学〉が学習のみであるという底の浅さを知り、どちらがホンモノかはわかる人にはわかると、自信を持ったのかもしれない。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。