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秘湯〜夢蛾はここにいる〜
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投稿者 富山誠 日時 2013 年 4 月 11 日 18:36:27: .ZiyFiDl12hyQ
 

(回答先: 温泉四方山話1 投稿者 富山誠 日時 2013 年 4 月 10 日 18:06:58)


 霧が・・・深い・・・

 夕闇が迫ろうとしていた。高木 彰弘と木村 一美は、霧のせいか道に迷っていた。ロードマップ片手に「秘湯」である大炭温泉を訪ねてきたのはよいが、この霧では到着はおぼつかないだろうと、二人はお互いに口に出さなくとも感じていた。

「ねえ・・・・この霧いつになったら晴れるのかしら・・・・」

 不安を口に出さずにはいられない一美。しかし彰弘の方も、すでに霧のために相当神経がまいっていた。一美の言葉に応えず、ただいらいらと煙草に火を付ける。
(やっぱりカーナビ付けとけばよかったかな・・・)彼は思っていた。

 ゆっくりと、センターラインを確認しながらカーブを切っていく。左側すれすれにガードレールが現れ、一瞬びくっとする彰弘。

「やっぱり、どこかで霧が晴れるのを待とう・・・」

 自分に言い聞かせるように彰弘はつぶやいた。広里村を過ぎたまでは憶えている。その先の萌黄山を越える山道で、霧が深くなった。地図によればこの道は何本か枝分かれしており、彼らはそのどこを走っているのかまったくわからなくなっていた。対向車も、ここ一時間ほどまったくない。

「ねえ、あれ・・・・」

 突然、一美が窓の外を指す。

「ん」

 霧の中に、ライトに照らされてぼうっと浮かび上がるものがある。何かの看板のようだった。車を停止し目を凝らしてみる彰弘。

「なになに・・・変美温泉、ホテル紅葉園?」

 一美が地図と観光マップを見る。

「へんみへんみと・・・・あった!これ」

 一美の声に今度は普通の地図をのぞき込む彰弘。

「あれま、全然違う場所だ・・・・ホントにへんぴな場所だな・・・」

 目的地の大炭温泉とは、萌黄山を挟んで逆方面になっていた。しかも、道がまがっていたのでわからなかったが、途中でUターンしたようになっている。

「まあいいじゃない。観光マップにも出てないし。行ってみましょうよ」

彰弘の駄洒落に気付かなかったふりをして言う一美。
 彰弘は、彼女に同意すると看板の矢印の方に注意深く車を回した。


 十分ほどで、車は「ホテル紅葉園」についた。どうやらあの看板から先は、ほとんど私道のようなものらしい。だいぶ坂を下ったせいか、霧は看板のところよりはだいぶ薄くなっていた。

「なんか寂しいわね・・・・」

車を降りてから、寒さに震えコートを着込む一美。しかし駐車場には他にも何台かの車が止まっている。

「まあ、行ってみよう」

 二人はとりあえず入ってみることにした。自動ドアが開き、建物に入る。モワッとした感じの、暖かく少し蒸した空気が二人を迎える。その向こうに、従業員らしい二人の女が現れた。

「いらっしゃませ、ご予約のお客様でらっしゃいますか」

二人とも若い女だった。ロビーを見回しても、目に入る従業員は若い女しかいない。逆に若すぎるのでは、と思われる娘もいるほどだ。彰弘も一美も感じていたが、彼女たちには共通して、何とも言えないなまめかしさがあった。

「いえ、予約はないんですが・・・・」

「さようでございますか」

 彰弘と一美は、フロントで手続きをした。時間は少し遅かったが部屋も食事も用意できるとのことだったので、二人はひとまず安心した。やはり若い仲居が、二人を部屋に案内する。この女もやはり、美人というのとは少し違う、男を引き寄せるような色香を撒き散らしているかのようだった。

「お食事までお時間がございますので・・・・・」

お決まりの会話ではある。が、一美もお約束のように返す。

「あの、お風呂はどこですか?」

「ここを出ましてつきあたりのエレベーターに乗られて、最上階に展望風呂、地下に大浴場、それと、一階のロビー横を抜けたところに温室風呂がございます」

 待ってましたとばかりに仲居が答える。

「温室風呂?」

 一美は興味を引かれたようだ。すると、やはりここぞとばかりに仲居が説明しはじめた。

「はい。当館の一番の売りでございまして・・・・温泉の熱を利用した熱帯植物の温室に、そのまま温泉を引き込んで浴場にしましたものです」

「わあ、なんか素敵ね・・・」

一美の顔が輝く。さっきまでの憂鬱な顔とは大違いだと、彰弘は思った。しかし、これも霧で道を迷ったおかげだと思うと、彼は複雑な気分だった。

「ねえ、彰弘、その温室風呂へ行きましょうよ・・・」

一美は一気に浮かれたようになっていた。しかし・・・

「申し訳ございません・・・・温室風呂は婦人用しかまだございませんので・・・・殿方用は現在工事中で近日オープン予定となっております」

「なあんだ、つまらないの」

口を尖らせる一美。

「おいおい、人前でそういうこと言うか?」

たまらずたしなめる彰弘。見れば仲居はどういう顔をしたものか困っている感じだった。


 結局、一美は一人で温室風呂に入ることにした。エレベーターを降り、ロビーの脇を抜けて浴場へ向かう。ロビーにはさっきよりも従業員が多い感じがしたが、やはり一人も男の姿はなかった。また、他の客の姿も見られない。時間が遅いせいかともおもったが、言うほど遅い時間でもない。彼女は不審に思ったが、浴場にはいるとその考えは一変した。


「うわぁ・・・・」

思わず声を漏らす一美。開放感のある高い天井の浴場には、大理石づくりの大きな浴槽のまわりにたくさんの熱帯植物が配置されている。夜というのに照明のせいか色とりどりのトロピカルな花が咲いており、湯気にのって花の香りが漂っていた。

 ゆっくりと湯を浴び、浴槽へ入る一美。ほどよい湯加減に花の香りが心地よい。それはここにたどり着くまでの苛つきを溶かし、身体を芯から暖めてくれるようだった。
(たまには道に迷ってみるものね・・・・)
 彼女はのんびりと湯船の中でくつろいだ。


 一方の彰弘は、最上階の展望風呂にいた。

(妙だな・・・・)

 彼はここに来て以来、どうにもしっくりこないものを感じていた。というのも、駐車場に車が置いてあるわりには、他の客とも会わず、他に客がいる気配すら感じられなかった。この風呂も貸し切り状態である。それに普通、従業員が若い女ばかりとは考えにくい。それもみんな思わず見とれそうな色気のある女ばかりだ。けっして美人とは言わないが、どの女もまるで男を引き寄せているかの如くなまめかしい。

(ま、目の保養にはなるな・・・)

そう思いながら外を見る。展望風呂といっても夜もいいところのこの時間では、やはり窓から何も見えない。下の方に、温室らしいガラス張りの部屋が見える。

(あれが温室風呂かな・・・)

見下ろしてはみたものの、それはやはりうまくできているようで、中の様子は見えない。

(ようやくゆっくりできるな)

 彰弘はこれからの楽しみのことを考えながら湯船を出た。


 一美が湯船から上がろうかと思ったときだった。不意に花の間から、何かが飛び出してくる。

「きゃ!」

彼女は驚いてそれを見た。

 パタパタパタ・・・・・
 金色に輝くそれは、羽ばたきながら空中を飛んでいた。はじめは逆光でわからなかったが、徐々にそれが昆虫らしいということが、彼女にも理解できた。

(イヤだわ・・・)

彼女はそう感じた。それは二十センチぐらいある大きな蛾だった。それが一匹だけ、高い天井の照明の周りをにたかるようにぱたぱたと飛んでいる。高いとはいってもそれは二階建ての吹き抜けぐらいの高さだったので、蛾が飛んでいる姿が気になる。蛾の周りは、どうしたことか金色の粉が舞っているようだった。

 パタパタパタ・・・・・
 彼女はふと、それに見とれている自分に気付いた。いつの間にか、自分の周りにも金色の粉が舞っている。上から粉が降ってきているのだ。

(イヤだわ・・・髪洗い直さなきゃ・・・)

彼女はそう思ったが、何故か動く気にならなかった。湯に浸かっている以外に別の心地よさが彼女を包んでいる。彼女の全身を包み込むそれは、徐々に心地よさからそれ以上のものへと変わっていく。

(イヤだ、私・・・どうしたんだろう・・・)

 無性に、彰弘が恋しかった。気が付くと、蛾は消えていた。一美は湯から上がり、髪を洗い直した。


「おそくなりました・・・」

浴衣姿の一美が、部屋に戻ってくる。

(うお・・・・)

 彰弘が、驚いたように彼女を見つめる。風呂上がりのせいか、一美の姿は彼には輝いて見えた。

「どうしたの?なにかふざけてるの?」

一美が怪訝そうな顔をする。

「いや、ああ、おかえり」

 彰弘はいま気がついたかのようにそれに反応した。実際、彼女に見とれていたのだ。
「なに?」あらためて聞き直す一美。

「いや、なんか、やたらと色っぽいなと思って・・・・」

彰弘は思わず本音をこぼした。

「やだぁ、もう・・・そんなこと言わなくっても」

照れる一美。

「いや、本当だってば。湯上がりなのさっ引いてもいつもよりだいぶ色っぽい」

 一美は少し戸惑った。本当に彰弘が彼女に見とれたのなら、そんなことはつきあってから今までなかったことだった。彼女は戸惑いながらも嬉しかった。

 食事が運ばれ、食べている間も彰弘の視線は一美に釘付けだった。彼女は嬉しいような恥ずかしいような、それでいて不思議な気分だった。一方の彰弘も、彼女の魅力を見直した気がして、気分が良かった。

「ねえ、本当に何ふざけてるのよ・・・」

 布団が用意され、二人きりになると、彰弘はすぐ一美を求めた。一美もそれに応えた。
 従業員が女ばかりだろうが、他に客がいなかろうが、そんなことはもうどうでもよかった。


 深夜・・・・・

 一美は、ふと目を覚ました。彰弘の体温が心地よい。抱き合ったまま眠ってしまったようだ。彰弘は死んだようにぐっすりと眠っている。

(そりゃあ・・・ずっと運転してたのにがんばっちゃったものね・・・)

 一美は彰弘の寝顔を見て、一人微笑んだ。
 不意に、温室風呂での出来事が頭をよぎる。

(あの気持ちよさって、何だったのかしら・・・)

 一美はあの感覚を思い出そうとした。彰弘と結ばれているときとはまた別の、次元の違う心地よさ。無性にあの感覚が恋しくなった。

(ここのお風呂、二十四時間かしら・・・)

 一美は脱ぎ捨てた浴衣を羽織ると、眠ったままの彰弘を残して再び部屋を出た。


 さっきと同じようにロビーの脇を抜けて、温室風呂ののれんをくぐる一美。

(・・・・・?)

 一美は不審に思った。脱衣場の入り口に、やけに草履が多い。入り口から脱衣場へは、引き戸が付いている。その引き戸を、彼女はゆっくりと開けた。

「オホホホホ・・・・アハハハハハ・・・・・」

 突如聞こえてくる嬌声。一美の疑いは間違っていなかった。脱衣場には、たくさんの着物が脱ぎ捨てるように置いてある。それは従業員の物だった。しかし、さらに目を疑うことがあった。

 嬌声が聞こえるガラスの引き戸の向こう側が、金色に発光しているように見えた。

(何なんだろう)

 一美はガラスの引き戸をそっと開いてみた。

(一体これは・・・・)

 彼女は中の景色を見て理解に苦しんだ。しかしそんなに長く悩むこともなかった。金色の粉が、彼女のいる引き戸のところに舞っている。

 心地よさと陶酔感が一美の全身を包んだ。それが大きな波となって、彼女を襲う。

 彼女はなぜだかとても楽しい気分になった。ここでのぞいているのが馬鹿らしくなってくる。一美はそのまま浴衣を脱ぎ捨て、金色に光る温室風呂の中に入っていった。


「おはよう・・・」

 目を覚ます彰弘。目の前に、艶やかな笑顔を浮かべた一美がいる。彰弘には、その笑顔が輝いて見えた。

「おはよう」

寝ぼけた声で応える彰弘。

「朝ご飯の時間になっちゃうよ」

 甘えるように彰弘を抱えおこす一美。彰弘は、昨日に輪をかけて彼女が綺麗になった気がした。

(ここの温泉、美人の湯か何かか・・・)

そんなことを思いながら、朝食を取る彰弘。一美の仕草ひとつひとつが、彼には新鮮に思えた。

「ねえ、彰弘・・・」

突如甘えた声を出す一美。

「なに?」

「私、もう一日ここにいたい・・・」

「え!?」

彰弘は驚いた。彰弘も一美も明日は仕事がある。もう一日いるということは仕事を休むということだ。

「一美、仕事は?」

「会社なんて・・・・そんなことよりここで彰弘と一緒にいたいわ」

「おいおい、子供じゃないんだから」

 しかし、一美は絶対に帰らないと言い張った。彰弘がどれだけたしなめても無駄だった。しまいには喧嘩になり、一美は、

「自分だけもう一晩泊まっていく」

とまで言いだした。

「足がないからよせ」

と止めたものの、結局彰弘は一人で帰ることになった。車を出すときも、一美は彼を送ることさえしなかった。


 翌日になっても、一美は帰ってこなかった。電話も通じない。三日たっても四日たっても、彰弘は一美に連絡を付けることはできなかった。

(あの温泉に行って、一美はおかしくなった・・・・)

 彰弘はそう思い、変美温泉とホテル紅葉園について調べはじめた。しかし存在自体は確認できるものの、それ以上の情報はまったくと言っていいほど無いに等しかった。温泉以外の売りは何もなく、食事で売り出すでもない。数年前の萌黄山の山火事で、観光地としての値打ち自体がなくなってしまっているのだ。紅葉園に限れば、二年ほど前に経営者も変わっている。経営状況も、決して良くはないようであったが、確かに営業はしている。

 しかし彼にとって、紅葉園で何かあったのではという以外に、彼女が変わった原因は思いつかなかった。

(あそこにいったい何が・・・)

 彰弘は、再び変美温泉に向かうことにした。


 次の土曜日、彰弘は変美温泉に向かって車を飛ばしていた。

 一度帰った道を、間違えるはずはなかった。広里村を抜け、萌黄山に入る。そして、あの看板のところを右に曲がって、車は紅葉園の駐車場に着いた。この前は霧でわからなかったが、こうしてみるとこのホテルはちょうど谷間にあり、展望風呂からはたぶんそこを流れる川の景色が見えるのだろうと彼には思えた。すでに日はその山に隠れ、夕闇が辺りを覆いはじめている。

 一人だけで、自動ドアの前に立つ彰弘。例によってモワッとした感じの、暖かく少し蒸した空気が彼を迎える。

「いらっしゃいませ」

着物姿の若い女が、彼を迎える。

「一美!?」

「彰弘・・・」

 あろうことか、彼を出迎えた女は一美だった。彰弘が一瞬気付かなかったのも無理はない。彼女は彰弘が今までには見たことのない、長い髪を後ろでまとめ、着物を着ているといった格好をしていたのだ。しかし、それだけではなかった。一美は、この一週間で見違えるほど、磨きが掛かったように艶やかできめ細やかな肌をしていた。一瞬目を奪われそうになるが、彰弘は本来の目的を忘れなかった。

「どういうことなんだ?」

一美を問い糾そうとする彰弘。そこに、もうひとり若いが落ち着いた感じの女が割って入る。

「まあお客様、木村さんのお知り合いでしたの?」

 気が付けば、笑顔ではあったが、女たちが二人を囲んでいる。どうやらこの女は若いようだが女将らしかった。名札には、「雅」とだけ書いてある。

「一美・・・」

それを無視して、彰弘は一美を糾そうとする。

「木村さん、お部屋にご案内して。お風呂でも上がって頂いたらどうかしら」

 一美の困った顔が、その一言に和らぐ。

「そうだわ。彰弘、一緒にお風呂に入りましょうよ。今日のお客は彰弘だけだし」

 妙だと思ったが、ここで痴話喧嘩をするのもみっともないと思った彰弘は、とりあえず一美に従い、部屋に向かった。


「一美、どういうことなんだ」

「どうって・・・・見てのとおりよ。私、ここで働くことにしたの」

「そんな・・・無茶苦茶だ」

「無茶苦茶じゃないわ。みんないい人ばかりだし、毎日温泉は入れるし、いいことずくめじゃない」

 彰弘は、彼女の言うことももっとものような気がした。自分でさえ目を奪われる今の彼女の姿を、彼女自身もわかっているはずだ。しかし彰弘はその話がどこかおかしい気もした。が、それを口に出す前に彼女は猫撫で声を出してくる。

「そんなことより彰弘、一緒にお風呂入りましょう・・・この前は入れなかったし。急なことで、悪かったとは思ってるわ・・・ねえ」

 甘えたように身体をすり寄せてくる一美。それは、やはり彰弘がよく知っている一美に違いなかった。

「わかったよ・・・・」

答える彰弘。

(自分も少し大人げなかったかもしれない)

 これで仲直りするのも悪くないと、彼は思った。


 ロビーの脇を抜け、温室風呂ののれんをくぐる二人。脱衣場にはいると、一美は帯をほどき、着物を脱いでその裸身を露わにした。彰弘はあらためて彼女のその姿に見とれた。今はじめて見るわけではない。しかし、彰弘には今の彼女の身体が眩しかった。見とれながら彼も裸になる。

「いやだ・・・何見てるのよ」

照れる一美。一美は微笑みながら彰弘の手を握り、金色に光っている浴場の引き戸を開けた。

「これは・・・・・!?」

驚く彰弘。

「驚くことはないわ。とても気持ちいいんだから」

 そのまま手を引く一美。温室風呂の浴場には、湯気の中を体長二十センチほどの金色の蛾が、数え切れないほど乱れ飛んでいる。そしてその羽から落ちるのであろう金色の粉が、まるで花吹雪のようにきらきらと舞っていた。

「ああ・・・・」

粉を吸い込み、すでに恍惚の表情を浮かべている一美。彰弘も、すでにその粉を吸い込んでいた。今まで経験したことのない幸福感が込み上げてくる。彼は一美に引かれるまま、やはり金色に光る湯船に浸かり、陶酔感に酔いしれた。湯で体が温まっているのか、全身が熱くなっていく。

 彰弘がそれに気付くまでには、しばらく時間がかかった。湯船が波立つのを感じて、彰弘は、はじめて彼女たちに気付いた。

「気分はいかが?」

 女将らしい女、雅は、にこやかに彰弘の方へやってきた。少しぼうっとする頭で雅を見る彰弘。湯船の中を立ったまま近付いてくる雅の姿は、彰弘にはとても若く美しいように思えた。一美も彼女のことを女将とは言っていたが、年格好から判断すれば、彼には未だにそれが信じられなかった。

「もうすぐ・・・あなたにもわかるわ」

意味ありげな言葉を告げる雅。その雅の腕に絡みつく女の姿がある。雅だけではなかった。彼女に続いて、たくさんの女性が一糸纏わぬ姿で湯船に入ってくる。その中には、すでに恍惚とした表情を浮かべる者もいた。それを目にしながら、彰弘は全身から、熱い何かが込み上げてくるのを感じていた。見れば一美も、彰弘の身体を抱きながらうっとりとした表情をしている。

「ここにいる限り、私たちはこの若さと美しさを保つことができるの。もちろん一美ちゃんも、あなたも・・・」

 彰弘はよく理解することができなかった。それよりも、とにかく体が熱い。熱いだけではなかった、今までには経験したことのない感覚が、彼の意識を浸食した。それは決して気分の悪いものではなく、むしろ心地よいものであり、その感覚が、彼がものを考え身体を動かそうとすることを拒んでいた。

 金色に輝く粉が、湯気に紛れて女たちと彰弘に降り注ぐ。

「この粉は、私たちをとても素敵な気分にしてくれるの。私たちは・・・・一美ちゃんも、もうこれなしでは生きては行けないのよ・・・・わかるかしら」

 彰弘は、陶酔感に浸りながら、夢見心地で聞き流していた。その周りで女たちは、粉を全身に浴びながら意味不明な言葉を叫んだり、嬌声を上げながら身をくねらせたりしている。雅は続けた。

「いまならたぶんまだ間に合うけれど、どうする?このまま私たちの仲間になる?それとも・・・」

 雅の意外な言葉に、少しだけ理性を取り戻す彰弘。

(この女は何を聞いているのだろう・・・・・?)

疑問が彼の中で渦巻いた。しかし全身から沸き起こる陶酔感が、彼が理解しようとするのを妨げた。

「仲間に・・・なる・・・・?」

よく働かない頭で、彼はなんとかその疑問を口にした。

「そう・・・・この夢蛾の粉は、私たちに美と快楽、そして若さを与えてくれる。でもそれだけではないわ・・・・あなたの腕を見てご覧なさい」

 彰弘は言われるままに腕を伸ばして見た。確かに、どこか自分の腕とは違ってきているような気がする。心なしか、それは自分の記憶よりも細く滑らかなように思えた。

「あなたもずっとここにいるといいわ。朝が来て、あの夢蛾たちが寝床に帰る頃には、あなたも私たちのようになっているはずよ・・・・・そして、それは一美ちゃんの願いでもあるの」

 雅の息が荒くなってきていた。雅の言葉に、うっとりとした表情で、彰弘を抱きしめる一美。

「あきひろ・・・・ずっと・・・・いっしょにいようね・・・・」

 彰弘は、ゆっくりと自分の状況を理解しはじめていた。いつの間にか彼の目に入る彼の身体が、彼のよく知っているものではなくなりはじめている。体中から沸き起こる今までに経験したことのないとても心地よい感覚の中で、引き締まった筋肉質の身体が、ゆっくりと、確実に細く、丸みを帯びつつあった。しかし彰弘には、それが現実なのか幻なのかもうわからなかった。

 全身を震わせる陶酔感と、すぐ側に感じられる一美の感触が彰弘を幸福感で満たしていく。雅の言葉も、もう彼には届いてはいなかった。

「あなたも私と同じ・・・ウフフ・・・もう戻れないわ・・・何のためにこの温室を作ったと思ってるの・・・アハハハ・・・・あの馬鹿なオーナーを殺してまで・・・オホホホホ・・・・私の人生で最高の出会いは舞子なんかじゃないわ・・・・夢蛾よ・・・オッホッホッホッホ」

 雅は狂ったように笑いながら続けている。しかしその目はもうすでに彰弘の反応など見てはいなかった。夢蛾の粉が、すでに常習者となっている彼女にもようやく効いてきたのだ。

「あなたも仲間におなり・・・・永遠の若さと美しさが手にはいるのよ・・・・なーんて素敵なんでしょう・・・アハハハハ・・・・オホホホホホホ・・・・」

 蛾は、湯気の中を舞い続けている。女たちの狂宴は続いた・・・・・


****************************************


「いらっしゃいませ、お疲れさまでございました」

 政人と由希子を、着物姿の女が迎える。政人はその女に思わず見とれてしまった。

 髪をまとめた着物姿が、とても色っぽく見える。その他でも、見回したところにいるのは同じ格好とはいえ若い女の従業員ばかりで、政人好みの女が何人もいる。
 由希子が、そんな政人を肘でつついた。

「あ、予約してないんですけど・・・・」

慌てて告げる政人。

「結構でございますよ。本日はお部屋空いておりますので」

 女は、二人をフロントへと案内した。政人は、名札をチェックするのを忘れなかった。名札には、「高木」と書かれている。

「さあ、お部屋にご案内しましょう」

 手続きを済ませ、政人と由希子は、その「高木」という女に案内されて部屋に向かった。その後ろ姿を、同じような数人の女たちが笑顔で見送っていた。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~kebochin/Return%20of%20the%20yellows.HTML  

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