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イエスキリストは有色人種でしたか・oshiete(本物イエスは汝の敵を愛せよではなく反逆しろ剣を取れと言ったようです)
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/677.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2013 年 3 月 02 日 00:13:07: 4sIKljvd9SgGs
 

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2779420.html
イエスキリストは有色人種でしたか

15件質問者:ryomen 投稿日時:2007/02/24 09:16
石原慎太郎氏の著作にでてきました。
イエスキリストは詳しくは何人だったのでしょうか。
ご存じのかたお教えください。

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No.10

0件回答者:kigurumi回答日時:2007/02/27 10:04
まず、キリスト教聖書(新約聖書)通りのことを行った実在した人物だったかどうかわかっていません。

水戸黄門として現在茶の間のおじーちゃんおばーちゃんをテレビの前にくぎづけにしている徳川光圀。
確かに実在の人物のようですが、あの番組のように各地を放浪していたわけじゃないようです。
つまり各地を裁いて回った武勇伝は後世の人が思想を元に作ったフィクション。

ユダヤ書では、思想を書くとき、過去の有名な人の名前でストーリーを書くというルールがある。
現代の人が信長という主人公にして物語を書くように、ユダヤ書も過去の偉人と言われたモーセだったりエリアだったりアブラハムだったり、その名前を出して思想を形にしていた。
そして時代によって何度も時代時代で書き直されていた。

だから、同じような話なのに詳細が違ってくるという現象が起こっていた。
聖典に入ったから史実だとされたのではなく、どの思想のモーセがいいか ダビデがいいか ソロモンがいいか 一部の人が聖典を作るとき決めたので、そのストーリーが聖典に入っただけ。
真実だから入ったというわけじゃあない。


イエスの場合。
イエスが生まれた時に王だったヘロデ大王も、その子アンティパスも 容赦ない悪代官ピラトもローマ史や他の資料に、その存在や実際やったことがこれでもかとか残されているのに、肝心のイエスに関しては無い。

ヨセフスだったか忘れましたが、彼の記録に一箇所だけ、3人が磔の刑になっているのが遠くに見えた とは書いてあるが、だからといってその中の一人がイエスだと決定することはできない。

何故ならピラトは自分に逆らう疑いのあるものはなんびとであろうと通報させ、処刑していたから。


ピラトは正しい人で、イエスに情けをかけてなんとか無罪にしようとしたなど、 他の人が記録していたピラトの所業の数々からして ありえない。
フィクションの一つ。
恐らく後世ローマがキリスト教になったので、そういう偽のストーリーを作ったと思われる。

ピラトは、疑いのあるものは、裁判なしに処刑していたことで有名な男だったのだから。

それにイエスが言ったとされた言葉の恐らくほとんどは、ユダヤ書(旧約聖書)や ラビ文学や 死海文書に既に書かれていることばかり。
なんら新しいことは言っていない。

何故ヨシア(イエス)なのか?
一つには作者はヨシア王をイメージして小説を書いたので、ダビデではなくヨシア(イエス)という名前にしたのだと思います。


もうひとつには、哲学者ヨシア(イエス)の孫の思想もあったと思います。
(確かユダヤ聖書をギリシャ語に翻訳した人。シラ書の作者だったと思います)


まるで水戸黄門の西洋版のようなものです。
しかもギリシャ哲学が混入している。


イエスという人物がディアスポラの生粋のギリシャ生まれギリシャ育ちで、ギリシャ哲学によって育てられたのなら、なるほど・・・となります。

たまたま ギリシャから騒乱していたエルサレムに巡礼をしに行って、覚えたたてのカタコトのアラム語もろくに通じず、何者だと疑われ、疑いのあるものは処刑という時期だったので、追っ手が迫り、「汝の敵を愛せよ」と異邦人である自分を愛せよなど言ったのか?
だとすると、この人は災難です。
旅行するときは、その地域の事情をあらかじめ知ってから渡航しないと、テロリストに捕まって母国が脅迫されることになる。
イラクを救うためだとか正義感はいいから、そんな平和ボケした人たちは、内乱が起こっているところに行くべきじゃあない。
迷惑きわまりない平和ボケさです。

で、「汝の敵を愛せよ」は その言葉通りではない。

他にも誤訳がいっぱいで、ヘブル語に直せば、キリスト教の教義に、いくつもイエスが言った言葉とは違う解釈が存在し、それをイエスの思想だと誤解して誤った考えでイエスはこういったと嘘で布教していることになってしまいます。
ヨシア(イエス)という主人公名を使って、作者は何を言いたかったのか、ヘブル語に戻せば見えてくる。


誤訳ずくしの教義がイエスが言ったこととされてしまい、2000年近く信じられていたことになる。


ヘブル語に戻せば、イエスはもっと戦闘的な人物だったことになります。
「反逆しろ 剣を取れ」という記述は、イエスは戦闘的な人間という設定なのでこれは誤訳ではないでしょう。

(いわば光と闇の戦争で、実はイエスの物語を書いた人も、闇の子でもある。)

ピラトが何故 あそこまで疑いのあるもを捕らえ処刑していたのか。
これはちょっと複雑ですので、、、。
が、少しだけ言うと、ローマ皇帝とヘロデ王は仲がよかったし、恐らく親戚だったと思えます。
ローマによって置かれたユダヤの王が、ローマと親戚関係にあったヘロデ王。
ユダヤ人はユダヤ人でもない王や、その親戚が宗教の権力地位を独占していることが許せなかった。
ピラトはローマのユピテル(デウス)を崇拝するように偶像を置こうとしたりして民衆を挑発したし。
(後にキリスト教は、神をデウスとしました。芥川龍之介の小説にもデウスという名前が出てくる。日本人に布教するとき 神をデウスとしたのでそうなったわけです。)

エルサレムの人は、反乱を何度も起こし、反逆しローマ兵を殺しており、いわばローマにしてみればテロ行為をローマに対して繰り返し行っていた。
(特にゼロテ党が。イエスの弟子とされた中にもゼロテ党がいた。最後はゼロテ党は追い詰められ集団自殺をしました。)

そんな騒乱の時代がイエスがいたとされた時代。
だからピラトはこの繰り返し行われるテロを抑えるため、疑いのあるものを処刑し続けていた。
たくさんの人たちが毎日処刑されている そんな時代だった。

ヨセフスが遠くに見えたというのも、恐らく数多くの磔刑の一つと思われます。
従ってヨセフスが見たのはイエスの磔刑とは言えない。


と、まだまだ 実在の人物とは違う架空の人じゃないか という疑いはありますが、そのようなストーリーを作った人たちは実在していたことだけはわかります。
何度も書き直されたのは、ユダヤ書と同じように思想を何度も焼きなおしたから。

で、石原慎太郎氏の説は、、、
これまたやっかいなのですが、、、
ユダヤ聖典に入ってはいない記述を見ると、アダム一家以外にも別の生命体を認知していることがわかっている。
イヴがカインに「あの黒い人たちは何者?」 と聞いたらカインは「アイチオピア人だ(エチオピア人)」と答えている。


そしてノア。
天使の血を引いていると思われていた。
何故なら白人の特徴を持っていたから。(特に肌が雪のように白かった。確か目の色も違っており髪の色も異種だったと書かれていたと思います。)
突然 別の人種が家族の中に生まれたのだから、天使の血をひいている となるのもわかります。

恐らく北欧とかそっち方面の血が祖先のある時代にまざって、劣勢遺伝子のそれがノアの時に出たと思われます。
天使となると背が高く(巨人)で後光が差している。(金髪)
パレスチナに住む人からみると、アイチオピア人同様 自分たちとは違う生命体だと思うのも無理は無い。

その後も天使族とされた北欧系かどこか知りませんが、その人たちと言語は違うが交流があり、何度かその血が混ざったと思われます。


でも、優勢遺伝子が出やすいので、白人と黄色人種では黄色人種の外見上の特徴が出やすいし、黄色人種の血が入るほどに、劣勢遺伝子は出にくくなる。
イエスのストーリーの作者は白人系だったか、黄色人種系だったのか?
聖書は誰が書いたのかわかりませんので、特定できません。

現在イスラエルに住むユダヤ人、多くが白人系の外見です。
10世紀頃、黒海 カスピ海周辺にハザール帝国というものがあった。
キリスト教とイスラム教の勢力によって圧力が加わり、どっちの宗教をするかとなったとき、選んだのがユダヤ教。
その子孫が現在 イスラエルに住んでおり、イエスの時代とは縁のゆかりもない 全く別人種が自分たちはユダヤ人だと偽り国を作って乗っ取ってしまった。 という主張がある。

「この偽者」と言われているわけです。


ところが、、、、、
外見上の区別とは別にDNA鑑定というものがある。
これは、日本人が真っ黒に日焼けしてアフリカ人だ インドネシア人だ と偽っても、DNAでバレちゃうんです。

イスラエルに住んでいるユダヤ人だという白人系の顔をした人のDNA鑑定を行ったところ、、、、、
アラブ人も黄色イスラエル人も白色イスラエル人も、パレスチナ独特の共通の遺伝子を持っていることがわかった。
それに、突然ユダヤ教になったのではなく、ディアスポラしたユダヤ人が、あの国に多く住んでいたらしいのです。
だから、当然 どの遺伝子を持ってあたりまえ。

日本人もユダヤ人の血をひいている という説がありますが、残念ながら日本人のDNA鑑定では、そのパレスチナ独特のDNAは無い。
(全員調べれば 特に 皇室や政治のトップクラスや神道のトップクラスの人たちを調べたら、その遺伝子を持っているかもしれませんが)

で、石原慎太郎氏は、恐らく日ユ同祖論を結構信じている人だと思います。
(どっかで見たような)

だから、そういう主張になっているのだと思います。
日ユ同祖論は、早い話がDNA鑑定をして、外見上は日本人だとしか思えない人の中にパレスチナ独特の遺伝子がどれだけいるか調べればいいんですよね。
個人情報保護法に阻まれ無理。


ただ、日ユ同祖論になったところで、イエスが実在していたかどうか証明できません。
なんせ イエスのその弟子だったとした人たちの墓も無いので、DNA鑑定ができないんです。

もし、見つかれば初めて神のDNAを知ることになり、、、、すごいことになりそうです。

この回答へのお礼ありがとうございます。
歴史は結局物語りなのでしょうかね。
聖徳太子もいない、南京虐殺もない、ナチのホロコーストもなし。
私的には何でも良いのですが。
 

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コメント
 
01. 2013年3月02日 13:10:54 : W18zBTaIM6

イエス・キリストはユダヤ人でアラビア人と同族だろ。

もう少し調べてから書けよ。


02. 2013年3月03日 00:43:36 : HCd0gM0d1l
★「キリストはユダヤ人ではなかった」
"Christ was Not a Jew:An Epistle to the Gentiles by J.E.Conner”より抜粋

「異教徒(異邦人)のガリラヤ」と預言者イザヤは言った(ヨシュア記9−1)

西暦50年、ガリラヤ総督であったユダヤ人ヨセフスはガリラヤ人の気質と規範はユダヤ人のそれとはまったく異なると記した。

ユダヤ人の教典『タルムード』はガリラヤ人とユダヤ人の結婚を禁じた。これが意味するのは人としてガリラヤ人であったイエス・キリストはユダヤ人ではなかったということである。【キリストはユダヤ人ではなかった】で検索せよ

「イエス・キリストの身体的特徴は、ガリラヤ生まれの青い目で亜麻色の髪をした非ユダヤ人であった」by Eustace Mullins【ユースタス・マリンズ】で検索せよ  


03. 2013年3月03日 08:05:34 : W18zBTaIM6
ユダヤの伝承では、イエス・キリストはローマ兵とマリアの子供だよ。

どちらにしろ有色人種ではない。


04. 2013年3月03日 08:09:45 : W18zBTaIM6
ローマ人の血が入ったイエス・キリストは青い目では有り得ない

古代ローマ人の肌はオリーブ色だと当時の文献では言ってます。小麦色ってところです。髪も目も濃い茶色で、ラテン系の人たちの色です。背は低かったそうです。

肌が白く金髪で青い目の人は、ローマよりも北方で暮らしており、ガリア人と呼ばれてローマ人からは野蛮人だと思われていました。それが今のヨーロッパ人です。後年のローマ帝国を扱った西洋絵画や映画は、すべて、ヨーロッパ人がローマ人の格好をしてます。本物の古代ローマ人が見たらきっと笑うでしょうね。イエス・キリストが白人なののと同じくらいおかしいです。

ローマ帝国の初期の時代は、中東や北アフリカは古くから文明が進んでいて開けていましたが、ヨーロッパは無法で危険な蛮人がいる未開の地でした。イギリスにいたっては土人の国でした。

ガリア戦記からそういう様子がうかがえます。

そういうことを考えると、白い肌の人よりも黒い肌の人のほうがローマ人には素敵に見えたでしょうね。地中海世界の範囲内の話ですが。シバの女王は肌の黒い北アフリカ人ですよね(なぜか映画では白人ですが)。でも、北アフリカも奥の方へいくと危険で無法な遊牧民がいましたので、みんながみんな友好的には見えなかったでしょう。
http://okwave.jp/qa/q7007479.html


05. 2013年3月03日 11:11:51 : W18zBTaIM6

ユダヤ人はセム人で有色人種ではない。


セム度(メソポタミア度)調査 Y-DNA「J 」 rev.3

  ヨーロッパ人の遺伝子調査の最後はY-DNA「I 」の兄弟遺伝子「J 」です。「J1」はセム種です。

ヨーロッパ人にとって、セム語族は極めて重要です。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、この3つの宗教全てを始めたのはセム語族だからです。

ユダヤ人もセム種、キリストもセム種、マホメットもセム種です。

欧米の宗教はセム種によって開示されたのです。当時ローマ人以外は野蛮だったヨーロッパ人は宗教なんて高尚な概念はなかったのです。ただの未開集団に過ぎませんでした。しかしローマがキリスト教を受け入れて変化が起きたのです。

  そのローマ人は地中海系民族だったのでやはり野蛮なヨーロッパ人とは一線を画していたのです。そしてヨーロッパに農耕文明をもたらしたメソポタミア文明人は「J2」遺伝子集団と考えられています。農耕技術を持ってヨーロッパ大陸に拡散をしていったためほとんどの欧州人に「J」遺伝子が交配されています。「J」はラテン遺伝子の「E1b1b」と共にヨーロッパ人の重要な遺伝子なのです。しかし「G」はコーカサス遺伝子と知っていましたが、「J」もコーカサス発祥とは初めて知りました。コーカサスはヨーロッパの母なる土地です。

  欧米では、世界最古の民族はアルメニア人だと、以前言われていましたが、Y-DNA遺伝子の調査では、シーラカンス古代遺伝子のY-DNA「D」と「C」以外の新世代遺伝子Y-DNA「F」の中で最も古いタイプがコーカサス遺伝子Y-DNA「G」ですが、その頻度が最も高いグルジア人が最古のような気がします。いずれにせよアルメニア人も発祥の地であるコーカサス一帯が現代文明人の故郷のような気がします。実は「G」遺伝子を持つコーカサス民族には農耕をヨーロッパにもたらしたメソポタミア遺伝子「J2」の頻度も高く、当時最先端の文化を誇っていたはずなのです。
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/


06. 2013年3月03日 11:16:15 : W18zBTaIM6

ラテン度(地中海度)調査 Y-DNA「E1b1b」 rev.3

  Y-DNA「E1b1b」遺伝子も頻度の高低の差はあれどヨーロッパ人のほとんどに含まれています。もとも我々日本人の持つ縄文中核遺伝子のY-DNA「D2」とは兄弟遺伝子なのです。60000-70000年前頃に大干ばつ地域と化した母なる大地/北アフリカから生きるため絶滅寸前だった現代人類は出アフリカし、中東に逃げ60000-70000年前頃に現代人類Y-DNA「CT」は「DE」と「CF」に分化し,50000-60000年前頃に「DE」は「D」と「E」に更に分化したそうです。そして東進した「D」はアジア一帯に拡大しましたが、「O」の膨張により押し出されて辺境の地にのみ生き残りました。

一方「E」は何故か再び砂漠と化した北アフリカに戻り、先住の「A」や「B」と交配しながらアフリカの大地に拡がりました。ところが一部の集団が地中海の北側に進み温暖なヨーロッパ南部に住み着きました。これが陽を浴びて褐色の肌になりやすいラテン系のヨーロッパ人の基になりました。従って「E1b1b」は圧倒的に北アフリカに高頻度を示します。

  ヨーロッパではスペイン、イタリアなどのいわゆるラテン系人種の他にバルカン半島のほぼすべてで高頻度に見られます。古代のバルカン半島など地中海沿岸は先住のノルマン系「I」に加えて北アフリカと同じ「E1b1b」遺伝子地帯だったのです。そこにケルト「R1b」、スラブ「R1a」、メソポタミア「J2」などの民族が流れ込んできたのです。南国系の遺伝子のため寒いスカンジナヴィアでは頻度は極めて低いのです。

  またイギリスは国全体で見ると頻度は低いのですが、或る地域に「E1b1b」が高頻度で固まっています。イギリスWales北部のAbergeleという地方ではY-DNA「E1b1b」の頻度は実に38.9%にも達します。これはローマ時代のローマ軍の進出・駐屯・定住の結果と考えられています。ヨーロッパの中で最高の頻度を示しています。意外に陽気な一面を持つイギリス人の要因かもしれません。


07. 2013年3月03日 11:17:56 : W18zBTaIM6

Y-DNAによるヨーロッパ民族度の復習 rev.1

  今日、巨大書店のジュンク堂で世界史地図帳を購入しました。高校以来46-47年ぶりぐらいです。学習参考書コーナーにありました。336頁の上質紙でカラー印刷の立派な参考書籍?なのですが高校生用なので税込910円と手ごろ価格で、年金暮らしの身には助かりました。

  目を通していて、インド・ヨーロッパ語族の移動のところでアーリヤ人が印欧語族の故地の中西部ユーラシア(黒海/カスピ海/アラル海の北側に拡がる広大な地域)から、移動を開始したことが書かれていました。知っていたはずですがうろ覚えであることを思い知らされました。

  ある集団(Y-DNA「R1b」)は西進しヨーロッパに侵入し先住のクロマニヨン人の子孫(Y-DNA「I 」)と遭遇し、交配を嫌い独自文化を保とうとしたのがケルト民族になってゆき、交配を強めたのがゲルマン民族になっていったようです。ドイツ人やオランダ人のY-DNA「I 」頻度は意外に高いのです。やはり異なる遺伝子と交配することで民族エネルギーが上がり、純度を保とうとすると同質性が高まり民族エネルギーが下がる、という民族学の知識はここでも生きているようです。

  方や南下しイラン高原からインド北部に侵入した集団(Y-DNA「R1a」)は、インド・アーリヤ人として先住のインダス文明人のドラヴィダ人(Y-DNA「H」)を追い出しインド亜大陸南部に押し込めたのは、世界史の常識として知っていましたが...。インド人の肌の黒褐色はかなり密接に交配したドラヴィダ人から受け継いだものです。

  すっかり忘れていたのはその時にY-DNA「R1a」は故地に留まるかやや北に移動した集団がいたことです。それがスラブ系の集団になったのです。つまりY-DNA「R1a」はヨーロッパでは間違いなくスラブ民族遺伝子なのですが、実はインド・アーリア人遺伝子でもあったのです。

スラブ民族とインドアリーヤ人は同根なのです。つまり交配した相手の違いで今我々が知っているくらい違う外観に変貌したのです。すっかり忘れていました。やはりうろ覚えの知識はダメですね。ロシアのプーチンはY-DNA「N」系のような感じですがメドベージェフは「R1a」のような気がします。調べてほしいですね。


08. 2013年3月03日 11:40:43 : W18zBTaIM6
日本人とユダヤ人は全く縁も所縁も無い完全な異民族だというのが良くわかったろ。

09. 2013年3月03日 11:54:03 : W18zBTaIM6
>イエスのストーリーの作者は白人系だったか、黄色人種系だったのか?
聖書は誰が書いたのかわかりませんので、特定できません。


ルカはギリシャ人、それ以外はすべてユダヤ人だよ。

もう少し基礎を勉強してから書けよ。


10. 2013年3月03日 11:57:03 : W18zBTaIM6
聖ルカ 福音記者


 本名はルカノス(ルカヌス)で、ルカまたはルカスはその略称です。 福音史家で聖人(祝日10月18日)です。 シリアのアンテオケア(アンティオケイア)に生まれたギリシャ人の医師です。 

使徒パウロの協力者および随従者として活躍しました。 パウロの第二次と第三次伝道旅行およびローマ旅行に同伴しています。 

文学的教養が高く、「ルカによる福音書」および「使徒行録」の著者として不朽(ふきゅう)の名をのこしました。 この両篇は、前篇と後篇の関係にあって、新約聖書中で最も美しく格調の高いギリシャ語で書かれていると言われています。 分量的にも、両篇を合わせると、新約聖書全体の四分の一を超えています。

 「ルカによる福音書」にいきいきと描かれたイエスの幼年時代の物語や聖母マリアの形姿(けいし)から、ルカを画家とする伝承が形成されました。 またルカは、医者の保護聖人とされ、図像では、巻紙(福音史家のアトリビュート)のほかに、外科医の器具を入れた袋をもっていることがあります。 ルカの名を冠した医者や医学者の団体、病院が世界各国(カトリック系)にあります。 また牛を象徴することから、図像に牛が配され、ときには牛だけが描かれることもあります。 また美術家とくに画家の保護聖人でもあります。 カトリック系の美術家や工芸家の団体にしばしばルカの名前が冠されるのは、そのためです。

(ヤコブス・デ・ウォラギネ著 黄金伝説 福音史家聖ルカ より)
http://homepage3.nifty.com/st_peter/cln/index20.html


11. 2013年3月03日 12:41:11 : W18zBTaIM6
>イエスが実在していたかどうか証明できません。


これも50年前の本にそう書いてあっただけだろ。

イエスに関する伝承はパレスチナだけではなくインド、チベット、中東の各地に残されている、

従って、現在はイエスの実在を疑っている研究者は一人も居ない:

キリストの実在を示す直接的史料、アレキサンドリアでキリストの名前が刻まれた世界最古の壷が発見【Technobahn 2008/10/2 21:04】


イエス・キリストに関して直接言及した記述が残されたものとしては世界最古の壷がアレキサンドリアの海中遺跡で発見されていたことが1日までに、この壷の発見に成功した発掘調査グループの発表によって明らかとなった。


この壷の発見に成功したの水中考古学の分野では世界的権威となるフランス人考古学者のフランク・ゴディオ氏を中心とする発掘調査グループ。


発掘調査グループはアレキサンドリアの海底遺跡の発掘の過程でこの壷を発見。その後の調査によりこの壷は紀元前2世紀から紀元1世紀のものであること、更に、壷の表面には古代ギリシャ語で

「DIA CHRSTOU O GOISTAIS(魔術師たるキリストによるもの」という意味)」

という文字が刻み込まれていることを突き止めた。


発掘調査グループではこの壷はキリストについて直接言及した史料としては世界最古のものとした上で、この壷によってキリストが実在した人物であること、更に、

キリストの同時代にはキリストは「魔術師(magician)」的存在として見なされていた貴重な史料だと述べている。


新約聖書「マタイによる福音書」には「東方のマギ(magi=magusの複数形、英語のmagicの語源)」と呼ばれる賢者達が壷を使って儀式を行ったという記述が残されており、発掘調査グループでは今回、発見された壷に刻まれた「GOISTAIS(magician)」という表現もこのマタイ伝にあるマギの由来する可能性を指摘、その上で当時のマギは壷にキリストの名前を刻み込むことで彼らの神秘的能力を正当化していたのではないかと見ている。


キリストと同時代のキリストに関わる史料の発見に成功したことは、キリスト教文明を知る上で近代考古学史上、稀に見る成果となりそうだ。
http://kurokamenews.blogspot.com/2009/06/blog-post_30.html


81 :名無しさん@3周年:04/12/31 20:46:49 ID:tx9M/aNl

近東ではイエスはイーサーで知られている。
イーサーの伝承は近東共通。

その本よりも1900年近く古いインドの歴史に書かれている
イーサーの書そのものはパーリ語でかかれた古文書です


121 :名無しさん@3周年:04/12/31 21:43:13 ID:tygoO1yj
トマスがインド教会の創始者であるのは歴史的事実。
http://mimizun.com/log/2ch/psy/life7.2ch.net/psy/kako/1104/11044/1104485156.dat


 イエスの人生は13歳から30歳に至る記録がまったくないそうだ。

キリスト教では「エジプトへ行っていた」としているらしいが何一つ証拠がないとのこと。

ところがこの間、アジアへ行った形跡がある。

過去に3人の人物がチベットで「イッサ=イエス」にまつわる経典を目撃しているのだ。

(※ニコラス・ノートヴィッチ著『知られざるイエス・キリスト伝』で紹介されたチベットに伝わる写本『聖イッサ伝 人の子の最も秀れしもの』)

物語は素早くイッサの13歳に飛ぶ。「失われた歳月」の最初の年である。

物語によれば、それは「ユダヤ人が妻を迎えねばならない」年齢でもあった。

見すぼらしい(ママ)両親の家だったが、若いイッサを養子にしようとする金持や、高貴の人々がここに集まった。イッサは「すでに全能の神の名において、教えを語ること

によってその名を知られていたから」

 しかしイッサの目標は他にあった。

ノートヴィッチが公刊した写本によると、イッサはひそかに父の家を離れてエルサレムに行き、東へ向かう隊商らとともに旅し、「神のことば」に生きる自らを完成させるた

め、偉大な仏たちの法を学ぼうとした。


 イッサがシンド――今日のパキスタン東南の地域を横切ったのは、14歳のときだった。

インダス川下流の渓谷地帯である。彼はその地の「アーリヤ人」の間に落ち着くことにした。

この人たちが、紀元前の第二・千年紀の初め、インダス川の渓谷に移住したとされるアーリア人に関係があることは明らかだ。

イッサの名声はそこで高くなり、彼らジャイナ教徒は、イッサに共にとどまるよう求めたが、彼はそうしなかった。

彼はやがてジャガナートの神殿に赴き、バラモンの祭司たちから歓迎された。

彼らはイッサにヴェーダの聖典を教え、説教と癒やし、また悪魔祓(ばら)いの方法を伝授した。

 イッサはジャガナート、ラージャグリハ、ペナレス、またその他の聖都市で、学び、教えて6年を過ごした。

彼は下位カーストの民衆、つまりヴァイシャ(農民と商人)やシュードラ(小作人と労働者)に聖典を教え、そのことによって上位カーストのバラモン(祭司)、クシャトリ

ヤ(王族)との紛争に巻き込まれた。

バラモンの定めによれば、シュードラはヴェーダ聖典に近づくことも、目で見ることも許されなかった。ヴァイシャは祭りのときに唱えられるヴェーダの章句を、聞くことだ

けはできたたが、シュードラにはそれさえ許されなかった。

 その掟に従うことなく、イッサはバラモン、クシャトリヤに逆らって、ヴァイシャ、シュードラに伝道した。

この反逆に気がついた祭司、王族階級はイッサを殺そうと計った。

 危機をシュードラに警告され、イッサは夜陰に乗じてジャガナートを離れ、南ネパール・ヒマラヤ山麓へ脱出した。

500年前、シャカ族の王子として生まれた偉大なる正覚者(ブッダ)、ゴータマの称号をもつシャカムニ生誕の地であった。

シャカムニ――ことばの意味はシャカ族の賢者(ムニ)。


 6年間の学びの後、イッサは「聖典のいう完全な解脱者となった」。

その後にヒマラヤを去って、西に旅立つ。

道々、偶像崇拝を非難して教えを説きながら、そして遂に29歳、パレスチナへ帰る。


 こうした内容が現地の各所で言い伝えとして残っているという。
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090228/p1



12. 2013年3月03日 15:38:21 : W18zBTaIM6
>本物イエスは汝の敵を愛せよではなく反逆しろ剣を取れと言ったようです


またデタラメ言ってる。 イエスがそんな事を言う筈ない。

イエスの教えを全く理解できていないから、そういう滅茶苦茶な解釈をするだけだろ:

マルコ3-33

わが母、兄弟とは誰ぞ
誰にても神の御心を行うものは、是わが兄弟、わが姉妹、わが母なり。


ヨハネ 10-34

われ言ふ、汝らは神なり。
かく神の言を賜りし人々を神と云えり。


本当の神の国は

トマスの福音書113

神の国は地上に広がっている。 そして、人々はそれを見ない。


トマスの福音書3

神の国はあなたたちの内側にある。
常に自分を認識する人は、神の国を見出すであろう。


ヨハネの福音書18-35

神の国はこの(外なる)世界には属していない。


ルカ17-20

神の国は汝らの中に在るなり。


トマスの福音書113

「どの日に神の国は来るのでしょうか。」

「それは待ち望んでいるうちはくるものではない。」

トマスの福音書22

イエスは乳を飲んでいるいくにんかの幼な子をごらんになった。
そして彼は弟子たちに言われた。

”乳を飲んでいるこの幼な子たちは神の国に入る者たちに似ている”。

彼らは彼に言った。

”それではわたしたちは幼な子として神の国に入るのでしょうか”。

イエスは彼らに言われた。


”あなたがたがふたつのものを ひとつにするとき、

そして、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、

そして男性と女性とをひとつにし、男性がもはや男性ではなく、女性が女性ではないようにするとき、

そしてひとつの目の代わりに目を、ひとつの手の代わりひとつの手を、一つの足の代わりにひとつの足を、ひとつの像の代わりにひとつの像をつくるとき、


あなたがたは神の国に入るであろう”。
http://ime.st/emikikuchi.exblog.jp/i40


もしイエスが反逆しろ剣を取れと言ったなら、『神の国』というのは現実に革命政権が樹立した国家という事になる。

しかし、イエスの言葉に出て来る『神の国』というのは深層心理学で普遍的無意識と呼ばれているもので、現実の世界の国家は意味しない。

インドに行ってイエスが学んだ小乗仏教は完全な政教分離で、現実世界には一切関与しないのが原則だ。 従ってイエスが政治的発言をする事は有り得ない。


13. 2013年3月03日 15:41:46 : W18zBTaIM6

聖イッサ伝 


イエスは、二十九歳のときイスラエルに帰った。

彼がいない間、異教徒はイスラエルの民に、なお一層恐ろしい苦しみを与え、人々の気力はどん底に沈んでいた。

イエスは町々を巡り、絶望の重みに耐えかねていたイスラエルの民の勇気を、神のことばによって強めた。

数千人の群集が、イエスに従って説教を聞いた。

町々の指導者らは、イエスを恐れはじめた。

そしてエルサレム駐在の統治者に通報した。

イエスと呼ぱれる男が町に来たこと、説教しながら、権威に抗うよう民をそそのかしていること、群集は国の仕事もかえりみず、熱心に彼に聞き従っていること、そして侵人して来た統治者が、間もなく迫い払われるだろうと彼は断言している、と。


エルサレムの統治者ビラトは、説教者イエスの身柄を抑え、町に迎れて来て裁きにかけよ、と命令した。

しかし民衆の怒りを買わぬよう、祭司や学識あるへブライの長老たちに、イエスを神の宮の中で裁くようにと勧告した。

しかし、イエスの釈明を聞いた祭司と、賢い長老らは、彼を裁かぬことに決めた。

なぜならイエスは、だれも傷つけてはいなかったから。

そして彼らは、ローマの国の異教徒の王によって、エルサレムの統治者として定められていたピラトの前に出て、こう述べた。

「町々の長らは、あなたに間違った報告をしています。

というのは、この男は民に神のことばを教える義人です。

彼を尋問して私たちは安心し、彼を行かせました」


これを聞いて統治者は怒りに駆られ、変装させた家来をイエスの身近に送り込んだ。

イエスの行動すべてを監視させ、彼が民に向けて語ることばを、細大漏らさず報告させるために。

イエスの驚くばかりの人気は、統治者ピラトをおののかせるようになった。

イエスに敵対するものたちによると、民衆の中にはイエスこそ王だと主張するものがあり、イエスが彼らをそそのかしているという。

ピラトは彼のスパイの一人に、イエスを告発せよと命じた。

そこで兵士らが、命じられてイエスの逮捕に向かった。彼は捕らえられ地下牢に囚われた。

牢にはさまざまな拷問が待っていた。彼らは彼を死に定めるため、拷問にかけて自白を得ようとした。

聖者が受けている苦しみと、拷問のことを聞き知った大祭司、賢い長老たちは、統治者のもとへ赴き、近づいている祭りの栄光のためにも、イエスを自由にしてほしいと頼んだ。

だが為政者は、にべもなく拒んだ。

イエスは総督に向き直り、こう言った。

「どうしてあなたは、自分の品位を恥ずかしめるのですか。
どうして家来に、間違った生き方を教えるのですか。
自分の手は汚さずに、無実のものを罪に落とす方を持っているあなたが」


総督はこれを聞いて怒り狂い、イエスに死の宣告と、二人の盗賊の赦免を命じた。

協議を終えた裁判官らは、ピラトに言った。

「私たちは無実の人を有罪にし、盗賊らを釈放するという大きな罪を負うことはできません。 それは法に背きます」。


「だからどうぞ、あなたの思いのままに」。

祭司と賢い長老たちは、こう言い残して法廷を出、聖なる鉢で手を洗って言った。


「この義人の死について、私たちに責任はない」


14. 2013年3月28日 07:59:23 : B5offegeiY
阿修羅さんへ
イエスの言葉で正しいと言えるのは「ユダヤから離れよ」です。

15. マナリフ 2013年5月16日 23:48:13 : qecSokYn5QWyA : 9JUSN0mLi2
>イエスのストーリーの作者は白人系だったか、黄色人種系だったのか?聖書は誰が書いたのかわかりませんので、特定できません。

は? なぜ「白人系か黄色人種系か?」みたいな二者択一になるの?
ここからして、作者の人種に対する誤解もしくは無知が明らかですよ。
黄色人種とはモンゴロイド、つまり日本人、モンゴル人、中国人などを指すのであって、アラブ人やイラン人やインドアーリア人など西アジア人は含みませんって。

まあ、色の浅黒いアラブ人のような西アジア人を三大人種論で分類すると「白人」にしかなりません。
「三大人種論が古い」って言うんなら、そもそも「白色か黄色か」みたいな理屈にはならない筈で・・・


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