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バビロン再建計画
第1次世界大戦は、ある目的のために起こされた。1914年6月28日、セルビアでオーストリア皇太子が暗殺された「サラエボ事件」が引き金となって始まった戦争は、双方に多大な損害を残すだけとなった。ドイツは、英・仏を中心とする連合国側に、戦争前の状態に戻ることを打診したが、ロスチャイルドとロックフェラーはパレスチナにユダヤ国家を建設することをアメリカが許すならば、アメリカを対ドイツ戦に参戦させるとの方針を打ち出した。当時、アメリカ国民のほとんどが第1次世界大戦への参戦に反対だったが、「フラムの子ら」が買収していたアメリカのマスコミは「ドイツ人は子供を殺している」などと報じて、ドイツに対するアメリカ国民感情を悪化させる報道を一斉に報じた。
そして1915年5月7日、イギリスの客船ルシタニア号が、ドイツのUボートの魚雷で沈没させられるという事件が起こった。大勢の一般客を乗せたルシタニア号は、わざわざドイツの潜水艦が数多く潜伏している危険水域を通り、沈没させられたのである。何も知らないアメリカ人の対ドイツ感情は一気に参戦に傾き、アメリカは参戦した。
1917年、イギリス外相アーサー・ジェイムス・バルフォアが、イギリスのユダヤ人のリーダー的存在だったライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに「パレスチナにユダヤ国家を建設することを支援する」という書簡を送った。これが有名な「バルフォア宣言」である。しかし、「フラムの子ら」の真の目的はユダヤ人国家イスラエルの再建ではなかった。「フラムの子ら」は真のユダヤ人ではないからだ。彼らの目的は、そこに建設されるユダヤ人国家を利用してバビロニアの土地にある中東国家を乗っ取り、世界を支配することである。彼らはユダヤ人の夢(イスラエルへの帰還)を利用して、彼らの真の王国であるバビロンを再興することを計画しているのである。
バルフォア宣言の2年前の1915年、イギリスは、マホメットの子孫でアラブのリーダー、フサイン・イブン・アリーとの間に「フサインが対トルコ戦に協力すれば、オスマン帝国の支配下にあったアラブ人の独立と、アラブ人のパレスチナ居住を、イギリスが承認する」というマクマホン宣言を結んでいた。つまりバルフォア宣言は、このマクマホン宣言と矛盾するものであった。しかも、当時のパレスチナの土地はイギリスのものではなかった。にもかかわらず、無関係のイギリスが勝手にこの2つの宣言を認めてしまった。現在も紛糾し続けるパレスチナ問題は、こうして生まれたのである。
バルフォア宣言は、予想に反して全世界に離散していたユダヤ人たちを熱狂させなかった。ユダヤ人たちは「なぜ、あんな砂漠ばかりの不便な土地に行かなければならないのか?」という冷ややかな反応だった。どうにかして世界に離散しているユダヤ人たちをパレスチナに移住させなければイスラエル国家は建設できないと考えた「フラムの子ら」が目をつけたのが、アドルフ・ヒトラーであった。
当時、ドイツのロスチャイルド家は娘ばかりで跡取りがいなかった。それを継いだのが、アドルフ・ヒトラーであったとしたら、どうであろう。まさかと思うかもしれないが、第2次世界大戦時にアメリカの戦略諜報局の職員だったウァルター・ランガーや、ナチスの財政支援者でヒトラーのパトロンだったフリッツ・ティッセンらが、そのことを暴いている。ヒトラーの母親はロスチャイド家で働いており、ロスチャイルドの子を身ごもったためロスチャイド家を出た。そして生まれたのがヒトラーである。ヒトラーは若い頃、売れない画家だったにもかかわらず、豪華な家に住み、運転手付きの車に乗っていた。そして、彼の豊富な資金力でナチスの財政を立て直したことが認められて、第1次世界大戦の敗北で困窮したドイツ国家が国家の財政を彼に託したというのが、ナチス・ドイツ誕生の真相なのである。
ヒトラーは反ユダヤ人キャンペーン、ユダヤ人差別を行い、ユダヤ人は財産をはく奪された。ヨーロッパにいるユダヤ人たちは、ヨーロッパから脱出せざるを得なくなった。彼らは自由の国アメリカやカナダへの移住を求めたが、アメリカ、カナダではユダヤ人を拒む運動が起こり、彼らが逃げるところはパレスチナしか残されていない状況になったのである
また、バルフォア宣言と時を同じくしてロシアでは革命が起こり、ロシア在住のユダヤ人たちもパレスチナに脱出した。こうして世界に離散していたユダヤ人たちはパレスチナに移住し、イスラエル国家は建設されたのである。
しかし、そこには1915年にイギリスに承認されたパレスチナ居住民(アラブ人)がいた。戦いは火を見るよりも明らかだった。数次にわたる中東戦争が勃発して、「フラムの子ら」が支援するイスラエルが勝利するごとに、その領土と支配権は拡大し、アラブ人はパレスチナ難民となって窮地に追いやられていった。アラブ人は、現在ではガザ地区など一部の限定地域のみに居住を許される身となっている。
こうして「フラムの子ら」は、中東にイスラエルを復興させることに成功し、次にはイスラム国家であったアフガニスタンとイラクを転覆させて彼らの言う民主主義国家にし、その支配下に置いた。それは彼らが建設するニュー・ワールド・オーダー(新世界秩序)に基づく連合国=バビロン再建の第一歩であったということを、人々は後に気付くことになるだろう。
バビロン(バベル)の語源は、ニムロデが諸国民を連合させて地上に町(王国)を建設しようと、そのシンボルとして天にも届く神に反逆する塔を建てていたところ、神の怒りをかって言葉を混乱(バラル)させられたことにある。
聖書の創世記に、「塔のある町バベル」の物語が記されている。クシュ(アフリカ北部)から強い魂の狩人で神に反逆したニムロデが生まれた。彼はバベル(バビロン)、カラ、エレク、アッカド、カルネ、アッシリア、ニネベ、レホボデ、レセンの町々を建てた。伝説によるとニムロデは、バビロニアの大安息日12月25日の日曜日に生まれたという。イエス・キリストの誕生日「クリスマス」は12月25日とされているが、実際の主イエスの誕生日はルカ福音書に記載されている洗礼者ヨハネ誕生の際に父ザカリアが当番祭司であった時期を旧約聖書のサムエル記によって算出すると、イスラエルの仮庵祭の頃、すなわち秋の収穫の時期であった。主イエスが馬小屋で生まれたなどとは聖書のどこにも書かれていない。ルカ福音書には、宿屋に泊る場所がなかったので飼い葉おけに寝かせたと書かれている。つまり主イエスは、イスラエルの仮庵祭の時期に生まれ、生まれながらにして仮庵で過ごしたのです。もともと主イエスの12弟子たちによる初代教会には、イエスの誕生日「クリスマス」を祝う習慣はなく、クリスマスは太陽がもっとも現れなくなる冬至の祭が変化したものだというのが後の教会の通説で、そこに教会が「義の太陽」と呼ばれるキリストを迎えるという意味を付け加えたということになっている。
聖書はニムロデに関して簡単に書いているだけであるが、創世記11章によれば「塔のある町バベル」はニムロデによる世界統一のための政治的宗教的な連合組織の試みであった。それはまた人間が神のようになろうとする試みであり、神への反逆であった。当時、人々の言語は1つで、彼らは自分たちの名を上げることを願った。 しかし神はその企てを妨げ、人々の言語を混乱させて、彼らを全地に散らされた。バベルとは「混乱」という意味で、この後、バビロン(バベル)という言葉は神への反逆の代名詞になった。
ニムロデの母セミラミスは当時、世界でもっとも美しく、また堕落した女性であった。ある時、この町で暴動が起こったが、セミラミスが暴徒たちの前を通り過ぎると、暴徒たちはこの美しいクシュの女を見るために暴動を止めてしまったという。来るべきメシヤの預言を知っていたクシュは、セミラミスによって子をもうけた。このクシュによる子ニムロデこそ彼らのメシヤであった。クシュは死ぬ時、子であるニムロデとその母セミラミスを結婚させた。近親相姦である。ニムロデはすでに人々から神として崇められていたし、クシュもニムロデをもうけたことによって崇められていたので、セミラミスは『天国の母』として崇められるようになった。
また、ニムロデの妻は偶像崇拝を始めた女祭司であった。彼女は「奇跡的に妊娠した」と主張して、タンムズという息子を産み、「彼こそ民の救い主である」と宣言した。その宗教は全地に広がり、人々は天の女神が救い主であるわが子を抱いている像を拝むようになった。そうした偶像は世界各地で発掘されている。古代の人々は、この母子像を礼拝し、聖水を注ぎ、宗教儀式を受けることによって、罪が清められると信じた。このタンムズはその後、野獣によって殺されたが、後に生き返ったと伝えられた。
旧約聖書にも、イスラエルの一部の民が「天の女王」のための供えのパンを作ったり(エレミヤ書7・18)、天の女王のためにいけにえをささげたり(同44章17〜19、25)、タンムズのために泣いたり(エゼキエル書8・14)したことにより神の怒りを受けたことが記録されている。考古学者たちは、イスラエルを悩ませたバアル崇拝がタンムズ崇拝と同一であったと考えている。カトリックのマリア崇拝や聖母子像や、仏教における慈母観音像など母に抱かれた子の像は、バビロンの母子礼拝が原型となっていることを、多くの古代史研究家たちが指摘している。聖母子崇拝は、キリスト教の三位一体とはまったく違う思想であり、サタンが人を惑わすため、神を侮辱するために作り出した反逆の思想なのである。
ニムロデがバベルに塔を建てている間に、ノアの息子の1人であるセムがニムロデに裁きを告げるためにやって来た。セムはニムロデを殺し、彼の体をいくつかの部分に切断し、使者を遣わしてすべての異教の神殿に送った。使者は「バアル、モレク、チューンなどの礼拝には、これと同じ裁きが来る」と彼らに伝えた。やがて、それらの宗教は地下にもぐることになった。
エチオピアの伝承では、セムはノアに命じられて、アダムのミイラを埋葬するためにエルサレムに行き、突然地面が裂けた場所に葬り、そこをゴルゴタ(どくろ)と呼んだ。ゴルゴタは、後に第2のアダムである主イエスが十字架にかけられた場所である。
旧約聖書に「アブラハムはベエルシバに1本のぎょうりゅうの木を植え、その所で永遠の神、主の名を呼んだ」(創世記2・33)とある「ぎょうりゅうの木」は、「アシラの神殿」とも訳されている。アブラハムは神との記念樹としてその木を植えたのであるが、後にアシラ神が祭られるようになったのである。アシラ神は枝を払われた太い木を立てたもので、男根を表した。セミラミスは後にニムロデの体の断片を集めたが、どうしても見つからなかったものがある。それは彼の男根であった。セミラミスは彼の男根を呼び戻そうとし、そのシンボルとしてオベリスクを作った。バチカンやワシントンに建てられているオベリスクの原型は、これである。
もともとバアルとは柱のことで、英語のバーと同じである。ニムロデのシンボルはX十字で、このマークは悪魔崇拝者のシンボルとなっている。現在のローマカトリックがいう「Xmas」の本当の意味は、ニムロデの誕生を祝うことにあり、XマスのXはギリシャ語のクリストスの頭支字だというキリスト教会の教えは、まやかしに過ぎない。このバアル教は、1つのゴールに向かっている。バアルによってコントロールされる「世界を統一する宗教的政治的な連合組織」である。これは世界中のあらゆる宗教・政治・言語を1つにしようという試みで、「塔のある町バベル」の再建運動にほかならない。この計画はソロモン時代のフラムから綿々と受け継がれ、聖書の使徒言行録にもその魔術を行う者たちが登場する。オカルトすなわちサタンの悪霊による一致を意味しているこの「塔のある町バベル」再建運動は、イルミナティの世界統一運動にほかならない。
ニムロデは、多くの国々で様々な名前で知られてきた。バアル、オシリス、ジュピター、バッカスなどなどである。またセミラミスは、アシュタロテ、イシス、ダイアナ、イシュタール、ヴィーナスなどで知られている。
ハロウィーンは、実はドルイド教の大きな祭りである。オカルトでは10月31日のその祭りは『サムハイン』と呼ばれている。ハロウィーンの日に、ドルイド僧と信者たちは、城から城、農奴から農奴へ、「トリックオアトリート」と言いながら渡り歩く。ドルイド僧たちが城で要求する「トリート」とは、その城の王妃か他の女性のいけにえである。「トリート」がドルイド僧の気に入ると、彼らは人間の脂肪で作ったろうそくが灯されている『ジャックオランターン』を置いて行く。それは悪霊によってその城の内部の人間がその夜、殺されるのを防ぐというものである。ドルイド僧の要求が彼らの気に入ったもので答えられないとHex(Hexagram)が入り口のドアに書かれる。これが「トリック」であって、その夜、サタンと悪霊たちがその城の誰かを恐怖のうちに殺すのである。クリスマスもハロウィーンもサタン的な祭りであるが、欧米では子供の遊びとして一般社会に普及している。
さて、ニムロデとバビロンに関しては、ニムロデの祖父であるカナンとその父ハムを知らなければ、その本質を見抜くことができない。ハムは、ノアの子である。主なる神は、地上に満ちた悪を一掃するために洪水を起こされた(この洪水には物的な意味と霊的な意味とがある)。そして、ノアとその3人の子らによって、あらたな出発を期された。ノアとその3人の子ら=セム・ハム・ヤフェトは、アダムとその3人の子ら=カイン・アベル・セツと同じ立場にあった。先入観にふさがれた目では、ユダヤ人の祖先となったセムが3人のうちの中心人物であったように見えるが、それは息子たちがこのことを犯したことによる結果論である。中心人物はハムであった。ハムは父ノアがぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっているのを見て2人の兄弟に告げ、2人の兄弟は顔をそむけて後ろ向きに父の裸を着物で覆った。ノアはハムがしたことを知り、「カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」と言った。
この難解な出来事の真相を知ることは、主の民にしか許されていないので、ここでは詳しく書かない。ハムの心に悪が発芽してしまったことに注目し、目を開いてよく探し、求めるならば、誰でもその真相を見出すことは可能である。
カナンはハムの子で、この事件にかかわりがないのに呪われた。その理由は、ハムがこの過ちをもし犯さなかったとしたら、カナンは重大な使命を帯びていたに違いないことを察することができれば、想像がつくはずである。過ちを犯したカナンの子孫はバビロンを建設するほどの能力を持ち合わせていたということは、逆にいえば、もしハムが過ちを犯していなかったら、エデンを回復し、地上に創造本来の理想世界を建設することができていた可能性を示している。そうなていたら、悪はたとえどこかに芽生えてしまったとしても、その新エデンでは善に駆逐されたに違いない。
こうしてみると、ニムロデはまさに反キリストの雛型であり、フラムの子らの本質も見えてくる。彼らの蛇の賢さに勝らなければ、人間は悪に勝利することはできない。しかし、それは可能である。人間はそもそもサタンを支配できる存在として創られている。神以外の誰にも支配されない存在として創られている。そのことに目覚め、神以外の何ものにも頼らず、自分の目で、しっかりと真相を見極めるならば、誰でも勝利者になることができる。ただ、現実の人類歴史は、勝利者は数えるほどしかいない。それほどに、難しいことでもある。それは、死を恐れず、死に勝利した者だけが勝ち取る権利をもつものであり、ただしかしそれだけでは勝利とは言えず、その上で、悪に勝利する覚悟を持つ者だけが神によってその資格を与えられるものである。
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