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食べるという事が大事なのであって食べ物を所有する事には意味がない。
こう言うと「でも、食べ物を手に入れない事に食べられないではないか。」と反論したくなる人がいるだろう。
私はそんな話をしているのではない。
ただ食べる事と食べ物を手に入れる事はどちらが大事かという話をしているのである。
食べる事が目的であるならば食べ物を手に入れるという事は食べる為の手段である。
目的と手段とではどちらが大事かという話をしているのである。
お金は手段に過ぎずお金で得た物を消費する事こそが目的だろう。
ところがその手段に過ぎないお金を多く持つ事を目的にしている人々が存在する。
お金を多く持てば何でも買えるし人々を自分の言いなりにする事ができると考えているのだろう。
しかし、消費できない量の物を買っても意味は無いし、お金で支配できたと思っていた人間の反感を買って殺されるかも知れないのである。
そんなやり方で支配しても心が安まる事は無い。
各国政府が通貨発行権を持ちお金に困った人にお金をあげればどうなるだろう。
まずはたかが手段に過ぎないお金がない為に命を落としたり犯罪に走る人が減るだろう。
そういう人達は食べ物を買い命をつなぐ。
これこそが政治の役割でなくて何だろう。
彼等はお金を払うワケだから儲かる人もいるのだ。
それでいいのだ。
人間が消費できたという事が社会の価値なのである。
所有ではない。
労働の対価としてでは無くお金を受け取るという事があたかも倫理に反するかのごとく受け取る人もいるようだが、お金がない為に死んでいく人々にお金をビタ一文与え無いという態度の方がよほど倫理にもとるのではないか?
要は命と金とではどちらが大事か?という問題である。
命よりも金という思想が勝ってしまったから戦争が起こり原発が推進されて来たのだ。
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