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偶然に、Okinawa Peace Network of Los Angeles というところが開いているサイトを見つけました。
URL もよくご覧ください。http://www.uchinanchu.org です。
いかにも生粋の沖縄出身者が作ったかのような感じになっています。
このサイトには、沖縄の歴史について書かれているところがありますが、
この冒頭部分は次のような英文で始まっています。
In many ways, the history of the Ryukyu Kingdom previous to the Meiji Restoration provides a depiction of an island kingdom that maintained a high degree of national sovereignty that was eventually shattered by colonial domination by the Satsuma-han in the 17th century. (明治維新より前の琉球王国の歴史を紐解くと、高いレベルの国家主権を保持した王国の姿が現れてくる。だがこの国家主権はついには17世紀の薩摩藩による植民地支配により幕を閉じた。)
そしてこの後にはさらにこのような衝撃的な英文が展開されています。
Until that time, the Ryukyu Kingdom maintained it's strongest economic and cultural ties with China, and remained in somewhat constant contact with the Asian continent, through China. From the 14th century on, the Ryukyu Kingdom developed a tributary relationship with China, which while symbolically signifying the Ryukyu Kingdom's status under China (as demonstrated in a pledge of loyalty made by the Ryukyuan King to the Chinese Emperor) basically maintained the Ryukyu Kingdom's independent status as a nation. (その時(17世紀)まで、琉球王国は中国と極めて緊密な経済的文化的きずなを持ち続け、中国を通じてアジア大陸とも絶えることのない接触を維持していた。14世紀からはずっと琉球王国は中国に対して朝貢的な関係を高めた。それは(琉球の王が中国の皇帝に対して行う忠誠の誓いにおいて示されている通り)象徴的な意味では琉球王国の立場が中国の配下にあることを示す一方で、基本的には琉球王国の国家としての独立的な立場を主張するものでもあった。
そしてもう少し後に行くと、次のような文が出てきます。
The most significant change in status for this time period came in 1609 with the invasion of the Ryukyus by the Satsuma-han of Japan. In this time period, Satsuma took control of the Ryukyus from the Ryukyuan monarchy, and placed the northern islands of Amami under direct Satsuma rule, while allowing the rest of the kingdom to remain under a sort of semi-colonial jurisdiction. (この頃の琉球王国の最も重大な立場の変化は、日本の薩摩藩による琉球の侵略のあった1609年に起こった。薩摩は琉球王国から琉球の支配権を奪い、北方にある奄美諸島は薩摩の直接的な支配下に置き、残りの地域は一種の半植民地状態までで留めてやることにしたのである。)
以上のように、このサイトでは、
中国に対する肯定的な言辞と日本に対する否定的な言辞がしっかりとしたコントラストで描かれています。
その後も日本に対する否定的な解説はずっと続きます。例えば沖縄の本土復帰についても、次のような説明文がついています。
Despite strong appeals for some form of Okinawan independence, Japanese government officials ignored this perspective, and negotiated with the United States around the reversion of Okinawa to Japan. (沖縄の独立を求める強い要求があったにも関わらず、日本政府はこのような将来像を無視し、沖縄を日本に復帰させることでアメリカ側と交渉した。)
沖縄県民のうち、日本よりも中国に親近感を感じる人などまずいないと思いますが、いったいどういう人がこのようなサイトを作っているのでしょうか。恐らくは中国政府と強いつながりを持った人でしょう。本物の沖縄出身者ですらなく、むしろ中国共産党の影響下で作られていると考えた方が適切なのではないかとさえ思えます。
このようなサイトをいったい誰が見るのかとも思ってしまうのですが、恐らくは中国側は「沖縄出身の方が作られたと思われるこんなサイトもありますよ」みたいな感じで、海外のマスコミに紹介していくのではないかと思います。
そして「沖縄も日本が侵略して奪い取った」という印象操作を世界的に植え付けようとしているのでしょう。
ひょっとしたら、このサイトは「全く役に立たなくてもダメもと」くらいのつもりで作られたものなのかもしれません。とにかく中国側の宣伝戦は、このように極めて細部に至るまで徹底しているというところを、バカにしないで見ていただきたいと思います。
日本では中国のこのような宣伝戦の広がりについて、マスコミではなぜか報道されませんが、海外では中国が沖縄を狙ってきていることさえ、はっきりと報道されています。
例えば、今年の7月23日付けの Financial Times には "Chinese nationalists eye Okinawa"(中国の国家主義者の目は沖縄に注がれている)との記事が出ていて、日本の沖縄支配に異論を提起することを考えるように中共指導部に促す社説が The Global Times(英語版の中国共産党の機関紙)に掲載されたことなどを伝えています。
中国の目は尖閣諸島だけに注がれているわけではありません。中国は種子島より沖縄側全てを琉球群島として扱い、この領有まで視野に入れて様々な工作活動を行っています。
このことに私たちは警戒をしていなければなりません。
例えば、オスプレイに対しては、実際の危険度とは似つかわしくないレベルの反対運動がマスコミによって焚きつけられていますが、これもまた中国側による日本のマスコミに対する工作がかなりの程度成功している結果ではないかと思います。
日本のマスコミは中国側のこうした動きについてしっかりと報道すべきだし、日本政府も中国側の情報工作に対抗する手段を取るべきだと思います。
http://ameblo.jp/minna4970/
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