http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/228.html
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44 名前:会員NO3 投稿日:02/02/23 01:49
88年以前の大川は今と違って、教団拡張や勧誘には反対する意見の持ち主でした。
お茶飲みながら冗談を言える雰囲気でした。
そして、「ゲシュタポ」という組織が出来ました。 彼らは常に大川を監視し、周りから引き離しました。
90年以降人格が変わりました。以上です(笑)
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1010939799/
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ヽi} / / / ヽ_/ ヽ__,,\
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ヽ | _|∠_// ┬―ゥ ヽ
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r" | |{i t _ / | 組織の事を暴露しようとした
( =‐' | | i} > 、___ヽノ_ ,ィ リ| l| | 景山民夫は呪われたものとなった
ゝ-' // i} / }-‐斤ヒl、__| l| |
r、 //,,i} //}} l|》o《|! {{`lヽ
__ゝ |i}^V'' __/ }} ハ {{ |
ヽ ノ' `j }} /X | {{ |
1. 事故か殺しかで乱れ飛んだ噂の数々
1998年(平成10年)1月26日二十六日午後十一時二十分ごろ、東京都世田谷区成城四ノ二二ノ七、作家、景山民夫さん(五〇)方から出火、木造三階建て住宅の三階六畳の仕事部屋など約二十平方メートルが焼けた。この火事で、仕事場にいた景山さんが全身にやけどを負い、病院に運ばれたが、間もなく死亡した。
妻の朋子さん(四六)も煙を吸い込み軽傷。 朋子さんは
「二階にいたら急に蛍光灯が暗くなったので三階に上がり、仕事場のドアを開けると炎が上がっていた」
と話している。 出火当時、家には景山さん夫婦しかいなかったという。警視庁成城署と東京消防庁では二十七日午前から現場検証を開始し、出火原因を調べている。
http://happiness.lib.net/db/epigone/patio4.cgi?mode=view2&f=85&no=32-37
566 :菊地展弘:02/05/07 15:28
菊地展弘
景山民夫さんの奥さん、すみません。 聞き間違いだったかも知れないけれど。 もう触れられたくない事かも知れないけれど。 すみません。 俺、景山さんの火事の現場の片付け手伝いに行かせて貰いました。 聞き間違いかも知れないけれど
「誰も最後は守ってくれなかった」、
って小さく聞こえた。 職員さんとか来てたけれど、変に明るくてさぁ、皆。 景山さんの遺品、なんか追いはぎみたいに貰ってさぁ。俺は、違和感感じてたし、でも、あんまし知り合いじゃなかったから、そんなに話も出来なかったけれど。
お疲れ様です。 本当に、、、。
964 :会員NO3:02/02/24 00:34
実は殺されたっていう話を聞きました。
影山さんの焼死に関して、幸福の科学上層部はこういう噂を流していたのかな?:
投稿 海DQN | 2011/01/28 18:58
あの人は大★の嫌韓的な(韓国を端女呼ばわりした)著作が、連中の逆鱗に触れて、大川への脅しとして消されたんだよ。
モデラーなのは割と知られていたから、塗装の有機溶剤とケロシンみたいな発火性の薬物をスリ替えられたとする説がある。家には家政婦も出入りしていたし。。。
ともかく、裏ではかなりの額の金を脅し取られていたそうだよ。
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2011/01/post_f3d4.html
幸福の科学は創価学会と抗争していて、景山民夫は大川隆法の身代わりとして創価学会によって殺された
と思って欲しかったのでしょう。しかし、実際には幸福の科学と創価学会とは、幸福の科学会員が信じ込まされていたより遥かに複雑な関係にあった様ですね。 以下の話はすべて真偽不明の唯の噂ですが、あまりに有名なものばかりなので一応コピペしておきます。 くれぐれも事実だとは思わないで下さい。 (僕もまだ ”自殺” したくないしねwwww):
景山民夫などなぞの死であったことでも暗殺の疑いが強い景山民夫も不幸の封印をしたくてその負のエネルギーをどこでもいいからということで幸福の科学へ矛先を向けて蓋をし心の中の幻想にひた走った。
幸福の科学が創価学会脱会者の受け皿として「私達は創価学会を撲滅します」というチラシを持って創価学会脱会者の入信に成功するというシナリヲどおりに現在ことが運ばれているのである。 そして今池田大作の右腕の小澤利夫は
創価学会理事 → 幸福の科学理事長 → 韓国系カトリック教会トップ
として支配の裾野を広げているそうです。
死亡現場が自らの部屋で景山さんは模型製作が趣味だったので、部屋の換気不足だろうという鑑識結果が出て、事故死と発表された筈デス。
そういえば、作家の景山民夫さんなんかも「天罰」「仏罰」で焼死してしまったという設定に、現今の幸福の科学の教義ではなってしまっているそうです。
「最後には仏を裏切って死んでいった景山民夫に永久の苦しみあれ」
とまでも。
http://dailycult.blogspot.com/2011/05/blog-post_15.html
960 :会員NO3:02/02/24 00:31
景山さん、奥さんに焼き殺されたのかな?
うわさでは景山妻No.2が火をつけたとか当時言われていた。 新聞によれば
上階で夫が焼け死んでいるのに 「ぜ〜んぜん、気がつきませんでした」と言っていたらしい。
木造2階建で、上階で身体に火がついた人間がいたらぎゃーと叫ぶなり、暴れ廻るなり、下にむかって「助けてくれ」と言うなりして気がつくのではないのかな〜?
と思うのは私だけ?
景山さんも幸福の科学関係者に殺されたとの噂がある様ですが、本当なのでしょうか?
345 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2001/03/06(火) 11:44
景山さんが関係者に殺害されたのではないかということは、実際に警察でも検討されていることらしいよ。
火事で死んだが、火事の場合は証拠物件が残らないので、殺人の場合でも犯行を特定するのが難しいそうだ。
それに対して関係者の不審な動きがあったこと。
事件後に、妙に関係者が口を閉ざしたこと。
そして何よりも、いい年の大人だった彼が、家が火事になってそれで逃げられずに焼け死んだというのは、常識的にいってもおかしいこと。
その他、いろいろと問題があるらしい。
窒息死させておいてから、火を付けたら、殺害の証拠は残らない。
21世紀までという目標が狂ってきて、信者達に対する面目が丸つぶれになって、そしてヤバイところに景山氏の某TV局関係者への、幸福の科学内部について密告事件でもあって、結局は殺害事件の発生か?
まあ、元々狂っていた人達だったのだろうが。
景山氏の死亡事件については、大川氏取り巻き連中の先走った行為だったらしいとの噂もある。大川先生のためにやったにも関わらず、えらい迷惑だったように扱われて、非常に不満な連中が、あちこちでばらしてしまったのかな?
昔も、そういう人はいたそうだ。しかし、あのふやけた顔じゃどうしたって無理だろう。
最近は、雑誌など見ても、成金趣味もお盛んなようだからね。
幸福の科学教団を批判している者は、大川隆法の指示により殺人予告を2chで行う始末。
「幸福の科学」の仕打ちを辟易する特殊警備隊実行犯は逮捕されても自己責任を主張し、決して指示をした大川の名前を出さない。 彼の伝道師であった景山民夫の家が特殊警備隊の放火され、奥さんが焼死しても景山の
「誰も最後は守ってくれなかった」
との言葉しか発しなかったほどだ。 それが邪教テロ集団「幸福の科学」の実態を物語っている。
「幸福の科学」の敵は創価学会であり、それを盾をして使う政党は「大伴家持の生まれ変わり」と言われた安倍晋三の所属する自民党だ。 安倍晋三が総理時代に朝鮮総連との癒着発覚しても庇うくらいだから、相当な入れ込み様だ。 現に「幸福の科学」200万人票が安倍晋三へ潅がれている。 「幸福の科学」が信者向けに開校した『サクセス塾』に安倍晋三の著書「美しい国へ」が置かれているのも徒ならぬ関係を表している。
大川の「黒が白になる時代がくる」と安倍晋三の「美しい日本」の独裁妄走ぶりが相似しているから破壊者と言わざるを得ない。 全くのクレイジーだ!!
そんな狂団を抛っておく警察はどうにかしてるぞ。グルか??
幸福の科学脱退者は、必ず精神的荒廃により要リハビリ
宣伝塔である景山民夫が脱退しようとしたので幸福の科学信者は大川隆法の命令で放火!
家全焼し景山民夫は焼死。 未だに景山民夫の奥方は行動制限された拉致状態!
景山民夫の家に火を放った幸福の科学信者の名前や現住所を真言密教僧殊慧は知っている。
1991年6月、防衛庁OB会で「幸福の科学」代表大川隆法が「1994年に総理大臣になるのは防衛庁出身の自民党加藤紘一だ」と予言し、大川は「私は釈迦の生れ変りである」と信者へ己の写真を100万円で売りつけた資金を政界に散ら撒き裏工作したが失敗。
幸福の科学には通称「特殊警備隊」と呼ぶ青年部が存在し、講談社のパーティへ侵入して、不倫カップルをラブホテルまで尾行する大川指示。大川指令内容は
「幹部不倫の証拠写真を撮り翌日、講談社ビル前でその写真入りのビラ巻きをせよ」
と言う狂人に近い私怨でやってるのだから始末が悪い。夜中に洗脳された特殊警備隊員10名位集まって、件のカップルがホテルから出て来る所を取り囲み講談社幹部社員(男)に強力なタックル。
刑法の傷害事件を起こしながら、1991年9月に幸福の科学会員の有志等は講談社に対する抗議としてデモ行進などを全国で行うのである。9月25日には「精神的公害訴訟」として東京地裁に提訴。
静岡支部長が大川の命令により特殊警備隊へオウム真理教幹部を轢き殺すことを指示。刈谷氏拉致の目撃者であるが警察への報告はしていない。幸福の科学教団を批判している者は、大川隆法の指示により殺人予告を2chで行う始末。 「幸福の科学」の仕打ちを辟易する特殊警備隊実行犯は逮捕されても自己責任を主張し、決して指示をした大川の名前を出さない。
彼の伝道師であった景山民夫の家が特殊警備隊の放火され、景山が焼死しても奥さんの「誰も最後は守ってくれなかった」との言葉しか発しなかったほどだ。
それが邪教テロ集団「幸福の科学」の実態を物語っている。 「幸福の科学」の敵は創価学会であり、それを盾をして使う政党は「大伴家持の生まれ変わり」と言われた安倍晋三の所属する自民党だ。
http://shino44.exblog.jp/10498507/
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2. 景山民夫の人生を狂わせた幸福の科学と夫人との出合い
噂の眞相 98年4月特集3
焼死した景山民夫の人生を狂わせた幸福の科学と夫人との出合いの“不幸”
直木賞作家、というよりも、近年はむしろ「幸福の科学」信者として知られていた景山民夫が“現世”を去ったのは、1998年1月27日の午前1時半、運びこまれた病院でだった。その数時間前、東京・世田谷にある景山の自宅3階の仕事場から出火し、一酸化炭素中毒を起こしたことが直接の死因だったという・・。
だが、たとえば景山の死を報じたスポーツ紙や夕刊紙が「不審火」「書斎だけ炎上」「通報の夫人は軽症」と匂わせていたように、実をいえば当初、彼の死をめぐってはさまざまな“噂”もささやかれていたのである。
現場を取材した社会部記者がいう。
「現場検証で否定はされたけど、あの事故には未だに腑に落ちない点も多いんです。
近所の住民が爆発音を聞いていたり、あれだけ広い自宅兼事務所の建物のうち、景山さんの仕事場だった3階の書斎だけが天井が抜けるほど燃えていたり…。
さらに通報者であり、すぐ下の階にいた朋子夫人はなぜかほとんど無傷だったり、とね。
そうした点から、自殺説や不審火説が非常に根強いのも事実」
とはいえ、たしかに自殺だった可能性は低いように思える。というのも当日、午後11時ごろに「風呂に入る」と3階に上がった景山は、通報を受けたレスキュー隊が救出した際も、パンツ一枚で倒れていたからである。
「景山さんは、自宅に打合せに来る編集者に対してもスーツ姿で迎えるほどダンディ。
その景山さんが仮に自殺するにしても下着姿のままするはずがない」(担当編集者)
また、こういう証言もある。
景山には近々ハワイに住む友人の家に遊びに行く予定があったという。このハワイ行きについて、景山は友人にファックスを送っており、実は部屋に残されたそのファックスの日付が1月26日だったのだ。つまり事故当日なのである。
「ハワイ旅行を訪問先の友人に知らせたその日に自殺する、というのも考えられない話。
これで自殺説は消えた」(前出・担当編集者)
実は景山の関係者の中には、現在も不審火説を強く主張する声がけっして少なくはないのだ。たとえば、ある関係者はこう語る。
「火災の原因となったのは、たばこの火の不始末や電気スタンドの過熱で、その火が景山の趣味だったプラモデルの製作に使う塗料などに引火、爆発し、一層火が噴き上がったといわれているが、だとすればやはりおかしい。
景山はたしかにプラモデル作りを趣味にしていたが、一方で非常に凡帳面かつ神経の細かい人間。パンツ一枚でプラモデル作りをしていたうえ、たばこの火の不始末で火事を起こしたとはどうしても思えない・・」
最近では、信仰する幸福の科学が創価学会との対立を激化させたため、車の中にスタンガンを常備していたほどだったという。
あくまでも景山の死は事故ではなく、「不審火」によるもの、というのである。とすると、誰が、何のために・・。
「実は景山は最近、幸福の科学総裁である大川隆法と対立していたという話がある。推測だが、そのため幸福の科学を脱会しようとして夫人と衝突し、今回の“事件”につながったんじゃないか。景山の父親は内務省上がりの元エリート警察官僚だったから、警察も穏便に事故死として処理したようだけどね」
だが、たったそれだけで「不審火」と朋子夫人を結びつけるのはあまりにも短絡的だし、穿った見方というものだろう。別の友人は断言する。
「葬儀の時、朋子夫人が『景山クンは夫でると同時に仕事のパートナーであり、父でり、兄であり、弟であり、友達だった』と涙ながらに語っていたように、あの夫婦の仲の良さは業界内でも有名だった。その朋子夫人が怪しいって? あり得ないと思うよ」
●景山民夫の私生活
夫婦であり、兄妹、親子、そして友人だったーー。
朋子夫人の言葉の通り、なるほどふたりの関係は事実そうだったかもしれない。なにしろ、いくら彼女が景山の個人事務所の社長の肩書を持ち、秘書役を務めていたとはいえ、ふたりは公私の境などまったくないといっていいほど、常に一緒だったのだ。景山の担当編集者もつとめた出版関係者も呆れ顔でこう語る。
「よくいえば仲のいい夫婦なんでしょうが、悪くいうとちょっと変でしたよ。なにしろ朋子夫人は、それが編集者との打合せだろうが友人との食事だろうが業界関係のパーティーだろうが、毎回毎回必ず景山さんについて来ていましたからね。
ハッキリ言えばうっとうしいくらいに、です。
まあ、宗教やオカルト系以外の話ではわりと黙っていてくれたので害はなかったといえばそうですが…」
<僕は千人近くの方といわゆる対談をやったけれども、奥さん同伴のお座敷は初めて〉
もちろん、私生活でも同様である。
「景山さんは仕事絡みで食事するのが嫌いだったから、食事もいつも夫婦ふたりで外で食べていた。そのうえ、年に何回もふたりで海外旅行に行ってたし、たぶん1日24時間以上、1カ月のうち28、29日は一緒だったと思います。景山さん本人もよく、男友達と飲むより朋子といるほうが楽しい、なんて臆面もなく言っていましたよ」
<景山、バカヤロー! さみしいじゃねえか!>
と叫んだのも当然だろう。しかし実を言えば、この悲劇で広く知れわたった大津朋子という女性の名は、すでにずっと以前から一部の出版関係者の間では有名でもあったのだ。それも、彼女が景山と知り合い同棲し結婚する、さらに前から・・。ほかでもない、大津朋子はもともと、「村上龍」というまったく別の有名作家の愛人だったからである。文壇関係者が明かす。
「朋子夫人が昔、村上龍の愛人だったというのは本当の話ですよ。朋子夫人と村上は同じ九州・佐世保出身の同級生で、彼女は村上が高校時代に憧れていた女性だったんです」
村上龍の自伝的小説『69(シックスティナイン)』に「主人公である野暮ったい田舎者の高校生=村上が憧れる、周辺の高校でも評判の美人女子高生が登場する。在りし日の大津朋子、つまりこれが朋子夫人なのである。
卒業後ふたりは、再会する。村上龍はすでに有名作家でこの小説『69』が刊行される前のことだ。別の文壇関係者が語る。
「村上にとっては昔憧れていた女だし、大津朋子も故郷の同級生が有名作家になっていたのだから、たぶん互いに渡りに船だったんだろうね。すぐに男女の関係になったらしい」
「いつまでたっても夫人と別れないために朋子さんが業を煮やし、度々奥さんのいる村上の家に突然押しかけたりして大騒動になったんです。村上は弱りきっていたけど、彼女にしてみれば作家夫人になれるかどうかの瀬戸際だからね」(前出・文壇関係者)
「離婚の原因は、身も蓋もなくいってしまえば“性格の不一致”ということらしいんですが、やっぱり重症の心身障害でずっと寝たきりだった長女の問題も大きかったらしい。長女をめぐり、夫婦の間で喧嘩や軋轢が絶えなかったようですから」(景山の友人の一人)
「おそらく小黒さんは、朋子夫人から景山を紹介しろと頼まれたのと、彼女を村上龍から遠ざける意味でふたりを会わせたんでしょうけど、まんまとハマりましたね。
景山さんは、小黒さんとふたりで暮らしていた時は“やっぱり男は独身でいたほうがいい”とか言っていたくせに、朋子夫人に会った瞬間、“あ、コイツだ!”ってすぐピーンときたらしい。ホント軽いよあの人は(笑)。
その後、景山さんは仕事場に寝泊まりし、そこに朋子夫人がひんぱんに出入りするようになった」
「やがて、朋子夫人の言を借りれば、“彼が一緒に暮らしたい、と駄々っ子のように言うので“同棲を始めるんです。それがたしか83年で、それから3年後、86年ごろに正式に籍を入れたはずです」(同・元担当編集者)
「景山と朋子夫人がつき合いはじめた時、景山の事務所には女性マネージャーがちゃんといたんです。
ところが、景山が朋子夫人と同棲し始めると、朋子夫人はしだいに事務所の業務に深くかかわってくるようになり、結婚と同じころ、ついには作家とテレビ関係の業務を一本化した新事務所を設立させ、社長にまでおさまってしまった。
むしろ、作家の秘書から、妻の座を手に入れたわけです」
<娘が死んだ。俺の娘だ。長女だった。十八年間、生まれたときからずっと、べッドから自分の力で起き上がることも出来ずにいて、それで一昨日死んじまった。(略)
すくなくとも自分の足で歩けて、自分のロでしゃべれて、自分の手を使って飯が食えることを幸せだと思ってほしい。頼むから思ってくれ>
●なぜ宗教に走ったのか
景山民夫は、間違いなくかつてのオカルトムーブメントの担い手のひとりだった。超脳力、UFO、霊魂、ネッシー、そしてノストラダムス……。エッセイはもちろん、さまざまなメディアを通じて、UFOとの遭遇や霊との交信などの「神秘体験」を喜々として語り、あるいはニューギアまで「ミゴー」という怪獣を探しに行ったりもした。とすると、件の教団への入信は、よくいるオカルト好きがそのまま新興宗教にハマっていくというパターンの、その延長線上にすぎないものだったのだろうか。が、景山は、生前
「もともと霊体質は強いし神秘体験もあったが、それとは違う」
と否定している。
「環境破壊問題や反原発への、景山らしくない一時期のヒステリックな入れ込み方も、たとえば講談社に対するデモを予感させるものがありましたよ。広瀬隆の『危険な話』を盲信するあまり、『危険な話』を知り合いに片っ端から送りつけオルグするという彼の手法は幸福の科学のやり方と通じる。
幸福の科学に入信してからは、朋子夫人が景山の友人知人に大川隆法の著作を山ほど送りつけていましたからね。実際、景山夫妻のオルグで本当に入信してしまったマスコミ関係者は少なくとも数人はいるはず」
「夫婦で大川の本を読んでいたら、まず朋子夫人が信じるようになった。でもそのころは景山も朋子夫人をからかっていたらしいけどね。ところが毎日朋子夫人から本を読まされ信仰を薦められるうち、だんだん景山自身もハマリ始めてしまったらしい」
<別に女房に誘いこまれたわけでも、娘のことがきっかけになったわけでもない。死んだ娘とは、今はもういつでも話ができますから>
「景山は当時、心身ともに疲れ切っていたのに、そのうえ貧乏だった。
深夜のテレビに多少出ていたりはしてたけど、ちょうどテレビから作家にシフトしつつあった時期で、『タモリ優楽部』を降板したりと金になる仕事はほとんどない状態だった。そうした離婚劇の余韻を引きずりつつ朋子夫人と同棲、結婚したところに、今度は長女の死です・・。宗教に走っても不思議じゃありませんよ」
「ばかやろう」とーー。
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1020438098/
影山さんの焼死、お気の毒です。(TOT)
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1012279094/
それにしても、ワイフの人…ルシファーなんか降臨させたら、霊的に消滅してまうがなw
要するに、幸福の科学会員には
幸福の科学は創価学会により買収された新興宗教団体であるが、(小澤利夫という池田大作の右腕により次々に創価学会に買収され染められてゆく
http://karupara.exblog.jp/
_________
景山民夫氏は事故直前に幸福の科学についてインタビューを受けてマス。色々明け透けな事を答えてましたが、教組の大川さんをパタリロ呼ばわりしたのは、信者の恨みを買ったと言われマス。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1355387533
匿名さんのコメント... 2011年5月15日15:08
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1012279094/
98 名前: ぶす 投稿日: 2001/08/20(月) 12:32
http://mimizun.com/log/2ch/books/997646319/
341 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2001/02/23(金) 02:23
景山氏が亡くなる前は、あそこから足を洗おうとしていたこと、
402 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2001/03/21(水) 20:19
ある刑事事件に詳しい人いわく、有名人が火事で死んだなんてのは、ほとんどが実際には殺した証拠などを隠滅するためだとか。まあ、今のところ警察も確定的証拠はないが。
ある霊能者によると、大川氏は日本中から世界中を支配したいような救いがたい霊的カルマに取り付かれてしまったのだとか。
______________
http://shino44.exblog.jp/tags/%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E7%8B%82%E5%9B%A3%E3%80%8C%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%80%8D%E3%81%A8%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89%E3%81%AE%E8%A6%AA%E5%AF%86%E3%81%95/
景山民夫の家に放火したヤツって幸福の科学信者!
創価学会を脱会した幹部が「幸福の科学」に入会し教団幹部になって、また悪辣な手段で信者から金を貪っている。
___________________
● 突然の怪死事件
当局側が事故死と判断したのは、朋子夫人の証言や現場検証の結果から薬物の反応、外部からの侵入、自殺などの裏付けがとれなかったからにすぎない。逆にいえば、事故死と断定できる強力な材料もない、というのだ。
しかし、一方の不審火説はどうか。
そういえば、景山民夫はあの神戸大震災の直後、大量の食料品や外部と交信するための無線機、さらに4WDの車を購入したり、仕事場の書庫にストッパーを取り付けたりしたように、臆病で用心深い人物として有名だった。
「景山さんを知る人間は全員が全員「臆病で用心深く、細かい性格と口をそろえるはず。その彼がたばこの火の不始末で火事を起こすとは考えられない」(景山と旧知の編集者)
景山と20年に及ぶ友人関係にあった某文化人は、ズバリ、「朋子夫人が怪しい」と臆測する。
たしかに景山と幸福の科学側の関係が最近芳しくなかった、との説もあるにはある。いわく景山は、大川隆法夫人であり教団の実質的支配者といわれる大川きょう子から嫌われ、教団内で孤立していた、と。
だとすれば、景山の突然の死にいったいどんな原囚があったのか。あるいは、その真相は誰にも分からないことなのかもしれない。ただ「景山民夫」を語るうえで、朋子夫人という存在を無視するわけにはいかないことだけは、たしかなのだ。少なくとも80年代半ば以降、景山と朋子夫人こと大津朋子は、常に一体といっていい関係にあったのである。
そういえば、幸福の科学が講談社に大々的な“抗議符動”を展開したあの騒動の最中、景山と「週刊朝日」で論争した作家・野坂昭如は、当時、こんな感想をもらしていた。
(前出・出版関係者)
葬儀で彼女が
当時、村上龍が深夜の赤坂プリンスホテルに大津朋子をひんぱんに呼び出しては、彼女も喜々としてタクシーでかけつける、というシーンが何度もくり返されていたという。が、こうした関係もそう長くは続かなかった。彼女が愛人という自分の「地位」に疲れたためなのか、ふたりの関係は、しだいにドロドロの修羅場と化していったのだ。
大津朋子には、良くも悪くも昔からこうした“志向”があったという。事実、例の村上の『69』の中で彼女は、スター性があり目立つ男子生徒にまとわりつく、グルーピー気質の女性として描かれてもいるのである。そして修羅場を重ねたすえ、ついに村上を見切った彼女が次に目をつけたのが、当時、放送作家、テレビ文化人としてひと際目立つ活躍をしていた景山民夫の将来性だった。今から15年ほど前、83年ごろのことである。
●朋子夫人との出会いと入信
景山民夫に大津朋子を紹介したのは、景山とは中学が同じで幼なじみだった元「ブルータス」の編集者、小黒一三だったという。もともと景山民夫には、大学時代に知り合い、24歳で結婚して3人の子どもをつくった妻がいた。しかし結婚生活はわずか6年で破綻。さらに3年の別居を経た後、80年に正式に離婚するのだ。
離婚し、家を出た景山がこの時、ギターと身の回りの服だけ持って次に暮らし始めた相手が小黒一三だった。景山はその小黒に大津朋子を紹介されると、彼女に夢中になっていったという。同時に小黒との“同居”も解消した。前出の元担当編集者が言う。
実際、大津朋子に当初どんな“思惑”があったにせよ、景山が先にメロメロになったのは間違いないだろう。当時、景山はさまざまな場所に彼女を連れて歩き、「僕の愛人です」とうれしそうに紹介して回ったという。
朋子夫人はこの時、たんに念願の妻の座のみならず、同時に事務所の実権も手中におさめているのである。元担当編集者が続ける。
ふたりの結婚は、式も披露宴も行わず、ただ婚姻届を区役所に出しただけだった。なぜ、彼らは身内や友人を集めたバーティーていどのこともしなかったのか。ひとつは朋子夫人の家族が結婚に反対していたため、ともいわれる。それがどういう理由、経緯からかは分からないが、事実、景山の葬儀に朋子夫人側の親族の姿はいっさいなかった。
そしてもうひとつ理由があったとすれば、おそらく景山の家族、それも別れた妻や離れて暮らす長男と次女、さらに心身障害を患っていた長女を思ってのことだろう。景山が親しい友人に朋子夫人との入籍を正式に伝えたのは、心身障害で生涯寝たきりだった長女が90年に享年18で亡くなったその翌日だった、といわれているのだ。当時「宝島」で連載していたコラムだけに、景山はこう書き残している。
つまり、この悲痛な文章を書いた前日に、彼は朋子夫人との入籍を明らかにしたのだ。そこにどういう意味があったのか。彼のいない現在となっては知るすべはない。だが、ひょっとしたらこの出来事と「幸福の科学」という新興宗教団体への入信は、やはり何らかの関連があったのでは、とも思えるのだ。
彼はなぜ、幸福の科学を選んだのか。
(旧知の出版関係者)
知られているように、幸福の科学に入信したのは彼の妻、朋子夫人が先だった。発端は、景山が小説のために大本教の出口王仁三郎について調べているうちにまず、大川隆法の『出ロ王仁三郎霊示集』を資料として読み、そして同じころ、知人から大川の著作を何冊かもらい読んだことだったという。
それなら朋子夫人に洗練されたという説が正しいのか。それともやはり、長女の死に対する心め救いを求めての信仰だったのか。景山は、雑誌にこう語っている。
だが、これはもちろん景山の「勘違い」だろう。娘の霊と交信している、と思いこむことで、彼は癒されているにすぎないのだ。おそらくは、景山の幸福の科学入信に対するこうしたさまざまな見方は、彼が否定しようともすべてが間違っているわけではない。景山はたぶん、疲れ切っていたのである。彼はその内幕をほとんど語っていないが、最初の妻との離婚劇は、長女をめぐる長年の争いに加え、調停に1年半を費やしたドロドロのものだったという。結果、慰謝料・養育費を合わせて総額1億円あまり。景山の月収が50方ほどなのに、月々の支払いは35万円にものぼった。古くからの友人もこう明かす。
景山がマルチ人間のはしりとして時代と寄り添ってきた根幹に、60年代終わりから70年代にかけてのアメリカを放浪した体験がある。この時触れたヒッピーのコミューンは、人と深く付き合うことができない彼にとって、おそらく魅力的なものだっただろう。ひょっとすると景山は、幸福の科学という「コミューン」で仲間をつくり、大川隆法という絶対的な神を仰ぐことで癒され、解放されたかったのかもしれない。しかも、もともとその素養は十分にあったのである。
しかし、信仰したものが、幸福の科学という宗教だったことは彼にとって不幸だった。ただ、少なくとも景山民夫は、この教団のいう現世に積んだ善根が来世の高い次元霊につながり、生まれ変わったらいい暮らしができる、という差別的な戯言を信じていた。しかし、景山がこの世からいなくなった時、その景山をインチキ宗教にひきずりこんだ夫人にはやはりこういわざるをえなかったのである。
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/211.html
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