http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/153.html
Tweet |
投稿したい・しなければならない時事的テーマが山ほどある。
しかし、それに反比例してPCに向かえる自由時間が全く無い。
そのような環境の中でありながら吉本隆明さんの死に絡んでの投稿を行うのは理由あっての事である。
読んでいただければ判る事だが、私は吉本さんに無批判的に深く傾倒するものではない。
しかしながら、彼の貢献はまことに賞賛すべきものであり、感謝の念を込めての儀礼的意味での一文を送る為である。
マスメディアが彼の死を直ちに大きく報じた。
どうしてこのような事になってしまったのか。
何故、彼はメジャーと扱われるようになってしまったのか?
何故、一般受けするに至ったのか?
いや、実は判っている。
彼自身の内実がそのように終わるものであったからだ。
60年安保騒動の世代そして全共闘世代において彼の著作はかなり読まれてはいた。
私の少し先輩であるところの全共闘世代は読む人が多かったようだが、しかし、私の印象としてはマスメディアが報ずるほどには多くには読まれてはおらず、好感をもって読まれてばかりではなかったようだ。
しかし、彼の先鋭な主張は我が国近代に対し、”ノン”の声を徹底するものであり、我が国近代史の歩みを徹底的に疑い、且つ、拒否する「少数の者達」にとっては立場の左右を問わず、彼は”戦友”であった。
彼は、マスメディアに採り上げられる事を期待するなく、思想雑誌の『試行』を創刊して思想家・理論家達に発表の場を提供した。
しかし、その後の歩みにおいて、
彼は”一般受け”するに至り、メジャーとなり、彼を慕うメジャー的思想家達と集うに至った。
私が彼の著作に始めて親しく接したのは、
「アラゴンへの一視点」(「アラゴン論」とも呼ばれる)と「マチウ書試論」であったのだが、
この二つには既に彼の歩むであろう道筋が鮮明に浮き出ていたと言える。
特に「マチウ書試論」には彼の思想的内実とその思想が歩む運命が表れていたと私は見る。
本来的な先鋭的思想家とは死に至るまで、先鋭と位置を保持し、極めて少数の理解者を得つつ生涯を終わるものである。
その様な思想家が広く認められるのは、死んでからかなりの年数が経ってからであり、それまでは極少数の理解者を得るに過ぎない。
これをこのように言う事が出来る。
「時代が彼の歩みに追いついた」と。
ところが吉本さんは、生きている間に時代に追いつかれてしまった。
この事は彼が途中から先鋭ではなくなったと言う事を表わしているのだ。
原発論において彼は評判を落として批判的に見る読者を拡大させてしまった。
彼は時々、全く滑稽な無知を表わす事があり、それに従えば無知で滑稽な原発論を発することは大いにあり得ると考えられるものであった。
しかし彼の原発論には採り上げるべきものもあると考える。
それは「放射能除去の技術的進歩」を目指すべきという部分だ。
そうではあっても彼は原発の主たる問題が判っていなかった。
山本五十六を特攻攻撃を命じた人物と扱っての叙述を行ったことがある。
全くの思い違いの無知であるが、そのような行いを時々平然と行った。
それが彼なのであり、そうであれば、原発を見るときに不注意が生ずる事はありえる事である。
マスメディアには彼からそのような事を聞きだしては欲しくはなかった。
細かい神経をマスメディアは持ち合わせてはいないのだ。
先に採り上げた「マチウ書試論」であるが、
これを読んだ時、私は大変な違和感を感じたのだった。
「この視点で、イエスとマタイ福音書を解明できるのであろうか? 無理だろう。」
…それが私の抱いた感想だった。
マタイ福音書への彼のこの視点は、
名作と評することの出来る「カール・マルクス」や代表的名作である「共同幻想論」や「心的現象論」を構成した。
その視点とは私的表現をもってすれば「日本的自然主義」である。
「カール・マルクス」において彼は次のような趣旨を書いた。
「マルクスの唯物論とは徹底的な自然主義」である。
マルクスの自然観は日本人の自然観とは全く異なる。
マルクスの自然観はユダヤ人の自然観を離脱するものではなく、ユダヤ人の思想そのものである。
ユダヤ教の神とは自然に近いものであり、その意味では非妥協的に自然に対立するものと看做してはならないだろう。
従ってマルクスにおいての唯物論とは、欧州キリスト教社会から発した殺伐とした唯物論ではなく、「神は死んだ」と表明するキリスト教に対立する唯物論ではない。
なぜならマルクスはキリスト教由来の人物ではなく、ユダヤ教由来の人物なのだから。
日本人の自然観はむしろユダヤ教に近く、しかも「神なんか忘れた」自然流の自然観である。
しかも神も八百万の神であり、悪く言い換えれば「秩序無き八方破れ」である。
このようなものは、マルクスの唯物論とは全くの別世界である。
しかしこのような日本人の自然観は、マルクスの思想から全くそれを発展させての別次元的創造を為しえる事を可能としたのである。
それは宇野経済学である。
これは全くマルクス経済学から飛び出してしまった。
ロケットの先端として飛び出した衛星のようなものである。
これをマルクス主義の立場から批判しても無意味でしかない。
ロケットが衛星を批判できる立場ではない事は明らかであるからだ。
全く日本人の発展的に創造的な別物である。
このように宇野弘蔵は創造的体系を打ち建て得た。
吉本さんはそれを「象牙の論理」と評した。
ちなみにマルクス経済学は日本再生に有効である。
戦後復興にマル経から「傾斜生産理論」を使って経済政策を実行して再生に役立てた事からも有効性は認められるのである。
吉本さんは感性の人であり、文学者であり、
一方で、思想家・理論家とは言えないだろう。
私はその様に考える。
一方、表題に挙げた「無法松」であるが、
私はこれを映画で見たのみである。
子供の時に一度見ただけで強く印象に焼きついた。
その一場面が今でも私の考えの原点の一つを構成している。
松五郎が面倒を見た子供が青年に成長した時、彼の叔父(であったと思う)に対し、こう言ったのだ。
「もう、あまり来ない様にと伝えました。」
わたしは子供心に思った。
「あのような人達はこれから先の日本でどんどん切り捨てられてゆく。学を得られなかった庶民は切り捨てられて学的エリートが空虚に支配してゆく。それが日本の運命だ。日本はそんなに遠くない時代に大きく道を誤るだろう。」
私はそれも手伝って、子供心に上昇志向を放棄するに至った。
「道を誤る日本の歩みに加担する位置に居る事を拒否する生き方をしなければならない。」
そのような道を選択したのである。
この小説・映画は日本近代の暗部・問題点を鋭く描いたものだったのだが、松五郎の描写に関心をもって受け止められて人気を得たのはよい事でもあり残念な事でもあった。
違った映画つくりも可能だったのかも知れないし、今現在でも可能なのではないのか。
このような日本近代への「ノン」を吉本さんは表現し、私は当然ながら共感した。
その様な意味で私は彼を「先達」と看做し、「戦友」と看做した。今もそうである。
その先達と戦友の死である。
しかし彼は「先鋭的人物」ではなかった。
そうではなかっが、彼の功績は余りに広く大きく、世の評価とは全く関係なく私は個人的に讃えたい。
それに彼自身が無法松ならぬ富島松五郎のような人物であったとも言えよう。
知的であったから切り捨てられ忘れ去られる事はなかったが。
吉本隆明すなわち「知的富島松五郎」と言えようか。
下に映画「無法松の一生」を提出しておくが、この東映の映画では松五郎を三国連太郎さんが演じて未亡人を淡島ちかげさんが演じている。
この配役であればリアルな作品となったであろう。
他の有名な配役の作品は敢えて避けて紹介したのである。
http://www.youtube.com/watch?v=T8ieLDG6rlQ&feature=related
Part2-4 無法松の一生(度胸千両入り)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B3%B6%E6%9D%BE%E4%BA%94%E9%83%8E%E4%BC%9D
無法松の一生 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(富島松五郎伝から転送)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%87%8E%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6
宇野経済学
参考評論 ↓
http://mb101bold.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_0140.html
ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
2007年12月 4日 (火)
「関係の絶対性」という言葉をあらためて考えてみました。 人間は、狡猾な秩序をぬってあるきながら、革命思想を信じることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の状況を決定するのは関係の絶対性だけである。ぼくたちは、この矛盾を断ちきろうとするときだけは、じぶんの発想の底をえぐり出してみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある。孤独が自問する。革命とは何か。もし人間における矛盾を断ち切れないならばだ。
吉本隆明『マチウ書試論』
とまあ、ちょっと頭良さ気な引用から始まった今日のエントリですが、こういうことを書きたくなる日もあるってことで、付き合ってやろうという心の広い方は、気軽にお付き合いの程を。
この『マチウ書試論』を吉本隆明さんが書いたのが1952年(昭和27年)。当時は、まだ印刷インキ会社の一技術者だったそうです。吉本隆明さんと言えば、共同幻想や対幻想などの概念が有名ですが、それと同じように有名なのが、この「関係の絶対性」です。この概念の初出となった『マチウ書試論』は、副題に「反逆の倫理」とあるように、ユダヤ教に対する、「原始キリスト教の苛烈な攻撃的パトスと、陰惨なまでの心理的憎悪感を、正当化しうる」根拠として「関係の絶対性」なのだろうという吉本さんの着想なんですね。
もしある反逆に倫理があるとすれば、それは、その反逆する主体が不可避的に置かれている「関係の絶対性」によるしかない、ということですね。じつを言えば、引用の後半2行がいまだに私はいまいちよくわかっていないのですが、なんとなくこの「関係の絶対性」という言葉だけは感覚的に分かる気がします。
吉本隆明さんのこうした言葉は感覚的に分かる、というところが魅力でもありたちが悪いところでもあって、なんとなく、理屈ではなく、詩的に感覚的に了解してしまうんですね。私もその口です。その吉本さんの詩的な感性を示す言葉は、こういう初期詩集の中にたくさんあって、例えば一節を引用してみます。
もしも おれが死んだら世界は和解してくれ
もしも おれが革命といったらみんな武器をとってくれ
吉本隆明『恋唄』
ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって、ぼくは廃人であるそうだ
吉本隆明『廃人の歌』
強靱な自由意志を持つ「自意識」がそこにあるような気がします。そんな、世界の真実を冷徹に見極めようとする揺るぎない「自意識」から発せられた「関係の絶対性」であるわけですから、もうこの言葉が吉本さんから発せられた段階で、それは詩的な言語なんですね。そこに、きっと私は惹かれるのだろうと思うのです。これは、詩的で個人的な言葉であるからこそ、駄目だと言われる方もいらっしゃると思いますが。
こういう詩的な言葉は、人生の折々で様々な表情を持って迫ってきます。ある一方から見ると肯定できることであっても、もうひとつの方向から見ると肯定できないことは、よくあることだと思います。そのとき、個人はどう判断すればいいのか。それは、きっと「関係の絶対性」でしかなく、最終的な決断の一歩というのは、きっと「自由意志」なんかが介在する場所などないのだろうなと思うんですね。当然、この「関係の絶対性」に至るまでには孤独な「自由意志」の葛藤が前提ではありますが。
私の場合は、こんな時代に生きて、それなりに暢気に生きていますので、革命とか反逆とか、そういう重い課題には直面してはいないですが、些細な日常の出来事からも、私の生まれる前に、吉本青年が生み出した、この「関係の絶対性」という言葉は、いまだに重くのしかかってくるんですよね。
そして、この「関係の絶対性」という概念を基点に、「共同幻想」や「対幻想」、そして「重層的な非決定」なんかの概念に発展していきます。でも、それは理論の言葉ではなく、詩的な洞察なんだろうな、と最近思うんですね。そして、こんな商売をやっているとわかるんですが、論理の言葉は案外消費されてなくなってしまうけど、詩的な言葉はいつまでも残るんだなあ、と。なんでこんなことを書こうと思ったのかというと、まあ、日常の些細な出来事もあるし、世界情勢には疎い私ですが、今日の「ベネズエラ憲法改正案否決」のニュースなんかも関係していると思うんですが。
結論を言うと、ある広告屋が2007年12月4日の深夜に、わけのわかんないことを思った、そのどうでもいい思考の記録というか、こんな未整理な感じの言葉を書くのも、ブログというパーソナルパブリッシングツールは適してるよなあ、と思った次第であります。
吉本隆明 | 固定リンク
2 81 +−
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。