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「なでしこ」の勝利を見て僕は悲しむ。勿論、嬉しいのだが悲しみが幾重にも覆ってしまう。
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/129.html
投稿者 新世紀人 日時 2012 年 3 月 07 日 08:39:12: uj2zhYZWUUp16
 

「なでしこ」が本当に沢を欠いたままで米国チームに勝利してしまった。

本当は、そして、本当に強くなっていたらしい。

日本のマスコミは本当の事を伝えてくれるのが、本当に稀であるようで、

「なでしこ」の力が上がっている事を報じてくれてはいなかった。

いや、スポーツ情報を丹念に調べればそれに触れた記事は僅かでもあったかもしれない。

しかし、忙しい私には通り一遍の報道以外に目には入らなかった。

ところで、

「なでしこ」の勝利で何故に悲しいのか?

と言う事だが、

「なでしこ」が日本女性の強さ、いや、日本国民の強さを本当に表出しきっているから悲しいのである。

日本人の本当の姿が出ているから悲しいのである。

私の皮肉な想いであるが、

日本は”打ちのめされて”いなければ、その姿を見せてくれなければ私は安心できない。

本当の「強い日本国民」が表面上は、経済でも、そして政治でも打ちのめされて負け続けて行くことから離脱できそうもないのであって、そうであるかぎり、
「強靭な日本人」の本当の姿を見る事はむしろ悲しくなるのである。

スポーツでも、

米国に負け、中国に負け、韓国に負ければ、いつも負けていれば、

そうであれば、経済で政治で負け続けている姿に並行するのであるからむしろ安心できる。

「なでしこ」が勝てば、他のスポーツ特に団体競技で日本チームが勝てば、

どうしても私はこのように考えてしまう。
「どうしてこの力を経済の回復や政治の力に発揮できないの?」と。

勿論、私には出来ない理由は判っている。

判っているから悲しくなるのである。

「力が発揮できないのなら、何事においても発揮してくれるなよ。中途半端に発揮できるだけの君を見てると悲しくなるではないか」と想ってしまうのである。

勿論、「なでしこ」はよくやった。私は嬉しいのである。

嬉しいが故に悲しくなるのである。

私は「阿Q正伝」を書くに至った魯迅の心境に似た気分でいる。

下に資料を提出しておくが日本は魯迅を通じてもチャイナの近代化と革命に大きく貢献してきているのだ。

すこし横道に逸れるが、野球に関する情報なのだが、

以前に桑田真澄氏が大リーグを体験してから日本に帰ってきた時にラジオで語っていた事を聞いて、驚くと同時に、「やはりそうなのか。さすが桑田だ彼は只者ではないな」と思ったことがある。

彼はこう語った。

「大リーグを見て経験したが、野球は日本の野球が世界一レベルが高い。日本の野球が一番だ。」

私もそう「なんだろう」と思う。これは桑田であればこそ言えた言葉である。

これは誤解されそうだが、実は文化論なのだ。技術論でもあり経済論でもあるのだ。

ところが私は鑑賞するには大リーグのほうが好きで、以前にはよくテレビの大リーグ放映を見ていた。

派手でパワフルでフェアに見えて(?)単純で楽しいのである。

日本の野球はプロもアマも神経質で計画的で自分を見ているようで嫌になってくる。

「何で娯楽スポーツまで神経を使わなければならんのだ。気が休まらん。」と思ってしまうのだ。

…ところが、よくみると、これが日本の強さなのだ。

私は娯楽を求めるから日本の野球に違和感を感ずるが、しかしプレーする選手達はプロもアマも真剣であり競輪や競馬の選手達と同じで精進?の道を歩んでいる訳だ。

これを笑ってはいけない。職業人として真剣にやっている。職人や営業マンと変わらないのだ。

横道に逸れたが、元に戻すとしよう。

現状日本の経済と政治の”惨状”は、亡国に踏み出したかのように思えるほどである。

踏み出しているのかそうでないのかは私には正確な判断は出来ない。

スポーツの世界においてとりわけ集団プレーの種目において善戦し、頂点に立ち得るのであろうか?

その秘密は、持っている実力を力を発揮し得る精神的契機を選手達が自ら意識して持とうとしなくても「日本のチーム」として結成された事により自然に獲得できるからである。

ところが経済と政治ではそうはゆかない。

日本の一般国民に経済活動と政治活動において「日本」という意識がない。

日本のことなんかどうでもいいのである。他人事なんだ。

だから金持ちや資本家は日本を捨てて外国に逃げようとする。

政治は他人がやってくれると考える。

国を失ったが故に、民族としての利害を常に考えるに至ったユダヤ人は国家なくして常に経済と政治(帰属する国において)を民族的利害において考え追求するのだ。

日本人は幸福故に不幸な連中である。幸福を自覚できない哀れな連中である。

金持ちは資本家は国のことを考えず、同胞を考えず、国民は政治を放棄し米国と自国の詐欺士や泥棒に頼っている。

それ故に、力を実力を発揮できないのである。

例えば、魯迅が書いたような「阿Q正伝」のような小説が出たならば「日本阿Q」は立ち上がるのであろうか?

恩師は私にこう語った。「魯迅の阿Q正伝の阿Qの意味は阿呆ということなんだ。お化けのQ太郎という漫画があるだろう。あれは阿Q正伝からヒントを得たんじゃないかと思っているんだよ。」

私は答えた。「成る程、Q太郎は確かにとぼけて描かれています。」

ところで、現在の日本国民が「お化けのQ太郎」では何とも情けないやら、その通りやら…と言えようか。

「阿Q正伝」のような小説で日本国民が立ち上がるのかどうなのかは私には判らないが、資本家であろが勤労者であろうが、日本を再興させようとの本気を持った中核的部分が日本国民全部が壊滅する事はなく立ち上がってくるのがごく自然であると考えるのである。


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2012/03/05/kiji/K20120305002768680.html

高瀬が殊勲弾!なでしこ 米国に勝利し決勝進出

<日本―米国>後半、先制のヘディングシュートを決める高瀬(左から2人目)
Photo By 共同
 
 サッカー女子の日本代表「なでしこジャパン」は5日、ポルトガルのファロでの国際大会、アルガルベ・カップの1次リーグ最終戦で米国代表を1―0で破り、B組1位で7日の決勝に進んだ。昨年の女子ワールドカップ(W杯)決勝のPK勝ちは記録上、引き分け扱いとなるため、米国から初勝利を挙げた。後半に高瀬愛実(INAC神戸)が左CKを頭で合わせて決勝点を挙げた。同じく五輪出場を決めている米国とは、日本が世界女王となった女子W杯決勝以来の一戦で、今夏のロンドン五輪へ弾みをつけた。対戦成績は日本の1勝4分け21敗。

 日本は宮間、岩清水らが先発メンバーに名を連ねたが、川澄はベンチスタート、沢は体調不良でベンチ外となった。沢の代役には、田中が入った。米国はワンバックらが先発。

 日本は序盤から、積極的な動きを見せ、再三シュートで米国ゴールを脅かす。一方、米国もセットプレーからモーガンがゴールネットを揺らすも、オフサイドの判定と、ヒヤリとする場面も。

 前半20分前後までは日本が運動量で米国を圧倒、チャンスを何度か作りだしたがゴールは奪えず。すると徐々に日本のプレッシャーに慣れてきた米国が反撃を開始。前半26分にはFWモーガンが後方からのロングボールに反応、DFラインの裏へ抜け出し強烈なシュートを放つ。しかし、幸運にもボールは右ポストをたたき得点は生まれず0−0のまま前半は終了した。

 後半、日本がメンバーを変えずにスタートしたのに対し、米国は一気に3枚変えでペースを握ろうとする。

 後半20分、日本が高瀬、宇津木、川澄を投入。代表100試合出場を果たした大野はここでベンチに下がる。

 ついに試合が動く!後半38分、日本が宮間からの左コーナーキックを高瀬がヘッドで合わせ待望の先制ゴールが生まれる。

 試合は米国のその後の猛攻を0点に抑えた日本が勝利し、アルガルベ杯決勝進出を決めた。 【試合速報 アルガルベ杯 メンバー】


[ 2012年3月6日 01:00 ]


http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4179/rojinn.html

魯迅と藤野先生


魯迅(ろじん)といえば、「近代中国文学の父」として、
今でも中国人に尊敬されている文豪であるが、その魯迅が、
1904年から、医学生として日本に留学していた先が、
仙台医学専門学校、今の東北大学医学部だという。
1998年、中国の国家主席として戦後、初来日した
江沢民は、その時に、わざわさ仙台まで足を延ばし、
片平キャンパス内の、魯迅がいつも座っていたという
教室の席に座り、そこで記念写真まで撮った。

魯迅は医学留学生として来たわけだが、自国を離れて
初めて、いかに中国人が蔑視されているかを強烈に知る。
なにしろ、清王朝だった中国はボロボロだったのだ。
イギリスとの阿片戦争に負けたのをきっかけに、
義和団事件、日清戦争などで、みじめな程に負け、
その領土のあちこちを、欧米列強や日本に割譲され、
ほとんど半植民地状態になっていたのである。

当時の日本は日露戦争にも勝った一流国だったが、
ある日、魯迅は学内の集会で、幻灯機による写真を
見る。大陸において、中国人がロシアのスパイとして
日本軍に射殺される映像だった。
日本人学生が嘲笑するのはわかるにしても、映像の
中の中国人も、同胞の射殺を見ながら笑っていた。
魯迅が言いようもない怒りと悲しみを抱いたのは
無理もない。肉体を治すより、心を治すべきと思った。

留学を一年半で切り上げ、自国に帰り、文章を書いて
運動を始めた。そして、口語で書き上げた小説の代表作が
「阿Q正伝」である。負け犬根性に堕している主人公を
自国民に当てはめて痛切にこき下ろした。それが、
中国人にとっては、自身の姿をみる鏡となった。
そして、それが、清王朝に代わる新たな建国の機運に
繋がったのである。いわば、自己を卑下し、自暴自棄に
陥っていた中国人に、人間の誇りを取り戻した人物
と言ってもいいのである。だから、わざわざ今になって、
中国の国家主席が仙台までやってくるのである。

魯迅の小説は、日本人にはあまり親しいものではないが、
ただ短編「藤野先生」だけは、ぼくらの世代では国語の
教科書に載っていたので、よく知られている。
藤野先生というのは、仙台医専における魯迅の担任の
教授であり、日本語が不自由だった彼を心配して、
講義を書き取ったノートを持ってくるように言い、毎日、
懇切丁寧に、朱筆でもって添削加筆してあげたという。
魯迅はその親切を、自国に帰ってからも忘れなかった。
帰国する時、藤野先生は自分の写真の裏に「惜別」と
書いて渡してくれたが、魯迅はそれを、母国に帰っても
その後ずっと机の上に飾っていたという。

この藤野厳九郎という人は、その後、1915年に
仙台医専が東北帝国大学に昇格した時、彼自身は
旧・愛知医学校卒というだけなので、教授になる
資格がないとされ、辞職し、故郷の福井県に帰り、
開業医になっている。1926年に魯迅の「藤野先生」が
発表されると、名前が世に知られるようになったが、
表に出ることを好まず、北京医科大学から教授に
招請されても固辞し、自ら魯迅に連絡を取ることもなく、
1945年8月11日に、往疹の路上で亡くなった。73歳。

魯迅の名残を求めて仙台に来る中国人のほとんどは、
彼が勉学した階段教室を訪ねるのだが、仙台人が
それよりもずっと魯迅を感じる場所が別にある。
彼が下宿していた家である。キャンパスから近い
広瀬川の崖上の道路沿いに、粗末な二階建ての
木造の家があり、今は誰も住んでいないが、
とにかく、そのまま残されている。小さな碑しかないので、
他所からやって来た人は、ただのボロ家が
道端にあるとしか思わないだろうが、仙台の人は、
ここが魯迅の下宿だったと知っているのである。


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