http://www.asyura2.com/12/kokusai7/msg/891.html
Tweet |
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1023.html
2014年02月06日
やっぱり心配なソチ・オリンピック
明後日(2月7日)にソチ・オリンピックの開会式が行われます。一部の競技は明日(2月6日)から始まり、各国の選手・役員はすでにほとんど現地入りしています。
オバマ大統領をはじめ世界のほとんどの首脳がテロの恐れから開会式への出席を見合わせる中で、安倍首相は出席してプーチン大統領とも会談するようです。
ソチ・オリンピックにチェチェン・イスラム過激派によるテロの恐れがある理由は、1月16日、17日付け「冬期オリンピックが開催されるソチとコーカサス地方の複雑な歴史 前後半」に書いてありますが、本日はその「直前情報」です。
プーチン大統領を別にすれば、チェチェンには「主役」が2人います。
1人が、チェチェン独立派・司令官のドク・ウマロフで、未承認のカフカス首長国・初代アミール(首長)です。プーチン大統領やロシア共和国の「最大の敵」です。
ウマロフは、1991年にジョハル・ドゥダエフ率いるチェチェン独立派がソヴィエト連邦(当時)から一方的に分離独立した未承認のチェチェン・イチケリア共和国の第5代大統領です。ドゥダエフを含む歴代4人の大統領は、すべてロシア軍やロシア連邦保安庁(FSB)に暗殺されています。さらにウマロフは2007年10月に一方的にカフカス首長国の建国を宣言し、初代アミール(首長)に就任しました。
カフカス首長国も世界中で未承認ですが、その「領土」はチェチェンだけではなくなく、北カフカス諸国全域に広がっています。北カフカス諸国とは、ロシア共和国内の共和国で独立国ではありません。
ウマロフは「ロシアのビンラディン」といわれ、10年前からほとんど目撃されておらず過去に8回も死亡宣言が出されていますが、依然としてテロを指揮していると思われます。最新のテロは昨年12月30日で、ロシア南部の都市・ボルゴグラードの連続テロで30人以上が犠牲となりました。
またウマロフは昨年7月に、チェチェン独立とイスラム国家建設とソチ・オリンピックへの攻撃をビデオ・メッセージ(撮影日不明)にして呼びかけています。
ここで疑問は、これらのテロ資金を誰が提供しているのか?ですが、多くはロシア共和国内のイスラム教徒の多い地域からだといわれています。ロシア共和国のイスラム教徒は700〜1000万人といわれており、特に急増しているわけではありませんが、普通のイスラム教徒がかなり過激化している可能性があります。
昨年オバマ大統領がシリアのアサド政権を攻撃すると息巻いたとき、プーチン大統領が止めたのはロシア国内におけるイスラム教徒への懐柔策(つまり過激化しないよう)だったはずです。
そして「主役」のもう1人が、ロシア共和国が正式に認めるチェチェン共和国のラムザン・カディロフ大統領です。プーチン大統領の「心強い盟主」のはずです。
初代大統領だった父親のアフマド・カディロフ(2004年に独立派に暗殺される)の次男で、まだ37歳ですが「ただの若造」ではありません。ある意味プーチンすら手玉に取り、莫大な利権を引き出しています。もちろん大半がカディロフの懐に入っているはずです。
同じイスラム教徒ながら「宿敵」ウマロフに激しい憎悪を向け、1月16日には「ウマロフは野垂れ死んだ」と最新の(8回目の)死亡宣言を出しています。もちろん証拠は何もありません。
ソチにはすでに手配されているルザンナ・イブラギモアなど、いわゆる「黒い未亡人」といわれる自爆テロ要員が何人も潜伏しているようです。ヒジャブなどのイスラム女性とわかる服装でいるとは限りません。
それではオリンピック会場がテロの標的になる可能性は高いのか?ですが、そうではないと考えます。逆に警備が手薄になるモスクワなどの主要都市が狙われるような気がします。
ところで本日はプーチン大統領が主役ではなかったので、おまけの話題です。
プーチン大統領の家族はほとんど表に出ませんが、実は昨年6月に離婚しています。再婚相手(あるいは愛人)と噂されるのが、30歳のアリーナ・カバエワ下院議員(統一ロシア)です。名前に聞き覚えがあると思いますが、新体操のオリンピック・メダリストです。
いずれにしても、無事にオリンピックが終了することを願います。
* * *
冬期オリンピックが開催されるソチとコーカサス地方の複雑な歴史 前半
2014年01月16日
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1000.html冬期オリンピックが開催されるソチとコーカサス地方の複雑な歴史 前半 冬期オリンピックが開催されるソチとコーカサス地方の複雑な歴史 前半
2月7日からロシアのソチで冬期オリンピックが開催されます。ソチでは4万人もの兵士や警官が厳重警備しており、さらに開催期間中は無人機が空から偵察を続け、ミサイル迎撃システムも配備されるようです。
ソチから近いチェチェン共和国のイスラム過激派によるテロを警戒するためで、実際に昨年末には近くにあるロシアの都市・ボルゴグラードで爆破テロが相次ぎ、多くの犠牲者が出ました。
ところがソチを含むコーカサス(ロシア語ではカフカス)地方の歴史は、そんな単純なものではありません。せっかくソチでオリンピックが開催されるので、この地方の歴史や複雑な民族紛争の一端を解説します。できるだけ簡略に、前後半の2回にまとめます。
Wikipediaに掲載されている地図をもとに、東西南北ではなく上下左右で説明しますと、地図の左が黒海、右がカスピ海です。その間の色分けされた地域がコーカサス地方で、その面積はすべて合わせても44万平方キロで、日本より少し大きいだけです。
またコーカサス地方の左下がトルコ、右下がイラン、真上がロシア連邦(共和国)、左上がウクライナ、右上がカザフスタンです。
コーカサス地方の南部には、1991年に旧ソビエト連邦から独立したグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンがあり、それぞれグルジア正教(ロシア正教と同じ東方正教会に属します)、アルメニア正教(同じ)、イスラム教(シーア派)の信者が国民のほとんどです。
このコーカサス地方の南部から、東西に横たわる5000メートル級のコーカサス山脈を挟んだ北部は、ロシア連邦(共和国)の北カフカス連邦管区を構成する共和国・地方がひしめき合っています。あくまでもロシア連邦(共和国)を構成する共和国・地方で独立国ではありません。シベリアのサハ共和国と同じです。
コーカサス地方の北部は、地図の左の方は比較的ロシア人が多く、ソチは一番左のクラスノダル地方のグルジアに近い黒海沿岸にある有数のリゾート地です。しかし地図の中央から右に移動していくと民族・宗教が複雑に入り組み、イスラム原理主義者がロシアからの独立を目指してテロ行為を繰り返しているチェチェン共和国などがあります。
コーカサスの歴史を少し振り返っておきます。1917年のロシア革命で旧ソビエト連邦の権力を握ったボルシェビキ(ロシア共産党)は、最初のリーダーだったレーニンが民族自治の方針を打ち出していたため、コーカサス地方(南部も北部も一帯)もチェチェン・イングーシ自治共和国として、ある程度の自治が認められていました。
ところがレーニン死亡後に権力を握ったヨシフ・スターリンは、まさにこのコーカサスのグルジア出身だったのですが、逆にこの地域への統制・弾圧を強化します。もともと旧ソビエト連邦への併合に反対していたチェチェン人は、特に粛清・殺戮・シベリア追放の対象となりました。
コーカサス出身のスターリンがこの地域への統制を強めた理由は、19世紀にこの地域で発見された大油田(バクー油田)の利権を独り占めするためでした。その過程でロスチャイルドなどのユダヤ資本との結びつきも囁かれたので、スターリン=ユダヤ人説が出てくるのですが、この地域のユダヤ人については「後半」に出てきます。
旧ソビエト連邦崩壊直前の1991年、チェチェンはソ連軍のドゥダエフ将軍を大統領に選出し、ソビエト連邦離脱法に基づき独立を宣言します。ソビエト連邦離脱法とは、当時のゴルバチョフ・ソビエト連邦大統領がロシア、ウクライナ、ベラルーシなどの旧ソビエト連邦を構成していた15共和国との「新たな関係を築く」ためのものだったのですが、チェチェンは旧ソビエト連邦の構成国ではなくロシア共和国内の共和国だったので、そもそもソビエト連邦離脱法が適用されず、現在まで紛争が続くことになります。
ちなみにこのソビエト連邦離脱法とは、ゴルバチョフ大統領が1991年8月にクーデターで監禁されて失脚し、ソビエト共産党とソビエト連邦が消滅する原因になりました。
ソビエト連邦崩壊後、新たにロシア共和国の大統領となったボリス・エリツィンは、1994年12月にチェチェン独立阻止のため大規模に軍事介入します(第一次チェチェン紛争)。これもロシア共和国最大の外貨獲得手段である石油のパイプラインの一部がチェチェンを通過していたからです。
明日の「後半」は、第二次チェチェン紛争をめぐる「プーチンの暗躍」、もっと歴史を遡ったハザール王国とユダヤ人などを解説します。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1000.html
* * *
冬期オリンピックが開催されるソチとコーカサス地方の複雑な歴史 後半
2014年01月17日
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1001.html冬期オリンピックが開催されるソチとコーカサス地方の複雑な歴史 後半 冬期オリンピックが開催されるソチとコーカサス地方の複雑な歴史 後半
昨日の続きです。KGBのスパイだったウラジミール・プーチンは、1991年にレニングラード(現サンクトペテルブルグ)市長となった恩師のサプチャークに取り入り、1994年に同市の第一副市長に任命されます。
1996年にサプチャークが市長選に敗れると今度はロシア大統領府入りし、1998年にはKGBの後身であるロシア連邦保安局(FSB)長官に就任します。さらにエリツィン大統領のマネーロンダリング疑惑を捜査していたスクラトフ検事総長を女性スキャンダルで失脚させ、その功績で1999年には第一副首相、首相、さらには大統領代行となり、2000年に自ら引導を渡したエリツィンに代わって第2代ロシア大統領に当選します。
KGBのスパイからわずか10年で大統領となったのですが、その背景には首相在任時にチェチェン過激派によるロシア高層アパート連続爆破事件が続発したところ、チェチェンに武力で徹底的に報復した(第二次チェチェン紛争)ことによる人気急上昇がありました。
しかし百数十人が犠牲となった一連の爆破事件は、プーチンとその意向を受けたFSBの「自作自演」だった可能性があります。その内幕を暴露した元KGB職員のアレクサンドル・リトビネンコは、2006年に亡命先のロンドンで毒殺されています。
真相は藪の中ですが、その後もチェチェンのイスラム過激派がロシア連邦からの独立を求めてテロを繰り返していることも事実です。このイスラム過激派はチェチェンと隣国のイングーシを拠点としていますが、ロシア当局の度重なる攻撃でリーダー(独立派大統領)が次々と殺害されており、最近は活動拠点を周辺国に移しているようです。
チェチェンのイスラム過激派はスンニ派ですが、スンニ派の盟主であるサウジアラビアは全く支持しておらず、イスラム世界でも孤立しています。また昨年のボストンマラソン事件の犯人がチェチェン系だったのですが、その背景は不明です。
いずれにしてもソチ・オリンピックとは、チェチェンのイスラム過激派にとって、憎いロシアもプーチンも倒す絶好の機会と位置付けられても不思議ではありません。
コーカサス地方の歴史をもっと遡ってみましょう。
コーカサス地方とは、7世紀から10世紀にかけて栄えた「謎の遊牧民族」ハザール人の王国があった地域でもあります。ハザール王国の最盛期には、コーカサス地方だけではなく現在のウクライナやロシア平原南部にまで国土を広げ、首都はカスピ海北部沿岸のイティルでした。
ハザール王国の最大の特徴(不思議)は、9世紀に国中がユダヤ教に改宗したことです。つまりアブラハムの子孫であるユダヤ人とは血縁的に何の関係もないユダヤ人(ユダヤ教に改宗するとユダヤ人になる)となりました。
ハザール王国は間もなく弱体化し、13世紀にチンギス・ハンの孫のバトウ・ハンに攻められて消滅してしまいます。
そしてハザール王国のユダヤ人は、アシュケナージとして現在のイスラエルやアメリカにいる大半のユダヤ人の祖先であるとされています(異説もあります)。しかしそうなるとアブラハムやモーゼやダビデの子孫ではないユダヤ人が、神(ヤハウェ)がお決めになったカナンの地にイスラエルを建国してしまったことになり、かなり「都合の悪い事実」となります。
だからハザール王国は、世界史から抹殺されているのです。
しかしコーカサス地方にハザール王国があった「大きな痕跡」が世界史に残っています。7世紀からイスラム教徒が猛烈な勢いで世界に領土を広げ、ヨーロッパでもイベリア半島が支配されてしまいました。しかしヨーロッパ全域のイスラム化は、732年にトゥール・ポアティエの戦いでフランク王国のカール・マルテルが、ピレネー山脈を越えて攻めてきたイスラム教徒に勝利して防ぎました。
しかしイスラム教徒はそんな回り道をしなくても、地理的に近いコーカサス地方を北上して東ヨーロッパから攻め込めばよかったはずで、当然に激しく攻め込みました。それを防いだのがハザール王国だったのです。
つまり7世紀にコーカサス地方にあったハザール王国の奮闘がなければ、少なくともヨーロッパの東半分がイスラム化して世界史が大きく変わっていた可能性があります。
コーカサス地方とは、こんな土地なのです。オリンピック中継をみるときには、少しだけ思い出してください。もちろんソチ・オリンピックが無事に終わることを祈っています。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1001.html
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。