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仏法相への人種差別1か月で3回、インタビューで社会に警鐘  AFP
http://www.asyura2.com/12/kokusai7/msg/763.html
投稿者 ダイナモ 日時 2013 年 11 月 14 日 00:08:59: mY9T/8MdR98ug
 

【11月13日 AFP】フランスの法相を務めるクリスティアーヌ・トビラ(Christiane Taubira)氏がわずか1か月で3回、人種差別の標的とされ、各方面から人種差別に対する怒りが沸き起こっている。

 極右系週刊誌ミニュット(Minute)の今週号は、黒人女性であるトビラ外相の写真を表紙に使い「サルのようにずる賢いトビラ、バナナを取り返す」とタイトルを付けた。

 13日、同誌の内容に対する非難が高まる中、マニュエル・バルス(Manuel Valls)内相は「これを見過ごすわけにはいかない」と述べ、同誌を発売禁止とする法的措置が可能かどうか検討すると発表した。

 フランスの反人種差別団体「SOSラシスム(SOS Racisme)」は、この表紙について告発する意向を示した。告発があれば否応なしに、違法性に関する捜査が行われる。同団体の創設メンバーの1人で与党・社会党のアルレム・デジール(Harlem Desir)第1書記は、同誌をすべて押収すべきだと述べた。

 ミニュット誌の問題に先立ち、トビラ法相は10月だけでも2度、公然とサルに例えられている。1度目は、同性婚に抗議するデモに参加した親が連れてきていた子どもたちのグループから、あざけりを受けた。もう1度は、極右政党・国民戦線(Front National、FN)に所属する女性の選挙候補者によるもので、その候補は自分のフェイスブック(Facebook)に「トビラ氏は政治家をするよりも、木にぶら下がっていた方がいい」と書いた。

■消えるタブー、社会でうごめく「何か」

 こうした中、トビラ法相は13日の左派系日刊紙リベラシオン(Liberation)のインタビューに登場し、黒人として向けられた人種差別による動揺や失望感を初めて語った。

 トビラ法相は「ちょっとした失言などといったレベルでない、もっとずっと深刻なものだ。抑制が消え、堤防が壊されつつある」と述べ、自分が受けた扱いはフランスの社会的一体性がさらされている脅威の反映だとして懸念し、人種差別を公然と行うことへのタブーの崩壊に警鐘を鳴らした。

 またトビラ法相は、こうした出来事は昨年誕生した社会党政権で主要閣僚に指名されて以降、自分に向けられてきた敵意のごく一部に過ぎないと述べた。「これまで長い間、モンキーだ、バナナだといった侮辱を受けているが、誰もまだ着目していない、もっと捉えにくい何かが起こっている」と話し、例として同性婚に抗議する人々がいかに政権でなくトビラ法相個人を標的にしたか、また抗議運動の「フランスらしさ」をどれほど強調していたかを説明した。

 さらにトビラ氏は、自分が法相に起用された際のあからさまな反発にも言及した。当時、最大野党・国民運動連合(UMP)のジャンフランソワ・コペ(Jean-Francois Cope)党首は、同党の支持層である中道右派の有権者が、極右の国民戦線に流れることを阻止するために「国民戦線に票を投じれば、左派を勝利させることになり、トビラ氏が登用される」と発言した。

 人種差別行為そのものや、それを容認する風潮が拡大していると懸念するのはトビラ法相だけではない。フランスの人権団体や社会評論家からは相次いで警告の声が上がっている。

 トビラ法相のインタビューを受けて、フランソワ・オランド(Francois Hollande)大統領は、人種差別の脅威について社会全体がもっと危機感を持たなければならないと警告したが、ジャンマルク・エロー(Jean-Marc Ayrault)首相は「フランス人の大多数は人種差別を容認しないと確信している」と述べた。(c)AFP/Beatrice Le Bohec


http://www.afpbb.com/articles/-/3003237  

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01. 2013年11月14日 00:52:47 : niiL5nr8dQ
EUはナショナリズムへの防波堤

2013年11月14日(木)  熊谷 徹

 この連載は、ヨーロッパに23年間住んでいる者の視点から、日本の新聞記事やテレビのニュースからは読み取れない、ヨーロッパの断面をご紹介することを目的の1つとしている。

80年代に比べて統合は進化した

 ユーロ危機が連載のメインテーマなので、どうしても欧州連合(EU)のシステム上の欠陥や、ユーロ圏加盟国が抱える様々な問題点、南欧諸国に対する救済策の問題点などを取り上げざるを得ない。

 ネガティブな側面を取り上げるのは、ジャーナリストの習性の1つであるが、債務危機によってまるでEUが崩壊するような印象を与えるのは、私の意図ではない。日本の経済学者の中には、「もうEUは終わりだ」という印象を与えるコメントをしている人もいるが…

 ユーロ危機は、EUが第二次世界大戦後体験した、もっとも深刻な危機である。EUが未曾有の苦しみを体験していることは事実だが、その存在自体が問われる事態には至っていない。

 私が1980年代にNHKの記者だった頃に比べると、ヨーロッパの統合ははるかに進化している。そしてジャーナリストにとっても、はるかに興味深く、伝えるべき内容が多い地域になった。ヨーロッパ諸国は、連合体として団結することによって、国際政治の舞台でも1980年に比べて重みを増した。

 今日のEUは、1980年代の欧州共同体(EC)に比べて、政治的・経済的な統合が大幅に進んでいる。加盟国が主権の一部をEUに譲渡しているからだ。ユーロの導入で通貨が同じになっただけではない。来年からは大手銀行の監督・規制や、経営難に陥った銀行の整理についてもEUの一機関(欧州中央銀行)が取り仕切ることになる。

ヨーロッパの「遠心力」

 もちろんヨーロッパには求心力の他に遠心力もある。ヨーロッパの重要な特性は地域的な多様性だからだ。ドイツひとつをとっても、北と南ではメンタリティーや慣習が大きく異なる。EUをグローバル化の象徴とみなして、「ユーロ圏離脱」を求める勢力は、どの国にも多かれ少なかれ存在する。英国のように、EUそのものからの脱退について国民投票によって民意を問おうとしている国すらある。「各国政府が担当するべき瑣末な問題についてまで、EUは口を突っ込みすぎだ」という批判も強い。

 しかし私は、EUについて様々な議論が起きている今日こそ、その原点に立ち返る必要があると思っている。なぜEUが必要なのかについて、再確認するためである。私は、様々な問題を抱えていても、EUは必要であると考えている。今日のヨーロッパの根底にあるものを理解しないと、EUの存在意義は理解できない。

虐殺の生き証人

 2013年10月31日、午後7時。私は1人の老人に会った。マックス・マンハイマー、93歳。足が不自由であるために杖をつき、付添い人に手を引かて、ゆっくりと歩む。広い額を、綿のような白髪が縁取っている。両目の下と頬には、深い皺が刻まれている。

 彼は、アウシュビッツ・ビルケナウ絶滅収容所、ダッハウ強制収容所に送り込まれながら、からくも生き残ったユダヤ人の1人である。1943年に妻、両親、妹など家族8人のうち6人を、アウシュビッツ・ビルケナウで殺された。

 マンハイマーは、1920年に現在のチェコ東部の村、ノービ・ジチンで生まれた。オーストリアに近いこの村は、チェコ人だけでなくドイツ系住民も住んでおり、「ノイ・ティッチャイン」というドイツ語の名前も持っていた。住民はチェコ語だけでなく、ドイツ語も話す。ドイツ周辺によく見られる、多文化地域である。

 マンハイマーの父親のヤコブは、商人だった。英国とフランスは、ナチスドイツとの戦争を回避するため1938年、いわゆる「ミュンヘン合意」をヒトラーと締結。マンハイマー家が住んでいた地域は、この合意に基づいて、ドイツ帝国に強制的に併合された。大国がチェコスロバキアを無視して頭ごなしに行った「宥和政策」である。

 ヤコブはユダヤ人だったために、この地域に進駐したドイツ軍の保安当局に逮捕された。そして「二度とドイツ帝国領に足を踏み入れない」という誓約書に署名させられた後、祖国を追放され家族とともにハンガリーに移住しなくてはならなかった。

 しかしハンガリーもマンハイマー一家にとって安住の地とはならなかった。彼らは1943年1月に他のユダヤ人たちとともに、チェコのテレージ エンシュタット強制収容所に送られた。さらに、家畜を輸送する列車に乗せられて、アウシュビッツ・ビルケナウ絶滅収容所に送られた。マンハイマーはアウシュビッツから生きて出ることができたものの、ワルシャワの収容所、ダッハウ強制収容所、ミュールドルフ労働収容所などを転々とさせられる。その間、マンハイマーは飢餓とチフスに苦しめられた。そして1945年4月30日、列車で移送される途中で米軍によって解放された。

語り部に耳を傾けるドイツ人

 彼は戦後、故郷のノービ・ジチンに一時戻り、自分の家族を殺したドイツに二度と足を踏み入れないと心に決めていた。しかしナチスに対する抵抗運動に加わっていたドイツ人女性と結婚して、1946年にミュンヘンに移った。

 マンハイマーは戦後、自分の体験を子どもたちに読ませるために書き留めていた。心に深い傷を負っていた彼は、20年以上にわたってこの記録を公表することを拒んでいた。しかしマンハイマーはダッハウ収容所・追悼施設の館長らの勧めを受け、手記を「ダッハウ・ノート」として1985年に雑誌に公表した。後に単行本として出版する。こうして彼は、ナチスから迫害を受けた体験を、ドイツだけでなく世界中で人々に伝える語り部となった。ドイツ政府の最高位の勲章である「連邦功績勲章」やフランスの「レジオン・ドヌール勲章」、ミュンヘン大学の名誉博士号なども授与されている。

 今年8月には、マンハイマーらの招きでメルケル首相がダッハウ収容所跡にある追悼施設を訪れた。ドイツ連邦政府の首相がこの施設を訪れたのは、初めてである。

 10月31日の夕刻にマンハイマーはミュンヘン中央駅に近い「キリスト教青少年協会(CVJM)」の本部を訪れた。集会室には、ドイツ人やポーランド人、チェコ人など約50人が、彼の話を聞くために集まっていた。

 彼は生い立ちについて語った後、チェコスロバキアがナチスに併合された経緯を説明した。90歳を超える高齢だが、家族が祖国を追われた日など、日付を克明に覚えていた。

 マンハイマーは、家族とともに1943年2月1日の深夜に、輸送列車でアウシュビッツ・ビルケナウ絶滅収容所に到着した時の状況を説明した。当時彼は23歳だった。

 親衛隊の制服に身を固めた軍医がプラットホームに立ち、ユダヤ人一人ひとりに年齢と職業を尋ねた。身体が丈夫そうで、肉体労働ができるユダヤ人は左側の列、それ以外のユダヤ人は右側の列に立たされた。右側の列は、ガス室での死を意味した。ドイツ人の軍医は、指の動きだけでユダヤ人たちの生死を決めていった。屈強なマンハイマーと2人の兄は、左側の列に入れられた。商人だった父親は肉体労働に向いていないと見られたため、右側に立たされた。

 マンハイマーは髪の毛を剃られ、左腕に「99728」という番号の入れ墨を施された。まるで彼が人間ではなく、家畜であるかのように。この時彼は名前を失い、番号だけの存在になった。彼は袖をまくり上げて、会場の人々に青黒い入れ墨を見せた。死ぬまで消えない、ナチスの犯罪の証拠である。

 会場には、10歳くらいの男の子と女の子が母親に連れられて、マンハイマーの話を聞きに来ていた。母親は、子どもたちの手をしっかり握り締めている。マンハイマーの体験談が子どもたちにショックを与えることを知っているからだ。

 女の子が手を挙げて「ご両親はどうなったのですか?」と質問した。マンハイマーは「アウシュビッツに列車で到着した時、両親や妻とは別れ別れになってしまい、それ以降、二度と会えませんでした」と答えた。彼らは直ちにガス室に送り込まれて、殺されたのだ。

 10月末のミュンヘンの夜は、肌寒い。私はこの夜、こうした催しに足を運ぶ若いドイツ人がいることは、この国の社会に「良心」が残っている証拠だと感じた。人々はこの晩暖かい自宅でテレビ番組を見る代わりに、あえて悪夢のような体験談を聞くために集まったのだ。

裏切られたユダヤ人の期待

 マンハイマーの口からは、戦時中そして戦後の体験談が、水のように滔々と流れ出た。「チェコがドイツに併合された時、私の父は『ドイツは、哲学や音楽、文学で世界的に知られた文化国家だ。我々に対してひどい扱いはしないだろう』と言って、楽観的な態度を取っていました」。これは当時多くのユダヤ人が抱いていた考えである。

 しかし、1930〜40年代のヨーロッパでは、「想定外の事態」が起きた。ナチスドイツは工場のような施設を作って、婦女子を含めてすべてのユダヤ人を流れ作業のように抹殺しようとしたのである。アウシュビッツでは約150万人、ヨーロッパ全体では約600万人のユダヤ人が殺害されたと推定されている。

 マンハイマーは言う。「私は(ドイツ人を糾弾する)検察官や裁判官ではない。私は事実を語り継ぐ証人だ」。アウシュビッツなどの収容所に入れられた人々は、そこで体験した強い苦しみや悲しみ、不安によって、しばしば深い心の傷を受けた。その傷は一生癒えないことがある。マンハイマーも例外ではなく、精神科医の助けを必要とした時期があったことも赤裸々に告白した。ミュンヘンでの講演中にも、つらい記憶が一瞬脳裏をかすめたのか、涙を必死にこらえる瞬間があった。「私の娘は、私の本を読むことができないのです」。彼の家族にとって、父親の体験談を読むことはあまりにもつらい行為なのである。

欧州の「理性」の脆弱さ

 マンハイマーの体験は、ヨーロッパ文明を覆っている「理性」という皮膜が極めて薄いことを物語っている。高い文化を誇っていたドイツは、大量失業や経済の混乱から逃れるために、選挙によって合法的にナチスという犯罪者の集団を政権につけた。ナチスはユダヤ人を迫害することを法律によって合法化し、同国人であるユダヤ人の財産を剥奪し、故郷から追放し、最後はガス室に送り込んだ。ユダヤ人だけではなく、シンティ・ロマや反体制派、社会民主党員、共産党員らも迫害した。今からわずか70年前、ドイツは世界最悪のテロ国家だったのだ。

 ドイツ人たちはヒトラーに熱狂し、大半の国民がナチスの政策を積極的に支持した。その犯罪性を1930年代の時点で見抜いてナチスの政策に反対した市民は、ほんの一握りにすぎなかった。

 戦後の西ドイツも1960年代後半になるまで、ナチス時代の過去と批判的に対決する作業を行わなかった。裁判官、検察官、警察官、諜報機関、外務省などの中央官庁、大企業幹部として、ナチスを支援した人々が生き残っていた。

 東ドイツの社会主義政権も、やはり過去との対決をおろそかにした。「ナチスの残党は西ドイツに留まっている、東ドイツはナチスに抵抗した共産主義者の国であり、ナチスの生き残りは存在しない」と自国を見なしていた。

 1990年代に旧ユーゴスラビアで吹き荒れた内戦と虐殺の嵐が示すように、狂信的な民族主義は、ふとしたきっかけで理性の皮膜を突き破り、顔をのぞかせる。誰が、20世紀のヨーロッパであれほど悲惨な抗争が繰り広げられると想像しただろうか。

EUは民族主義に対する防波堤だ

 私はマンハイマーの話を聞いて、民族の坩堝(るつぼ)であるヨーロッパでなぜEUが必要であるかを、改めて痛感した。ドイツ、フランス、ノルウェーなどには、少数ではあるが、今も極右勢力が存在し外国人を排撃するよう求めている。

 旧東ドイツでは旧西ドイツに比べて極右勢力に共感を抱く市民が多く、一部の州議会ではネオナチ政党が議席を得ている。(その主な理由は、2つある。1つは、統一以降、失業などによって不利益をこうむり、CDUやSPDなど伝統的な政党に反感を抱く市民が多いこと、もう1つは、社会主義時代の東ドイツでは、ナチス時代の過去と批判的に対決する運動が西ドイツほど積極的に行われなかったことである)

 フリードリヒ・エーベルト財団が2011年に行なった世論調査によると、「外国人はドイツの社会保障制度の利点を悪用するために、この国に来ている」と答えた人の割合がドイツ全体では34.3%だったのに対し、旧東独では47.6%にのぼった。「雇用が減ったら、外国人は出身国へ追い返すべきだ」と答えた人の割合も、ドイツ全体では31.7%だったのに対し、旧東独では40.8%とはるかに多かった。

 ドイツでは旧東ドイツ系住民の極右テロ組織NSUが、凶悪なテロ事件を起こした。2000年からの11年間に、ミュンヘンやハンブルクなどでトルコ人、ギリシャ人など10人を射殺。爆弾テロも行った。ドイツの捜査当局は「どうせトルコ人の犯罪組織内の抗争だろう」と思い込み、犯人たちが自殺するまで、極右による連続テロという前提で捜査を行うことはなかった。

 1992年には、東欧からの亡命申請者の数が急増。これをきっかけに、極右勢力が2285件もの暴力事件を引き起こし、外国人ら17人を殺害した。旧東ドイツのロストクでは、極右勢力が亡命申請者の住宅に放火、投石。テレビがこの模様を放映した。旧西ドイツのメルンとゾーリンゲンでは、極右の若者がトルコ人の家族が住む家に放火し、女性と子ども8人を殺害した。

 フランスでは、ネオナチのジャン・マリー・ルペンの娘が率いる極右政党FNが、地方選挙で躍進を続けている。2012年には、南フランスのトゥールーズで23歳のアルジェリア系フランス人が、ユダヤ人学校の前でユダヤ人の子ども3人と教師1人を射殺した。

 オーストリアのケルンテン州では、極右ポピュリスト(イェルグ・ハイダー)が1991年から8年間にわたり、州知事を務めた。

 将来どのような経済危機がヨーロッパを襲うかは、予想できない。その時に、右派ポピュリストが再び市民を誘惑する可能性がある。

生き証人が皆無になる時代に備えて

 私はヨーロッパに潜むナショナリズムの動きに対抗するために、ヨーロッパ諸国が国家主権の一部をEUという国際機関に譲渡し、国家間の垣根を低くすることが重要であると考えている。EUは、欧州議会の権限の強化、関税や国境検査の廃止、統一通貨の導入などによって「ヨーロッパ人」という一体感を強化しようとしている。EU市民が他のEU加盟国で働く際には、労働許可はいらない。ドイツのように、他のEU加盟国から来ている外国人に対して地方自治体選挙の選挙権まで与えている国もある。私は、こうした措置を積み重ねていくことが、狂信的なナショナリズムが再び人々を篭絡する危険を減らすことにつながると考えている。

 ドイツとフランスが中心となって、EUの前身である石炭鉄鋼共同体を1951年に創設したのも、戦争を予防するためだった。当時のヨーロッパ人たちは、石炭業と鉄鋼業という軍備増強に直結する産業に関する情報を交換し透明性を高めることにより、戦争の危険を減らそうとしたのだ。

 ヨーロッパでも、第二次世界大戦に関する記憶は、当然のことながら風化していく。それほど遠くない将来に、ホロコーストを体験した生き証人が全くいない時代がやって来る。そうした時代にも、過去の失敗を繰り返さないための「防護措置」の1つが、欧州統合なのである。EUはナショナリズムに対する防波堤なのだ。

 この歴史的な背景を常に念頭に置かなければ、EUの動きを正しく理解することはできない。日本の新聞やテレビが時おり伝えるユーロ関連のニュースだけでは、ヨーロッパの底流を流れる歴史的・政治的な文脈をつかむことは難しいだろう。2000年の歴史を持つヨーロッパは、それほどまでに複雑な地域なのである。

[12削除理由]:無関係な長文多数


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