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外国と組むという新しい国際標準化 幼児虐待の次は金権スキャンダル、悩み尽きないドイツ人
http://www.asyura2.com/12/kokusai7/msg/720.html
投稿者 SRI 日時 2013 年 10 月 23 日 00:56:52: rUXLhToetCnYE
 


外国と組むという新しい国際標準化

2013年10月23日(水)  市川 芳明

ビジネスを盛り立てるための規格の作り方(2)

スマートグリッドとスマートシティの標準化競争が本格化

 9月25日にベルリンで開催された「ワールドスマートグリッドフォーラム2013」の講演に招待された。世界各国から500人近くの参加を得た大規模な会議であった。日本からも、基調講演をされた経済産業省や、セッションをオーガナイズされた新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の方々を含め、多数の参加者があった。

 筆者の講演は「スマートシティを定義する(Defining the Smart City)」というもので、スマートシティに関する現在唯一の国際標準化委員会の国際議長の立場で参加した。筆者の講演に対して直後に多数の質問と討論が殺到し、とても刺激的な会議だった。

 スマートグリッドは多額の各国政府予算に裏打ちされた巨大ビジネスに成長しているが、ここで成功している先端企業は次の獲物として「スマートシティ」に狙いを定めたことが明白である。

 我々ISO(国際標準化機構)の進捗については、10月21日に横浜で開催されたSmart City Week 2013において、「海外インフラ輸出を成功させるスマートシティ標準化」と題して筆者を含め関係者が報告をしたのでお聞きになった方もいらっしゃるかと思う。本シリーズでも引き続き取り上げていきたい。


World Smart Grid Forum 2013の開会式の様子(500人ほどの会場が満席)
新規格を作るための国内のハードル

 さて、前回は規格が如何にビジネスをプロモートできるか、またそのようなことが可能な規格の内容について述べた。そこで本稿ではそのような内容の規格作るための戦術について新たな視点を論じたい。

 これまでの日本企業の常識では、自分たちが提案する規格は日本の工業標準調査会(JISC)に応募し、その審議を通過して初めてJISCとしての国際提案が認められるという第一ステップがあった。

 国際提案も投票を可決しないと作業が始まらないし、作業が始まってからも各国の利害の違いを乗り越えるリーダーシップを発揮して規格をまとめ上げ、そして最終投票で可決されなければならないので、この第一ステップはほんの入り口ではある。

 一方で、この入り口である第一ステップはかなり厳しいハードルであることも間違いない。特に、前回述べたような「サービス規格」的なものは、製品の仕様や試験方法といったオーソドックスな規格に比較すると、容易には日本のオーソリティーのご理解が得られない。ここでつまづいていると、いつまでたっても規格を国際舞台に提案できないことになる。

注目すべき中古車の事例

 ここで、ウェブ上で既に公表されている実例を挙げたい。

 サン・パートナーズからのニュースリリース「世界初!『中古車エンジンのリサイクルに関する規格』策定で、高度循環型社会を実現するPAS777 が本格始動」である。

 BSIグループジャパンからのニュースリリース「BSIジャパン、PAS777(高度循環型社会を実現する中古車エンジンのリサイクルに関する規格)の策定を支援」もある 。

 また、この規格化の主役である会宝産業からの英文のリリースはさらにその背景と狙いを詳しく説明している。いずれも同じ活動について述べたものであり、2013年の発表である。

 この3つのリリースの内容を筆者なりに分析してみた。

 まず、対象とするビジネスは会宝産業に代表される「中古車・廃車の買い取り、中古自動車部品販売」である。このビジネスのために新たに制定される規格は英国BSI規格のPAS777 「Specification for the qualification and labelling of used automotive engines(中古オートモーティブエンジン及び関連するトランスミッションユニットの機能評価及びラベリングに関する仕様書)」である。

 規格化の動機について考察してみる。サン・パートナーズによれば「質と価格が一致した適正な市場が確立されていない」こと、「中古エンジンの機能を測定するための共通の基準が存在しない」との背景が指摘されている。さらに、会宝産業のリリースには、「これまでの海外市場では中古自動車の走行距離は問われてこなかった。3万キロの中古車と8万キロの中古車は同じ値段で売られており、製品の質や状態を明確にする指標がなかった」とある。

 これらのメッセージから、次のような背景が浮かび上がってくる。

 おそらく日本から出てくる中古自動車は世界のレベルでは質が高いと思われるが、中古車の売り先は日本ではないだろう(日本で売るなら国際標準を作る意味がない)。その中古車市場に日本とは質の違う国から得られた中古車も参入するとすれば、安いものが勝つ市場となり、本来、質の高い日本からの中古車の競争力が適切に発揮されなくなる。この規格の背景は、この市場競争力を保つための国際的な市場環境(競争の土俵)づくりであると推定できるのだ。

一本取られた!JISCから提案しないという戦術

 この規格は上記のように製品に関する規格であることから、規格の内容自体はオーソドックスな領域を大きく出てはいないが、それでもJISCから提案しなかったことが新鮮な着想だと思った。

 BSIはBritish Standard Instituteの頭文字であり、英国を本拠地にする世界を代表する巨大な規格協会である。認証のビジネスでも高いシェアを持っている。

 筆者はスマートシティの標準化で会場を提供いただいたことがきっかけで、BSIの標準化部門のトップであるDr Scott Steedmanと知り合いである。先日も日本で彼と共に講演をした 。

 彼の講演を聞いて強く思ったのは、BSIは英国だけの規格を作っているつもりはないということだ。BSIのビジネスはグローバルであり、BSIの規格は世界で通用する。もちろんISOやIEC(国際電気標準会議)に較べるとオーソリティーは劣るが今回のようにISOやIECが存在しない状態では何ら問題がない。

 BSIグループジャパンのリリースには次のような一文がある。

 「昨今、自社に関係する業界あるいは技術分野の標準化を、自らリーダーシップを発揮して推進し、国際・国家規格を策定していきたいという機運が高まっており、また、製品・技術・サービスを適正に評価したいがそのための基準や規格が存在しないという課題も多く見られます。このような情勢を受け、BSIはPAS規格を民間企業から政府まで様々な組織から依頼を受けて開発しています」

 このビジネスモデルは、JISCを通して提案するという従来の高い敷居を超えられない企業にとって、第二の選択肢を与えるものだ。

 今回の事例は実に巧みな戦術と言わざるを得ない。JISCという選択肢しか追求してこなかった筆者は一本取られたという印象を受けた。一方で、BSI規格だけではなく、ISOやIECにまで広げてこれをもっと一般化するとどうなるのかを考えてみた。

さらなる発展型とは

 ISOやIECの新規格や新専門委員会は、どの国からも提案できる。仮に日本企業がグローバル市場でのビジネスのために「標準化を、自らリーダーシップを発揮して推進し、国際・国家規格を策定していきたい」という明確な意思があれば、JISCを通すことが困難であってもあきらめる必要はない。

 英国から提案あるいは日本の産業とバッティングしない国(金融中心の国、農業国あるいは資源国があり得る)の規格協会とコンビを組んで、提案国(幹事国)はその国に譲り、議長を日本の企業が取り、「自らリーダーシップを発揮」すればよいのである。

 日本の企業主導でありながらも外国と手を組んで進めるという新しい形態の国際標準化への道が開けてくるのではないかという期待が持てる。

このコラムについて
市川芳明 世界環境標準化戦争

世界的に優れるといわれる日本の環境・エネルギー技術。地球環境問題の緩和と経済成長の両面でカギを握る。だが、最終製品の性能や品質だけが世界市場での優位を決するわけではない。その重要な要素として世界標準をとれるかどうかの比重が増している。それは科学とビジネスと行政に通じた交渉を経てはじめて成し遂げられる。環境技術も例外ではない。国際規格づくりや海外の規制対応の前線で活躍する筆者に、世界標準を巡る駆け引きとバトルの実態をリポートしてもらう。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20131017/254690/?ST=print


JBpress>海外>欧州 [欧州]

幼児虐待の次は金権スキャンダル、悩み尽きないドイツ人


国の緊縮財政はどこ吹く風のカトリック教会から離脱者相次ぐ

2013年10月23日(Wed) 川口マーン 惠美

 また、ドイツで、カトリック教会が物議を醸している。幼児虐待スキャンダルが下火になったかと思ったら、今度は金権スキャンダルだ。

 ヘッセン州のリンブルクという司教区で、司教の居館が建設されているのだが、それが贅沢三昧のものになるらしく、費用が当初の予算550万ユーロ(7億3700万円)から、少なくとも3100万ユーロ(41億5000万円)に膨れ上がっていることが判明した。

 司教の特別注文が破格であるらしい。ひょっとすると、4000万ユーロ(53億6000万円)までいく可能性もあるといい、住民がものすごく怒っている。

金権司教に愛想をつかした教会からの脱会者が相次ぐ

 とはいえ、カトリック教会というのは、あらゆる醜聞を内包しながら、それらをすべて覆い隠すという特技(権利?)を有しており、金権司教を罰するような法律はない。

 カトリック教会内部は民主主義ではないので、信者たちには団結して司教を辞任に追い込む力もない。だから、怒りは今のところ大気中に充満している。司教が辞めるとすれば、自分の意思か、あるいは、ローマ教皇の鶴の一声で、となる。

 この金権司教の名は、フランツ=ペーター・テーバーツ=ファン・エルスト(Franz-Peter Tebartz-van Elst)、53歳。

 去年の夏には、インドの貧しい人たちに会いに行くのにファーストクラスを使ったとして非難を浴びた。そのあと、シュピーゲル誌のインタビューに対して、「自分はビジネスクラスを使った」と嘘までついた。

 そして、その嘘がばれると今度はシャーシャーと、「インドの人々は何年ものあいだ私を待っていたのだ。長いフライトで疲れ切って、私が向こうで居眠りなどしようものなら、彼らをどんなにかガッカリさせたことか」と、変な言い訳をした。

 ファーストクラスだけがシートをベッドにできるので、飛行時間中に睡眠するためには、ビジネスクラスではだめだったのだそうだ。

 しかし、シュピーゲル誌についた嘘の方は、ちゃんとビデオで隠し撮りされており、命取りになるかもしれない。偽証罪で検察が動き始めている。聖職者の偽証というのは、しょっちゅうありそうだが、起訴されるとすれば、これが初めてのようだ。

 そのうえ、建設中の豪華版居館の方も、司教がこの破滅的な予算オーバーを知っていながら隠していたという疑いで、背任罪の適用が検討されているという。いずれにしても、この放漫経営には信者が愛想をつかし、現在、教会の脱会者数はうなぎ上り、カリタスが一生懸命、寄付を募っても、市民は白けるばかりだ。

 それどころか、寄付を集めていたボランティアの人たちが、バカバカしくなって辞めていっているという。カトリック教会のダメージは甚大だ。

現ローマ教皇は「清貧」と「改革」を目指す

ローマ法王「夫婦喧嘩は就寝前に仲直りを」
バチカンでの一般謁見に集まった人々に手を振るローマ教皇フランシスコ〔AFPBB News〕

 さて、現在のローマ教皇フランシスコは、突然辞めてしまったベネディクト16世の後を継いで、今年の3月に就任した。最初から、「貧しい人々のための貧しい教会」をモットーに、質実剛健を提唱している。

 それ以来、ローマ教皇の車は小型車になってしまったし、ほかにも切り詰められた贅沢品は多い。最初のうちこそ、私は、何だか胡散臭いと疑っていたが、最近、この教皇の改革の意志は、本物かもしれないと思うようになってきた。

 というのも、まず夏に、同性愛に対して理解を示そうと言い出して、皆をびっくりさせ、つい最近では、再婚者を優遇しようと言い出し、これまた皆をびっくりさせているからだ。

 はっきり言って、カトリックの世界でこれらの発言は、ほとんど革命に等しい。中世なら、教皇はすでに暗殺されていただろう。いや、今だって、分からない。2000年の間、固く守られてきたことを、ひっくり返そうというのは、命懸けに違いない。

 同性愛はカトリック教会のタブーだ。本当は、同性愛者は聖職者に多いと言われているが、それは別の話。また、離婚も再婚もカトリック教会は認めない。だから、再婚者が教会で挙式し、祝福を受けることは、絶対にない。

 しかし、この調子でいくと新教皇は、避妊禁止や、聖職者の妻帯禁止なども、揺さぶり始める可能性がある。おそらく、カトリック原理主義者の間には、かなりの危機感が漂っているのではないか。カトリック教会の保守主義は筋金入りである。

 いずれにしても、今回のリンブルクの司教の事件ほど、新教皇フランシスコの方針にそぐわないものはない。

 そうこうする間に、ドイツ司教の親玉であるロバート・ツォリチ大司教までが、リンブルクの問題司教を、「司教職に留まるのは想像しがたい」と、強く非難し始めた。そして、教皇とこの問題を協議するために、バチカンに飛んで行ってしまった。

 問題司教も慌ててそれを追ったが、16日の時点では、彼はまだ教皇のアポイントメントを貰えていないようだ。ちなみに、バチカンへは格安飛行機で飛んだというから、笑える。

 しかし、カトリック教会は、本当はとてもお金持ちなのだ。バチカンは秘密主義のうえ、治外法権を享受しているので、その財テクの全容は誰にも分からないが、数々の本は出ている。

 財産は膨大のうえ、毒殺、暗殺、陰謀、何でもアリで、犯罪小説よりも凄い。「アヴェ・マリアと唱えているだけでは、教会は運営できない」というのは、高位聖職者の言葉。

賠償金に教会税。ドイツの聖職者は裕福な公務員?

 ドイツの教会は、それに加えて国からもたっぷりとお金を貰っている。1803年(ドイツがまだ多くの領邦に分かれており、ナポレオンが勢力を誇っていた時代)、それまで教会領であった侯国が世俗化されたため、教会が失った土地や修道院などの不動産に対して賠償金が支払われることになった。

 その賠償金が、1871年にドイツ帝国が建ち、それが、ワイマール共和国になり、それがヒトラーの第三帝国になり、そして、戦後の西ドイツになり、それから統一ドイツになった今も、210年間、連綿と支払われ続けている(東西ドイツが統一した時に、旧東独の教会も慌てて賠償の列に復帰した)。

 その額が、年間5億ユーロ(約670億円)近い。ドイツはすでに20年以上も緊縮財政を敷いており、社会福祉や国防はどんどん切り詰められているというのに、教会に対する210年前からの賠償だけは変わらない。誰もがおかしいと思っている。当然の権利だと擁護しているのは、教会だけだ。


ドイツ・ケルンの大聖堂。ゴシック様式建築物としては世界最大(ウィキペディアより)
 前教皇の兄、ゲオルク・ラッツィンガーはやはりカトリックの司祭だが、彼によれば、「教会は国家により略奪されてきたのだから、支払いを受けるのはもちろん妥当なこと」だそうだ。

 私はこの言葉に不快感を持つ。なお、教会はナチの下でも旧東独でも略奪、没収、破壊されたが、こちらには賠償はなかった。

 いずれにしても、210年間の賠償額を足したら、天文的な額になるはずだが、実は、これで聖職者の給料が賄われてきた。

 ドイツに来た頃、カトリックにしろ、プロテスタントにしろ、牧師や司祭が皆、教会付きの近代的で立派な住居をあてがわれ、ちゃんと休暇は取るし、勤務時間は守るし、なんだか公務員のようだと思ったものだが、国のお金でお給料が払われているのなら、確かに公務員と変わりはない。

 ただし、教会の決定的な財源は、1803年来の賠償金ではなく、実はほかにある。教会税だ。ドイツでは、教会に属している人は、それぞれの収入に見合った教会税を収めなくてはならないと法律で決まっている。

 2011年、教会税の収入は、プロテスタントが43億8000万ユーロ(約5870億円)、カトリックが49億1800万ユーロ(約6590億円)だった。

 保守的なバイエルン州は信者が多く、7つのカトリックの司教区だけで、税収の合計が毎年12億ユーロ(約1600億円)もあるという。その他、教会や修道院の修復なども、国が気前よく補助している。

 実はこの教会税を払うのがバカバカしくて、教会から脱会している人はかなりの数に上る。しかも、近年はカトリックのスキャンダルが相次いだこともあり、脱会者はどんどん増加中。

 それに業を煮やしたのか、最近になって教会は、教会税を払っていない人は、クリスマスやイースターのときだけ見物人のようにミサにやって来ても、教会には入れないようにしようではないかと言い出して、顰蹙を買った。

“惰性”に守られてきたカトリック教会にも強まる危機感

 そういえばドイツでは、バチカンとヒトラーが1933年に結んだ政教条約もまだ生きている。ワイマール時代のドイツではプロテスタントが強く、カトリック教会はその勢力を制限されていたが、ヒトラーは「教皇がナチを承認した」という大宣伝を打ちたいがために、カトリック教会を利用しようと考えた。

 そして、教皇と政教条約を結び、ナポレオン時代からの賠償金も、さらにワイマール共和国が定めた教会税もそのまま踏襲することを保証した。

 カトリック教会は、お金のために良心を捨てたとして、今でも非難されているが、されても仕方がないところはある。ただ、ヒトラーはこの条約により、教会を保護したかのように見えたが、実際は、高位聖職者だけを優遇し、宗教はすべて激しく弾圧し続けた。

 さて、教会関係者にとっては何の問題もない1803年以来の賠償金だが、特に金融危機以来、この惰性で続いた悪い習慣を止めようじゃないかという市民の声が高くなった。しかし、今までは、かけ声だけで、実際には何も変わらなかったというのが現実だ。

 ドイツが政教分離というのは、理論上のことだけだ。政治家が皆で教会の行事に参加するところはしばしば報道される。

 政権を握っているのがCDUとCSU、Cはキリスト教のCである。学校の授業に宗教の時間がある。伝統文化としての宗教の力はまだ強い。だから、この国では日曜は安息日で、お店を開けることは特別の許可がない限り許されない。

 それが今、ようやく、リンブルクの金権司教のせいで、潮目が変わる可能性が出てきた。だからといって、210年続いた賠償金がなくなるとも思えないが、カトリック教会の危機感は強い。

 21日月曜日の昼になってようやく、リンブルクの司教は教皇に謁見を果たせたようだ。しかし、その内容はもちろん秘密。カトリック教会の常である。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/38953

 

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