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老いのレッスン、「欧米には、なぜ寝たきり老人がいないのか」
2013年10月23日(水) 関橋 英作
答えはスウェーデンで見つかった
何やら深刻そうなタイトルですが、ある記事を見て、そんなことが頭をよぎりました。
「欧米には、なぜ寝たきり老人がいないのか」。
ご覧になった方もいらっしゃるかとは思いますが、少々抜粋をしてご紹介しておきます。
「答えはスウェーデンで見つかりました。今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想通り、寝たきり老人は1人もいませんでした。胃ろうの患者もいませんでした。
その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。
ですから日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。したがって両手を拘束する必要もありません。つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。寝たきり老人がいないのは当然でした」(読売新聞の医療サイト・yomiDr.宮本顕二氏の記事)
かなりの衝撃でしたね。医療が発達し高齢者の数が増えれば、どの先進国でも同じような状況だと、根拠もなく思っていましたから。
ということは、ヨーロッパの国々の平均寿命はそれほど長くない?という疑問もわいてきます。
世界の男女平均寿命は、ご存じのように日本が第1位。でも、フランス、イタリア、スペイン、スウェーデン、フィンランド、ドイツ、オーストリアなどヨーロッパ勢も1〜3歳くらいの差で続いていました(2011年WHO発表)。平均寿命に大差はないということですね。
では、なぜ日本には寝たきり老人が多いのかという謎です。2000年には120万人とも言われ、2025年には230万人にもなると予測されています。
欧米との違いは何なのか。いくつかの理由を探ってみました。
生活スタイルの違い
第一に、畳VS.ソファー(椅子)&ベッドという生活スタイルの違い。例えば、骨折や脳卒中になったとき、日本の老人の多くは畳に寝る。今でも高齢者の多くは畳の生活でしょう。
そうすると起き上がるのが大変なので、寝たきりで誰かの世話になり放しになる。一方、欧米ではソファーやベッドの生活が普通。起き上がることはそれほど難しくないし、起きている状態とあまり変わりません。
私も椎間板ヘルニアの手術をして思い知らされました。それまでは布団で寝ていたので、起き上がるときは小さな脚立を枕元において、つかまって起き上がる。結構辛いので、そのまま寝ていた方がいいや、という気持ちがすごく分かりました。
やばいです、高齢者の不自由さ。で、結局ベッドに変えたのですが、こんな状態にある人のためのちょっとしたアイディア商品が普及していないことに気づきました。
すぐにつかまり立ちできる道具、できれば持ち運びできるもの。腰が痛いと前かがみもきついので、高さが可変の物が置ける台。赤ちゃん用ならいろいろあるのですが、老人用はなぜ開発しないのでしょうか。
調べたら、高価なものならそこそこありました(グーグルでの検索結果はこちら)。
しかし、本気で普及させようという意気込みが見えないのも事実。開発者にこういう経験がないからでしょうね。
でも、こんなところこそマーケティングのニーズ。しかも、間違いなく大喜びされるものになる可能性があります。
家屋の違いも
また、家屋の違いも大きい。日本は小さな部屋が多いので、とてもバリアフリーとは言い難い状況。ちょっとの段差がつまずく原因にもなるので、怖かったです。慣れていても意外に適当に歩いているんだなあ、と痛感させられました。
日本家屋の問題が、車椅子の普及を阻んで大きな障害なのでしょうが、もっとアイディアが必要な気がします。
しかし、それより大きな理由は、お年寄りに対する気持ちの問題。お年寄りをいたわる、サポートする、尊重するという道徳的な日本のあり方です。もちろん、とても大事な日本の価値に違いありません。
それが、家族や周りの人へのプレッシャーになっている。ともすれば、おろそかにすることへの罪悪感。“寝ていて”“何もしなくていいから”“安静が一番だから”と言って、全部を抱え込んで身も心もクタクタになる。その気遣いが、もしかしたら寝たきりの老人をかえって寝たきりにしている原因になっているかもしれません。
また、入院にしてもそうです。脳卒中や骨折で入院した場合、欧米では治療が終われば患者はすぐリハビリセンターへ送られる。高齢者の平均入院日数はデンマークの場合32日、それに対して日本では高齢入院者の48%が6カ月以上も入院する。
その結果、長い入院日数がかえって筋力の衰えや頭のボケを助長しているかもしれないのです。
何とも皮肉な結果ではありませんか。
本当に、老人医療・介護の問題は複雑で一筋縄ではいきそうもない。日本人独特のメンタリティーなのでしょうが、それが医療や介護の負担を大きくしていることも事実です。
実際、私の妻も母親の入院介護で大変な思いをしています。妹と分担はしているものの、仕事やコミュニティー活動に割く時間が圧迫される。心とは裏腹にストレスが重なっていきます。
介護者を抱えている女性は、とくに負担が大きく、人生の楽しみも奪われてしまうのです。これでは、両者ともに疲弊。これが、日本における介護の現実です。
最近のデイサービスの進化は目覚ましいものがありますが、入院した高齢者は病院では何もすることがないと言います。ヘルパーさんは工夫してくれますが、忙しいので限界がある。そうなると、友達はテレビの再放送「相棒」だけ。
体が不自由になり、目や耳が悪くなったお年寄りにとって楽しめるものが少ない。活字の大きな本はわずかしか出版されていないし、音楽プレーヤーのたぐいも、操作ボタンが小さく操作しにくいうえに、複雑で使えない。タブレット端末はどうかといえば、アップデートやら何やらで、だれかがサポートしないととてもじゃないが使えません。
世の中は、高齢者を相手にしているとはお世辞にも言えない状況です。元気な金持ちの高齢者だけがマーケティングのターゲットなのですか?と言いたくなってしまいます。
こういう日本の状況では、とても老いのレッスンができるとは言えません。しかし、だからこそ老いのレッスンが必要なのです。
考えの中心は、「生きるとは何か?」。息をすること? 心臓が動いていること? 違いますね。自分の意思をきちんと発露できること。自分の頭の中は、自分以外の人には分からない。だから、伝えることが生きることなのです。私はそう信じています。
とすれば、一番大事なのは、日常生活能力(ADL: Activities of Daily Living)をどう維持していくかです。
老いのレッスン
歩く、座る、食べる、話す、見る。生きていたら、当たり前のことです。
最近の医療では、術後対策として安静よりも、軽い運動が推奨されている。ジッとしていると、かえって血行が悪くなったり筋肉が衰えて、日常生活ができにくくなるというものです。医療側も、やっと生きることの意味を考え始めたのでしょうか。
怪我をして、体が不自由になって気づいたことがいくつかあります。日本社会は階段だらけだということ。駅にも満足にエレベーターやエスカレーターがない。あっても、上りだけのエスカレーター。高齢者にとって、しんどいのは階段を降りるときなのに。
つまり、健常者目線でしか世の中ができていない。どっちが健常者か分かりませんけどね。東京・地下鉄の「オロスンジャー」で問題意識が喚起されたのか、やっとエレベーターの重要性が理解されたようです。本来は、もっと手軽な昇降機が開発されるといいのですが。
それともうひとつ得たもの。周りへの観察力が異常なほどにアップされました。どこで、ぶつけられるかもしれないという恐怖からですが、見渡すとほとんどの人が他者を気にしていない。そう見えるだけなのかもしれませんが、荷物や体がぶつかってもお構いなし。最も怖いのは、駅のホームや階段でのスマホ軍団。自分にも身の危険があるというのに、どうして、スマホから目が離せないのでしょうね。中毒としか言いようがありません。
でも、老いのレッスン効果てきめん。ゆっくり進むと、周りの流れが予測できるようになるのです。
このことが、他者や家族への感謝や配慮という忘れがちなことも、普段のこととして大事であることを再認識させてくれました。
まさに、共生という日本人の生き方。もともと日本人は、人間は自然の一部という哲学のもとで生きてきました。山川草木悉皆成仏です。不自然に生きるより、自然と共に生きて、風化していく。そんな生き方を思い出させてくれるのも、老いのレッスン。
そして、自力で考え自力で解決しようとする心。決して、子供や家族に頼り過ぎない心構え。それができたら、脳を楽しませるために、山へ行く、海へ行く。土に触れる、花をめでる。
人生の終盤だからといって、静かに過ごすより好奇心全開。もう失うものもないのですから、防御するより一歩前へ足を出す。そうすれば、若い頃には見なかったもの、理解できなかったことが体にスッと入ってくるのです。
少しでも動けるうちは、いきいきと生きる。そして、この世を去るときは潔く去る。それが、生きること。
いかがでしょうか。老いのレッスン。
今の日本社会には、それを生かす知恵が欠けているような気がします。そこには、大きな市場機会さえも潜んでいると思うのですが。
(注)山井和則『体験ルポ 世界の高齢者福祉』 (岩波新書)、 大熊由紀子 『「寝たきり老人」のいる国いない国―真の豊かさへの挑戦』(ぶどう社)を参考にさせていただきました。
このコラムについて
マーケティング・ゼロ
メール・マーケティングに始まり、アフィリエイト、検索連動型広告、コンテンツ連動型広告、動画広告にRSS広告などなど実に多彩な発展を遂げているネットマーケティング。こうした広告のプラットフォームが次々と登場することは喜ばしい半面、企業は踊らされがちになります。本来、マーケティングとは何だったか? これを忘れそうになったときに皆様を原点に引き戻す、そういうコラムを目指しています。テクノロジーがどれだけ進化したとしても、マーケティングの原点はいつの日も変わらないのですから。
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理工系国内トップ校でも「欧米基準では『講義の質が低い』」
東京工業大学・三島良直学長が切り込む教育改革
2013年10月23日(水) 田中 深一郎
国内理工系トップの東京工業大学が、2016年度からの全面実施を目指す教育改革の基本方針をまとめた。講義運営やカリキュラム、学生の成績評価などを抜本的に改め、「教育の質」で米マサチューセッツ工科大学(MIT)など欧米トップ校と肩を並べるのが目標だ。昨年秋に就任した三島良直学長は、「カリキュラムを変えるだけでは不十分。最大の課題は教員の意識を大きく変えること」と強調する。教員の教える意欲をどう高め、イノベーション人材をどう育てるのか、改革への意気込みを聞いた。
東京工業大学は10月上旬に教育の抜本的な刷新に向けた基本方針を発表した。学長に就任してから1年が経つが、教育改革に力を入れる最大の理由を教えてほしい。
三島良直(みしま・よしなお)
1975年東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了。米カリフォルニア大学バークレー校大学院博士課程を修了後、81年に東工大精密工学研究所助手。大学院総合理工学研究科材料物理学専攻教授、フロンティア研究機構長などを経て2011年に理事・副学長、2012年に学長就任。(写真:的野弘路)
三島:それは、東工大を、欧米トップ級の理工系大学と対等な実力を持ち、世界中から優秀な学生や研究者が集まってくるような大学にすることだ。英タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)などが発表する世界大学ランキングを見ても、東京大学や京都大学を含め、日本の大学は総じて「教育」のスコアが米マサチューセッツ工科大学(MIT)や米カリフォルニア工科大学(CALTECH)に比べて低い。(連載第1回「日本の大学が世界ランキングで低迷するワケ」)
「教育」の評価項目には、講義を英語で行っているか、という要素も含まれる。それなら、「学部を含め今の講義を全部英語にすればいいじゃないか」という意見もあるが、そもそも教育の中身が良質でなければ、英語化したところで国際的には認めてもらえない。だから、講義を性急に英語にするよりも、まずは教育の質をしっかりと誇れる水準にする、というのが私の考えだ。
「高尚」な講義だけでは不十分
東工大にも世界的に有名な研究者は多く、教えている内容のレベル自体は十分に高いのでは。
三島:現在、東工大はMITやCALTECHを含め、多数の海外大学と協定を結んで学生や研究者の交流を進めている。
2つの大学と協定を結ぶ際には、(受け入れた学生に対する)「授業料不徴収」と、(学生が派遣先大学で履修した講義を派遣元が単位認定する)「単位互換」について両大学が合意して初めて対等な協定といえる。東工大はアジアの有力大学とは対等な関係を築けているが、欧米のトップ大学とは最も肝心な単位互換を実現できていない。東工大としては学生が欧米校で取得した単位を認定しているが、逆に欧米の大学は東工大の単位を認めてくれていないのだ。
これは、はっきり言えば、「東工大の講義は質が低い」と見なされていることを意味する。講義の中身がいくら高尚でも、教員が一方的に講義室で教えているのでは不十分だし、学生の理解度に関する評価も明確でなければならない。当然、これまでも中間試験や期末試験を課してはきたが、「学生がどこまで達成できたか」についての評価が、日本は欧米に比べると圧倒的にゆるかった。一見して同じ内容の講義でも、欧米の学生が単位を取得した場合と、日本の学生が単位を取得した場合では、かなり差があるのが実情だ。
MITやCALTECH、欧州のトップ大学との単位互換ができれば、国際的に教育の質が保証できると考えている。講義の内容が欧米校とそっくりかという問題ではなく、「どれだけ質が揃っているか」ということが重要だ。
成績評価は厳しい姿勢で
改革の具体的な中身は、欧米トップ校と同じように大学での講義科目に通し番号を振って教える内容を標準化したり、学部入学から修士課程修了までを最短4年に短縮したりといった大がかりなものだ。この狙いは。
三島:現行のように大学入学から4年経つと学部のカリキュラムが終わり、大学院に進むとまた別のカリキュラムが始まる、というのではなく、学部と大学院が一体となった教育体制を作る。「何年生だから」という年次進行ではなく、学部から大学院まで一貫したカリキュラムがあって、それをどこまで達成したら進学できるか、ということを重視した仕組みにする。年次進行を改めて「何をどこまで学んだか」を基本にするということは、当然、学生の修了認定と成績評価も厳格化する必要がある。
例えば3年生の半ばで(学部卒業に必要な内容を)クリアした人はすぐに大学院に進んでもいいし、海外の大学に留学してもいい。今回の教育改革が実行に移されれば、東工大では学部入学から博士修了までが最短6年、修士修了は4年に短縮することも可能になる。これまでも、国立大学では成績上位の優秀者には学部3年生が終わった段階で大学院に進める「飛び級」の制度が存在した。しかし、学部卒業の資格が与えられないこともあり、利用者はほとんどいないのが現状だ。
これまでの大学の授業は、現場の教授が教えたいことを教えたいように教え、評価方法も教員次第ということが多かった。
三島:そうした点は「大変わり」してくれないと困る。今回の改革では、カリキュラムが変わるだけでは意味がなく、教員が学生の達成度をきめ細かく見極め、講義についてくることができない学生には単位を出さない、という厳しい姿勢が大切になる。もちろん、その上でやり直しも効くようにする。学生をがんじがらめにする意図はなく、あくまで学生は主体的に学ぶ意欲を持ち、それに対して教員が一生懸命教えようとするというマッチングが大切だ。
採用面接で「模擬授業」も
改革において一番難しいのは、教員の意識をどう盛り上げていくかという点だろう。当然、大学教員は若手を中心に、学生をきちんと教えることに意欲を持っている人の方が多いが、そうした意識を一段と引き出していく必要がある。
具体的な方法として、欧米トップ大学の教員を東工大に招いて講義をしてもらったり、逆に東工大の教員を海外に派遣して講義のやり方を学ばせたりすることを考えている。また、学内に「教育改革推進本部」を設け、教員にシラバスの書き方を指導するほか、実際にどんな講義をしているかを継続的にチェックする。学生から「この先生の講義は分からなかった」という評価があった場合には教員に注意を促すようなことも視野に入ってくると思う。
教員採用のやり方も非常に重要なポイントになる。本当に定着するかは別だが、例えば採用面接の際に模擬授業を課すことも検討課題になるだろう。
「自分の役割」判断できる人材に
東工大のような研究大学には、イノベーションと呼べるような成果を生み出すことが期待されている。教育改革はイノベーション人材の育成にどのように関係するのか。
三島:イノベーションを創出するには、学生が発想豊かでいられるかどうかが重要だ。教養系科目や(異なる研究分野の)融合分野の科目を充実させ、受け身でチャレンジしない傾向のあった学生に幅広い考え方を身に着けさせる。守備範囲が広く、しかも非常によく考える癖を持つ学生を育てたい。それに加えて、コミュニケーション能力の向上も大事。異分野の人と話をして吸収する能力を磨くことで、全く新しい概念を発想することができる。
当然、東工大の大きな目標には、アカデミア(学界)に残ってノーベル賞を取るような人材を育てることも含まれる。現状も、博士課程に進んだ学生の多くは、「自分は必ずアカデミアに進むのだ」と考える傾向がある。しかし実際には、大学にはそんなに多くの教員ポストがあるわけではない。アカデミアに残るには、能力レベルが相当高くないと勝ち抜けないのが実情だ。こうした状況下では、学生は単純に「博士に進んだからアカデミアに残る」と考えるのではなく、自分がそこで生き抜けるのかという判断ができないといけない。
そうした観点では、キャリア教育も非常に重要になる。既に博士課程に進んだ学生にいきなり別の道を薦めるというのでは若干手遅れであり、学部などもっと前の段階から、「自分が社会のどこで活躍するのか」ということを考えながら勉強できる大学にしていく必要がある。専門性を高め、教養も十分に身に着け、海外留学にも挑戦する――という流れが作れてこそ、イノベーション人材も増えるのではないかと思う。
学生の目が輝く大学にする
教養科目やキャリア教育の充実はバランス感覚の醸成につながるだろうが、それだけで本当に突出した人材を伸ばせるのか。
三島:ノーベル賞を取るようなレベルの研究者は“仙人”のような人でもいいかも知れないが、そうした人はごく限られる。アカデミアに進む人でも、きちんとした教養やコミュニケーション力を身に付けることが大事だ。大学の先生が幅広い見識を持ち、専門分野以外のこともよく知っていて、学生に「今、世の中はこういう動きになっているよ」と教えられるようでないといけない。こうしたことがうまくできていないのが、今の日本の大学の苦しい点だ。専門分野の研究はずば抜けていても、幅が広い教員というのはなかなかいない。
欧米のトップ大学では、学内にぴりぴりと緊張感のある雰囲気があり、なおかつ学生みんなの目が輝いている。勉強は大変だが、期末試験が終わると本当に達成感を感じられる。教員も、学期中に休講にする人はほとんどいないくらい授業に打ち込んでいる。私は、東工大を2030年に理工系大学で世界トップ10に入れたいと考えているが、それくらいの時間をかけ、東工大にもそういう雰囲気をじっくりと醸成していきたい。
「成績評価や修了要件を厳しくすると東工大の入学志願者が減るのでは」と心配する先生もいるが、私は、「例えある期間そうした現象が起きても、その後には絶対東工大が良くなると信じて改革を進めよう」と呼びかけている。
このコラムについて
世界のトップ大学
世界の大学が今、大きな変化に直面している。ハーバード大学など世界のトップ校の講義が無料で受けられる「MOOC(大規模公開オンライン講座)」や、アジアなどの新興大学が台頭してグローバル競争が加速。日本の大学も、この潮流に乗り遅れまいと改革に着手した。世界のトップ大学で始まった「教育革命」の最前線を追う。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20131021/254828/?ST=print
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