01. 2013年11月06日 10:20:41
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JBpress>海外>欧州 [欧州]イスラムの女性差別に困惑するドイツ 自動車を運転するだけで逮捕にようやく抗議行動 2013年11月06日(Wed) 川口マーン 惠美 サウジアラビアでは女性に運転免許が交付されない。女性のことはすべて、男性の後見人が決める。 後見人の許可がなければ、女性は、学校に行くこともできないし、働くこともできないし、1人で旅行することもできないし、携帯電話を買うこともできないし、医者に行くこともできない。要するに、何もできない。 後見人は、父親、兄弟、あるいは叔父などで、彼らが女性の結婚相手も選ぶ。そして、結婚した後は、夫が後見人となる。つまり、女性は死ぬまで独立しない。 まだある。サウジアラビアの女性は、黒い布で顔と手以外は全部隠さなければならない。選挙権はもちろんない。そして、後見人に許可をもらって働く場合でも、男性と顔を合わせることが一切ない職場でなければいけない。唯一例外の職場は病院だそうだ。 他人事のようにここまで書いたが、こんな国に生まれなくて本当に良かった。 女性が車を運転して抗議アクションを起こす サウジ警察、運転禁止違反の女性16人に罰金 YouTubeに投稿された、サウジアラビアの首都リヤド市内を運転する女性を映したとされる映像(2013年10月26日取得)〔AFPBB News〕 そのサウジアラビアで、痺れを切らした女性たちがアクションを起こした。去る10月26日、抗議のために、車を運転することにしたのだ。何人の女性が参加したのか分からない。しかし、その結果、14人が逮捕された。 これまでは、女性が運転して警官に止められても、「金輪際しません」という始末書を書くと、そのまま釈放してくれたそうだが、今回はそうはいかなかった。 普通でいくと、この女性たちに課せられる刑は鞭打ち10回だそうだ。信じられない! ドイツの記者が、この日、サウジアラビアの男性にインタビューしている映像がテレビで流れたが、「運転手を付けてやっているのに、なぜ自分で運転したがるんだ!」と怒りをぶつけている人もいれば、「女が運転すると、精神に負担がかかるし、骨盤と卵巣が圧迫されるので不妊症になる。だから、ヨーロッパでは子供がせいぜい1人か2人しか生まれないのだ」と主張している人もいた。 「非科学的な!」と一瞬思ったが、確かにヨーロッパの国々は皆、少子化に悩んでいるから、反論に少し困るかもしれない。 ただ、確かなことは、サウジアラビアにも、この日の抗議アクションに参加したような、施政者とは違った考えを持つ女性がいるということだ。 そして、その周りには、当然のことながら、やはり施政者とは違った考えを持つ男性がいる。そうでなければ、女性が車のキーを手にし、発進させることが、まず不可能だったはずだ。 施政者と違った考えを持つ男性は、娘を大学にやり、あるいは、海外に留学させる。娘は西側の空気をたっぷりと吸い、学問をし、おまけに車の免許証を取る。そして、国に帰って、運が良ければ、女子大の教授にはなれるかもしれない。しかし、車の運転はできない。そして、1人で自由に行動することもままならない。 ヨーロッパとイスラムの価値観の狭間で起こるトラブル 以前、フランクフルト空港でゲートに向かっていた途中、お手洗いに入ろうとしたところ、あたりにほんのりと心地よい香りが漂っていることに気付いた。バラの香りだ。 何だろうと思いながら、ドアを開けて中に入ったら、何人ものアラブ女性がせっせと着替えをしており、むせ返るようなバラの匂いだった。ヨーロッパで夏の休暇を過ごした女性たちが、最後に空港のお手洗いで変身しているところに、私は遭遇したのだった。 その時、はっきりと思い出した。昔、イラクに住んでいた時、富豪の家に招待され、バラ水を使ったババロアのようなデザートを頂いたことを。庭に咲いたバラから作らせたと夫人は言い、きれいな瓶に入ったバラ水を見せてくれた。顔を近づけると、控えめで上品な芳香が立ち昇った。 さて、バラの香りのお手洗いから外へ出て確かめると、リヤド行のゲートにはベールは被っていないけれど、すでに肌を隠した女性たちが大勢、搭乗を待っていた。フランクフルトとリヤドのあいだは6時間ちょっとだ。しかし、2つの国は限りなく遠い。あまりにも多くのことが根本的に違う。 ドイツと日本でさえ、もちろん違いはある。いまだに戸惑うこともある。しかし、ドイツと日本の間では、少なくとも基本的人権の定義は同じ。どちらも三権分立の民主主義をとっており、違いは文化や習慣だけだ。 ところが、サウジアラビアの女性には、西側で言うところの人権が認められていない。一度ヨーロッパの自由を謳歌した女性、特に、ヨーロッパで住み、勉強をした女性が、そういう場所に帰ると、いったい何を思い、男女不平等にどう対応して生きていくのかと考えると、なかなか想像がしにくい。 それでも、想像力を全開にして推察してみるなら、おそらく彼女たちは、ヨーロッパの自由や平等を高く評価しながらも、しかし、それらが引き起こす欠点や醜い点も十分に認識した結果、2つの価値観の狭間で心が揺れ動いているのではないだろうか。 もちろん、自分の行動を自分の意志で決められないことは我慢ならないだろう。とはいえ、国の仕組みは変えられないし、ましてや、国を捨てることなど簡単にはできない。いや、捨てたいとも思わないだろう。つまり、果てしないジレンマとの共存生活? ドイツにはイスラム系の人が多い。一番多いのはトルコ人で、すでにドイツ国籍を取ってしまっている人も含めると、300万人を超える。トルコ人が出稼ぎ労働者としてドイツに大量に入ったのは1970年代なので、今いる若者はすでに3世、あるいは、4世だ。 彼らがみなイスラム教を信じているかと言うと、そうではなく、服装も食生活も男女交際も、まるでドイツ人と同じという人たちも多い。一方、いまだにイスラムの伝統を色濃く踏襲している人たちもいる。その違いは、彼らの育った家庭、つまり、親の理念によるものだろう。 いずれにしても、苦労の多いのは、ドイツに住みながら、イスラムの教えに忠実な親に育てられる子供たちだ。 うちの次女が小学校のときに仲良くしていたトルコ人の女の子は、ある時期(おそらく初潮が始まった時点)から厳重に行動を監視されるようになり、結局、放課後に一緒に遊ぶこともできなくなった。 また、トラブルで多いのは、親が女の子を水泳の授業、あるいは、修学旅行に参加させず、学校側と衝突するケースだ。 学校側は、ドイツの憲法では義務教育を受けさせることは親の義務であるとするが、親の方は信教の自由を主張する。信教の自由もドイツの憲法で保障されているから、ことは複雑だ。 長女の通った学校は、シュトゥットガルトで唯一の女子高だったが、ある日突然、同級のアフガニスタン人の女の子が退学したことがあった。後で風の噂で伝わってきたところによれば、ボーイフレンドができたことが発覚し、アフガニスタンの親戚のもとに送り返されたそうだ。 ドイツで生まれ、ドイツの教育を受けた子供が、思春期にアフガニスタンに送り返されるのは、どんなにか酷なことだろう。しかし、彼女の親は医者だったから、それが蒙昧な決断だったとも言えない。 伝統を尊重しつつ凛々しく生きる女性、敢然と差別に立ち向かう女性 一方、三女の話は結構面白い。去年、ハンブルクでキックボクシングのジムに通っていたとき、ある晩、普段とは違う時間に行くと、偶然、女性だけのクラスで、凛々しい女性がたくさんいた。 そこに紛れ込んでトレーニングをして、終わって更衣室にいると、最後にほとんど全員が、長袖、長ズボン、そして、頭にスカーフを巻いた。つまり、皆、イスラムの服装に戻り、それぞれ颯爽と夜の街に消えていったという。 その時以来、スカーフはイスラム女性の個性の象徴にも見えると、三女は言う。彼女たちのスカーフからは、「私たちは、スカーフを民族のアイデンティティーの1つとして纏っている。しかし、主張することは主張するし、自分の身も自分で守れる」という進歩的なオピニオンが発信されているように感じるというわけだ。 そう言えば、私の通うジムも女性専用なので、イスラムの教えに忠実な服装の女性が来る。以前通っていたジムは男性もいたので、イスラムっぽい女性はいなかったので、そんなことは、考えてみたこともなかった。 多くのイスラム教徒は、スポーツの最中も絶対にスカーフを取らない。しかし、スカーフの女性陣も、いずれも独立精神は旺盛そうだ。多くのイスラム女性は(もちろん、理解ある後見人!がいての話だが)、ドイツのリベラルな空気の中で、伝統とうまく折り合いをつけながら、なかなか素敵に生きているように見える。 ただ、世界の他の国には、キックボクシングやジムはおろか、学校に行くことさえままならない女の子がたくさんいる。自分の年齢の3倍ぐらいの年老いた男性と、無理やり結婚させられる女性もいる。 あまりにも残酷なのは、硫酸を顔にかけられる女性たちだ。この卑怯な犯罪は、女性が言いなりにならないとか、逃げようとしたとか、セックスを拒否したという理由で、インドやバングラデシュ、アフガニスタンなどで頻発している。 あまりにも残酷なので、ここでは書きたくない。しかも、それほどの残虐な行為を犯した男たちのほとんどが、罪を問われない。女性の地位が犬よりも猫よりも低い国が、まだまだあるのだ。 欧州議会、マララさんにサハロフ賞 タリバンは再び殺害予告 10月10日、マララ・ユスフザイさん(16)は、欧州議会が人権擁護活動で貢献があった人物や団体に授与するサハロフ賞を受賞〔AFPBB News〕 16歳のパキスタンの少女、マララ・ユスフザイは、去年、タリバンに頭と首を銃で撃たれた。女子から教育を奪うタリバンに抗議する活動をしたためだ。 重傷を負い、イスラマバードの病院から英国に輸送された彼女は、手術を受け、治療を続けた結果、奇跡的に回復し、今では若き活動家として、女性の教育を受ける権利を訴えている。 今年の7月の国連での演説は、実に感動的だった。こんな年端もいかない女の子が、命を懸けて運動をしているのに、自分が何もしていないことが恥ずかしかった。いずれにしても、バラク・オバマ大統領よりも彼女の方が、ノーベル平和賞にふさわしいのではないか。
【第8回】 2013年11月6日 高野秀敏 [株式会社キープレイヤーズ代表取締役] ヨーロッパでは“大人”でないと馬鹿にされる!? 経験者が語る、欧米で失敗せず働くための心構え 昔から多くの日本人が憧れる国・地域といえば、アメリカやヨーロッパが挙げられます。以前であれば、欧米諸国に赴任するのは、帰国子女をはじめとした方が中心で、海外居住経験のない一般的な会社員の方にはなかなかチャンスがめぐってきませんでした。 しかし、最近では帰国子女や留学経験のない方でも欧米諸国に赴任、あるいは出張をする機会が増えています。では、もし突然、あなたがアメリカやヨーロッパで働くことになったら、どんなことに気をつければよいのでしょうか。今回は欧米諸国で活躍する3名の方々にお聞きした欧米諸国で失敗しない暮らし方、働き方をご紹介したいと思います。 まず、お2人の方からは日本とは全く異なるヨーロッパとアメリカで暮らす上での「心構え」「コミュニケーション術」を、もう一人の方からは「生活編」と「仕事編」に分け、今回はヨーロッパで暮らす際の注意点を具体的に教えてもらうことにしましょう。 「大人」であることが求められる ヨーロッパでの日常 ヨーロッパで暮らす・働くときには、実は日本人には思いもよらない“前提”を押さえておかなければならないのをご存知でしょうか。それは、「ヨーロッパは『大人』であることが求められる社会だ」ということです。 それを教えてくださったのは、ヨーロッパに約9年間在住しており、今はグローバル化推進の研修やコンサルティングも行っている株式会社 BOLBOP 代表取締役 CEO の酒井穣さんです。 ――酒井さんがおっしゃる「大人」というのは、具体的にどういうことを指すのですか? ヨーロッパでは、教養のある・なしが非常に問われます。教養が、社会的地位の正当性を支えている社会であり、教養による社会階層が明確に存在するからです。当然、学歴も問われますが、日本のように大学名が問われるのではなく、学士なのか、修士なのか、博士なのかといった学位の高さが重要になりますね。 それから、社会問題に対して関心を持っていることは社会階層によらず必須で、なんらかのボランティア活動に参加していないと、小さな子どもにも揶揄されてしまうことがありますよ。 ――ヨーロッパというと、パーティーなども多いイメージですが、気をつけることはありますか? 強烈なコネ社会であるため、社交的であることがとても重要です。社交の場には、夫婦(または夫婦関係にあるパートナー)での参加がマストになります。 自宅に人を招いてのパーティーなどでは、気合を入れて日本料理を振る舞いたくなるかもしれませんが、日本食ブームとはいえ、ヨーロッパの人にとって日本食は意外と喜ばれないケースが多いので注意した方がいいですね(特に子どもは日本料理を食べてくれない)。日本料理を出す場合でも、日本料理になじみがなくて苦手意識を持つ人も少なくないことに配慮して、ステーキやワインなど、ヨーロッパ的なものも同時に準備しておくと良いかもしれません。普通は、日本のものといっても日本酒ぐらいを用意しておけば、あとはだいたいヨーロッパ式の食事で十分ですよ。 また、日本人は外見からも子どもっぽく見られてしまうことが多くあります。社交の場では、子どもっぽく見える服装などは避けるほうが無難でしょう。ただ、特に北欧のプロテスタントの国々では、質素倹約が美徳という文化が残っており、アメリカのパーティーに見られるような、派手な服装は嫌われるので注意が必要です。 名刺交換はあまり重要じゃない!? 大事なのは「今」より「これまで」のあなた 一方、多様な国や地域から人々が集まるアメリカ。ヨーロッパとは付き合い方も異なります。そこで、ベンチャー企業の経営者やmixiアメリカの代表を経て、サンフランシスコでベンチャーファンドのゼネラルパートナーとして投資をされている宮田拓哉さんに、アメリカで上手くいくコミュニケーション術を教えていただきました。 ――アメリカでのコミュニケーションは、具体的に日本とどう違うのですか? 「日本」と「アメリカ」との違いを挙げると、「会社」でなく「自分」で話すということですね。日本だとまず名刺交換をして、「今」何の会社で働いているかを最初に話しますけど、こちらではそもそも名刺交換はあまりせず、「過去」の経歴やキャリアを語り合ってお互いを理解しあおうとします。コミュニケーションのツールとしては、LinkedInが代表的です。事前に会う相手がわかっている場合は、LinkedInかCrunchBase(テクノロジー系企業のデータベース)で相手の経歴を調べておくといい話ができますね。 それから「ヨーロッパ」を含めてアメリカの外から来た人、もしくは出身がヨーロッパの人と話をするときは、「名前から相手の出身を判断する」「相手の国のことを調べる」ということを私はしています。相手の国の最近のニュース、トレンド、文化について話をしたり、その国へ行ったときの経験などを話すと、懐に入っていきやすいですよ。 英語が堪能でなくても生活・仕事はできる! 語学力以上に重要な「挨拶」「主張する力」 では、実際に欧米諸国で仕事をしていくには、具体的にどのような点に気を付けるとよいでしょうか。今回は、ヨーロッパにフォーカスを当て、ベルギー在住のAさんに詳しくお話を伺いました。「生活編」「仕事編」にわけて、ご紹介していきましょう。 1 生活編 (1)言葉ができなくても何とかなる 私も初めての海外生活ということもあり、赴任当初はビクビクしていましたが、案外、生活するにあたって言葉を使わなくても支障がないことに気づきました。あらためて振り返ると日本でも、一言も発しない日があったりしますよね。順調に暮らしている限り、言葉の問題を感じることはありません。 (2)トラブル 言葉の問題を感じるのはトラブルが発生したとき。日本と大きく異なり、問題が生じてもサービス供給側が自発的に何とかしてくれる、ということは基本的にありません。何も考えずスーパーの食品を手に取ると、賞味期限が切れていたり腐っていたりすることも。そして、店員にクレームをつけると「なんで確かめずに買おうとしたの?」と怪訝な顔をされる始末。日本ではあり得ないことですが、こんなことも、しばらくすれば慣れてしまって、自分で気をつけよう、という気になります。 (3)挨拶 お店に入ると、必ず店員が挨拶してきます。これには元気よく挨拶しましょう。自分は不審人物ではない、客だ、ということを印象づけることで、多少はマシなサービスを受けられます。帰る時も必ず挨拶。エレベーターで乗り合わせた人にも挨拶。逆に日本で暮らしていた頃には、あまり挨拶をしてこなかったな、と感じました。当たり前のことですが、異文化の中で暮らしていると、意志が通じる、ということを確認することばの大切さを感じます。 そして日本では「お客様は神様」で、こちらからクレームをつけなくても問題が解決しますが、欧州では店員と客は対等。しっかり主張しないといけません。主張さえすれば、相手もそれなりに対応してくれますが、待っている限り自発的に問題が解決することはありません。日本だとこうはいかないのに…と最初はストレスでしたが、次第に言うべきは言う、というマインドが醸成されてくると、むしろちょっとそういうやりとりも楽しくなってきますよ。 2 仕事編 (1)海外赴任するために、語学力は必要か? 初めて海外で仕事をするにあたって、私も自分の語学力に不安を抱きましたが、自分の専門分野の内容を相手に伝達することに限定して考えた場合には、語学力はほとんど障壁になりません。多少表現がこなれていようが、そうでなかろうが、中身がしっかりあれば、聞き手は不足する部分を補いながら意味を理解しようとしてくれます。 ただし、内容を正確に伝達しようとすればするほど、外国語での表現力が問われます。これは実践を通じて、周りが使っている「いいな」と思う表現を盗みながら体得するのが手っ取り早いでしょう。「案外通じる」という達成感と、「もっとうまく伝えたい」という渇望が推進力となって、海外で仕事をすれば自ずと語学力は高まるのではないかと思います。躊躇せず、踏み出すことが必要です。 (2)仕事における問題は、果たして語学力か? よくよく考えてみると、日本語を書き、読み、話し、聞き、ということを私たちは「できているつもり」になっていますが、実際にその能力の程度はかなり「怪しい」といえます。まったく論理的ではなくても、お互いに不足する部分を補いながら意味を理解しあっている、というのが実際のところです。特に日本語のハイコンテクストな言語学的特徴が、その傾向に拍車をかけています。 ところが外国語で考えたり伝えたりしようとすると、どうしても日本語的なやりかたではうまくいかないので、伝えたい内容をきちんと構築する必要があります。お互いに母国語ではない英語で話す時には特にそう感じます。ワーキングランゲージとしての英語は、何のウィットに富んでいなくても、とても効率的に、論理的に、お互いの意図を伝え合って必要な意思疎通を図るために最適です。 自分の言語コミュニケーションのあり方を見つめ直すことで得られるものは、語学力以上の価値があるように思います。日本人にとっては、英語が母国語でないことは逆にプラスに作用するのではないか、とも感じます。米国や英国で育った人は、苦労がない分、そこから得られる発見もないのでしょうから。 (3)日欧の労働観の違い 欧州では、飲食店を除けば夕方にはお店が閉まります。むしろ、閉店時間より少し早めに閉店準備を容赦なく始めます。日曜日は多くのお店が閉まります。働いている間も、隣の店員や客と喋りながら、ダラダラと労働しているのが、日本人的には腹が立つことも。 休みにかける情熱もただならぬものがあります。夏のバカンスは1ヵ月とるのが基本で、オフィス街から人が消えます。バカンス期と関係なくても、1週間以上続けて有給を取得することもしばしば。しっかり休むために、休暇の前には猛烈に働くという一面もあります。 自分の予定(特に家族)が最優先、上司や同僚のために残業するのは独身だけです。共働き家族も多く、中には事実婚の夫婦も。しっかり仕事の分担をして、お互いに迷惑をかけない、かからないように、計画を立て、働く。労働投入を最小にするために、極めて合理的に行動します。 どちらが良い、悪いではなく、相対化して物事を捉えられるようになる、という点で、海外で仕事をすることから得られるものはたくさんあります。離れてこそ、日本の良さもたくさん感じます。これまでの自分の仕事を振り返り、良い点、悪い点、改善点をじっくり考えることができるのも海外生活によるメリットだと思います。
[12削除理由]:無関係な長文多数
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