http://www.asyura2.com/12/kokusai7/msg/665.html
Tweet |
韓国の「反日」ナショナリズムを分析すれば日韓関係がうまく行かない理由が見えてくる。
1.親たちは、みんな無学な田舎者だったのだ
日本で数多くの著書を出版している呉善花(おそんふぁ)さんは、韓国済州島の出身。呉さんが学んだ小学校の教室には大統領の大きな写真が掲げられ、その両脇に「反共」「反日」と大きく書かれたポスターが貼られていた。「反共」の「共」は北朝鮮のこと、共産主義がいかに邪悪で危険な思想であるかを徹底的に教えられた。
「反日」については、日本人が韓国人に対してどれだけ悪いことをしたかが教えられた。「日帝(日本帝国主義)は植民地統治の中枢機関として朝鮮総督府をソウルに設置し、全国いたるところで韓民族に対する徹底的な弾圧と搾取を行ない、支配体制の確立に力を注いだ」といった調子である。呉さんの両親は、終戦前の3年間、鹿児島で父の兄弟が経営する箸工場で働いていた。両親は日本人の家に間借りして、「その家族も近所の人たちも大変親切にしてくれた。何かといっては果物やミカンをくれたりしたし、畑をただで貸してくれて野菜を自給することもできた」と、母親は幼い呉さんによく思い出話をしてくれていた。
その話のはしばしから日本という土地と日本人にとても親しい感情を抱いていることが伝わってきた。それで呉さんは日本に憧れ、大きくなったら日本に行きたいと思っていた。
しかし、小学校での反日教育を受けた結果、「日本人は親切だ、なんて私にいい聞かせていた親たちは、みんな無学な田舎者だったのだ。日本人がほんとうはどれほど残酷なことを韓国に対して行ってきたかを教わってこなかったから、何も分かっていないのだ」と呉さんは思うようになった。
2.「反日」を鏡とした韓民族のアイデンティティ
呉さんが学んだ民族主義は常に「反日」とセットだった。韓民族が高度な文明を教えてあげたので、日本はなんとか国の形を取れるようになった、その恩も忘れて野蛮な日本民族は、平和的な韓民族を侵略した、、優れた文明を持ち平和的な韓民族という自画像は、すべて「日本」を鏡としていた。そんな呉さんが実際に日本にやってきて、現実の日本人に接すると、、ガチガチの反日思想に身を固めてやってきた私が接した日本人たちは、まるで拍子抜けしたというか、振り上げた拳のもっていき場がないというか、野蛮といえば韓国人の方がよほど野蛮だといいたくなるほど、みんなおとなしくてやさしかったのです。
猫っかぶりしているだろう、本国でいわれていたように、やはり日本人は二重人格者なのだ、そのうち本性をあらわすだろう・・・そんな期待も長くは続きませんでした。実生活のなかで日本および日本人を知れば知るほど、日本人が「侵略的かつ野蛮な民族的資質」を持っているとは、とうてい真実ではないと思うしかなくなりました。また、「反省も謝罪もする気がない」ということも明らかな嘘だと知ることになりました。その結果、私のなかから「反日」が消え、いったい自分は何者なのかということでひどく悩むことになりました。前述のように韓国の民族主義は「反日」と不可分なものです。その「反日」が消えたとき、自分のアイデンティティがガラガラと崩れそうになったのです。
日本人がどんな人たちかとは関係なく、そこから独立した韓国人としての自分があれば問題はないのですが、常に日本人を鏡にして見る自分、そして韓国人としての自分という存在があったのに、敵対すべき日本人が消えてしまうことで、自分自身の存在すら消えてしまいそうになったのです。
3.日本に謝罪させる事が韓国新大統領の試金石
「反日」が自らのアイデンティティとなっている韓国では、新大統領は、就任後に自ら日本からの謝罪をとりつけなければ、大統領としての権威を確立できない。平成10年10月の金大中大統領来日に際して、「日韓共同宣言」が発表された。その冒頭には次のような一節がある。
小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた。この共同宣言には、「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」という副題がつけられていた。その新たなパートナーシップは、毎回大統領が替わるたびに繰り返される日本の謝罪と反省から始まっていたのである。拓殖大学の田中明教授は、この宣言について、次のように述べている。
過去史問題にケリをつけるためには、たとえ、いままでの大統領が日本の謝罪を受け、それを了承したとしても、現職大統領がみずから確認しなければダメだというのが韓国指導者の立場である。なぜなら韓国政治において、前政権はつねに後継政権の否定的対象にされるという"伝統"があるからである。韓国政治の伝統に生きる金大中政権も、自身がはっきりと日本から謝罪を受けるのでなければ、政権のアイデンティティが確立したことにならないのである。日本からの謝罪を取り付けなければ、大統領としての権威が確立できない、というのは、逆に言えば、それだけ国家としての精神的な自立ができていない、という事である。
4.「反日」に踏み潰された日韓交流
朴政権は別として、その後の韓国政権は、初期には対日関係をうまくやっていこうとするが、中盤以降レームダック現象(JOG注:任期切れ間近で実権を失うこと)が生じ、反対勢力が激しくなると、反日というカードを用いて、攻撃を逸らしてきた。だから金大中大統領もそうすると考えておいた方がいいだろう。田中教授のこの予言は、平成13(2001)年夏の歴史教科書問題で見事に的中した。日本の民間会社が作成した歴史教科書の内容を修正するよう韓国政府が日本政府に要求し、それに従わないからといって、日韓の民間交流を制限するという政府命令を下した。
ある日本の高校は、韓国の高校と姉妹校提携を結び、生徒達が互いの国を訪問して、ホームステイするという交流を続けていた。「文化、生活習慣、食べ方の違いなど、びっくりすることがいろいろあったけど、とにかく楽しくてあっという間に仲良くなれたし、すごく勉強になった。帰ってきてからも、メールでやりとりしている」と生徒達が語るほど、有意義な交流となっていた。平成13(2001)年夏も、日本の生徒達が7月に韓国に行くために、飛行機のチケットをとっていたのだが、韓国政府の命令で韓国側から「来ないでください」と断られた。
直前のキャンセルで旅費は戻らなかったという。日本の高校生の中には、韓国への抜きがたい不信感を抱いた生徒も多かったであろう。「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」は、本来、こういう交流の中からこそ生まれるべきものであろうが、その小さな芽は金大中政権の自己防衛のための「反日」に踏みつぶされたのである。
5.アイデンティティの代用品としての「反日」
なぜ、韓国で「反日」なくしては自らの「アイデンティティ」もないような事態となったのか。筑波大学の古田博司教授は、次のように述べる。韓国のナショナリズムは病であり、おそらくその病は癒えることがない。なぜか。
国家がその成り立ちにおいて正統性を欠いているからである。いうまでもなく韓国の国是は反日と自ら勝ち取った日本植民地からの独立である。しかるに韓国にはこの闘争を勝ち取った者の姿が当初より存在しない。武器を持って戦った者は皆北に渡った。南の政府の直系の祖たちは上海にのがれて臨時政府を形成したが、セクト対立と内部の暗殺を繰り返して堕落したことは歴史上の事実である。
上海にあった「大韓臨時政府」は、内部抗争を繰り返すばかりで、アメリカにも中国にも承認されなかった。日本政府は敗戦後に朝鮮を独立させようとしたが、その動きはすぐにアメリカ政府に拒否され、米英ソ3国は朝鮮の独立を当面認めず、信託統治をする事に決めた。その後、アメリカが国連監視下の選挙で韓国を成立させると、ソ連は対抗して北朝鮮を独立させた。
インドネシアやインドのように自ら戦って独立を勝ち取った国々では、その勝利の歴史が国民と国家のアイデンティティを支え、それゆえに精神的にも自立して、旧宗主国とも大人の付き合いができる。不幸にもそうした歴史を持たない韓国は自らのアイデンティティの拠り所を持たない。「反日」ナショナリズムは真のアイデンティティの代用品なのである。
6.日本の左翼勢力が燃料供給してきた反日ナショナリズム
もう一つ韓国にとって不幸だったのは、日本側にも「反日」ナショナリズムに唱和する左翼勢力がいたことである。平成4年1月、宮沢首相の訪韓のわずか5日前、朝日新聞は狙いすましたように日本軍が「慰安所」に関与した証拠が見つかったと報道した。それに激高した韓国民は、ソウル市内で抗議・糾弾のデモ、集会を相次いで開き、日の丸を焼いた。
ソウルでの宮沢首相は事実を確認する余裕もなく、8回も盧泰愚大統領に謝罪を繰り返した。朝日の発見した「証拠」とは、民間の悪徳業者による慰安婦募集を軍が止めさせようと「関与」した内容であった。教科書問題にしても、そのメカニズムは同様だった。韓国マスコミは「新しい歴史教科書」問題を昨年(JOG注:平成12年)夏ごろからしきりに取り上げてきた。この背景には韓国マスコミが「良心的」とする日本の左翼・進歩派を中心にした「新教科書」反対勢力の熱心な働きかけもあり、日本で非公開の検定申請本の中身まで引用しながら「侵略美化」「歪曲」と非難を続けてきた。
慰安婦問題も歴史教科書問題も、日本の左翼勢力が自民党政権攻撃のために騒ぎを作り、それを韓国のマスコミが政府攻撃の材料に流用して、韓国政府が強硬な対日姿勢をとらざるを得なくなる、という政治メカニズムの繰り返しなのである。呉善花さんは次のように語る。・・・韓国の反日民族主義と左翼の思想とは相容れませんから、韓国では反日に呼応して運動する彼らを、終始「日本国内の平和勢力」といい続けてきました。このいい方はいまもなお変わっていませんが、私も韓国にいる時分は「平和勢力」がまさか左翼の人たちとは思わず、ずっと良心的な一般市民だとばかり思っていました。・・・かくして反日ナショナリズムの火は、「日本国内の平和勢力」から何度となく新たなガソリンを供給されて、燃え続けてきたのである。
7.韓国の孤立性と同質性
もう一つ、韓国にはナショナリズムが燃え盛りやすい原因がある。東京都立大学の鄭大均教授は、こう指摘する。・・・この国の国民のほとんどすべてはエスニック・コリアンで構成されており、アイヌや沖縄人のような先住民型のマイノリティもいなければ、被差別部落民のようなカースト型の少数者もいない。人口4700万人のこの国で、ほぼ唯一のエスニック集団といえるのは、1万6000人ほどの台湾籍の華僑であるが、そのプレゼンスは在日韓国人・朝鮮人とは比べものにならない。・・・
韓国はその一卵性双生児である北朝鮮を除けば、世界で最も同質性の高い国であり、・・・ こうした韓国社会の同質性という条件は、ナショナリズムを燃え上がらせるには恰好の環境である。
さらに韓国語の国際的な孤立性という問題を鄭教授は指摘する。・・・韓国語は基本的に朝鮮半島に住む韓国・朝鮮人にしか通じない言語であり、しかも韓国人の多くは韓国語以外の言語には通じていない。・・・韓国語の孤立性は、ナショナリズムの世界ではもっぱら固有性や優秀性の表象として活用されるとともに、それは内で何をいっても外には通じないし、外で何をいわれても内には通じないというナショナリズムの跋扈を支える条件になるのである。我々日本人は、自分自身が世界でも孤立し、かつ最も同質性の高い民族国家だと思っているが、上には上が、それもすぐ隣にいたのである。
8.日韓関係、正常化への道
反日ナショナリズムは韓国人の病である。しかし、日本人には日本人の病があると、鄭教授は言う。・・・配慮の精神は日本人の美徳であるが、最近の日本人を見ていると、配慮のメカニズムが働きすぎて、人間関係そのものが希薄となっているという印象を受ける。そんな日本人を見ていると、これは文化というよりは病気ではないかと思うくらいである。
「日本人が心の底から謝罪しないから、韓国人がいつまでも許してくれないのだ」という自虐的思想は、「配慮のメカニズム」の働き過ぎだろう。そういう気疲れするような配慮は、結局、相手を遠ざけ、日韓関係を希薄なものにするだけである。この日韓のそれぞれの病気をいくらぶつけ合っても、両者の関係の正常化は望み得ないだろう。呉善花さんの母親が語る日韓交流の心温まる歴史、そして日韓の高校生同士がお互いの家庭にホームステイして、「とにかく楽しくてあっという間に仲良くなれたし、すごく勉強になった」というような、お互いのエスニックな特質の楽しい行き交い。そういう所からお互いのナショナル・アイデンティティを積極的に認め合う--「ここに拠ることでしか、日韓関係を正常化できる可能性はありません」とは、呉善花さんの結論である。(文責:伊勢雅臣)
私など、永遠に韓国とは理解不可、いや、拒否したいと思っている。それは関係改善の必要性が思い浮かばないからだ。仲良くして、何がどうなる?単に隣国だから、仲良くする?それは隣人を疎ましいと思う心理と同じではないか?そんな事にエネルギーを消費せず、親日国家が世界には数多いのだから、それらの国々ともっと親交を結ぶ方が日本にとっても相手国にとってもメリットが大きいはずだ。隣国との関係改善などに何の意味もない。
http://classical.mo-blog.jp/blog/2013/09/post_f3c4.html
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。