03. 2013年8月31日 15:52:40
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「シリア情勢とオリンピック招致の関係」 ■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 『from 911/USAレポート』 第642回 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
8月21日に「シリアの首都ダマスカス近郊で、アサド政権が化学兵器を使用した」 という動画が出回って以来、アメリカのオバマ政権はアサド政権に対して「懲罰的な 空爆」を行うという態度を取り続けてきました。 現時点でも、オバマ政権は空爆を実施するという姿勢に変更はありません。ですが、 当初は米国に同調すると見られていた英国が29日になって、議会が軍事行動を否決 し、キャメロン首相が、庶民院の議場での採決直後その場で「議会決議に従う」と述 べるという状況に立ち至っています。 本稿の時点では、この「英国の不参加」という事態を受けて、アメリカはどういっ た方向性を取るのか極めて流動的ですが、今回の軍事行動という構想自体が、実際は アサド政権の崩壊を狙ったものではないこともあり、仮に空爆が実施されたとしても 「複雑な状況」というのは今後も相当に長期化するように思われます。 まず、オバマが軍事行動に熱心である理由ですが、まずその表層にある「タテマエ としてのスローガン」は3つあります。一つは、大量破壊兵器の使用に関しては、国 際社会として懲罰を行い、この使用ということが国際社会における重大なタブーであ るという状態を保持しなくてはなりません。そのタブーが崩壊もしくは弱体化すると いうことの危険性を考えると、副作用はあるにしても軍事行動を考慮するということ になるのだと思います。 もう一つの「スローガン」は「人権」です。仮に反政府運動の弾圧を目的として、 自国民の大量虐殺が行われたという場合、これを「主権国家の内政問題」であるとし て、放置することはできないというのが、現在の国連の立場です。ですが、この立場 も「実際に放置」がされてしまえば有名無実化するわけで、その危機感があると思い ます。 スローガンの三つ目は「アラブの春」という流れです。チュニジアに始まって、エ ジプト、リビアと続いた地中海沿岸地域のムスリム圏での独裁政権打倒に関しては、 その後の展開は迷走しています。ですが、少なくとも当初の独裁打倒ということだけ は、この三か国では現実化しているわけです。オバマ大統領は、混乱はあっても民意 を反映した政権が登場して、その新政権が徐々に現実を受け入れて行くというプロセ スの方が、独裁が継続するよりは「中長期的には安定する」という見方をしているわ けであり、シリアを完全に例外とする訳にはいかないのです。今回の化学兵器使用疑 惑だけでなく、過去2年にわたって反対派を弾圧してきたアサド政権を完全に黙認す る訳には行きません。 こうした3つの「スローガン」があるわけですが、この中で3番目の「独裁政権打 倒」という問題に関しては、シリアの場合は「受け皿がない」という見方がされてい るのも事実です。アサド政権というのは、父の時代から少数派の宗教的グループであ るアラウィ派が、多くのグループを束ねて君臨するという構図が続いてきました。従 って、アサド政権が崩壊した場合には政権の安定が難しい中で、「アルカイダ」的な 思想を持つグループ、イスラエルの存在を100%否定するグループなどが力をつけ ることになり、エジプトの同胞団どころではない混乱に至る可能性があるわけです。 ですから、あくまで行動は「懲罰」にとどまることになります。この点に関しては、 政権への退陣を求めたカタールにおける日本の安倍首相発言の「突出」は非常に気に なります。私は一瞬、シリア情勢の緊迫化を計算できずに中東歴訪に出かけた総理と そのスタッフが動揺している、そのために「政権打倒発言」という混乱が生じてしま った、そのような印象を持ちました。 ですが、もしかしたら違うのかもしれません。安倍首相とその周辺は、今回のシリ ア危機と直前に迫ったオリンピック招致の問題が関連づけられてしまう可能性を考え て、極めて慎重になっているのだと思います。「アサド政権打倒」発言というのは一 見すると、いかにも素人のように聞こえますが、実は「アメリカとそっと距離を置い ている」という態度表明なのかもしれません。 というのは、仮にアメリカが空爆に踏み切ったとして、安倍首相がこれまで通り間 髪を入れずに、そのアメリカの空爆を支持するようなことがあっては、9月7日にブ エノスアイレスで行われる、2020年の五輪開催地決定の投票では非常に不利にな ることが予想されるからです。その場合は、恐らくマドリッドになるでしょう。 というのは以下に述べるように、IOCに大きな影響力を持つ西欧各国は米国の今 回の「空爆も辞さず」という姿勢には距離を置いているからです。仮に米国が巡航ミ サイルでの攻撃を行い、日本が即座にこれを支持するようですと、日本はIOCで非 常に不人気となる危険があります。同時にイスラム圏であるイスタンブールも不利に なると思われます。 また、今回のシリアの一件でアメリカが強硬になるとなると、アメリカとロシアの 関係は一層冷え込むことが予想されます。そうなれば、2014年のソチ五輪の開催 に暗雲が漂うことにもなりかねません。2020年の五輪の成功は、2014年のソ チ、2016年のリオ、2018年の平昌(ビョンチャン、韓国)の成功の上にある のであり、仮に米国が激しくロシアと対立し、その米国に日本が密接に追随すること はIOCの心証を悪くすると思います。 そう考えると、日本としては大変に難しい立場になるわけです。NATOにも英国 にも見放され、安保理ではロシアと中国に拒否権行使をチラつかされている米国は、 フランスと歩調を合わせるのがせいぜいで大変に孤独です。日本としては、空爆とい う事態に立ち至った場合には、支持をしたいのは山々であるわけですが、そうも行か ないからです。 事ここに至ったからには、一つ日本として腹をくくって、9月5日のG20をいい タイミングとして、米ロの調整を行うということが考えられます。具体的にはアメリ カのオバマには「空爆の自重を迫る」一方で、ロシアのプーチンには「以降のアサド 政権による化学兵器使用をストップするよう圧力行使を」させるのです。 安倍政権にそこまでの外交力があるかどうかは別として、2020年の東京への五 輪招致ということから逆算すると、そのような外交が必要になると思います。では、 仮に日本がオバマ政権に対して「自重を」というメッセージを出したとして、オバマ は聞き入れるでしょうか? それには色々な外部条件が関わってくると思います。 まずはイスラエルの動向が気がかりです。イスラエルの懸念は重層的です。まずア サド政権が「アラブの大義である反イスラエル」という切り札を使って内外に政治的 影響力を保とうとしていることには強い警戒感があります。現在既に半分は交戦状態 にある中で、仮に米軍の攻撃に対してシリアが反発した場合は、イスラエルへの「報 復」を強化するという可能性を恐れているわけです。そこで懸念されるのが化学兵器 をイスラエルに向けて使用するという危険性であり、現在イスラエルではガスマスク を用意するなど警戒感が増しています。 ただ、仮に「アメリカが何もしないうちに、イスラエルが大規模なシリアへの空爆 や侵攻を行う」ようですと、中東全域の情勢は一気に流動化するという懸念があり、 オバマ政権は「アメリカによる限定的な空爆」を行う方が影響範囲をアサド政権への ダメージに限定できるという計算をしている可能性があります。イスラエルが激しい 行動に出れば、選挙後のイランが軟化のきっかけを失うという問題もあります。アメ リカに行動を自重させるには、それ以上にイスラエルにも自重を強く求めて行かねば なりません。 英国の今回の脱落ですが、考えてみれば現在の保守党のキャメロン政権というのは、 前任の労働党のブレア政権がブッシュと一緒にアフガンとイラクの戦争を遂行したこ とへの「反対票」を得て政権に就いているのです。ですから、今回の「軍事作戦に参 加せず」という決定は驚くには値しませんし、リーマンショックと、それに続く欧州 金融危機によって深く傷ついている英国の財政、英国の経済を考えると十分に理解で きるものです。国内のムスリム移民の世論も無視できないでしょう。ですから、今回 の決定をもって「UKUSA同盟が崩壊した」というのはオーバーであると思います。 英国の脱落に過剰反応はさせず、米国も冷静になるようにというのが大きなストーリ ーになると思います。 フランスに関しては、第一次大戦後にシリアとレバノンの地域を信託統治していた ことから、この地方に利権があるということもありますが、アルジェリア系のムスリ ム人口が持っている感覚としては、「イスラムを弾圧する欧米への反発」というので はなく「経済と社会の自由を保障する政権を支持」というスタンスです。ですから、 移民の支持の多い左派政権であるオランド大統領は強硬姿勢になるわけで、その辺の 事情は英国とは異なります。財政積極主義の政権としては、軍事費による経済浮揚も 考えていると思われます。仮にそれ以上でも以下でもないとすれば、オランド政権を 冷静にさせることは可能と思います。 アメリカの国内政治としては、現在は共和党が非常な慎重姿勢を見せています。下 院のベイナー議長、上院のランド・ポール議員などは相当に強く反対しています。こ れは「小さな政府、孤立主義」という共和党の思想に沿ったものですが、同時に「ブ ッシュのアメリカ」的な軍事タカ派というのは、完全に過去のものになったというこ とも示していると思います。 オバマですが、大量破壊兵器疑惑を掲げてイラク戦争に突っ込んで行ったブッシュ 政権と重ねて見る見方があります。資料を片手に国連でフセイン政権を非難し続けた 当時のパウエル国務長官の姿を、ケリー国務長官に重ねる向きも多いと思います。で すが、民主党のオバマ政権としては、今回の一件に関してはイラクよりも、むしろコ ソボの延長であり、方法論としてはアフリカでの大使館連続爆破事件後に実施したア ルカイダへのピンポイント爆撃のようなイメージで考えていると見るべきです。その 点には理解を示しつつ、説得するということになると思います。 大きな要素としてあるのは、米国とロシアの関係です。ボストンでの爆弾テロ事件 での情報交換の経緯(アメリカはわざわざFBI長官をモスクワに派遣)、その以前 からの反プーチン派への弾圧に対するアメリカの激しい抗議、そして一連の確執の中 でのスノーデン亡命事件というように、米国とロシアは激しい暗闘を続けてきました。 その中で、ロシアは地対空砲など大量の武器をシリアに売却してきています。ここで 事態を静観することは、ロシアの外交に対して屈することにもなります。 ですが、反対に米ロの対決がこれ以上エスカレートするというのは、ソチ五輪に暗 雲を漂わせることになるわけです。そろそろ歴史上の評価を気にし始めているオバマ 政権として、流れのままに「ソチのボイコット」などという事態に追い込まれるのは、 決して本意ではないと思うのです。 そんなわけで、五輪招致問題ということを念頭に置いた場合には、今回の事態に対 して安倍首相と、その周辺が動揺するのは十分に分かります。ですが、あくまで東京 招致を諦めないのであれば、米ロの双方に影響力を行使して、双方を冷静な姿勢に持 って行く、そのような外交が必要と思うのです。 ---------------------------------------------------------------------------- 冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ) 作家(米国ニュージャージー州在住) |